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●古びた電化製品の発火
夫婦が40年使用し続けた扇風機が発火して焼死した事件が先頃あった。電化製品が40年も経てば骨董品と言えるが、扇風機は鉄製に小型で重く、黒いのが古道具屋の店先でたまに売っていて、まだ使用出来るのでけっこう人気があったりする。



あれは40年どころか半世紀以上も前のもので、遊び半分で昼間使用するのはいいが、就寝中は使わないに限るかもしれない。筆者は物持ちがきわめていい方で、古い物が別に好きというわけではないが、壊れてどうしようもなくなるまで使う主義で、今後は40年ほど使い続けるものがいろいろと出て来るかもしれない。まさかパソコンがその仲間に入るとは思えないが、それというのも、ここ1週間ほどの間、画面が急に小さなパチンという音がして一瞬暗くなるということが頻繁に生じ、いよいよモニターが寿命かなと思い始め、ひやひやしている。画面が見えないとパソコンはどうしようもない。モニターだけ今のうちに本体に合う機種をネット・オークションで見つけて買っておこうかと思い始めているが、ピン・コードが合わなかったり、また本体に認識させるためのドライバーが必要であったりするので、それを考えると憂鬱だ。それに液晶ではないものを使っているので、同じタイプのものを買うことになるだろうが、そうなると今使っているのが本当に壊れた時にどう処分するか、またその日までにどこに置くかなど、さらに鬱陶しい現実が待っている。先月だったか、MOがついに壊れて画像などが保管出来なくなったが、同じ機種なら面倒な認識作業も不要なので、早速ネットで探したところ、何とも運のいいことに、同じものが3台まとめて2000円ほどで出ていた。同じ機種であるので、筆者の使用しているものと同じほど年数は経っているが、使用頻度が少なくてまだ使えるかもしれない。そう踏んで落札し、届いたものを見ると正解であった。筆者のものより数倍きれいで、あまり使用した形跡がなかった。早速それと交換してまた元の快適な状態が確保出来た。だが、10年前の機種であるので、いずれ寿命は来る。壊れたものを順番に買い替えても、パソコン自体が10年前のもので、もう全部を買い替えるべき時に来ている。どっち道もらったものであるので、いつ買い替えてもいいようなものだが、買い替える手間、設置し直す手間を考えると二の足を踏む。
 だが、最初の話に戻ると、老夫婦の扇風機も同じようなものであったろう。クーラーのない生活で、貧しかったのだろうが、それは別に責められるべきことではない。40年も前の扇風機を使うというのは、新品が買えないというよりも、ふたりにとっては愛着があったからではないだろうか。新品が仮に目の前に仮に無料であっても、長年連れ添って来た古い方を選ぶという思いが、老齢に達するとあるものだ。用を足せばそれで充分という、もったいない主義が染み込んでいるのだ。かつてはそれがとても美徳とされ、今さらどっぷり消費型の性格にもなれないのだ。だが、企業としては、どんどん買ってもらう方がよい。40年前の電化製品を使っているなど、企業にとってはとんでもない迷惑だ。そういう人ばかりになれば企業は倒産するしかない。したがってせいぜい7、8年で壊れるように作る。7、8年が一昔なのだ。その老夫婦の焼死事件を1週間ほど前の新聞が漫画入りで取り上げていた。そこにはどこか40年前の電化製品を使うことを茶化す雰囲気があった。常識的に考えて、そういう製品はどこかに問題があり、それを認識していなかった老夫婦は時代遅れという一種の自業自得を言外ににおわせていた。企業にしてもいい製品を作ろうと努力し、そのために40年も持つ製品が出来たが、まさか40年も無事で使われ続けるとは予想していなかった。電気製品は使われる環境によっては著しく寿命が変わって来る。つまり、使い手次第で寿命が異なる。そのため幸運にも40年そのままということもあり得るが、40年目に火を吹くことがあっておかしくない。これは40年でなくて5年の場合もあるはずで、電気製品は発火するものだという認識を持っておくに限る。そう言えば筆者は使用中のドライヤーが変な臭いを発散し、燃え始める寸前になったことが2、3度ある。コードが切れかけていたのだが、そうだとわかるとすぐに自分で修理してもう10数年使い続けている。まさかドライヤーをONにしたまま就寝することはないので、安心だと思っている。と、書き続けながらまた画面が一瞬ブラックアウトする。もしこのブログの更新が滞れば、それはモニターが壊れたことが原因だと思ってください。

