世界陸上競技が今日まで大阪で開催されていた。長居競技場は筆者が大阪にいた頃からあったが、オリンピック誘致のために大改装し、世界に通用する立派なものになった。

来年開かれる北京オリンピックは、大阪も『おっちゃん、オリンピックちょうだい』というキャッチ・コピーを作って名乗りを上げていたのであったが、投票で破れた。せっかくあちこち整備したのが水の泡同然になったが、それでも世界に報道されるこうした競技に使用されるのであるから、名乗りを上げておいてよかったと言える。大阪市内南部の住吉や東住吉区は筆者はよく知らず、長居競技場には行ったことがない。今朝は女子マラソンがあって、目覚めた時にはスタートから30分ほど経っていたが、最後まで見た。長身で痩せた土佐礼子が最後にひとりを抜いて3位でゴールした時は感動で瞼が濡れた。大阪でやる世界的なスポーツ祭典で、メダルがひとつもないのではあまりにもさびしい。これは本当によかった。それで、急に長居競技場の一番安い席でいいから見に行こうかと思い、ネットで調べた。だが、そんな席でも6000円か7000円していた。最終日は締め括りのお祭りもあるから、行ってみるのも面白いかと考えたのだが、この価格では足が遠のく。それに京都から2時間少々かかるし、電車代や食事代を入れると1万円は越す。さらに最寄りの地下鉄の駅から1キロ少々はあるうえ土地勘もない。いや、それよりも今日はまず奈良の国立博物館と、難波の本屋に取り置きしてもらっている重い本を引き取りに行き、しかも梅田でまた展覧会をひとつ見る予定がある。それを全部こなして、なお大阪の南の外れにある競技場に行くのはとても無理だ。さきほどのTVの総集編の特集で耳にしたが、今日のマラソンの沿道には45万人が繰り出したという。大阪人は物見高い。筆者は大阪で開かれるマラソンをTVで見るのは昔から好きだが、それはよく知っている街がずっと映るからだ。長居の方面は知らないが、それから北上して今里筋からずっと北の市役所あたりまではそうではない。それに沿道の家並みや人々を見るのが面白い。大阪らしいごちゃごちゃした感じがあって、もし大阪に住んでいたならば、きっと旗を持って声援に行く。特に面白い光景は、沿道でランナーに沿って走るアホなガキやおっさんだ。いつもそういう連中の行動に目を配っている自分を発見して笑ってしまうが、そのいかにも大阪らしいおどけた、また人なつっこい行動は、大阪人でなければ理解し難い。今日とても印象深かったのは、そうした連中の中にひとりの若い男性が両手でぱっと白い紙を上下に広げた瞬間、そこに「勝訴」と書いてあったことだ。TVに映ったのは0.3秒ほどだったが、男性の「やった!」といったような表情も見えた。裁判ではないのだから、「勝訴」はないが、そういうアホな面白い行動をごく普通の一般の大阪人がさっとやってのけるところに、大阪らしさというものがよく出ている。

