親が昔とは様変わりして、学校の場でもさまざまに問題になっている。息子が小、中学生の時に授業参観によく行ったから、10数年前のことだが、当時がどういう状態であったかはよく記憶している。
それは9割以上の母親が授業中、ひいきりなしにぺちゃくちゃと喋ってうるさかったことだ。子どもの授業態度を見に来ている親が、それそっちのけで、みな勝手なことを話していて、そのうるさいことは想像を絶したものであった。だが、この10年はもっとひどくなって、学校に給食費を払わなかったり、いちゃもんをつけたりする親が蔓延して来た。たぶん授業参観は昔よりひどい状態になって、親はお祭り騒ぎをしているのだろう。特別に筆者の息子が通っていた小中学校の程度が低かったわけではない。ごく普通で、裕福な家庭が多かった。だが、母親の中には、PTAの小グループになってたとえばどこかに集まって何か話合う段になると、それなりにしっかりした意見を言って無駄口もたたかなかったから、みんながみんな、騒々しいわけではなかった。だが、昨今の困りものの親は、国の現状の正常な反映であろう。たとえば昨夜のTVニュースでは、日本各地に1兆円ほどかけて造った一般車が走れない林道が数千キロあって、それが地元では全く使われていないことを伝え、地元住民からは、ゴミ捨て場になるだろうと冗談とも本気ともつかない言葉が出ていた。政治家と地元の土建屋がグルになって税金を貪る構図があって、どう考えてもおかしいことがまかり通っている。そんな国の状態であるからして、庶民に変なのが増加しても全く当然だ。世界でも有数の金持ち国家になった日本が、その潤った金を使って何をしたかと言えば、国中をコンクリートとアスファルトだらけにしただけの話で、メンテナンスが必要なそんな施設は、いずれ放置され、廃虚然とするに違いない。歴史的に見て超成り金国家の日本が辿る道はどうせその程度で、自浄作用がもっと極度に働かなければ、その速度はもっと加速化するだろう。そのためにはどうするかということを、よく識者があちこちで発言するが、どれも根本解決に至らない放言に過ぎない。教育をどうにかする必要があるのは確かとしても、それをどこからどのように改造して行くか。そんな大問題がまとわるわけがない。いっそのこと学校教育を撤廃すればどうか。いや、これは本気で言っている。学校がなかった江戸時代が果たして今より変な親がいたとは全く思えない。むしろ逆で、学校という亡霊、教育という妄想が人心を駄目にして来た気がする。勉強などというものは、やりたい者だけが、あるいはやりたいと思った時だけやればよい。いや、現実はそうなっているはずなのだが、みんな幻想にしがみついて、いい学校を出ればいいことが待っていると錯覚している。
だが、学校にもいいところがある。もちろんいい思い出の教師の方が多いが、文字どおりの反面教師も少なからずいた。筆者は幼稚園には行けなかったが、小学生になる直前、母親に連れられて学校に検査に行った。学力と体力の簡単な測定で、それによってクラス分けをするのであった。その日のことは鮮明に覚えている。近所の同年齢のやんちゃな男が筆者の前であったが、質問にはすらすら答えて、当人も御満悦であった。そして筆者の番になった。担当の先生は今にして思えば30歳くらいか、ブレザーを着て痩せていたが、ちょっと面長でたばこが似合いそうな男前だった。そんな年齢と雰囲気の男の人を目にするのは初めてで、筆者は舞い上がってしまった。とにかく恥ずかしがり屋で、色白の筆者はすぐに顔面が真っ赤になった。これはなかなか治らず40歳くらいまでそうであった。いや、今でもそうだ。で、その先生はいかにも面倒臭いといった機械的な感じで、「数字の30から順に1まで言ってみて」と言った。さきほどの同年齢の近所の男はたった数秒程度で答えたが、筆者はそれが出来ず、20にも届かない間に口ごもった。すると、先生は即座にノートに何か評点をつけ、「はい、次」と言って筆者を去らせた。その記憶は長く心に残った。『自分は馬鹿なのだろうな』。だが、筆者は学校の成績はみんなが不思議がるほど非常によかった。それに引き換え、先の男は最悪の成績で、学校ではほとんど忘れ去られた人物になった。小学入学前にすばしっこかった連中は、みんな同様になったと言ってよい。そこで思うのは、小さな頃に少しくらい目立っていても、親は喜ぶなということだ。筆者は小学卒業時に大阪で5人のみの特別の報奨金を担任の推薦でもらったりし、中学生でもこれ以上はないという成績を取ったりもしたが、母親は不思議と一度も誉めなかった。それどころか、子を誉める親はアホやと公言していた。そして筆者もそう納得していた。どうやら筆者のひねくれた性格はその頃に完成した。だが、今でも思うが、勉強は好きな者だけが好きなだけやればよいし、現実にはそうなっている。そして、成績がよいのは、たまたまその能力が自分にあっただけの話で、自分でなければ別の誰かがそうあるものに過ぎない。それに、学校時代の成績など意味はない。人生はそれからの方が長い。そのそれからの間に本当に何が出来るかだ。にもかかわらず、世間はそうはなっておらず、大学どころか、どの幼稚園に入ったかでだいたいの人生が決まるとまでまことしやかに言われる。そんなアホ社会にして来たからこそ、変な政治に変な教育がはびこった。
