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●音楽雑誌『relix』ザッパ特集、その7
れかけていた頃に連絡があることはよくある。昨日ビデオアーツ・ミュージックから電話があった。ザッパのDVDを発売するそうだ。詳細はまたこの欄で追々書くこにする。



同じように忘れかけていた頃にまた登場というのが、ドゥイージルで、新作アルバムがアマゾンでも変えるが、まだ聴いていない。ゲールのドゥイージルに対する質問の話を続けると、最も興味深いものは4番目だ。なぜ17歳で初録音し、数年前までそれなりにアルバムを出し続けていたのに、急に音楽シーンから消えたかだ。これに対してドゥイージルは、「ギターの技術的レヴェルがもって必要だということがわかるのに少し遅すぎたってことを知ったんだ。『遅すぎた』っことは、ぼくが今知っていることをフランクがまだいた頃に知らなかったという意味だよ。それは恥ずかしいことだよ。しようと思えば父親ともっと興味深い話は出来たし、そのことによってぼくの音楽を全然違うレヴェルにまで持って行くことだって出来たんだからね。ぼくは短い期間に技術能力を高めたし、それなりにヒットもさせたさ。けど、音楽工業は人々がギターを伴ったものをほしがるものではなくなったために様変わりしたんだ。それでぼくはギターをやめてもっぱらゴルフをしていたのさ。そしてフランクの音楽をやることやコンピュータに関心を持って音楽にまた戻ったってわけ。今じゃまったく格好いいギター音楽のびっくりするような編曲を作り出せるようになったよ」と答えていて、なかなか泣かせる言葉を吐いている。父親の業績がいかに大きいかということがようやくわかり、それを乗り越えるこめにもZappa Plays Zappaの活動は必要で、その傍ら独自の道を模索している姿が見える。Zappa Plays Zappaはザッパ・バンドに在籍した老人化しつつあるメンバーを集めて、ドゥイージルが父親の役割をしてステージに立つバンド企画だが、これは下手をするとファンの誹りを免れない。だが、ドゥイージルは親の七光的な売名行為としてではなく、今では率直に父親にオマージュを捧げ、その業績を若い世代に伝えるという役目を買って出ているようにも見える。ドゥイージルは1969年生まれであったから、今年38になるが、ロックをやり続けて、今後どうしたいのかを思う時、この年齢は微妙だ。それを一番よくわかっているのはドゥイージルで、父親の足元にも及ばないとしても、まずは父親のやったことを逐一分析し、そこに沿いながらも独自色が出せないものかと考えてのことだろう。それから思うことは、ドゥイージルにとって父親がまだ生きていた方がよかったのかそうでないのかだ。筆者は幼い時に父親がいなくなったで、父と息子の葛藤を知らずに成長したが、自分の息子を育ててみて初めてそれがわかった。それゆえ、自分がフランクになった気分でドゥイージルの心のうちを想像することは出来る。そして思うのは、肩の力を抜いて好きなことをすればよいということだ。音楽で苦しんで何かをなし遂げるもよし、それを断念するもよし。きっとフランクもそう思っている。

