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●年齢と若さ
まるのは疲労だけ。いつもまでもあると思うな元気。と、そんなことをふと思わせられた昨日。



市中の繁華街のスーパーに入ると、腰がかなり曲がって、いかにも縮んでしまったという表現がぴったりの、80半ばとおぼしきお婆さんが空の買い物車を押していた。レジに並んだたくさんの人を見て買い物を諦めたようで、買い物車を元の位置の戻していたが、その車が体の支えになっているような具合であったから、大丈夫なのかなと思った。お婆さんにも若い時があったが、今は年を重ねてお婆さんになった。誰でもそうなるが、誰もそんな実感は持たない。だからこそどうにか毎日生きて行ける。だが、自分が、あるいは自分の両親が、お婆さんお爺さんになることが想像出来れば、もう少しお婆さんお爺さんを大切に扱うことがあっていいはずだが、弱い者いじめが蔓延して、お婆さんお爺さんから金品を強奪などという事件が、もはや事件として扱われないほどに頻発する。そういうことであるから、お婆さんお爺さんはお婆さんお爺さんであることをなおさら感謝などしないということになり、それが若い者に伝染し、さらにお婆さんお爺さんいじめにつながるという悪循環か。長生きすると経験は増すが、垢のようなものも増し、それが新しい物事の摂取を阻害し、必ず大なり小なり時代送れの部分を多く持つに至るが、埃を被った本が山積みされる忘れ去られたような古書店を思えばよい。だが、若い人でも油断すれば、あるいは油断もせずに、悪い意味での老人と化していることはよくある。つまり人間は年齢だけでは言えない。男は女と違って年齢を重ねると人間性が充実して魅力が増すという人があるが、全くナンセンスな話で、それは男も女も関係がない。何の努力もしないでそんな大人の魅力が身につくはずがなく、それは金があるかどうかとも関係がない。ただ太っただけで頭空っぽの醜い体と顔つきになるというのが大体の相場で、格好いい中年になるにはそれなりの日常的心がまえがいる。これは若者にならって茶髪にしたり、20歳ほど若い世代のファッションに身を包むという外見の問題ではないからなおさら難しい。年が行くほどに若い頃に増して何か別のエネルギーと強い意志が必要になり、それを怠ると、年齢ゆえの実態がただちに体から発散される。おじん臭いおばん臭いというのがそれで、文字どおり体臭が出て、人から嫌われることにもなる。梅雨時はなおさらだ。だが、まだ20代の若い女性でもゴミ同然の臭いを発散している場合があって、枯れたようなお婆さんの方が何十倍も清潔で好ましいと思えることはしばしばある。そういう臭くて若い女性がお婆さんになった時には、いったいどんなことになっているのだろうと何となく恐怖を感じるが、本人は全くそんなことは考えたことはないのであるから、人間はやっかいなもんだ。

