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●「TELL IT ALL」
イトルを訳せば、「そいつに全部ぶちまけてしまいな」。何だかストレス解消用の殴られ玩具の販売文句のようだ。



●「TELL IT ALL」_d0053294_1953636.jpg数日前、急にこの曲を思い出し、連日聴いている。パット・メセニーのアルバムで最初に買ったのが、この曲が入った『ファースト・サークル(FIRST CIRCLE)』だった。たぶん1992年だった。息子がまだ小学生であったのをはっきりと覚えている。このアルバムがそれなりによかったので、2、3年の間に7、8枚買った。ヨーロッパ・ツアーを収録した『THE ROAD TO YOU』も買ったが、それは1993年の発売であったから、その当時が最もパットの音楽を集中して聴いた時期だった。だが、10年ほど経った今、見事にどのアルバムもほとんど全く記憶にない。こんなミュージシャンは筆者にとっては珍しい。何の記憶も残さない音楽があるというのは、それはそれで何だか見事なこととも思える。開高健が言っていた。小説でも同じで、すべて名作とは、鑑賞後に何のしこりもわだかまりも残さない。もしそういうものが残っていれば、それは作品の構成に未完成の、つまり出来の悪い部分があるためだとしていた。何となく言いたいことはわかるが、この言葉にはエンタテインメント性が強く絡んでいて、そういう側面から作品を見つめた場合という限定つきの言葉に思える。つまり、暇潰しで作品に接しようとする場合に言い得ることだ。ああ、だが、人生も芸術もみな暇潰しのようなものであるから、話がまたややこしくなるか。ま、それはさておいて、パットの音楽は耳障りがあまりによいため、聴いている間も気になるものはないし、聴いた後ではさらに何の感慨もない。聴いている時だけが命なのだ。しかも、その命はとても月並みで日常的な事柄に密接に関係しているため、空気みたいなところがある。これは悪く言えば、あってもなくてもよい音楽という意味で、よく言えば、周りの空気をそれこそ爽やかにしてくれる有用音楽ということになる。そういう手の音楽はいつの時代でも必ず需要が大きい。パットの前にもあったし、後にも永遠にある。その時その時の時代に応じた流行の音楽形態を取るだけのことで、それはジャンル分けがいちおう出来るが、それもあまり意味がなく、もっと別のカテゴリーを設けて、そこから見つめる必要がある。そして、そういう音楽は、本当の音楽好きの玄人には人気がない。せいぜい音楽をファッション程度に思っている人には大歓迎されるが、それは衣服同然であるので、飽きられるとすぐに捨てられ、やがて誰の記憶にも残らない。
 パットの音楽ほどジャズ・フュージョンの言葉がふさわしいものはないように思える。だが、一方でスティーヴ・ライヒの音楽を演奏したり、あるいはオーネットと共演してアルバムを作ったり、また激しいギター・ソロだけでアルバム作りするなど、多角的な意欲は充分で、一筋縄では行かない戦略家ぶりを示している。ジョニ・ミッチェルのバックを務めてツアーをした時も、なかなかの存在ぶりであったし、音楽好きであれば絶対にその演奏はどこかで耳にしているほどの圧倒的な人気はある。また、背はあまり高くはないが、アフロ・ヘアっぽいいつものあの独特の髪型は、同じフュージョン界のギタリストであるジョン・スコフィールドのように、頭が禿げて何となくおっさん臭いイメージはないので、女性の人気も高いであろう。実際その音楽は、女性とデートしている時に周囲に鳴り響いていると、必ずいいムードにして口説けるようなところがある。その意味で実にハッピーで理想的な音楽で、イージー・リスニング・ジャズという形容が最もふさわしい。だが、前述したように、パットはなかなかしたたかな人物であるので、そういう形容をされれば心外とばかりに激怒するはずで、もっと高尚で、しかもジャズの歴史の最先端を走り続けている自負がきっとあるに違いない。そう思えば、パットの音楽はアルバムごとにメンバーを変えるなど、その多彩ぶりはロック音楽の比ではないことにも気づく。ジャズの可能性をさまざまに実験し、あらゆる要素をブレンドし直しているといったところだろう。