蒸し暑い曇天の先月29日の日曜日、神戸に展覧会を見に行った。3か所こなす予定が、出かけたのが午後になったのでふたつしか見られなかった。

見逃したひとつは今月の終わり近くまで開催しているのでまた出かけ直す。見たふたつのうち、ひとつは筆者にとってはとても重要なものであったが、これについてはこのブログに書くことはない。それで、残るひとつがこの『サン=テグジュペリの星の王子さま展』だが、期待していなかった割りに面白かった。5月中旬から下旬にかけて京都大丸でもやったのだが、その時は機会がなかった。それでわざわざ神戸で見たのだが、出かける時、初めて阪急阪神共通乗り放題切符を買った。この新しい切符が出来てまだ2、3か月のことと思うが、阪神沿線の美術館にも立ち寄れるのでこれはありがたい。大人1200円で、筆者の最寄り駅から三宮まで往復1200円であるから、同じことだが、途中下車が出来る分が徳だ。だが、結局途中下車せずにそのまま三宮を往復した。ま、そんなことはどうでもよい。展覧会は相変わらず見ているので、このカテゴリーに書くべきことは多いのだが、何だか習慣のもので、書きそびれるとずっと御無沙汰になる。今夜この展覧会を取り上げようと思ったのは、実は昨夜TVで、2004年のアメリカ映画『フライト・オブ・ザ・フェニックス』を見たからだ。最初の10分ほどを見逃したが、結局ずるずると最後まで見てしまった。砂漠に、胴体がふたつついた貨物飛行機が不時着し、その後3人の死者を出しながらも、乗員たちは胴体ひとつの飛行機に造り直してゴビ砂漠を脱出するという物語で、映画のタイトルがそのままそれをよく示している。映画は、砂漠の大勢の馬に乗った民から追われる中、どうにか離陸した飛行機が無事空を飛び去るところで終わったが、どこかに無事到着したかどうかまでは描かれず、一瞬物足りないなと思ったが、考えて見ればどうせおとぎ話みたいな内容であるから、砂漠から脱出した時点で終わるのが正しい。後はまた別の物語だ。で、その映画を見ながら、明日、つまり今日はこの展覧会について書こうと決めた。サン=テグジュペリも同じようにサハラの砂漠上を郵便飛行機を操縦したが、飛行機とともに消えて遺体も発見されないという、『星の王子さま』の結末さながらといってよい生涯を終えた。1、2年前だったか、その飛行機が海底で発見されたと新聞記事が出たが、切り抜きを探せば出て来るかもしれない。切り抜きは毎月しているが、スクラップ・ブックに貼らないので、探すのが非常に面倒だ。で、そのまま書き進める。
内藤濯訳の岩波から出た『星の王子さま』を古本で買ったのは30数年前の10代であった。下の妹がとても好きで、学校の劇でもそれを上演したりしたほどだった。その時、バックに流す音楽として何かいいレコードがないかと言われて、苦し紛れにビートルズの『イエロー・サブマリン』B面のジョージ・マーティン・オーケストラの曲を使うことを提案し、妹はそれにしたがって使用した。それから何年か後に、ジェラール・フィリップらが朗読する『星の王子さま』のLPを入手した。今回の展覧会で、それと同じもののオリジナル盤を、昭和38年に美智子妃殿下が内藤濯にプレゼントしていることを知った。筆者は同LPをまだ所有しているが、これも探すのが面倒なのでこのまま書き進む。ははは、そう言えば古書で買った『星の王子さま』や、20歳頃に買ったフランスのガリマール社の同書やイタリア語、英語版も所有するが、まとめてどこにしまってあるのかわからず、これらもみな手元に置かないまま書き進む。『星の王子さま』でもうひとつ思い出すのは、息子が中学生の頃に、「読んでみたら」と言ったが、どうせ童話だろうとの返事で、それ以降手にも触れたことはないようだ。本との出会いは難しい。息子が今後の生涯でこの本をまともに読むことがあるのかどうか。本好きな彼女でも出来て、その会話の中でこの本が出て来ると、きっと慌てて読むはずだが、親の言うことにはすべて反対の息子であるから、今後も読書など一切しないに違いない。息子の人生なのでそれも勝手でいいが、筆者は自分が死ぬまでに本やCDはみな処分しなければなるまい。『星の王子さま』が、息子が思うようにただの童話かどうかは判断は難しい。実際そのとおりにも思えるし、大人しかわからない下りもたくさんあって、決して子どもだけのためでもないからだ。童話として読むと、この本は名作とはとても思えない。日本には『星の王子さま博物館』まで出来ていて、それほどにこの本に人気があるのは、いったい何が理由かと思う。