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●『にっぽんのお婆ぁちゃん』
性シナリオ作家特集として、京都文化博物館の映像ホールで8本の映画が上映された。いつも書くように、このホールは常設展のチケットを買うか特別展覧会のチケットがあれば、その日に限って無料で見ることが出来る。



2月下旬から3月いっぱいまで、『近世都の工芸』と題する展覧会が開催されていた。当初見に行くつもりはなかったが、最終日に訪れた。展覧会は思ったより充実した内容であった。京都に住んでいると、工芸品はいつでも見られる感覚があって、あまりこうした題名の展覧会にありがたみがない。だが、他県から来たのだろうか、会場は多くの人がいた。機会があれば展覧会の感想はまたいつか書きたいが、今日は同日にホールで見た映画を取り上げる。前もって制作年代だけ調べておいたが、この映画については前知識が一切なかった。主役のお婆さんも今回初めて知った。70歳の設定だったか、それにしては老け過ぎに見えたが、入れ歯を外し、口元がおばあさんそのもの、しかも黒目が濁って灰色に見えたからなおさらだ。これはメーキャップでそうしたのか、本当にそうだったのか、北林谷栄という女優を知らないのでわからない。舞台俳優だったかもしれないが、江戸っ子弁が達者で、もうひとりの主役のミヤコ蝶々といいコンビになっていた。1962年制作でモノクロの94分、長さはちょうどよい。間延びしたところがないのは、やはり忙しくなりつつあった60年代のせいか。先週取り上げた植木等の映画はこの3年後でカラー作品であったが、3年の間の変化を思わないわけには行かない。後者のモダンさはこの映画にはないと言ってよいが、それはテーマがテーマだけに地味になったという側面を省いても、やはりある気がする。だが、この映画にモダンさがないかと言えばそうではない。最初の配役画面と最後にはジャズがバックに使用されていて、それはチェンバロを使用したモダンな感じの曲で、ふとエロール・ガーナーの『パリの印象』を思い出したが、同アルバムは1958年の録音だったと思うが、もしそうだとすればこの映画はそうした洒落た音楽を割合敏感にキャッチしてまねして使ったことになる。またその音楽のために暗くなりがちなこの映画を明るいものにしていたのはよかった。それは何より主役であるふたりのばあさんや老人ホームにいる他の老人たちのエネルギーのためだ。
 1962年は筆者11歳の頃だが、その頃のことを記憶する者からすれば、映画に出て来る町並みや人々の服装や顔つきに興味があった。見ることにしたのはそのためだ。これが80年代や90年代ならまず見なかったが、時代と世代は順送りであるし、そうした新しい映画も時代を経ればそれなりに見所が出て来て、懐かしいと思う人はきっとあるだろう。だが、やっぱりそうも言えないかとも思う。なぜなら、時代が変わることは何もかも変わることであって、たとえば映画全盛期も過ぎ去って同じ形では残らない。TVの普及率が低かった1962年と、その後の高度成長を遂げた時代とでは、日本の映画事情が一変してしまったから、俳優の層にしても演技にしても水準は違って来たし、映画の内容そのものも変化を来した。62年当時なら映画が担っていた部分をその後はTVとの分担化が進み、たとえば今日取り上げるような映画は、TVのドキュメンタリーか日曜のドラマといった中で表現されるべき内容と言える。人間の根本的な性質がここ4、50年で変化するはずはないので、この映画に盛られるテーマは現在の人が見ても充分に同感出来るものだが、日本という国がこの半世紀で著しく変化し、人の性質も変わったと見る向きからすれば、この映画は時代遅れで何も面白くないと言えるだろう。