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●アルバム『BUFFALO』解説、その2
えるカボチャという名前の新しいレコード会社を設立しての初作品が『ティンセルタウンの騒乱』だ。このアルバムの中でザッパはアメリカの西海岸のロック産業界で次々と新手法で売り出されるバンドを皮肉った。




もちろんそうしたバンドを操る会社を揶揄してのことだが、それに喜んで乗るバンドも茶化した。この構図は今でも、いや永遠に健在であろうし、日本でも同様だ。そんな中でザッパは自身が誰にも束縛されず、やりたいようにやって来たことを高らかに宣言したい意味を『ティンセル』に込め、しかもそれを新しいレコード会社から発売する第1弾としたかった。「ティンセル」は安物の金ピカ、見かけ倒しの意味だが、ハリウッドはそんな街で、そこでは革命を起こそうと意気込んでバンドがデビューしても、たちまち敗北して忘れ去られるのが落ちで、『ティンセルタウンの騒乱』にはそんな意味が込められている。それをどう訳すかだが、筆者としては「ティンセル」の「セ」と「騒乱」の「ソ」で、安っぽさの韻を踏みたいと考える。それはさておき、「吠えるカボチャ(Barking Pumpkin)」とはザッパの妻ゲイルのことだ。ザッパの70年の曲に「野菜に電話しな」というのがあるが、「野菜」とは「女」のことで、ゲイルと出会ったザッパはゲイルのことを「カボチャ」と呼んだ。女を野菜にたとえるのは、フェミニストにすれば激怒ものかもしれないが、女も男のことを「禿げ」とか「芋」とか呼ぶのであるから同じことだ。それでも「カボチャ」はあんまりだろうが、ザッパとゲイルはそれだけ打ち解けていたわけで、他人がとやかく言うことではない。そのゲイルが吠えたのは、ザッパがレコードを世界に配給する親会社から搾取されているといった助言を恐らく常日頃与えていたからだが、このことは独立したジョン・レノンに対してヨーコ・オノがしたことと全く同じで、別に珍しいことではない。経済観念がしっかりしていたザッパであったろうが、マネージャーと袂を分かってひとりで作曲にツアーと、考えることと行動することが多かったザッパにすれば、ゲイルが家庭を護りながら会社にあれこれ口出ししたのは内助の功として認めていたことであろう。Barfko-Swillで通販で売り出す特製のレコードのほかに、Tシャツなどのグッズも手がけたのは、ゲイルの商根によると当時噂されたが、それは恐らく正しい。その体制がザッパ亡き後、現在まで続いていて、相変わらず吠え続けるゲイルは、今回『バッファロー』を出してファンの期待に応えた。デジパック仕様で、ジャケット裏面にニューヨーク州の地図が印刷され、またバッファローという動物がシンボルとして掲げられている点で、5年前に発売された『FZ:OZ』と共通し、今後このライヴ・コンサートそのままをCD化するシリーズの見通しが立った。『FZ:OZ』ではオーストラリアのカンガルーであったが、今回はよくぞうまい具合にバッファローを見つけた。各年を代表するライヴが同じような2枚組みとして今後発売され続けるだろうが、1966年以降、85、86、87年を除いて88年まで毎年ツアーをしていたから、全部で20枚のシリーズになることが期待出来るか。だが、5年に1枚の発売では100年かかる。
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●2001年10月10日(火)朝
昨夜思いついた。貿易センター・ビルの事件に関しては「跋」を拡張として書くのではなしに、逆に「序」の頭に持って来ることができる。今回の「序」のゲラを確認すると、最後のページには原稿用紙2枚分の余白がある。これを使用しない手はない。つまりページ数を増やさずに今の「序」を後ろにずらして、頭に新たな文章を書き加えれば、最新の情報を土壇場で申し訳程度に触れたというより、最新の情報を盛り込んでいる新鮮さがよりアピールできる。それで一気に昨夜はそれをまとめた。ただし昨日はフロリダにおける炭疽菌の騒ぎがニュースになり、この戦争はどう展開するかわからない。できればぎりぎりまで手を加える余地を残しておいた方がよく、友人宅から送信する20日か、あるいは印刷に回るその直前まで内容の一部を留保したい。今からその件を石原さんにファクスで連絡しよう。先日のロシア民謡云々の件は原稿を打ち出して、それを一昨日に郵送したが、今日は届くだろう。そのことも合わせて連絡を入れた方がよい。また昨夜のチェックではもう1ヵ所の右ページにできる空白ページに埋める文章を想定した。それは今日書くつもりだが、これも土壇場になっての訂正になるが、以前から扱いを迷っていたものであり、結局それを復活させるということになる。パソコンのワープロ・システムではおそらく本と同じ版組みにして、画面上で各章の終わりが右ページ内か左ページ内に来るかは簡単にチェックできるのだろうが、そう考えると羨ましい。筆者の旧式のワープロでも文字数を数えれば同じことは予想できるが、それでも恐ろしく面倒だ。それに『大論2』が『大論』と同じ字数の版組みになるかどうかもわからなかった。最初からそれが確定していれば、各ページを漫画の各コマと考えて、ページをめくった瞬間ドカーンと衝撃的なことを書くといった仕組みも工夫できるが、しかしそうでなくとも技巧的に書いている部分がもっと肥大して、文章の意味内容を充実させるのとは別のエネルギーがさらに必要になって仕事量が増える。いずれにしろ『大論2』は『大論』に比べて真っ白な余白ページがないように最終段階でどうにか工夫し、その分だけでも前回とは作り方が違う本であると言える。何だか校正の仕事がえらく膨らんでしまって、その分石原さんの仕事も増えることになってしまうが、「いい本を作りましょう」というかつての言葉がこだまのように響くから、ぎりぎりまで手を抜かずに充実したものにしたい。と、大岬日(おおみさきみのる)老大師の声が聞こえる。なおこの大岬日という人物は大(たい)山甲日(さんこうか)という俳人ならぬ吠人(はいじん)の精神的師匠で、『大論2』にはしばしば登場する。
by uuuzen | 2007-04-22 14:44 | ○『大論2の本当の物語』
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