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●『リトル・ミス・サンシャイン』
画はたまには映画館で見ようと思っている。先日は昔の有名なイタリア映画で見たいのがあったが、2、3日のみの上映で、どうしても時間が取れなかった。



●『リトル・ミス・サンシャイン』_d0053294_0181485.jpgネット・オークションで調べると、その映画のビデオは、安ければ100円で売っていることもある。DVDでも1000円ほどだ。映画館に足を運ぶよりはるかに安上がりだ。だが、映画館で見るのはまた格別だ。ただ画面が大きくてよいというだけではない。たくさんの他人と一緒に見るから、緊張度が違うのだ。家で見れば鼻クソをほじくったり、おならをプースカプースカと鳴らしてもかまわないが、映画館では貧乏ゆすりをするのも御法度だ。だが、筆者が映画を見るのは、大抵は祇園会館の2本立てだ。あまり見たいものをやってくれないが、数か月に1度くらいはどうにか見てもいいと思えるものがある。チケットは人からもらうか、ネット・オークションで1枚100円程度で落札する。映画で1000円以上を払う気分にはなかなかなれないが、ごくたまに正規の値段を払って見ようと思うものもある。100円程度なら、面白くなくても我慢出来るし、面白ければものすごく得した気分になるから、なおさら祇園会館はいい。この点、中古ビデオだと、だいたいその価格に見合った感動といったところだ。この2か月ほどの間、わざわざ入手した中古ビデオと中古DVDで昔の映画を見たが、感想を書く気にあまりなれなかった。今後思い出して書くかもしれないが。そんな中、2週間ほど前に祇園会館の2本立てを見た。映画のタイトルさえ知らずに出かけた。前知識が全くないまま見るのはなかなかよい。この2本立てはどちらもそれなりによかったが、今夜取り上げるのは、後で見た方だ。最初のは『幸せのちから』という題名で、子どもがひとりがいる黒人夫婦が生活に疲れて離婚し、子どもを引き取った夫がホームレスのどん底生活を続けながら、証券会社で学び、やがてそこに雇用されるという成功物語だ。この映画は、いいにはいいが、何だか経済的成功すなわち幸福ということをあまりに前面に押し出し過ぎて、そういう価値感をあまり持っていない人は白ける。確かに経済的な豊かさは「幸せのちから」になり得る。だが、経済的に豊かな人がみな幸福とは限らないから、映画というものも作られる。家がなくて野宿同然の人が、まず住む家からどうにかしなければ通常の幸福感を味わえないと考えても、それはごく当然だが、誰もがそうした成功をつかめるとは限らない。映画でも、その男は30人だったか、とにかく多くの無給で半年ほど働く人の中から、たったひとりだけの採用という条件に見事にパスするのだが、残りの人々は失意にあるから、世の中には成功より失敗、幸福より不幸の方が何十倍もあることになる。だが、それでは人は生きていけない。たったひとりとして選ばれなくても、人はそれなりに納得して、また幸福と感じて生きて行かねばならない。ということは、経済的な成功が、必ずしも人生の成功ではないという価値感を持っていなければならない。その考えを世間では負け組という。だが、人間である限り、勝ち組でも不幸を感じるのは同じ割合である。
●『リトル・ミス・サンシャイン』_d0053294_019341.jpg

 『幸せのちから』を見た後、館内に電気が灯り、トイレに立ちながらそんなことを思ったが、次の映画は同じアメリカ映画ながら、『幸せのちから』とは正反対の人生訓を描いたもので、見終わった後はとてもいい気分になって夜の外に出た。『リトル・ミス・サンシャイン』は、いかにもという題名だ。もうこれだけでどういう幸福感を与える作品かはわかる。後でポスターを見ると、黄色が大半を占め、これは希望の色のつもりか、あまりに出来過ぎた設定だと思った。本来ならばとても見る気か起こらなかったが、とにかくどんなポスターも見ずにそそくさと映画館に入り、そして見、気づいた時には面白がっていたから、100円で大いに楽しめ、幸福の力を得た気分だ。この映画は20世紀FOXの制作で、今回初めて知ったが、最初に出て来るあの夜空の中の会社名を照らすサーチライト・ロゴの「20 CENTURY FOX」は、「20 CENTURY」の部分が他の単語に変わっていた。21世紀になる前、筆者は冗談で21世紀になると、「21 CENTURY FOX」と社名を変更するかなと書いたことがあるが、予想は当たったのか、ともかく「20 CENTURY」は使わなくなったようだ。『リトル・ミス・サンシャイン』は最初家の中の場面から始まり、眼鏡をかけた女の子オリーヴが登場する。これでまず「ははあ、子どもが出る映画だから、たいしたことはないな」と思った。