筆者がガリマール版まで買ったのは、イラストの印刷が岩波版とは色が全く違ったことにもよる。このことについては書いたことがあるのでここでは詳しくは触れないが、簡単に言えば、フランス版は色が全体に青みの色で洒落ているのに、岩波版は臙脂色はたとえば赤茶に置き変わるなど、いかにも日本の民藝玩具的な渋い色合いで、悪く言えば田舎臭い。筆者は今回の展覧会で知るまで、ずっとガリマール版が原書だと思っていたが、実際はニューヨークで執筆したこともあって、1943年アメリカの米語版が最初であったという。それにガリマール版はサン=テグジュペリのイラストをリタッチしたので、米語版とは違っていたそうだが、2000年以降ガリマール版のイラストは原書にしたがって、オリジナル版となったそうだ。となると、筆者の所有するガリマール版はそれら以前のものとして貴重になるかも。
この本で一番記憶に強い箇所は読者によって異なるのは当然だが、筆者は小惑星の住人たちが続けて紹介される下りで、その中でも「呑み助」をどういうわけかよく思い出す。筆者の知り合いに同じような呑み助がいたからだ。これは悪気から書くのではないが、その人物は「うぬぼれ屋」でもあって、話をしていても面白くないのだが、だが哀れなところがあって、それなりに憎めなかった。今どうしていることかと思うが、人生には何年かつかず離れず交際をしても、それっ切りになってしまう場合はよくある。サン=テグジュペリがどういう思いで、これらの侮蔑されるべき小惑星の住人を何人も登場させたのかと思うが、案外軽蔑ではなく、それなりに存在は認めていたのではないだろうか。本当に軽蔑するなら無視して話題にもしないだろう。『星の王子さま』に痛烈な皮肉を読み取ることは出来るし、またそう読み取るしかない部分もあるが、クリスマスの子ども用の絵本として書いたこの物語に、大人社会のそうしたいやな面をわざわざサン=テグジュペリが憎しみを込めて描いたとも思えない。この本が大人向きと言われるのは、特にこの小惑星の住人の下りだが、サン=テグジュペリは大人社会に幻滅していたからこそ、飛行機乗りになってこの地上をとかく離れていたかったのだろうか。昨夜TVを見ながら、ふとそんなことを考え、しかもこの物語の後半を書き換えてやろうかという気にもなった。星の王子が砂漠で死んで遺体も消えたという結末は、何ともさびしくて、子どもにとっていい内容であろうか。その点を思えば、どうも中途半端な物語で、日本で大いにもてはやすほどの名作かどうか疑ってみたくもなる。だが、先にも書いたように、筆者はまずこの物語に添えられた数々のイラストに驚いたものだ。素人っぽいが、全くの素人では描けないものだ。今回の展覧会ではサン=テグジュペリのイラストがたくさん展示された。複製も多かったが、それはあまり気にならなかった。これも新聞に以前載ったが、日本人がこの物語の挿絵「実業屋」の1点を落札し、今回の展示の目玉となっていた。本の印刷と比較すると、その解像度が悪いのか、細部の再現はかなり甘くなっていて、また修正も施されているように思えた。残りの挿絵の存在は明らかではないが、そのうち出て来るだろう。また、売場ではみすず書房刊だったか、分厚い電話帳ほどのサン=テグジュペリのイラスト本が出ていることを知った。これは初めて見たが、たくさんのデッサンをしていたからこそ、『星の王子さま』の挿絵はみな完成度が高くなり得たこを知った。なかなか洒落た造本の図録が1500円であったので迷わず買って来て、今手元に置きながらこれを書いているが、1枚の原画に対して100枚を没にしたとある。やはり、それだけ描きに描いたからこそ、一見素人っぽいイラストながら、人々の記憶に強く残るものとなった。
サン=テグジュペリは名門貴族の末裔だ。名前からしてそれは伝わるが、これもまた『星の王子さま』をいかにも高貴なもの思わせるうえで役立っている。図録を見ていて面白いと思ったのは、女性関係だ。妻以上の存在がいたのだ。これも知らなかった。彼女は貴族出身の裕福な実業家の夫がいたにもかかわらず、サン=テグジュペリとは10年以上もつき合い、精神面、経済面ともに援助し、愛用の飛行機までプレゼントしたという。これだけでも映画が1本作れそうだが、日本でもそんな話はあるのだろうか。そのほかにもニューヨーク時代に数人の親しい女性がいたというが、ま、それほどのもてる男でなければ小説家などにはなれない。