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●検索キーワード・ランク表
夕であります。今日でこのブログの記事数も777のラッキー・ゾロ目になったことにマニマンこと筆者は、おにおにっと気づいたのでありました。



●検索キーワード・ランク表_d0053294_11495846.jpgせっかくの七夕ではありんすが、ばたばたしてばかりで棚の置き物を落として壊してしまったのでやんす。かけらがひとつ見つからず、代わりに気がかりがひとつ増えたのでござる。ござるとは申すものの、壊れた置き物は招き猫でばざーる。ああ、朝から暑いので、気分も熱く、いきなり変な言い回しが元に戻らぬぞ。元に戻らぬのはこのブログのアクセス数で、昨日は今までの最高の80台を記録したが、今朝ページ・ヴュー数を見るといつもと変らぬ。これはきっとブログのカウント装置が壊れてしまったに違いない。だが、そうとも言えないのは、検索キーワード・ランク表を見ると、昨日1日で一気に新しい言葉がたくさん増えたからだ。ということは、昨日は新参者がどっと押し寄せたことになるか。アクセスが増えるのは好ましいかもしれないが、それが1日にして何倍にもなるのはやはり機械の故障を思った方がよいのでござーる。それはそうと、昨日検索していて、筆者のブログ記事が、2名のブログで引用されていることを知った。ひとりは韓国のブログで、筆者の引用文章以外はハングルなので意味がわからないが、そこそこの知識人であることはわかるので悪い気はしない。もうひとりはある画家について書いた箇所が引用されていた。それは自分でも気分よく書いたので、それなりに他人の目にはとまるかと思っていたから予想どおりだ。つまり、毎日こうして書いていると、知らない人がそれなりに同感していて、それがブログ本来の役割かつ利点ということだ。だが、逆もある。むしろその方が多いか。炎上というやつで、書いた内容に反論がどっとこむ。(ああ、古いな)筆者のこのブログもいつ炎上に見舞われるかと思わないでもなく、あまり過激かつ独善的にならないようにとどこかで心がけてもいるのでござる。だが、文句言いたがりはどんなことにも言うし、あるブログを何人かが共同して故意に炎上させることも出来るであろう。そのため、昨日のアクセス数一気増加は炎上の予兆かもしれぬぞ。それにしてもだ大根。毎日書いていると、どういう言い回しか記憶にないことが多いイノシカチョー。書く尻から忘れて行かねば、頭の中がブログ文章で炎上するので伝は急げ、適当に消しゴムの活動が必要だ猥談。だが、自分が忘れていることに対して攻撃を受けることは大いにあり得る有馬温泉で、のんびり湯船に浸かっている場合ではないのでござーるの猿回し。「七夕の月に吠えらる満願爺」