子どもを使えば、それなりにみな似た感動の映画になってしまう。と、そんなことを思いながら、次の場面では今度は自殺未遂をした伯父が登場した。「ははあ、これは暗い家庭の事情を描くシリアスなドラマだな」と思ったが、どうも少し事情が違う。そして場面は一気に家の中から、一家全員が黄色のフォルクスワーゲンのポンコツ・ミニ・バスに乗ってアメリカを横断する旅物語となる。オリーヴが子ども美人コンテストに出るホテルのある西海岸まで、1000キロ以上も旅をするのだ。そのコンテストの名前が「リトル・ミス・サンシャイン」なのだ。一家とは、夫婦とお祖父さん、それに嫁の兄の、自殺未遂をした文学者でホモの伯父、そしてオリーヴと、引きこもりで一言も声を発しないその兄の計6人だ。お祖父さんがなかなかの曲者で、ベトナム戦争に従軍し、麻薬を覚え、家でもしょっちゅう吸っている。以前は老人ホームに暮らしていたが、女性好きで、日替わりで同じホームの女性を変えてセックスに励んでいたが、それも飽きて家に戻って来たのだ。その息子、つまりオリーヴの父は、成功の秘訣を独自のマニュアルにした製品を売り込もうとしているが、なかなか契約が取れず、負け組の仲間入りをしている。伯父はプルーストの研究家だが、競争相手の学者に先を越され、おまけに若い恋人(男)まで寝取られてしまったため、自殺を図ったのだ。そしてオリーヴは、ミス・コンに出てグランプリを獲るのが夢だが、なかなかそれがかなわない。ところがひょんなことで優勝者が決勝戦に出られなくなって、次点の自分に番が回って来た。それで家族全員で、娘を参加させるために車で旅行すると決めたのであった。
 映画の半分以上はその旅のシーンに費やされる。これがなかなかよかった。アメリカを旅したことのない筆者でも、よく実感出来たと言ってよいほど、アメリカ各地の雄大な光景は印象深い場面の連続であった。どこか高級なホテルや大金持ちの邸宅内部が映るというのではない。家族全員がレストランに入るシーンでは、日本の安いファミリー・レストランと全く同じで、いかにも庶民的な感じがよく出ていた。またモーテルに宿泊する場面では、黄色のバスが駐車場に停まる時、地面にかっちり引いた白線からかなりはみ出て2台分を占めていたが、駐車の余裕は充分で、そう停めたところで誰の迷惑にもならない。そうした空きの多いモーテルが、アメリカのハイウェイ沿いに多いであろうこともまたよく想像出来ることだ。モーテルの中の数部屋に分かれて泊まった家族だが、安普請の壁のため、隣の声は丸聞こえだ。それもなかなか現実的で、アメリカのいわゆる負け組が宿泊出来るホテルの質というものをよく示していた。そういうごく平凡な場面がなかなか強い印象を残し、こうして書いていて思い起こすのはそんな細部ばかりと言ってよい。旅する場面をそのまま映画で見せるロード・ムーヴィは、かつてのヴィム・ヴェンダースお得意のもので、『都会のアリス』もそんな代表であった。そこにも印象的な女の子が出ていたが、筆者はこの映画を1回だけドイツ文化センターで見たのに、今も鮮烈に映画の香りを記憶し、また見たいとしきりに思う。だが、DVDで見れば面白さを感じないだろう。この映画のオリーヴは、『都会のアリス』の主人公の娘ほどにはかわいくなかったが、それでも映画を見て行くうちに、なかなかの演技に感心する。その最大の見せ場は、ホテルを会場として開催されているミス・コンに出て踊る場面だ。ここにはこの映画最大の驚きの意外さがあって、アメリカ映画特有の誇張と、それによって作られる笑いが、映画における見事な経過時点で起きる仕組みになっている。『都会のアリス』とは全く違う点はそういうところだが、商業的成功を得るには計算された意外性を的確にしかるべき位置に内蔵させる必要があって、そこがアメリカ映画の歴史が培った様式美と言ってよく、支払ったお金に値する満足度は与えますよということだ。『都会のアリス』のロード・ムーヴィ性とは全然違うが、アメリカ特有のカラフルさやカラリとした様子はそれなりに見応えがあり、たまにはこういう雰囲気で見せる映画は悪くない。見た後に何か教訓的なことが引っかかるというのでもないし、大きな感動を与えられて充分満腹したというのでもないが、何か忘れ難い雰囲気というものが確実にあって、それは俳優の力量や、アメリカの風景、風俗というものが形づくっているもので、たとえばヴェンダースが『パリ・テキサス』で描いた空気に当然近いものが漂っている。だが、『パリ・テキサス』のようなシリアスっぽい映画とは違って、笑いが後半にはいろいろと仕組まれている。
