人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●ザッパと現代音楽、その2
が、200年後に古典に連なる作品であるだろうと見定めて今ヴァレーズやザッパの音楽を聴くというもの変な話で、そこには不純なところもある。好きであれば何を聴いてもよく、無理してわけのわからないものを聴いてわかった気になることもない。




とはいえ、問題は最初からわけのからないと決めてかかることだ。バッハやベートーヴェンにしても、全く聴いたことのない人にとってはわけがわからないもののはずだ。よく聴き知っている人でもその人の頭の中で充足しているだけの話で、バッハやベートーヴェンが意図したとおりに感得しているとは誰にもわからず、誤解していることもあるだろう。先日書いたことに話は戻るが、ザッパは人生すべてが作品と言えるような音楽家であったとして、これは聴き手からすればかなり重い話でもある。人間は限られた一生しかないわけで、そこに他人の生涯すべてを組み込むことなどとうてい出来ない。そのため、よほどの研究家でない限り、ある芸術家の代表的な何かを多少接することで満足するしか出来ないし、それで充分と言える。そうした時、ある芸術家にとって代表作と呼べるものがやはりある方がよい。人はそれに接することで神髄がわかるからだ。その点ザッパの代表作が何かは特定が困難で、そのためになおのことザッパ人気が一般化しないと言える。ザッパの全曲のすみずみまでよく知るということなど、時間的にも経済的にも、また理解能力的にも熱烈なファンであっても大変なことで、そんな人は世界にそういないだろう。だが、考えを少し変えるとよい。ザッパの人生そのものが音楽であったとすれば、彼のどんな小さな曲を取り出しても、そこにザッパの姿があるということになる。つまり、何から聴き始めてもよく、どこでやめてもよいということだ。それで楽しめるならばそれでよし、もっと楽しみたいと思う人はどんどん深みにはまればよい。それだけのことだ。だが、自分の人生があることを忘れてはいけない。ザッパはザッパ、自分は自分であって、それはザッパがヴァレーズを敬愛しながらも様子が違う音楽を書いたことを思えばよい。芸術愛好はまことにけっこうなことだが、受容ばかりでは面白くない。何か自分のものを放つこと。これが本当はザッパの言いたかったことと思う。

