ケネリー(Keneally)をキニーリーと呼ぶ方が原語に近いという意見があるが、英語を片仮名表記すること自体無茶な話で、どう表示しても正解はあり得ない。
本人がキニーリーを気に入りになってくれればそれでもいいのだが、ケネリーはケネディ大統領(Keneddy)に通じてより貫禄がある。それで筆者は一貫してケネリーを使っている。だが、どうにか本当のところ(really)、最良の片仮名を当てはめれば「ケニアリ」か。それはさておき、ザッパ・バンドへの登場はザッパ最後のロック・ツアーとなった1988年で、オリジナル・ザッパ楽派最後のギタリストだ。ヴァイのように、いかにもロック演奏家にふさわしい痩せて長身といった風貌をしていないのが、圧倒的人気を得ることの出来ない理由に思えるが、人のよさような感じはその音楽に現われている。だが、ヴァイのツアーにサポート・ギタリストとして参加するなどの様子を見る限り、個人名義のアルバムがいくつもあるにもかかわらず、それらの売行きは芳しくないようだ。ギターの演奏技術はヴァイのような派手さはないが、驚異的な記憶力を持ち、ザッパの88年ツアーでは重要な役割を担当した。ザッパに雇われたのは87年で、ギターとキーボードの両方が出来る腕前を見込まれてのことで、ツアー中めきめきと重要なポジションをザッパから認められた。それはマイクがビートルズやツェッペリンの音楽をよく知っていて、それらのカヴァー演奏が得意であったことにもよる。88年ツアーの目玉のひとつとしてシングルCDにもなった「天国への階段」は、マイクの存在がなければ同じ形で実現しなかったであろう。『relix』でケネリーは書いているが、ザッパは同ツアーのあるステージを「天国への階段」で締め括った時、マイクにステージの前に出させて歌わせた。マイクは恥ずかしく思ったが、どうにか歌い上げた。そして拍手が鳴る中、ザッパは観衆に向けてマイクの名前を叫んで紹介した。その後20年近く、マイクは浮き沈みのある人生を歩み続けているが、そのステージでのことを誇らしげに記憶し続けている…。これはなかなか泣かせる記述だ。ザッパ・バンドではごく短い在籍でも、心の中に誇りとして常に燃えている思い出がある。人と人の出会いはそれに尽きる。マイクはそのことを言っているのだ。若かったマイクも現在はかなり太り気味になり、しかも白髪が驚くほど目立って、老化のほどに驚かされる。それだけこの20年弱の間に苦労を重ねたのだろう。もしザッパがもう数年生きて、マイクがそばにいて一緒に活動が出来ていたならば、その後のマイクの音楽活動はもう少し違ったものになったのではないだろうか。才能があっても、また人柄がよくても、人生は思うに任せないことがある。いや、そういう場合の方が圧倒的に多い。数年前に出た『ダンシング』は聴いていないし、その後の活動も知らないので、ここでマイクの作品に詳しく言及することは避けるが、その私小説的な音楽は、表向きはかなりポップに彩られたものでも、饒舌で凝った様子は時代の流行にうまく乗って万人から歓迎されるものではない。『relix』によれば、88年ツアーが始まる前、ザッパはマイクに、「ショーにやって来る連中は、ぶっ飛ばされることを期待している」と言ったが、これはスタジオでこつこつ音楽を作るのとは違った、ステージならではの演出の重要性の指摘で、マイクがわざわざそのことを思い出して書いているところ、それなりに自分のステージでもそれを忘れずに実行しているからだろう。そのため、マイクの魅力はCDとは別に、比較的小さな会場でのライヴにあるかもしれない。だが、そういう機会にしても、まずCDがよく売れてそれなりに有名になる必要があるし、ギター不要のトランス音楽が流行していた期間はなおさらマイクに光が当たることは減ったであろう。ポップスの世界で華々しく生き残り続けるのは難しい。
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●2001年10月30日(火)夜 その1
日曜日に行こうと思っていた映画を今日はようやく観た。祇園にある2番館で、ここは昔々から2本立てで有名な映画館だ。チケットは上旬にチケット・ショップで900円で2枚あるのを見つけた。映画1000円の日が1ヵ月に一度あるし、女性は毎週1回レディス・デイは1000円であるので、900円はさほど安い感じはしないが、たまには妻と一緒に映画を観るのもよいから、迷わず買った。この2本立ては10月1日から今日までやっていたもので、1ヵ月にもわたる上映であるところ、封切りで話題になった映画であることがわかる。それに映画館はそこそこ座席数が多いのに、朝一番(10時20分)の上映からすでに9割9分は座席が詰まっていて、これには本当に驚いた。