●2002年4月13日(土)午前 その2
●検索キーワード・ランク表_d0053294_11235093.jpgザッパの音楽が並み外れたものであるならば、それに対する評論もまたやはり並み外れていたいと考えるのはファン気質として当然だ。その評論に対する批評もまた並み外れたものであってほしいが、字数が限られた短い文章ではなかなかそれも難しいか。創作者と創作物に対する敬虔な気持ちがあれば、自ずとそれに対して何か意見を述べる際にもその気持ちが反映する。筆者はそうありたいと思って書いている。これは音楽評論家も同じであると信じたい。かつて筆者の友人はこんなことを言ったことがある。「ザッパだけ論じているのと違って、プロの音楽評論家はどんなミュージシャンのどんな音楽でも論じるから偉い」。一瞬耳を疑ったが反論はしなかった。音楽は種類が多い。ロック評論家がクラシック音楽を本格的に論じている場面に出会ったことはない気がするし、その逆もまた同じ。結局音楽評論家といえども狭い音楽の範囲に止まって呟いているに過ぎないとも言える。それにどんなミュージシャンのどんな音楽でも評論できるだろうか。もしあってもそれは嘘だろう。ロック音楽評論家なるものに対してザッパ自身が語っているので、ここでは繰り返さない。彼らにあたかも自分が批評の対象に採り上げるかそうでないかで本の売れ行きが左右できると自惚れる傲慢さがなければよいのだが。こんなことを書くとお前はどうかと言われるが、筆者には物作りの本職があるし、ザッパだけ採り上げてもまだ知らないことは多いし、それこそ他の音楽などまだまだ。これは本音。自分が知らないからこそ、より深く知りたいと思い、『大論2』は書いている間にあのようにぶ厚くなってしまった。本当はもっと簡潔に完結すべきという意見もあろう。だが、それはザッパの音楽がもっともっとさまざまな人に知られてからのことだと思っている。今はまだあらゆる人々に興味を持ってもらいたいがために、なるべくあらゆることを書きたい。ロック・ファンは放っておいてもザッパを知る人は知るであろうが、そうでない人にこそザッパの音楽を知って、それによって広く文化のことに興味を抱いてもほしいという大それた思いがある。したがってロック・ファンにはあまり面白くなく、ザッパ・ファンには物足りなく、文化全般に興味のある人にはまるでばらばらといったように思えるかもしれない。それくらいのことはわかっているつもりだが、であるからこそ、そういったあらゆるタイプの人々をどうにか少しでも振り向かせてザッパの音楽をより頻繁に聴いてほしいと思う。
 さて、音楽雑誌の書評とは違って、『大論2』に対する最初の評論文が出たのは去年の12月30日だった。これは初稿のゲラ刷りを読んでの感想で、その後に文章をあちこち追加したので厳密には出版された本に対するものではないのだが、それでも最初の読者の意見ということで、本の行方を占うにはいい見本を提供してくれたように思う。インターネットでは『ゲラーズ』と題する会員向けの有料の閲覧ページがあって、そこではゲラ段階の本を読んでの一般の人の書評が掲載される。石原さんは最初のゲラが印刷所から刷り上がった段階で、その『ゲラーズ』に送った。それに関しては『本当の物語』の10月上旬頃に書いた。『ゲラーズ』では本が出版される1ヵ月ほど前には書評を出すとのことで、場合によっては出版直前もあり得るそうだが、必ずしも出るとは限らないから、もし出ない場合は本が面白いとは判断されなかったことになる。その意味ではなかなかひやひやさせられる。『本当の物語』にそのことは書いたと思うが、結局本が出版されたのに『ゲラーズ』からは連絡がなく、石原さんも筆者も諦めていたのだが、年が明けて工作舎にゲラを読んだU氏から電子メールが入っていたことがわかった。正月休みのために12月30日には確認できなかったのだ。その電子メールは前半と後半に分かれた内容で、前半は工作舎に対する内容、後半は『大論2』に対する書評で、その分がそのまま『ゲラーズ』に載ったものだ。このメールはFさんなどの読者カードを除いた最初の感想であり、嬉しかった。先の『レコード・コレクターズ』の書評との釣り合いを示す意味合いからも、あえて少しだけ引用させていただく。前半には「感動しました。ザッパにではなく、この本を書いた著者にです……」などと書いてあり、後半は「散りばめられたジョークや脱線で読み手を退屈させない。(中略)ザッパからあふれ出る猥褻な表現や汚い言葉も人間であり、駄洒落や脱線も人間のなす技なのだ……」。最初のゲラはかなり誤字も多く、未完の部分が目立ったはずなのに、このU氏はよくぞ根気よく読んでくれたことと思う。本の発売までには出ず、もう諦めていたが、2000枚を越える原稿となるとなかなか一気読みするのがしんどいことがわかる。U氏は最後に「2回目の方が面白い本である。」と書いてくれているが、そんなに丁寧に読む人はまずプロの音楽評論家にはいまい。さっさと斜め聴きして斜め読み、そして斜め書きしなくては、とてもメシなど食って行けないだろう。それが偉いのかどうか、たぶん体はえらい(しんどい)のは確か。
 インターネット関係ではもうひとつ書いておきたいことがある。それはインターネットで本を注文できるbk1というホームページがあり、そこには「話題の本」のコーナーがあり、随時10数冊の新刊がちょっとしたコメントつきで紹介される。毎月の新刊はどれたけの数になるのかは知らないが、その中から10数冊というのは、かなりの厳選かもしれない。『大論2』は発売直後にその「話題の本」のコーナーに採り上げられ、著者コメントも載せたいので、原稿2枚で何か書いてくれと言って来た。筆者の知人も早速その文章を読んだことを年賀状に書いて来たから、本に興味があってしかもインターネットをよく利用する人は気づいていたと思うが、次にそのコメントの全文を掲げておく。『本当の物語』を一段落させ、本の出る2週間前の11月26日に書いたものだ。
○フランク・ザッパの名前を知る人はさほど多くはない。日本ではビートルズの人気は今なお圧倒的なものがあるが、彼らと同時期にデビューし、90年代初頭までのアメリカで活躍したザッパに関しての書物はほとんどなく、たまに音楽雑誌で見受けられる留まる。これにはいくつかの理由が考えられる。まず60ものアルバム数の多さだ。その大半はロック音楽の様相を呈しつつ、その枠組みを越えてジャズや現代音楽などを含め、そこに時事問題や当世の普通の人々の愚かで哀しい生活を風刺や笑いで描いた歌詞を加えることがしばしばなのだが、曲やアルバムが相互に関連し合うので、全体は独特の複雑な音迷宮を織り成している。そのため誰しも膨大なその音楽遺産の甚大な価値の詳述を徹底するのは難行であり、大雑把に傾かざるを得ない。ザッパのアルバムを深く楽しむには歌詞対訳とライナー・ノーツだけでは不充分であり、実際ザッパの音楽をよく知ると自認するファンでさえもまだまだ気づいていないことは少なくない。3年前の『大ザッパ論』に続くアルバム解説本第2弾の本書は、ザッパの20代後半から30代半ばまで、すなわち1967年から74年に至る7つのアルバムを選択し、前著を越える2100枚の原稿を費やした。ザッパに関係するの音楽を含めた諸文化や政治的背景から新情報までを盛り込んで、その人間的かつ音楽的本質を伝えることをもくろんだ。依然として全アルバムを解説する幅広き道の完成は困難ではあるが、「2(two)もまた(too)、通も普通も面白き」の観点で書いた今回の書物によって、大ザッパにまとわりつく混迷の雰囲気が大きく退座すると自負する。マニアのみならず、ぜひともアニマの如き初心者も御一読のほどを。

by uuuzen | 2007-07-07 11:24 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
●ネット・ゲームとCDと創造 >> << ●DVD『CLASSICAL ...

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