感想をすぐに書かねばと思いながら気分が乗らないこともあって、2か月も経った今頃、大阪中の島の国立国際美術館で見たこの展覧会について書く。

鳴り物入りで去年夏から同館では予告チラシが置かれていたと思うが、終わってみると、たいていの展覧会がそうであるように忘れたしまった絵は多い。今回目玉となったのは、チラシに大きく印刷されたブューゲルの「イカロスの墜落」だ。筆者はこの作品を10代で知って以来、名作中の名作として今も心の中に深く留めている。ぎょっとさせられる絵ではボッシュの方が上なので、若い頃は誰しもブリューゲルよりボッシュを偉大と思うが、両者は全然違う性質をしている。ブリューゲルの銅版画で有名な1枚に、画家が画布に口をへの字にして絵筆を持って向かっている背後で眼鏡姿のいかにも調子のよい画商が財布を握っている図がある。いつの時代でも儲けるのは商人で、作り手は貧乏暮らしというのは変わらないと見え、その版画を知ってなお筆者はブリューゲルが大好きになった。だが、ブリューゲルには農民に対する絶賛とまでは言わないが、温かい眼差しが感じられ、見下げた思いはない。そういう部分がブリューゲルにあるからこそ、これだけ世界中の人々から愛されて続けて来ているのだと思う。ブリューゲルの「イカロスの墜落」を知った画集はどれだったか忘れたが、その名画だけを取り上げた画集はとてもよく記憶しており、それを今手元に持っている。美術出版社が1975年4月に2200円で発売した4冊の「巨匠の名画」というシリーズのうちの1冊で、『イカロスの墜落』というタイトルだ。ちなみに残りの3冊は『モナ=リザ』『ラス・メニーナス』『夜警』で、筆者は『ラス・メニーナス』は20代前半に古書で買ったが、残り2冊は所有していない。実は『イカロスの墜落』も長年探し続けていたが、3年ほど前にネット・オークションで見つけて買った。ほしいと思った18歳の時から30年ほど経っていた計算で、心残りというものは執念深い。そういう心残りがたくさんある状態でいつかすとんと幕切れでこの世とおさらばだ。ブリューゲルの「イカロスの墜落」つながりで読んだのが、新潮社の「創造の小径」シリーズの最初の巻だ。ガエタン・ピコンが国連本部の壁画に描かれるピカソの「イカロスの墜落」の創造の跡を論じた1冊で、これも20歳前に読んだ記憶があるが、そう言えば前にも書いたと思うが、「創造の小径」シリーズは全部揃えたいと思いながらそのままになっている。1冊4000円や5000円という価格は、70年代半ばの10代の学生ではなかなか手が出なかった。今ならさほどでもないが、古書も価値が出て高くなっている。
ギリシア神話のイカロスの墜落については言うまでもないだろう。イカロスの父親はダイダロスで、幽閉された迷宮からだったか、脱出するために大きな羽を作って体に蝋で取りつけるが、父親が息子のイカロスに、あまり太陽に近づかないようにと忠告するにもかかわらず、イカロスは高く飛び過ぎたため蝋が溶け、羽は取れて墜落する。ダイダロスは大工だったか、工芸家だったか、とにかく物作りをする神だ。そういう神が脱出に成功しても結局地上に落ちるというのは、より大きな神に比肩しようとした罰なのかどうか、なかなか意味深長なたとえ話だ。ピカソは国連本部の壁面に巨大な墜落するイカロスを描いたが、ブリューゲルは全くそうではない。今回の展覧会の目玉として持って来られた「イカロスの墜落」には、海の中から両足を突き出してもがくイカロスが画面右下に小さく描かれるだけで、画面の主人公は、上着の赤が強烈な畑を耕す農夫や空を見上げる羊飼い、あるいは画面右下で海に釣り竿を放る漁師だ。溺れるイカロスの向こうには風で帆を大きく膨らませる船がゆっくりと湾を出て行くが、マストにいる船員は誰もイカロスには気づかない。これは一体何のたとえであろう。さまざまな意見が出ているが、その日没の美しい自然と相まって謎めいたところが魅力で、ブリューゲルの代表作と目されている。3年前に入手した本『イカロスの墜落』はまだ全部を通して読んでいないが、この絵にそっくりな絵が存在することは、昔何度か立ち読みした同書によってよく知っていた。それは空にダイダロスが描き加えられている点で主に異なるのだが、ベルギー王立美術館が所有するものが真作で、ダイダロスのあるものは模写とされている。比較するとそれはよくわかるのだが、ややこしい問題があり、王立美術館のものも模写ではないかとの疑惑が1912年のイギリスでの発見当初からあった。結局、王立美術館が購入し、館長のフィリップ・ロベール=ジョーンズは真作の立場で美術出版社が翻訳発刊した『イカロスの墜落』を著したのだが、そこにはダイダロスが描き加えられた作についての言及もある。