だが、一方ではそういう社会は機会が平等で、そうではなかった頃よりましという意見がある。それは実は物事をミクロでしか見ていない。この場合のミクロは国家のことだ。今、国家の品格とか何とかいろいろ言われるが、それはどういうことか。さきほど書いたように、ありまった金で国中に不要なものをまだまだ作り続けることか。そんなお金があれば、もっと貧しい国を援助すればいい。それでこそ尊敬され、国家の本当の意味での、つまりマクロ的な意味での品格も上がる。ところが見返りを期待することが見え透いているので、援助してもいつも逆効果と来る。そうなるのも、援助してやっているというスケベエ根性があるからだ。小中学校時代の反面教師についてもっと書こうと思ったが、もうひとつ今思い出したことを書いておく。小学校1年だったか、担任の女の先生が、1合の米の粒を数えられれば偉いと言った。正直な筆者は家に帰って、早速米櫃を開けて枡で1合を計り、母親が仕事から帰る時間までかかって、1粒1粒をていねいに数え続けた。途中で間違ってやめ、また整理しては数え直すを続け、とっぷり日が暮れた暗がりの中、板床に白い米を並べながらついに全部を数えられなかった。翌日しょんぼりして学校へ行くと、先生は簡単にこう言った。『みなさん、秤を使いましたね。まず1合の米の重さを量って、その後でたとえば50粒数えて取り分けて量り、1合がその何倍か計算すればすぐですよね。』 騙されたと思った。その時の先生の言葉とみんなの嬉々とした表情の陰で筆者はただ呆然としていた。先生の計算では誤差が出ると主張する勇気はなかった。だが、1粒ずつ数えてこそ偉いのではないか。秤で適当に量るのがなぜ偉いのか。それに、そもそも筆者の家には秤はなかった。『人を馬鹿にするのもいいかげんにしろ』という気がした。だが、今では筆者は、自分が米を1粒ずつ数えるような馬鹿な人間であることをよく知っている。それはこのブログが証明している。そして、1合の米を1粒ずつ精確に数えられたとしても、それは先生が言ったように、決して偉くはない。むしろその反対に全くの愚鈍なのだ。秤を使えば簡単であると見抜き、そして実行する者が世の中では成功者、つまり金持ちになる。学校とはそんな技術を教えるところだ。要領よく物事をやれない人は脱落者にしかなれない。そしてそんな要領の特別によかった連中がこっそりと悪いことをして政治家になり、国中をコンクリートだらけにして自分だけは御殿に住む。教育がおかしかったのはもう半世紀も前からなのだ。そのつけが今来ている。
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●2002年4月20日(土)午前 その1
昨夜、続きを書こうと思いながらTVを見ている間にその時間がなくなった。今日は午後にボロッテン(ボロ自転車)で外出するつもりだが、それまでに少し書こう。一昨日の夜、4連夜シリーズの最終回だったと思うが、NHK教育TVで、『私のB面』という番組を観た。第1日目はみうらじゅんの著作『見仏記』にまつわる話で、これは以前にも同じようなことをTVで喋っていたので珍しくはなかった。『見仏記』は最近古本で入手したがまだ読んでいない。その第2弾も発売されたようで、今後もシリーズ化されるのだろうか。本業とは別に長年極度に熱中している趣味をつまりB面と称しているのだが、これは『大論2』も同じようなものだ。ただし友禅作家など、仮に人間国宝になっても一般人にはほとんど名が知られないから、熱心なB面的趣味があったとしても、それがどうしたということになる。どう考えても友禅とザッパはちぐはぐというのが普通の人の考える第一印象であろう。しかし本当はそんなことはない。どんな職業でも工夫する心を抱くことはできるし、またそうあるべきで、それはサッパ自身もそう語っていた。その意味においてはみうらじゅんも筆者も変わらないはずだ。今は有名になるというのが若い人にとっては究極の望みになっているようでもあるが、その有名というのはマスコミに出て、顔と名前が知られる芸能人か、それにぎりぎり近い人のことを漠然と指している気がする。マス・メディアに載らず、ごく限られた世界で名前が知られるような人は有名とは言わず、そこには限りなく「限定的」の形容詞が頭につく。しかしTVに頻繁に登場する有名が旬な人も、2、3年も経てばたいていは忘れ去られるから、有名とはまるで桜の花のようにはかない。そんな有名でも有名にならないよりはうんとましとばかりに、20そこそこの女性が「たとえば絵を描くことで誰もが振り向く有名人になりたい」などと真顔で発言しているのを。