 アメリカにホモがどれほど多いのかは知らないが、それをもはやあまり隠す必要もないほどの世の中になっていることはこの映画からもよくわかった。そしてベトナム帰りのお祖父さんの強烈な率直ぶりもこの映画の見所で、そのチョイ悪爺さんそのものの言動ぶりは、かつての5、60年代の方が現在よりもっとさまざまな意味において人間味があったことを匂わせる。旅の途中で車が故障する場面がある。その間の出来事だったと思うが、爺さんはホモ伯父に向かって、コンビニでポルノ雑誌の強烈なやつを買って来てほしいと言う。その時、「お前用のものもな」と言うが、コンビニではちゃんと男が裸になっているポルノ雑誌も売っていて、それを伯父はやや恥ずかしそうに買う。その時お祖父さん用に女性が裸になったポルノも2冊買うのだが、ひょいとかつて伯父の恋人であった若い男が店内に入って来る。伯父は女性が表紙のポルノを見られてはまずいと思いながら体で隠す素振りをするが、若い男はその表紙を盗み見る。その時、若い男は失望の表情をする。つまり、伯父が女も好きであったと誤解したのだが、そういう無言の演技の中によく人間の機微が垣間見えていた。まさか広大なアメリカでそんな偶然につい最近まで好きであった男と出会うはずがないのだが、そこは映画であるので、そういうわざとらしい設定も仕方がない。コンビニを出た若い男は、伯父と同じプルースト学者の車にそそくさと乗って伯父を後にしてしまうが、そこはまるでひとりの美女を取り合う男ふたりのドラマの、そしてその勝敗をまざまざと見たようで、ホモであっても恋愛事情は変わらないことを思い知った。伯父は恋人を奪われ、またプルースト研究家の第一人者の地位もなくし、それで失恋したのだが、これはアメリカでは実際にあり得る話であろう。いや、日本でもか。映画の最後は、バスはどうにかホテルにぎりぎり到着し、ミス・コンの参加に間に合う話となるが、ここで誰しも思うのは、まだ10歳にもならないような女の子をさまざまに着飾らせて舞台で歌ったり踊らせたりし、大人が審査するというコンテストの馬鹿らしさだ。だが、そういうことに熱を上げる一部の馬鹿親というものがいる。かつてのジョンベネ事件もそうしたミス・コンの背景があった。まるでいっぱしの大人の女、それもかなりポルノティックな女性の品を思わせる身振りと歌でジョンベネが舞台に立っている映像は何度もTVで流されたものだが、そのジョンベネが性の対象にされて、膣内部は傷だらけであったそうだ。そういうまだほんの子どもを玩具にする性的倒錯の大人がジョンベネの周りには存在したことと、両親が娘のジョンベネを盛んにミス・コンに出させていたという事実を照らし合わせると、何かが大いに狂っているとしか思えない。そんな有名な事件を知っている者にとってはこの映画は、ごく普通のまともな人々の気持ちを代弁して、胸のすく思いがする。
 さて、オリーヴの出番の場面だが、一言も言葉を発しなかった兄は、その前にひょんなことがきっかけでしゃべるようになっていて、伯父に向かって「ミス・コンテストはクソだな」とぼそりと言う場面がある。そこにこの映画を作った監督の万感の思いがある。そんなクソみたいなお祭り騒ぎに出席したのであるから、家族全員がクソ人間みたいだが、コンテストのクソぶりを本当に理解したところで映画は終わる。ここには書かないが、ほかにも起伏はいろいろとあって、飽きさせることがない。オリーヴの出番だが、オリーヴはどのようにして何を査員に見せようと努力していたかが、全く意外な形で観客は知るところとなって唖然としてしまうが、参加者の親の中でただひとり拍手をした者がいた。それは入れ墨のあるバイク親父といった風体の男なのだが、実際のところその男も娘が何度もミス・コンに出るのを内心は快く思っていなかったのだ。つまり、まともな人間なのだ。だが、世の中には娘や息子に入れ上げて、お金を注ぎ込み、有名になってほしいと思う親はいる。そういう人物はこの映画の家族を負け組と思うことだろう。実際オリーヴは思い切り舞台で演じたものの、二度とそのコンテストに出ないように釘をさされる。だが、この家族は、ようやく家族らしい団結心を取り戻し、もはやそういうクソのような祭りに参加することもないだろう。日本とは違って、広い国土に住むアメリカ人は孤独を感じやすく、人の心を日本以上に求めているのではないだろうか。そして勝ち組にならなければ、経済的にも人のつき合いにおいても、どういう生活が待っているかも知っているだろう。だが、誰でもが勝ち組になれることはないから、むしろ勝ち組という概念を消し去るのがよい。簡単に言えば幸福感の価値基準を変えることだ。つまり、幸福は考え方次第で、他人と比べるから不幸も感じる。そういう態度こそ負け組の最たる定義に合致しているとしても、本人が幸福と思っているならば他人がとやかく言うことではない。この映画のタイトルのように、それが小さな輝きに過ぎないものとしても、他の人が決して味わえないものと思っていればいいのだ。
by uuuzen | 2007-09-26 23:58 | ●その他の映画など
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