2本終わったのは午後2時10分だったが、館の外には入場を待つ人の列ができていた。平日でこれであるから、よほど人気のある映画なのだろう。不況であるから、封切りを避けてあえてこの映画館で観る人が多いのかもしれない。『ショコラ』と『リトル・ダンサー』で、前者は8月封切りだったか、ロバート・デ・ニーロの『ザ・ダイヴァー』を観た時に予告編をやっていたし、TVの広告を見て試写会のハガキを送ったが当選しなかった。ジプシーが登場し、ジャンゴ・ラインハルトの名曲「マイナー・スイング」が中心的な映画音楽として採用されていたので、封切りで観てもよかったが、いつの間にか終わっていた。同じ頃、ジャンゴを思わせるジプシー・ギタリストの生涯をテーマにした映画もあったが、これも観ていない。『大論2』第3章でジプシーについてかなり触れたこともあって、気になっていたのだが、今日はやはり封切りで観ておけば多少は本に書けたかなという気がした。大急ぎで出かけたにもかかわらず、『ショコラ』の最初の10分ほどは見逃してしまった。それでもストーリーは充分わかった。現代のフランスのある田舎町にやって来た母娘がチョコーレート屋を開店するのだが、教会に行かないので異端者とみなされ、町の一番の有力者である伯爵からさまざまないやがらせを受ける。伯爵は根は悪い人物ではないのだが、あまりに厳格なカトリック信者であるために美人の奥さんに逃げられて、今は独身生活を送っている。町の老若男女は次第にどこからともなくやって来たチョコレート屋の母娘と打ち解け、協力者も現われ、やがて伯爵も改心するというハッピー・エンドだ。途中で川の流れを船で上下して生活しているジプシー集団が登場し、その中の頭的存在の男とチョコレート屋の母とのロマンスが絡むが、ジプシーの歌舞がキリスト教から見て許せないという伯爵の憤りがあったりで、『2』にも書いたこととかなり重なる部分があって面白かった。町には数十年勤めた老神父の代わりに若い神父がやって来たばかりだが、エルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」を歌い踊りながら教会の外を掃除しているシーンがあって、これも『2』の第8章の「オブリヴィオン神父」の歌詞とほとんど同じで、この監督はひょっとすればザッパの曲を愛聴していたのではないかと思わせられるほどであった。結局はその頼りない神父も人々に「寛容」を持たねばならないと説教して、映画は終わるのだが、この「寛容(トレランス)」という言葉も『2』にはしばしば登場させたことであり、何だかこの映画がまるで『2』で言いたいことのダイジェスト版のようで面白かった。それを思うにつけ、封切りを観ていたならば『2』の第三章の「ジプシー」と、第8章の「神父」をもう少し絡ませて書けたのになあといささか惜しい。
チョコレート屋の母親役は『汚れた血』で有名になったあのどこか暗い不思議な印象のする女優だが、顔はあまり筆者の好みではなく、今日の映画も脇役が光っていると思った。映画の始まり早々のシーンだが、チョコレート屋を開店準備する時、母親が部屋の内部のペンキを塗り替えたり、飾りの置物を用意したりするシーンがわずかにあった。その飾りものは色を塗らない2、3の土人形であったが、そのひとつがマティスの男女が手をつないで輪になってダンスをする光景を描いたある有名な絵をどこか思わせるもので、その独特の親密感ある造形は伏見人形には見られないもので、ヨーロッパの土人形にはそれなりのよい味わいがあることが、そんな断片的映像からもよくわかった。そう言えば筆者が92年にザッパに会うためにイギリスとドイツに行った際、お土産で買ったのはいくつかの土人形であった。「マイナー・スイング」は2度かかったが、ジャンゴの演奏を上手に真似たもので、やはり音は悪いがオリジナルの方がよい。この曲は以前にも映画音楽として使用されたことがあって、今後もあることだろう。チョコレートの美味しさに町の人々が魅せられて行く設定は『バベットの晩餐会』を思い起こさせるし、母と娘が主人公というのは『ピアノ・レッスン』そっくりで、最近の映画は必ず他のヒット映画のよいところをいくつもうまく模倣引用しているように思う。もうあらゆる物語が書かれてしまったということだろう。監督は感動のさせどころをよく知っていて、画面と音楽を絡める効果をそれこそ1秒単位で綿密に計算され尽くし、全く無駄のないものを作って見せる。それはそれでたいへんな時間と才能を要するのだが、それでも意外性というものが感じられず、感動はしても完全に消化してしまって後に何も残らない。それこそが名作という意見もあろうが、あまりにするりと通過してしまって、ざらつき感がない物足りなさがある。