●2002年5月3日(金、祝)午後 その1
●古びた電化製品の発火_d0053294_1028555.jpg午後。天気がよい。昨日は古本市に出かけ、その次にすぐ隣にある府立図書館へ行った。インターネットを30分ばかしやる。オークションでは伏見人形はこの3週間ほどずっと売れない犬がまだ出ていた。誰も入札していない。高さ12センチほどで、8000円が最低落札価格だったか。江戸初期のものとコメントがあるが、まさかそこまで古くはないはずだ。たぶん江戸後期かあるいは明治か大正かもしれない。しかし『伏見人形の原型』にもその形の犬は載っていないから、珍しいものであることは確かだ。かなり色が剥げているが、いい味わいをしている。5000円ならば買いたいが、そういった交渉はできないか、できても拒否されるだろう。ネットで落札すると送金の手間やそのための費用もかかるし、それに届いた品物が画面で思っていたものと違うこともあろう。手にとって納得して買うのが一番よい。骨董市で喋る業者も「わたしらはやはり客と交渉して価格をこうしようというのがいいですね」などと言っていた。ネットでの取り引きはそういった交渉下手な人にはドライでいいかもしれない。ところがヤフーのオークションでは買った人も売った人もお互いが相手を評価する仕組みになっている。これがまたいい加減になりがちと思うのだが、「評価の低い人には売りません」と但し書きしている売り手もあって、なかなか無視できないものがある。友人や甥に頼んで入札してもらっている筆者は、自分でもっと丁寧な文章を相手に書き送りたいのだか、そこまで手間をかけてもらえない。それで落札してどうにか商品が手元に届いた後、相手先の住所がわかるので、ハガキで礼状を出すことにしている。とはいえそうして買ったのはまだ5回ほどで、今度の『福助さん』が6回目のはずだ。今日はまだ届かない。あまりに遅れた時は悪い評価をつけるのだろう。お互いの顔を見ずにドライに買えるのはいいが、住所を知らせたり、ちょっとした文章のやり取りが相手の心象を左右するので、対面売買より難しい側面がある。そのためにeメールでは記号をつかったいろんな顔のマークが使用されているが、これも何だかわざとらしくてあまりいい気分はしない。さて、話を昨日の続きに戻そう。「『本当の物語』を切り上げて以降、この約半年間はにわかに伏見人形に関する世の動きがあった」という箇所につなごう。今この括弧内の文章はワープロの複写機能で書き写した。
 伏見人形関係の世の動きとしてまず新聞記事について書こう。去年の11月20日、読売新聞の朝刊の連載記事『ゆかし、京-店を旅する』に丹嘉の紹介が載った。店の全景と今年の干支の馬の人形を彩色している光景、それに竈、台所の神様である荒神さんを祀った棚に、大きいものから順に七体ずらりと並べられた布袋さんの写真がよく目立つ。「庶民の願い土に託し」「天衣無縫な形、発想おおらか」という見出しだ。写真がカラー刷りでないのが残念だが、この記事は伏見人形紹介に大いに貢献したであろう。丹嘉の店内にはすでに訪れていたが、このあまりにタイムリーな記事には驚いた。自分には予知能力があるのかもしれないと大袈裟に考えるが、残念ながら勝負運、くじ運はさっぱりだ。さて、読売新聞は何と今年に入ってまた丹嘉について書いた。現在、読売新聞夕刊は毎週『関西おもしろ文化考』という連載をやっていて、2月13日の第56話は『人形』と題して伏見人形に関してかなりのスペースが割かれた。写真はカラーで、大見出しは『造形 昔も今も最先端』だ。京都はマネキン人形の本場でもあるが、そうした最先端のファッション用のものまで含めて人形に関して歴史豊かな系譜を持っていることが、記事になかなかうまくまとめられている。この特集は同じ夕刊の第1面左上端にハガキ程度の枠を取って告知されているのだが、そこには丹嘉の陳列棚が写っている。その写真だけでも伏見人形がどういうものかがよくわかるので、この記事によって興味を抱いた人は少なくないかもしれない。愛知のFさんはその1週間ほど前に雑誌『太陽』の昭和55(1980)年のムック本『日本百景と土産品』から、「京都の名所とみやげ」という特集の8ページをカラー・コピーして送ってくれた。その中に半ページほどだが、丹嘉の伏見人形についての説明があり、夕刊に載ったのと全く同じ場所から撮られた同じような写真がある。2枚の写真は22年の開きがあるのだが、置いてある人形やその背後の制作の光景を描いた額絵は全くそのままだ。多少は人形の種類や位置がずれているが、22年などまるで1、2週間といった風情で人形は同じ表情をしている。ただし高さ20数センチの赤い獅子神楽は22年で本来の濃い朱がかなり色褪せている。伏見人形を売る新京極の土産店のお姉さんによると、蛍光灯の光で10年もすればそうなるとの話だったが、却ってその褪色したものを好む人もあるとも言っていた。
 その後、もうひとつ伏見人形に関して新聞記事が出た。それは4月3日の京都新聞夕刊で、妹が電話で伝えてくれ、すぐに封筒に切り抜きを入れて送ってくれた。妹は兄が伏見人形に興味を持っていることもあって、近所の人々にそんな話題を向けると、あちこちの年配者が古いものを所有していることがわかったという。やはり京都では昔からよく知られた人形だと改めてわかったと言っていた。さて、京都人はたいてい京都新聞を読むが、筆者は目を通さなくなってもう20数年になる。記事はハガキ大のカラー写真つきのA4サイズほどで、写真の隅には70少しの年齢の丸顔の男の店主が立っている。「伏見人形 後世に」「稲荷大社参道店主 自宅に展示場開設」といった見出しだが、この展示場については『本当の物語』に書いておいた。先の新京極の土産店のお姉さんから「来春になれば自宅の門を入った庭に陳列棚を作って、新旧のものを並べるそうです」と耳にしていたが、それが実現したのだ。筆者が先に買うと予約していたものは取り除けて、それ以外の全種の在庫を買って展示場に飾るつもりであったらしいが、それならばすぐ近くに丹嘉があるし、そこでは暖簾をくぐれば無料で陳列棚が見られる。確かに伏見稲荷の大鳥居を入ってすぐにそうした伏見人形の陳列があるのはいかにも誇り高いが、丹嘉の製品を並べるだけでは意味はない。とはいえ古玩専門でも地味過ぎる姉さんによれば、主は自分の店で並べている伏見人形をひとりで作っており、それを展示品に含まれるということであった。それで京都新聞に記事が載る前の3月29日の土曜日、天気がよいこともあって、祇園の桜を観るついでにもうそろそろオープンしているはずと考えて、まず伏見稲荷に妻と赴いた。場所は予想したとおりのところに予想したような状態で存在した。

by uuuzen | 2007-09-13 10:28 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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