●2002年4月19日(金)朝 その2
●年齢と若さ_d0053294_11142333.jpg住吉神社境内の南辺は御神田と称して、鴨を放って自然農法で米を作る場所になっている。そこは干上がって草が繁り、赤いレンゲソウが咲いていた。その東に武道館があり、大阪の友人に電話するためにその入口前に立ち寄ったが、「車返しの桜」と刻んだ真新しい石碑があった。その昔後醍醐天皇がここを訪れた時、見事な桜が咲いていて、天皇は車を戻させてもう一度眺めたほどという。今はないその桜を忍んで京都の嵯峨から枝垂れ桜を未来樹と称して数年前に移植、そのついでに石碑を据えたようだ。大きくなるにはまだ2、30年を要するだろう。武道館は神社境内の南東端に位置するが、そこから50メートルほど離れたところに浅沢社はあった。50メートル四方程度の神社で、隣には同じような大きさの大歳社も並んでいた。浅沢社は周囲がかきつばたなどが植わる湿地で中央部が祠になっているが、東京の不忍池のごく小規模のものを連想すればよい。入口際には高さ4メートルはあろうか、神社の規模にそぐわないような立派な石燈籠があって、それが目立って面白い。お参りしようかとポケットの小銭入れに手をしたところ、70くらいのおじいさんが大声で叫びながら先に神社に入ろうとしている。「あけましておめでとうございます」などと、意味不明のことを怒鳴りながら石燈籠に向かってお辞儀したり、そして祠の周囲の雑巾がけを始めつつも、相変わらず奇声を発している。通りを歩く人はみなそっちをちらりと見るが、触らぬ神に祟りなしを決め込んで逃げるようにして去る。早くじいさんが出て行ってくれないかなと思って周辺を2、3度行き来したが、10分ほど経っても同じ状態。祠は小さいのでどうしてもそのじいさんと顔を合わせなくてはならない。別にかまわないのだが、支離滅裂を大声で発している隣に立つと文句を言われそうだ。せっかくの諸芸発達の祈願の機会であるのに惜しい。仕方がない。また次回だ。それにしても都会にはこのような変をことを口走る人が増えている気がする。声だけならまだしも、ぶすりとやるのがいたりするので都会はジャングル同然になっている。御神田区域の隅にボジンシャ(ボロ自転車)に積んだボロ家財が見えたが、じいさんの持ち物だろう。
 さて話を少し戻そう。長浜への日帰り旅行の当日の早朝、毎月第1日曜日に開かれる東寺のガラクタ骨董市に出かけたことは前に書いた。その時取り置きしていてもらった土人形とは、初辰神社のミニ招き猫であった。先月それが大量に売られているのを見つけた。汚い木箱が3つで、合計で1000個はあったろうか。どれも土で汚れていて、長年倉庫に眠っていたことがわかる。去年だったかすでに4個を見つけて買っていたので、もう44個ほしいとかねがね思っていたから、この大量の出土との遭遇はコレクション完成へのまたとない機会であった。業者は4個で1000円という。先月は16個だけ買って、残りは選んで取り置きしておいてもらった。それで今月になると取り置きしてもらった以外は全部別の業者にまとめ売りしたという。そしてもう一度同程度の数があるところから出て来たというが、それは買わなかったそうだ。業者は大阪の八尾に店をかまえており、おそらく住吉近くの誰かがその業者に引き取り依頼の電話をしたのだろう。誰かとはつまり招き猫を作っていた業者に違いない。かつては丹嘉が作っていたのが、それでは間に合わないので大阪で生産し始めたに違いない。大型のものだけは今でも丹嘉が作っていると思うが、このミニ・サイズのものは昭和40年頃から型への流し込みによる量産品に変わっており、重さもそれ以前のものに比べるととても軽い。なぜこういうことがわかるかと言えば、先月の東寺の骨董市でまとめ買いした時、1000個ほどをだいたい確認して、その中から最も古い物だけを買おうと篩いにかけたからだ。人形の底に一部日づけの入ったものが見つかったが、それは毎月お参りして1個ずつ買った人の記入と考えてよい。その日づけ記入のあるものは残念ながら30個ほどしかなかったが、それは他のものより重く、底を見ても機械的な流し込みによる作りではないかことがわかる。それに何よりも猫の表情や裃の水玉模様が細かく丁寧だ。それがちょうど昭和45年頃。それ以外のものはそれ以降の製品で、背面にある「初辰神社」の刻印は完全にぼやけて解読不能となり、顔の表情はいかにも若いアルバイトが描いたような印象のものなどヴァラエティに富み始める。そして昨日見たものはさらに違う表情になっていた。わずかな差ではあるが、こうした小さいものこそに時代が明瞭に反映する。初辰神社のミニ招き猫の表情ひとつ取って研究しても一冊の興味深い本ができるだろう。せっかく初辰さんに来たのだから、500円で1個買って帰ろうと思っていると、写生し終わった途端に扉や門が閉められてしまった。そして骨董市で残りを買ったのはいいが、京都駅に駆けつける必要があったため、たいして確認もせずに選んでしまい、夕方家で並べてみると、右手を上げた猫が3つ多いことがわかった。業者は筆者の選んだものに10個ほど適当に加えて他は処分したのだが、来月の第1日曜日の5日にまだその一部が売れずにあるかもしれない。そうなれば3個を左手のものと交換してもらえるが、残っている望みは薄いし、残っていても全部右手かもしれない。なかなかすんなりと始終発達というわけには行かない。

by uuuzen | 2007-07-23 11:14 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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