●2001年10月7日(日)夜
夜。昼食を済ましてすぐに御所のすぐ東側にある府民ホール・アルティへ出かけた。光の音符という音楽のボランティア団体の主宰者のNさんから招待券を送ってもらっていた。この会は盲目の人やハンセン病の患者のためにコンサートを毎年企画して、京都では今年で8回目だ。詳しく覚えていないが、筆者はその最初から招待されているような気がする。Nさんと知り合ったのは、92年頃ドイツ文化センターの図書室でシューベルトのCDを借りたことに話が遡る。そのCDはクラウス・オッカーというドイツ人の老齢のバリトン歌手が歌う『冬の旅』で、それがあまりに素晴らしく、たちまち楽譜を買って一緒に合わせて歌うほどになった。それから1年ほどして、ある日の新聞でそのオッカー氏が京都の千本北大路にある盲学校で無料のコンサートを開くという小さな記事を目に止めた。早速訪れると、ホールでもないようなところでのごく小さなコンサートで客も20人はいなかった。間近で聴くオーカー氏の歌声はCDよりもっと感激ものであった。その時にアンケート用紙に書いたのか、よく覚えていないのだが、Nさんから手紙が届いた。その後文化博物館で筆者が個展をした時には小さな娘さんを連れてやって来てくれたりしたこともあったし、その次の個展だったろうか、Nさんの家の近くだったこともあって、その時も会った。手紙をお互いに年1回くらいは出し合っているだろうか。Nさんはボランティア活動を認められて、数年前にはどこかが出している名誉な賞を授かって新聞でも記事になった。今日見たNさんはかなり以前より痩せて細って見えた。とても上品な方で、本来はソプラノ歌手だが、この会のコンサートの司会もする。今日のプログラムは数年前にも聴いたハン・ハヤ(「韓伽耶」では「耶」ににんべんがないのでまずい。ワープロ内部にはその文字がない)のピアノ独奏で、ベートーヴェンの「悲愴」「熱情」、それにユン・イサンの「小陽陰」、シューマンの「謝肉祭」で、特に「謝肉祭」が目当てで出かけた。ハン・ハヤの数年前のコンサートはよく記憶していて、その時に話したいくつかのエピソードを時々思い出すことがある。今日は彼女はユン・イサンについてだけ喋った。ユンはアンサンブル・モデルンがよくレパートリーにしているが、長年ベルリンに住んだ韓国の作曲家で、5年ほど前に亡くなった。
 ハン・ハヤのがっちりとした肉体の貫祿と美貌は全く衰えがなく、しかも演奏は以前より凄味を増していた。「悲愴」はイントロはおやっと思うほどにゆったりとした演奏であったが、急に和音がガーンと鳴り響く場面では思わずシートから飛び上がって、脳細胞が痙攣した。これはロック音楽の刺激と全く同じ種類のもので、ベートーヴェンの激越さが、何だか生まれて初めてわかった気がした。前から4番目、しかも中央の座席であったので、スタインウェイのコンサート・ピアノの音量は家庭のステレオ装置では絶対に望めない臨場感があった。CDを聴くのが馬鹿らしくなるような演奏で、音楽とはこれほどの迫力のあるものだったのかという思いを新たにした。筆者はドイツ音楽家の中ではシューンに最も興味があり、生演奏で初めて聴く「謝肉祭」はなおさら印象が強かった。アンコールはブラームスの2曲。これはシューマンの後では当然の心憎い演出だ。ユンの曲は8分ほどの難解なもので、緊張感が持続させる必要がさらにある。1、2度聴いたくらいではよさがわかるものではない。道教思想に貫かれた作曲ということだが、東洋思想を西洋の音楽理論によって表現したもので、そこにはいろいろと意見もあるが、筆者は以前日本から発売されたユンのCD全集を中古で2万円で見つけて、買おうと思っている間に機会を逸して、現在までFM放送でエア・チェックした少しの曲以外、あまり詳しく知らないでいる。そのために今日の演奏にも口を挟むのは控えたい。ちょうど4時にコンサートは終了したが、図書館に5時まで入る必要があったので、そそくさと会場を後にした。Nさんにはちゃんと挨拶はしておいたが、アンケート用紙に記入する暇もないので、「また郵送します」と言っておいた。ハン・ハヤを囲んでの意見交換会が控えていたようで、せっかくの機会なのに惜しい気がした。府民ホール・アルティは93年だったか、マウリツィオ・カーゲルの来日演奏があって、これはまるで昨日のことのように記憶している。それほどに珍しい現代音楽の演奏で、カーゲルの指揮するすぐ後ろの席で筆者は楽しんだ。そんな思い出からもう何年も経つのだと思うと、本当に年月の過ぎ去るのが早い。もう明日には70歳になっている気がする。同志社のバス停前でバス待ちしていると、20くらいのかわいい女性が府立体育館はどこかと訊いて来る。一瞬思い出せず、数秒考えて、8つほど先のバス停の大将軍で降りればよいとわかった。もう25年くらい前になるが、そこで一度だけ公演を観たことがある。ジョン・ケージが演奏し、それに合わせてマース・カニングハムや彼の舞踊団が踊った。それも昨日のように思い出す。連休のせいで河原町はたいへんな人出。商店街は歩くのに往生するほどであった。歩きながら昨夜書いた追加の文章の不備にふと思い至って、さきほどこれを書く前に3行ほど追加した。手を入れ始めるといつもきりがない。バスの中で急に今朝見た夢を思い出した。それは運転手の頑丈そうな腕時計を見たためだ。昨夜見た夢は筆者が誰かから新品の腕時計をプレゼントしてもらって、それを左手にはめるのだが、その時計はバンドと一体化した黒のごついプラスティック製で、若者がはめれば似合うようなタイプのものながら、未来的な感じがした。時計の夢はきっとゲラ刷りのチェックを予定どおりに送ることをどこかで気にしているためだろう。今夜もまた読み進めるだけ進んでみるが、連日外出しているので疲れ気味。目の下に青い隈ができて、それがなかなか治まらなかったりする。さあ出発だ。

by uuuzen | 2007-04-17 11:55 | ○『大論2の本当の物語』
●ザッパと現代音楽、その1 >> << ●ザッパと現代音楽、その3

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?