サン=テグジュペリには美人だが口うるさい妻がいて、その一方で愛人がいたからこそ『星の王子さま』が生まれたというが、これこそいかにもフランス的な、フランス人好みの話で、それも含めてきっと大人にはサン=テグジュペリや『星の王子さま』を歓迎する向きがある。『星の王子さま』の挿絵が素晴らしいのは、サン=テグジュペリがパリの美術学校に進んだことによる。子どもの頃には詩が好きで、これは母親の影響らしい。また当時、家の近くに飛行場があって、それが後年の飛行機とのかかわりにつながった。子どもの頃にすでに決まった人生を大人は歩む。『星の王子さま』は子どもの心を忘れない大人のための物語であり、サン=テグジュペリはそんな子ども心を持った人物であったからこそ女性にも大いにもてたのであろうが、ここで言う子ども心は個人によって考えに差があって学ぶことは出来ず、天性のものだ。人に愛されるべき条件の最大のものでもある。筆者はサン=テグジュペリのほかの小説を所有しながら、まだそれを繙く時間が見つけられないでいる。いつかもっと老齢になれば、片っ端から気になっていた本を読んでやろうと思うが、『星の王子さま』の小惑星の6番目の住人は「地理学者」で、何冊も大きな書物を書いている先生が登場する。「…とても大切な仕事をしているんだから、そこらをぶらついてなんかおれんのだ。…」と語るのだが、これはなかなか耳が痛い話で、先の「呑み助」とともによく思い出すエピソードとなっている。とはいえ、筆者は花は好きであるし、赤い薔薇を愛でる気持ちも大いにある。ただし、サン=テグジュペリのように小さな飛行機で空を飛ぶのはごめんだ。愛人というのももう体力がないから無理で、茶飲み友だちならいいか(とアホなことを書く)。
さて、会場は子どもから大人までたくさんの入りで、最初は5分の1サイズのサン=テグジュペリが乗っていた飛行機と同じ型の模型が置いてあった。写真から伝わるものとは色の塗り方が少し違っていたのが惜しい。サン=テグジュペリのは赤主体で、上部が白だ。予想したとおり、世界中の翻訳本がずらりと並んでいた。表紙もさまざまで、岩波版と同じとは限らない。また、岩波版と同じでも、王子が立つ惑星のうす紫の色合いが、国ごとに違っていて、青みがかったり、赤みが勝ったり、印刷ではどうしても完全とは行かないことがよくわかった。そのためにも原画が出て来ることが期待される。その次のコーナーは、壁にかけられた木製の見開き大型本が10点ほど点在し、『星の王子さま』の有名場面が紹介されていて、ところどころにバオバブの幼い木や赤い1本のバラの模型なども置かれていた。その次は、子どもが退屈しないように、オレンジ色のボールを持ってうすいカーテンの奥を歩むと、その玉目掛けてレーザー光線による映像だろうか、一緒に音楽も始まるちょっとした参加者特別のインタラクティヴな遊びがあった。その後がサン=テグジュペリのデッサン・コーナーで、「星の王子さま」の主人公が徐々に完成して行く様子が数点のデッサンからでもよくわかった。当初はまるで孫吾空で、雲上にひとりの髪がもじゃもじゃの少年が立つという姿であった。表情も全く違って、もっと略画的だ。やはり『星の王子さま』では格段に進歩し、スタイルも統一された。最後に少し内藤濯のコーナーがあった。何と言っても最初に訳した人物の功績は大きい。だが、時代にそぐわない箇所もぽつぽつとあり、それは会場で指摘されていた。また岩波か内藤か、とにかく著作権が切れたのは有名な話で、そのためここ2、3年だったか、新訳がどっさり出た。それぞれに趣向を凝らし、タイトルまでがらりと変えたものまである。『ル・プチ・プランス』としたものもあるが、この片仮名は確かに正しいとはしても、こうあからさまに片仮名が充てられると、何だか全然別物を指しているようにも思える。フランス語の発音を片仮名に置き換える習慣が日本にまだあまり根づいていないからだ。結局『星の王子さま』が最もいいように思うが、原題は「小さな王子」であるので、そのままに固執したいというのもわかる。だが、それなら「小王子」と漢語でやった方がいいようにも思えるし、あるいは「小さな王子さま」がいいのではないかとも思う。図録はハードカバーで、紙にも凝って印刷もよい。「星の王子さま展」の文字が、原書のレタリングを模したもので、これがなかなかよい。内藤濯の訳本では、この文字は月並みで硬いものであった。短い物語であるので、いつか自分でも訳してやろうかと思わないでもないが、それより先に書いたように、本当の子ども向きに後半を書き変える方が面白そうだ。