●2001年10月27日(土)朝、続き その2
現在京都にはふたりの友禅の人間国宝が存在して、ひとりは筆者は昔から心酔する人だが、昨日もその作家のキモノだけが色気もあり、まず驚愕させられる点で芸術であった。真の意味で伝統を革新している。しかし後の人はみなその模倣の域を出ないか、か弱い隠花植物を思わせるものばかり。こんなことを書くとお前はどうだと言われそうだが、ま、話を続ける。日本には工芸家が出品できるもうひとつ大きな公募展がある。日展だ。伝統工芸展の日本工芸会とは作家はだぶらず、お互いはほとんど何の交流もない。それどころか反目し合っている。そして、ここにも入選し続けることに執念を燃やす若い人は後を絶たない。この日展にも染織部がある。しかしキモノはないし、友禅染作家もいない。芸大美大では友禅は職人仕事で芸術とはみなされていないのだ。そんなアホな。最も高度に進化した日本独自の世界に誇る染色技術が芸術でない? 筆者はしかし縁があって10年近く日展の下部団体の公募展に出品し続けたことがあった。キモノではない。屏風作品でなければまず審査の対象にならないのだ。10年もよく続けたと思うが、友禅染の筆者はやはり異質過ぎて、一度も受賞しなかった。40代の筆者が芸大出たての青年たちに混じり、予備審査会場で自作を前に説明するのだが、誰にもどう染めたのか技法や工程がわからない。つまり友禅の技術がないからだ。しかし筆者には他の全員の作品がどういう工程で染められているかはわかるし、もし模作しろと言われるとできるであろう。呑気な作品だと評された時はその意味するところがわからず、いやな気分だった。学生相手に教えて高給をもらい、しかも休暇も多いし、資料はいっぱいといった恵まれた先生方こそ、筆者から見れば呑気そのものだ。こちらは何の経済的保証もない状態で、少しでも友禅の歴史の中で新しい表現ができないものかと、何百時間と大金を費やしてようやく一点を作る。それは見方によれば呑気かもしれないが、そんな失礼な言葉で自分ができもしない技術を侮蔑することにエクスタシーを覚えるようなサディストが大先生と言われれる審査員にはいるのだ。「高度の技術が問題ではないよ、大山君、芸術性だよ」と当然のことを何度か言われたが、芸術性には高度な技術が必要でないようで、趣味で染色をしている技術未熟糞なおばさんが受賞して、プロでキモノを作って技術賞をもらったりしている筆者の作が落選し続けた。屈辱を通り越してアホらしくて笑えて来る。またこんなことも言われた。「友禅では駄目だから技法をみんなと同じローケツ染にしろ」。別に友禅に固執するつもりではないが、友禅にしか、そしてひとりで全工程をこなすことでしかできない作風があるのだ。芸術とは誰とも違うことをやることではないのか? これを言うと、「俳句は季語があって誰でも作れるが、完成度の高いものはそうは行かないから、友禅染のような誰しもできるものではない技術を使用せずに、それでいて高度な芸術性を持った作を生むことこそ本当ではないか」と言われる。これは論点をずらし過ぎというものだ。芸術をあまりにも狭い枠内で考え過ぎで、いかにも会といった組織で生きて行こうとする日本的発想だ。それに染織以外の他の造形分野でも同じことが言えるかと言えばそうではない。『大論2』の巻末の著者紹介は今度は筆者が書いて先日送ったが、本当はそんなものがなくてもいいように思う。インターネットでは「染屋にもかかわらずこの著者の物知りぶりは…」などと書いている人があるとのことだが、筆者は染屋というイメージからはかなりかけ離れた仕事をしており、どちらかと言えば染料を使用する画家だろう。染屋が物知りでは何だか意外と思われているようだが、横文字職業だと物知りと似合うのかねえ。
 さてエリオット・シャープのシャープで変な音はまだまだ鳴っている。どうも音楽の影響を受けて話が複雑かつ苦くなっている。筆者が言いたいのはザッパの音楽家としての位置だ。独学して、しかもアカデミックなところに留まって作曲活動をしなかったザッパの気持ちは筆者のむしゃくしゃする思いとどこかで重なる気がするのではないかと思い始めたのは70年代後半からだった。肩書きがなく、どちらかと言えば社会的地位も高くないザッパが、なぜ管弦楽曲を書くことに執着したかのひとつの理由は、一般にはそうした曲を書くことが芸術家として最高の讃辞を与えられることを知っていたからではないだろうか。反対に金持ち育ちは長じてからはそういった権威に猛烈に反発しがちだが、貧しい育ちはそうではない。確かに権威主義には反対ではあるとしても、自らの権威を示す何かを自らが作りたくなる。その意味で奇妙なパラドックスに自分を置くことになる。ザッパの音楽作品にはそれが顕著に見られる。貧乏育ちゆえの努力と反逆心があり、しかも厳格な様式に憧れるというのがザッパであった気がする。ただその厳格さはすでに権威が認めているものをそのまま引き継いだものではない。なぜならそういう恵まれた位置に自分ごときが連なることはないと身のほどをよく知っているからだ。しかし心のどこかで厳格さに憧れるから、それはその部分だけを用いるものになるだろう。そして厳格さは保守や安定と密接につながる。金持ち育ちが大きくなって破天荒に生きたがることはよくある話だが、貧乏から出て来ると同じ破天荒でももっと安定した常識人的なものになりやすい。そのようにして双方ともに一生を平均すれば、同じように釣り合った人生となる。ザッパの作品に古典主義的色合いが強いとすれば、それは以上の説明で充分だろう。筆者は自分のことと照らし合わせてザッパの音楽をよく考える。その意味ではまだ書いていないことが多いのだが、伏見人形とザッパの関係についてはこの日記をつけ始めてから考えている。伝統工芸展でも日展でも人形部門がある。そして人形作家には人間国宝が今までに何人か出ているし、人間国宝の歴史よりはるかに古い人形作りの名家が京都にはある。そしてそんな日本人形の原点とも言うべき京都における伏見人形は、民間の消耗品として出発したものであるだけに、伝統や芸術の言葉とは馴染みがうすいように思われているふしがある。
 実際、丹嘉と伝統工芸展や日展とは何の関係もない。しかし「松引き金時」は丹嘉の何代目が形を作り上げたのかは知らないが、この完璧な造形性には伝統工芸展や日展のどう人形よりモダンかつ伝統性がある。それは無名性の野趣溢れる民芸の作とは違って、完成された様式美の安定感と丁寧で洗練された彩色を施した、それでいて無名性に限りなく近いものだ。確かに昔と同じ形を再生産し続ける人形に新しき伝統など宿るはずはないと見る向きもあるが、伝統をことさら云々する作家はむしろ胡散臭い。伏見人形は伝統という言葉さえも抜け落ちている。個性を重視する伝統工芸展や日展などの公募展がみな同じような作品が毎年並び続ける一方で、個性をことさら主張しない伏見人形がたとえば丹嘉と菱屋とでは全然雰囲気が違うのはどうしてか。それが本当のい伝統の力であり、土を練り込める型は同じで、しかも同じような約束事で色を塗る人形であるのに、如実にその作り手と時代性を反映させる。個性ということをもっと別の角度から考えなくてはならない。筆者も友禅を始めた初期はいろいろと実験して、今まで誰も試みなかったような技術と工程に頼れば、それだけで新しい作品が生まれると考えていた時期があった。しかし10年ほど経った頃、全くの単純な友禅の技法であっても、そこに誰も表現し得ないものを目指せると考えるようになった。そのこともザッパから学んだ気がする。ザッパは特別変わったギミックを使用しないが、紛れもなくザッパでしかあり得ない音を出す。個性を主張しようとしないのに強烈に出てしまう個性。シャープの音楽が終わった。少し休憩する。

by uuuzen | 2007-05-26 10:15 | ○『大論2の本当の物語』
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