わが家から奈良に出るには、大阪に一旦出て奈良に行く方法と、京都駅から近鉄で奈良に行く方法のふたつがあって、後者がわずかに安い。それでいつも往きはその方法、帰りは大阪難波に出て、そこから梅田、京都というルートを取る。つまり一周するわけだ。奈良には2か月前ほどにも行ったが、和歌山ほどではなくても、奈良独特のがらんとした雰囲気があって、それがたまにはよい。だが、今日のような真夏日では長く歩くのは応える。奈良に着くといつも必ずまず昼食にする。店は決まっている。前回はちょうど隣の席に、TVで何度か見たことのある新薬師寺の管長が藍染の作務衣で座ったが、さっと食事を済ましてさっと店を後にしたのには、精悍なものを感じた。今日も同じ店で食べたが、うまいことをしたもので、商店街のどの店も同じような量と種類の食事では、価格はほとんど変わらない。食事後、商店街を南に抜けて左折し、天平ホテルの際を通って猿沢の池の畔でいつものようにたくさんの亀が泳いだり甲羅干ししている様子をしばし見、そして興福寺五重塔の脇を歩いて博物館へと行く。途中、必ず鹿に出会うが、これも奈良へ来たなという気がしてよい。今年生まれたばかりの小さな鹿が母鹿の陰に隠れるようにして木陰で休憩していた。雄と違って雌は首筋がしなやかで色気があるが、人間も動物も同じだ。博物館は、新館だけでも大きな部屋が3つもある。それらを全部見て回るだけでもそうとうな気力体力が必要で、そのために大抵旧館は見ないままで帰る。今日もそうした。図録は1500円で安かったので買いたかったが、次来た時にもまだ在庫は確実にあるし、難波で重い本を2冊受け取る必要があるので断念した。新館前の、睡蓮が咲いて鯉が泳ぐ大きな池の向こうには、地下に下りる階段がある。これは新館の展示を全部見た後、館内の地下へ通ずる階段を行くとすぐに眼前に広がる地下売店と通じているもので、博物館を見なくても誰でも入れる仕組みになっているが、そのことを知る人は少ないだろう。この広い売店は半分程度が喫茶と食事が出来るが、筆者は利用したことがなく、いつも無料の椅子に座ってしばし休憩し、そして地上に出てまた来た道を戻る。売店で売られているものは、はっきり言ってセンスが悪い。もう少しどうにかならないものかと思うが、それでも外国人には珍しいものもあるようだ。奈良名産の一刀彫りや葛切り、お香、墨といったものも売られているが、ごくわずかで、これならば商店街で買った方がいいだろう。墨はかなり高価で、中指程度の長さの小さなもので数千円する。それよりかなり大きいものとなれば数万円、数十万円だ。これでは書家は材料費もなかなか高くつく。商店街に戻った時、さらに南に続く商店街をしばし歩き、古書店を3、4軒覗いた。それに何年も前から気になっていたCD店を見つけたが、商品が少なくて驚いた。その後すぐ腹痛に襲われ、近くのスーパーに入ってトイレに座った。先日も書いたが今頃はお腹が冷え、体調が悪くなる。

近鉄奈良駅は地下にある。難波方面に乗って大阪に出たが、たまにこれに乗ると何だか遠足気分になってよい。車中から朝の女子マラソンのコースは見えないが、今里筋は見える。それを電車の窓から撮った。筆者にはよく見覚えのある景色だが、それでも昔とはすっかり違っている。先日京都国立博物館で見た展覧会の作品に、35年ほど前の京都四条河原町交差点北側を撮影したものがあった。筆者にはそれがそこだとわかるが、その後に生まれた人には絶対にどこかはわからない。それほどに変貌した。じっくり見ると、本当にどのビルの看板も残っておらず、ビルそのものもみな建て変わった。30年ほどで街は全部脱皮するのだ。そして30年後には今見ている四条河原町交差点はまた別のものとなる。ジョージ・ハリスンの『ALL THINGS MUST PASS』をふと思い出す。まさにそうなのだ。変わり続ける街は残すことは出来ないし、古い街を知る記憶もまた残せない。残るのは何だろうか。芸術か。だが、それは街のある瞬間の空気をかすかに感じさせるだけで、街そのものではない。街は変わり続けてよいもので、そのことに価値を見出せばよいのかもしれない。少なくとも日本ではそう考えられているからこそ、街は変貌し続ける。フィレンツェでは、100年、200年後に来ても同じ街がありますよと言っていたが、いったいどちらがいいのだろう。消えてなくなる街の面影で最近特に感じたのは、大阪難波戎橋にあるキリンプラザだ。この特徴的なデザインの建物は高松伸の設計で、難波のひとつの顔であった。それが先日の新聞で知ったのだが、10月末で閉館になって、キリン・ビールはどこかへ売却するとのことだ。これには驚いた。建って20年で取り壊しだ。外観はさほどでもないが、内部が老朽化したためと、それに大幅な赤字で、開けているだけでそれが累積する。今日難波に出たのは、そのキリンプラザに行ってビールを飲んでおこうと思ったことにもよる。そこではビールの醸造設備があって、特別に作ったビールを飲ませるのだが、一度も飲んだことはなかった。だが、10月末までに来ることはないかもしれず、今日最初で最後として飲んでおきたかったのだ。そしてついでに入場無料の20年の歴史展を見た。さびしい展示で、いかにも最後という感じがした。ビルの前には去年だったろうか、待ち合わせ場所の目印として、金色のキリンの彫刻が置かれたが、そうしたものを設置しておきながら売却とはキリン・ビールもよほど困っているのか。次に建つビルはきっとただの箱といってよい無粋なものになるだろうが、街は30年ではなく20年で変わる。キリンプラザ前の戎橋は、相変わらず工事中であった。年末にはきれいになるようだが、何年もかけて造り直した橋を、まさか20年でつけ代えることはしないだろうな。グリコ・ネオンのランナーは、世界陸上に合わせてシャツのデザインが変えられたが、これはサッカーのワールド・カップ以来で、あまり目新しくはない。