だが、ここ10年近い活動を筆者は知らないので、今はどういうところにいるのかはわからない。昨夜調べると、先頃亡くなった、ザッパとも共演したことのあるマイケル・ブレッカーの作品をカヴァーしたアルバムを出したのが話題になっていて、相変わらずジャズ・フュージョン界で頑を張り続けていることがわかる。どういう音が聴いていないので何とも言えないが、筆者の所有する10枚ほどから、何となく演奏は想像出来てしまう。だが、それを買って聴いてもいいかなと思わせる魅力が、確かにパットにはある。そこがパットの不思議なところで、とにかく何をどうやりたいのか、なかなか実像がしっかりとつかめないところがある。先に書いたように、単にイージーな音楽としての底が見えてしまえばそれまでなのだが、どこかそうとも言えない苦悩ぶりも見え、ついその部分に期待してしまうのだ。人気を持続してCDを多量に売り続ける必要はあるが、その一方で自分が本当にやりたいことはまた別にあるのだということが何となく感じられるところが、パットの正直なところであり、また謙虚な姿勢とも言える。だが、人生は短い。本当に自分がやりたいことをはっきり見定めないと、すぐにその時間は消費されてしまう。いやいや、これは自戒の意味を込めて言っている。
 パットはジャズ・ギタリストであるので、その奏法はジャズであるのは当然だが、フュージョンの観点からは、やはりロック畑のミュージシャンと比較したくもなる。たとえばザッパでもよい。ザッパが死んだ後、パットがある雑誌にコメントを寄越した。今その資料を探すのは面倒なのでこのまま書き進むが、パットはそれなりにザッパのギター演奏を讃えていた。筆者はパットがザッパをどう思っているかに関心があったので、その記事はとてもタイムリーかつ意外な気がした。だが、ザッパ・ファンがパットの音楽をどう思っているかという別の問題もある。結論を言えば、「yawn(あくび)」であり、この一言はザッパから見たパットの音楽感を示してもいるようで、実に興味深い。つまり、「退屈であくびが出る」音楽と言うのだが、その意味はザッパ・ファンには全く理解出来るだろう。同じギター・ソロでもここまで違うかと思わせられるほどに、パットとザッパのそれは地球の反対側同士と言ってよいほど別物だ。そういうことをよく知っているはずのパットがなぜザッパの死に対してコメントしたのかが筆者には意外であったが、ライヒやオーネットの音楽に接近するほどのパットであるので、ザッパの音楽に対しては少なからず注目はしていたに違いない。だが、共演はあり得なかったはずだ。そこが同じジャズ・フュージョンでも、アル・ディメオラとはまた異なるところで、現代アメリカのギター音楽の面白さと多彩さ、それらの関連を持った広範な世界がある。そんなパットが爽やか一辺倒のイメージを払拭したいかのように出したアルバムが、ギター1本だけでアルバム全部を演奏した『ZERO TOLERANCE FOR SILENCE』で、94発売当時に新譜で買ったが、2回ほど聴いただけで投げ出した。今聴いてもおそらく同じ気持ちだろう。何かに対して怒りの気持ちがあって過激なことをやりたかったのだろうが、それは単に消化不良に終わっている気がした。だが、そういう試みをやること自体、パットは素直でもあるか。恥をかくかもしれないようなそういう実験をやらなくなればもうおしまいで、後は同じことを繰り返す懐メロ・ミュージシャンのような存在になるだけだ。それはそれで悪いことではない。そういう人生の中からもまた何か芳醇なものが生まれるという懐の深さを音楽は持つからだ。筆者がパットを聴かなくなったのは、『ZERO TOLERANCE』の後、96年の『QUARTET』を買ってからだったが、何となくパットがついにやりたいことを一巡してまた初心に戻ったなとの印象を受け、それ以降は興味を抱けなくなった。パットがどういう生まれでどういう育ちをしたかは知らないが、おそらくしごくまともで、取り立てて不幸ということもなかったであろう。だが、本当の芸術家はそういう育ちからは生まれないものなのだ。とはいえ、不幸が大き過ぎると、またそれに押しつぶされていじけた作品を生みがちとなるので、そこが難しいところだが、何か内面に飢えたものがなければ、作品を生む原動力にならないし、長い年月を経て、人の心に食い込む作品など出来るはずがない。そして、その飢えたものは、幼年期に決定づけられる。だが、パットはパットなりにやるしかないし、その作品に普遍性があるかないかは聴き手が個々に判断すればよい。