TVで見ると、何だか微笑ましく、そしておかしい。画家でそのような意味で有名な人が日本にいないわけではないが、本当に長い歴史の中で有名を留める画家は、生きている時にそもそも道行く人が誰しも振り向かない。有名になりたいという気持ちは理解できるが、よい絵を描きたいという気持ちはそれに勝るものであるはずで、それに気がつくと、もう有名などこだわらなくなる。それよりもとにかく自分の納得の行く絵をいかにものにすることができるかという思いだけが心の中心に居座る。そして満足の行く作品ができたというのに、次の瞬間にはもう餓えている。それは心がいつも安らいでいることではない。確かに実際に作っている時は夢中であるが、それがいったん終わると苦しみに似たものが姿を表わす。あるいは作っている時も苦しみでもあろう。とにかくみんなに振り向いてもらって虚栄心が満たされるというのとは全然違う厳しい世界がそこにはある。それは自己顕示などという域では捉えられない、もっと深くて神聖なものだと思う。いつの時代でもこういうことを知るべき人がいて、そして知っている人だけが知っている。その一方で理解できない人はそのことに対して懐疑的にとんちんかんなことを発言する。
話を戻そう。『私のB面』の最終回は荒俣宏が登場し、30くらいの時から集め始めた福助人形のコレクションを披露し、その蘊蓄を傾けていた。みうらじゅんは京都出身で、東寺の密教仏が大のお気に入りらしいが、福助人形も諸説あるものの、やはり京都に起源があるとしてよい。どの骨董市に出かけても必ず福助の土人形を見かけるが、伏見人形で福助は座ったものだけではなく、立ったものや馬に乗ったものなどもあり、どれも丁髷姿の額が前に出っ張ったおじさんとして表現されている。これを関西では「でこちん」などと呼んだりする。福助足袋の商標となっているある可愛い子ども顔の福助は元からあった「でこちん」タイプを改作したもので、同じように土人形が当初作られて、その製造は一時丹嘉が担当していた。その権利は別の会社に委ねられて、今は丹嘉は福助足袋の童顔タイプのものは作っていない。しかし一般的にはこの童顔がよく知られており、それだけ足袋がよく売れたのだろう。番組では東京にあるその足袋会社の本社内部にある1000体もの福助コレクションが少し映ったが、最も大事にされているものとして、高さ30センチほどだろうか、袴に描かれた松などの琳派模様とその色合いからして、どう見ても江戸時代のものである「でこちん」タイプが紹介されていた。伏見人形とは語られなかったが、どう見てもそれに間違いない。その人形を創業者が入手して、そこから童顔に作り変えた登録商標を考えたという。衣服の一部の色が剥げ落ち、また全体に茶色っぽく変色したその大きな伏見人形は、今の骨董市ではまず見かけられないもので、家宝のように大切にしているその足袋会社の気持ちはよくわかる。荒俣宏もかなりの数の福助人形を収集しているが、その会社の半分にも満たないし、コレクション中のベスト5として挙げたものにはそのような古くて貫祿のある伏見人形はなかった。割れるうえ、安価な民間の人形であった伏見人形は、江戸時代のものはあまり残っておらず、大きいものであればなおのこと珍しい。江戸時代から伝わる型を利用して今も全く同じものが作られている伏見人形は、それだけでも大変な文化遺産であるが、たくさん伝わるそれらの原型はもうそろそろ重要文化財に一括指定されるべきだろう。さて、福助は実在した人物かどうか、またそうだとすればどこに住んでいたのかといった推理が番組ではいくつか紹介されていたが、びっくりしたのは、大黒天の娘が吉祥天で、娘の嫁ぐ先を心配した大黒天が福禄寿に相談して福助を婿にしたということ、そしてその福助が浮気をした相手がお多福であるという話だ。いつ誰がそんなことを言い始めたのかわからないが、いかにも融通の利く日本の民間信仰を感じさせる。そこから思うのは、そういった話をさらに発展させることと、一方では新しい神を作り出すことで、そうした思いが『大論2』にはほんの少しだが反映している。それはいいとして、今年の年賀状の図案を大黒天と吉祥天の顔にしたことは何日か前に書いたが、大黒天と吉祥天が親子だとは知らなかった。昭和初期に丹嘉はすでに福助とお多福がともに招き猫スタイルで、笑顔を溜めて片手を挙げて座っている人形をセット販売していた。おでこが出っ張った福助と、ふっくらした大顔のお多福はどう見ても夫婦としては釣り合いが取れているし、もともとそのようにしてセットで考え出されたキャラクターだとの印象を与えかねないが、実はそうではなく、お多福は京都の大工さんの女房でこれも実在したという話があって、千本釈迦堂だったか、お多福の像を祀っているらしい。出所が違う両者がともに縁起かつぎの福の神、つまり普遍的なキャラクターに昇格した。