その辺りを引用する。『一部美術家はこの絵の真正性について疑問を提出している。1935年に別の同一の絵が美術界に出現した時、状況はさらに混乱を呈した。その絵は版木に描かれ、図形が幾分小さく、構図は調和に欠けて慣例的であり、しかもダイダロスの像が加筆されている。諸説は、新たな論点を見出すと一層紛糾し、推論を進めて紛失したオリジナルの絵のコピーという説まで出された。結論は何か。一つの仮説をとるか、あるいは、納得するまで要点を見きわめるべきか。だが、その答がどうであろうと、ブリューゲルの≪イカロスの墜落≫は存在して、これは出会うすべての人々を魅了し、みた人々の記憶に深く留まる。これ程の疑問を呈するのは、ごくわずかな傑作中の傑作でしかなく、さらにその疑問に答えても、そうした解釈は、多くの場合互いに相反したものである。種々の正確な要素に手間どったり、図像の意味に専念するにつれて説は多様化するが、この多様性は、同時に作品の複雑さと重要性とを示している。…』
この名画は今回の展覧会では真作とはされず、「?」がついた。新聞にもそのあたりのことについては記事が出た。森洋子が去年11月16日の読売新聞に『「イカロスの墜落」の真筆性』と題して書いている。それによると、フィリップ・ロベール=ジョーンズは82歳の時に新説を発表したようだ。その内容については触れられていないが、『イカロスの墜落』を著したのが50歳の時であったから、32年の間、彼はこの絵の真贋について悩み続けて来たことがわかる。記事によると、真筆性の疑問は1997年頃からベルギーの新聞で本格的に報道され始めたが、そのきっかけは96年にある大学の博士が赤外線写真で分析したところ、キャンバスの下地におずおずとした描線を見出したことを論文で発表したことによる。また翌97年には王立美術館がキャンバスを放射線炭素年代法で調査したところ、ブリューゲル没後20年から60年頃のものである確率が高いことがわかった。そのため、今では「?」がつくのは妥当な判断と言えるが、今回の来日は筆者は30年も待ち続けたもので、真贋よりも、ようやく出会えるという気持ちの方が大きかった。会場に入ると、真先に展示されていたのがこの絵であった。とても混んでいたが、しばし絵の真正面に佇むことが出来た。率直な感想を言えば、古い絵特有の重厚さをさほど感じなかった。うすっぺらい、あるいは痩せていると言おうか、ありがたみが今ひとつ湧かなかった。だが、絵の中に入り込めるような開放感は覚えた。そして思ったよりも小さな絵であることも意外であった。『イカロスの墜落』には各見開きページ右側全面に計16枚の部分図が掲載されている。キャンバス地まで見えるほどの拡大図で、美術館で見るより細部がよく見えるほどだ。たとえば、左の草藪の中で排泄する男の尻が修復時に頭部に変えられたという箇所も、その拡大図版でようやくわかる程度で、実物ではまず探し出せないだろう。拡大図版を順に見て行くと、この絵は細部の凝視によってますます魅力がわかる仕組みになっていることに気づく。一点一画も疎かにしていないという絵だが、森洋子は『科学調査だけではなく、農民の衣服の平坦なひだ、しなやかさに乏しい樹木の枝ぶり、緻密でない都市景観の描写など、様式的にコピーの可能性が高い…』と書いていて、これは大勢の客にもまれてせいぜい20秒ほど見ただけではどうにもならず、実物の細部を熟視しなければわからないことだ。ということで、せっかくの「巨匠の名画」もかなり色褪せたという感じだが、森の先の文章の続きは、『が、ブリューゲルが”創案者”の有力候補であることは確かであろう。』と締め括られて、これはフィリップ・ロベール=ジョーンズの説を支持しつつも、かなり歯切れが悪い。筆者は「有力候補」どころではなく、原画はブリューゲル本人と確信する。これほどの味わい深い絵を構築する才能がほかにあるとはとても思えないからだ。
キャンバス地の下にある素描線が力強くないというのは、模写を証明する最大の理由であろう。だが、下絵にそういう部分があれば、必ず絵具の置き方にも問題箇所があるはずで、それが森の指摘する部分なのだろう。ロンドンで1912年に発見された時、王立美術館は模写と推定し、結局模写相応の2500フランの価格で購入したが、翌年にはもう真作としてカタログに掲載された。よほど大発見の安い買物をしたという喜びが見えそうだ。フィリップ・ロベール=ジョーンズはその判断を受けて本も書いたのだが、約100年を経て模写は確実となって来た。