 筆者が最初に買った『FIRST CIRCLE』は、最初ECMから84年にLPで発売された。CD化は91年だが、筆者が買ったのは中古だ。そして96年作の『QUARTET』も中古で買ったが、どちらもほとんど新品同様で、発売されて間もなく売られた。しかも500円までの安さだった。そこからも、買った人の失望感がよく伝わるが、それほどにパットの音楽は嫌いな人からはとことん嫌われるだろう。10枚ほど聴いて筆者が一番よいと思えるのは、最初に買った『FIRST CIRCLE』だ。ECMから出たというだけで、このレーベルを知る人からすればどういう音でどういう内容、どいうう感動を与えてくれるかはだいたい想像出来る。このアルバムによって後のパットの方向づけが決定したと言ってよく、筆者にとってはパットの原点だ。ジャケットが簡単な虹のイラストで、裏ジャケが実際の虹だけがカラーで、後の風景は白黒の雄大な風景写真となっているが、このジャケットが音楽内容をすべて説明している。虹で何を思い浮かべるかは人さまざまとはいえ、だいたいは雨後の清々しさや、あるいは逆に夏の蒸し暑さで、このアルバムはちょうど今頃聴くのにふさわしい。数日前に筆者が急に思い出したのもそんなところが理由になっている。つまり、全くパットの意図にそのままはまってしまっている自分に気づく。それはそれでパットの見事な手腕と言うべきだろう。このアルバムは最初の1曲を除いてどれも曲は似ているが、それでも「全部言っちまう」のであれば、筆者には5曲目「TELL IT ALL」だけが際立っている。LPならB面の最初曲で、それを思って聴くとなおよい。このアルバムはCDではなく、LPで聴くのがきっとよいだろう。ECM時代最後のアルバムで、音も厚くなって当時の集大成となっているそうだが、それはこのアルバム以前のものを聴かなくても何となくわかる。全8曲は全体にラテン風味がよく利き、5曲目のように疾走感に満ちる曲が目立つが、筆者は全体を通して聴くことがあまりない。似た雰囲気の曲が続いてうんざりするのが正直なところであるからだが、そのため5曲目だけをリピートで10回ほど聴いて満足する。今もそのようにしてこれを書いている。つまり、筆者にとってパットは5曲目「そいつに全部言っちまいな」に尽きる。この曲のライヴが『THE ROAD TO YOU』に収録されていればどれほどよかったことかと思うが、『FIRST CIRCLE』ではどうやら同名曲が最も有名らしく、それが収録されている。その曲も悪くはないが、筆者はやはり5曲目がよい。なぜそうかとの理由を考えてみると、最初の主題における、マリンバと鐘を混ぜたような音を奏でる打楽器と、すぐに現われる男の声がいいからだ。この打楽器の連打は長年パットの相棒であるキーボード奏者のライル・メイズが奏でていると思うが、とても面白い音で、スリリングな奏で方をしている。この音だけに耳をそばだてている自分に気づくほどだが、コンピュータのように正確ではなく、ところどころで叩き方のパターンと叩く場所が微妙に違うのもまたよい。クレジットを今確認すると、Agogo Bellsとあるので、おそらくこの楽器だろう。
 このアルバムで驚くのは、パットがシンクラヴィア・ギターも演奏していることだ。84年2月の録音であるから、シンクラヴィアを演奏しているのは別段不思議でもないが、ザッパ同様、最先端の楽器や音色に関心があったことを示している。シンクラヴィア・ギターが具体的にどういうものかは知らないが、パットがギターの音色に凝っていることはこのアルバムからもよくわかる。全体にパットの書くメロディに実にぴったりしたフワフワした音でありながら、いくつもの種類がある。5曲目にはほんのわずかにシタール風の音も聞こえるが、これはスティーヴ・ヴァイにもあるものの、ロック・ギターのような重量を感じさせる音ではなく、あくまでも空中を漂うような軽めの雰囲気に徹する。その音のために、音楽を聴いた後に何の印象も残さないと言えるかもしれない。さて、「そいつに全部言ってしまいな」にまた戻って、本当に全部言ってしまおう。