ところで、2年前に愛知万博に行ってベルギー館を訪れた時、暗い中に大きなスクリーンが下がり、そこにこの絵が映し出され、上部からイカロスが墜落して来て海の中にはまるという一種のアニメーション効果が演出されていた。それほどにベルギーが誇るブリューゲルの財産であるのに、真実を求める真摯な態度によって、曖昧さは排除されて行く。日本とは大違いと言うべきだが、それは科学的分析がまだ進んでいないことも理由であるし、それを許さない雰囲気もあるからだ。キャンバスに描く絵とは違って、日本では絵は何度も表具し直されることもあって、時代判定には曖昧さがつきまとう。また、紙や絹の研究が進んで、使用木材の年輪による時代測定に似たことが即座にわかるというデータ・ベースの充実はいつになるやらだ。だが、そんなことをして真贋を厳密に突き止めてもほとんど誰も喜ばないかもしれない。そういう思いがあるから博物館に予算も回らず、これではまずいとわかっていながらも研究が進まないのが現実であろう。そこにイカロスの墜落の話を当てはめてみたくもなる。このイカロスが何の象徴であるかは鑑賞者が自由に考えればよく、ただひとつのこう見るべきという回答はないだろう。神あるいは神のような技を持った者が勝手に墜落して溺れ死んでも、誰もそのことに関心を払わないのは、人々の無関心をひとまず表現しているだろう。筆者は工芸家の端くれなので、自分をイカロスになぞらえて見たくなる。筆者が失敗しようが成功しようが、それは他人には何の関係もないことだ。自分では世界が輝いて見えても、世界は実は何ら変わらない。そこで筆者はどう思うかと言えば、それはよくわかったうえでなおさら自分のやるべきことをやるしかないという決心だ。天に逃れて神の国に戻ることが出来ないどころか、惨めに溺れ死ぬことを最初からよくわかったうえで、なおより高く飛ぶことを欲したイカロスと考えればどうか。ブリューゲルは自分をそういうイカロスになぞらえたのではないだろうか。画家風情がどれだけのものか、今では巨匠中の巨匠と認められているブリューゲルだが、そういう評価を得ることがあろうとなかろうと、ブリューゲルは描き続けた。自分が死んだ後の評価などどうせわからない。そんなことを夢想したところで始まらない。それで儲けるのはどうせ後世の人間だ。国にとって大事なのは農民であり、羊飼いであり魚民であるとして、画家はせいぜい世間の片隅でじたばたしながらこの世とおさらばする程度の存在だ。それをよく知りながら、こういう絵を描いたところにブリューゲルの大きさがある。つまり、画家は常に無謀なことに挑み、絶対に墜落する存在であることを自認する必要がある。

最後に展示されたそのほかの絵についてもざっと書いておく。ベルギー王立美術館は1801年の設立で、15から20世紀までの約2万点を所蔵する。この中には若冲の絵も含まれていると思うが、今回の展覧会が予想以上の成功ならそうした作品を含んでまた10年後には企画されるかもしれない。今回はブューゲル、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスらの16、7世紀フランドルの巨匠たちから、クノップフ、アンソール、マグリット、デルヴォーといった20世紀までの87点が展示され、ベルギーの有名美術家勢揃いの感があった。クノップフ、アンソール、マグリット、デルヴォーはすでに個人展覧会が何度か開催されているので、今さらという気がするが、ブリューゲルから始まってその延長で見ると、また格別なものがある。面白かったのは、最初の部屋のルーベンスの「聖ベネディクトゥスの奇跡」をドラクロワがやや小さい画面に模写し、2点が隣合わせに展示されていたことだ。ルーベンスはさすがだが、細部までうまく模写し、しかも勢いを失わず自分の絵にしているドラクロワの才能にも驚いた。これほどに模写する技術があれば、当然ブリューゲル時代にも同様の才能はあったはずで、王立美術館の「イカロスの墜落」が模写であることは充分あり得る話なのだ。図録を買わなかったので、目録のタイトルだけを眺めても思い出せない絵が多くなってしまったが、そういう意味で言えば、アンソールやマドリットは強烈な印象を残す。会場で癪に触ったことがあったが、不機嫌な思いをここでぶちまけても始まらない。そうそう、べたべたしどうしの中年の男女がいた。女性とは真正面で顔を鉢合わせしたが、どう見ても40代なのに化粧や服装は10代の若作りだ。それに超ミニのあまり、後ろ姿は白パンツ丸見えだったが、そのあまりに姿のためにたくさんの人が振り返ってひそひそ話やしかめっ面をしていた。女性の若作りは勝手だが、40代が10代はないだろう。ま、ブリューゲルなら、それも無学な農民らしいとして、微笑ましく思ったかもしれない。