演奏時間は8分で、テンポは早い。昨夜調べると、アマゾンでは無料でイントロが聴取出来る。そして、うまい具合に筆者が特に好きなのは、ちょうどその無料部分であるイントロから、そのしばらく後に続くパットのギター・ソロまでの前半で、特に無料部分でほんのわずかだけ聴けるパットのソロ冒頭は実に素晴らしい。どう表現すればいいか、いきなりサビを奏でるといった感じで、通常のソロにある序奏というものがない。曲のイントロの第1主題で気分が高まっているのでその必要がないと考えたのだろう。コードや旋律を詳しく調べるとそれなりに面白いことが見えると思うが、聴いただけでその感じはよくわかる。梅雨空の鬱陶しい空気にぴったりで、しばし不快指数を忘れること請け合いだ。パットのソロがひとまず終わると、第2主題が奏でられる。これはこれでなかなかよいのだが、パット節の独特の哀切を帯び過ぎたようなくどさがある。この第2主題の後すぐにメイズのピアノ・ソロが始まるが、それはこの曲をパットとメイズのふたりが作曲したからだ。ピアノのバックのドラムスがまた非常に心地よく、いい気分は持続するが、それも束の間、すぐに第2主題に回帰する。この主題は、ギター・ソロ後の一度だけならいいが、ピアノ・ソロの後にも奏でるには、もっと短くするか、あるいはパットのギターをほんの少しまた入れるか、少し工夫があった方がよかった。ともかく2度目の第2主題の後に続けてまた最初の第1主題が奏でられるので、全体としては古典的なジャズの構成を意図したものだが、第2主題はやはり1回でよいと思う。最初に買ったパットのアルバムに、結局最も好む曲があったというのは示唆的だ。筆者はいつもそうだ。あるミュージシャンの最初に買ったアルバムを最も愛聴するというのはパットだけに限らない。ビートルズもザッパもそうだと言える。これは物事を正しく判断出来ない性格を表わしているかもしれない。だが、反対にそれだけ最初の刷り込み作用が大きいという事実も示す。
 以上まで書いて急いで出かけた。そして5時間後に戻ってまたワープロの前に座ったが、それには理由がある。用事をふたつ済ました帰り道、大雨が降った。雨なら出かけないと電話で約束していたが、途中でやむかと思ったのがその反対で、とんでもなく激しい雨が全身にぶちまけられるようであった。白いバックスキンの靴を履いているので、こんな大雨の日は歩くのはいやなのだが、今日はどうしても出かける必要があったのだ。帰りの駅ホームに立つと、激しい雨はほとんど台風のように横降りになって、客はみな階段に避難したが、西の空を見ると黒い雲から太陽が顔を覗かせている。ほんの少しブルー・スカイも見えた。それなのに土砂降りだ。こんな珍しい天気もあるのだなと思っていると、「TELL IT ALL」が耳奥に鳴り響いて来た。ははは、何というタイムリーな…。電車がやって来るまでの間、その音を頭の中で流しながら考えた。太陽の反対方向の空に虹が出るかも。5分ほどして電車がやって来たが、あっと驚いた。電車に乗り込む前、電車の上に見える空は濃い灰色をして雨も降っていたのに、大きな虹がかすかに見えた。すぐに写真を撮ったが、見えていた時間は10秒に満たず、すぐにまた大雨で消えてしまったため、ほとんど写っていなかった。電車が出発した後、また機会を待った。午後6時なので、はっきり見え始めた太陽はもうほとんど山の向こうに沈んでいるが、運がよければまた虹が見えるかもしれない。そう思って、ずっと雨で濡れる窓越しに空を見ていると、ついに大きな虹が遠くに見えた。ヤッホー! 残念ながらシャッター・チャンスは1回だけ。電車が走る間、ほとんど家並みにさえぎられ、また虹そのものがすぐに消えたからだ。その1枚だけの写真を下に掲げる。筆者の文章は図らずも本当の虹に遭遇して終わることになる。全部言ってしまった気分だ。「虫這いしむしむし梅雨の虹消えし」
●「TELL IT ALL」_d0053294_1953435.jpg

by uuuzen | 2007-07-04 19:54 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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