そうした時代の変化に伴う味わいといったこの映画が作られた当時は予想もしていなかった側面と、人が老人になるという変化のふたつがこの映画から汲み取れるところが、筆者にとってはこの映画の面白さであったが、前者は実はこのブログのカテゴリー『思い出の曲、重いでっ♪』にいささか通じ、筆者が単に回顧趣味的な老人になりつつあることを示すだけであって、若い人からすれば何の共感も抱けないかもしれない。だが、いみじくもこの映画の主人公のお婆さんが言っていたように、すぐに若者でも老人になるのだ。実際、この映画に登場する町の若いチンピラ数人は、今は70歳を越えているはずで、もう死んだ人もいるだろう。はは は は、老人を馬鹿にする若者が一瞬のうちに歯が抜けた老人になって馬鹿にされるというわけだ。
 女性シナリオ作家の水木洋子という人が脚本を書き、監督は今井正だ。ホールで無料で配付される説明書には、「『どっこい生きている』(1951)では日雇い労務者と家族の実状を、『米』(1957)では農村の貧困を、『キクとイサム』(1959)では黒人との混血児にたいする人種偏見と、一貫して社会的弱者の立場から映画造りをすすめてきた今井監督が当時すでに顕在化していた「老人」問題を取りあげる。…」とある。今井正の名前はよく見るが、筆者は今回が初めてではないかと思う。あるいは作品を知っていた同監督とは知らないだけかもしれない。老人問題が近年、いや今後10年先は歴史始まって以来の空前の規模で深刻になりつつある日本では、誰もがこういう映画をよく見ておく方がよい。とはいえ、この映画は弱い立場にある老人の惨めな姿をただ強調して、人間社会の残酷さや無情さを伝えようという内容ではない。多くの名優が演ずる老人たちと、若手の俳優が対照的に登場する。つまり、双方の本音が描かれる。そして、若者はだいたいにして老人が加齢臭があって目玉の濁りも見えて気味が悪いと明らかな嫌悪感を示すが、ホームの老人は団結するかと言えば、全くそうではなく、子ども社会と同じように誰が誰をどう言ったとか、誰のものを奪ったなどと対立が絶えない。そうした面だけ取り上げれば老人は全く救いようのない世代ということになるが、前述したように長生きすれば誰しもその領域に入らざるを得ず、自分だけはそんな風にはならないと高をくくっていてもどうしても逃れない老境が訪れる。こんなはずはなかったと思うのが老人になっての慨嘆であろう。先に書いたように、この映画の主人公はふたりのお婆さんだ。ひとりは老人ホームにいる北林谷栄演ずるおとぼけおばあさんのくみ、もうひとりはミヤコ蝶々演ずる喧嘩ばあさんのサトで、こちらは団地住まいの息子夫婦と同居している。浅草仲見世のレコード店でふとしたことからふたりは出会って1日をともにする。ふたりとも悩みを抱えていて、住処を飛び出し、賑やかなところを歩いてその思い出を死土産に自殺しようと思っていたのだ。サトはレコード店の女店員に橋幸夫の演歌のレコードを聴かせてもらって楽しんだ後、無理やり店員からそれを買わされる。不要な物を買ったので、サトはくみと歩きながら、それをかしわ丼屋の十朱幸代演ずる女店員にあげようとする。ちょうどふたりはお腹が空いていたので、女店員の誘いでその店に上がる。大きな店で、田舎出の若い店員が何人もいるが、団体客がどっと押し寄せる中、当時まだ20歳くらいの十朱幸代はふたりのばあさんに親切を尽くす。この辺りはなかなか清々しい場面でよい。この映画に登場して現存する俳優は十朱と、とみのホームの寮母を演ずる市原悦子くらいなものだろう。60年代の日本映画の栄華を今さらに思うが、筆者もこの年齢になって、実に優れた味わいのある俳優が日本は抱えていたなと感心する。今はそういう俳優が枯渇して、日本映画は見るも無残な状態になったと言えば、見もしないで何を言うかと言われそうだが、まあ60年代のこうした映画を一度スクリーンで見るがよい。
 十朱演ずる女店員の親切ぶりは本心からでありつつ、サトが買ったばかりの演歌のレコードをくれるというので、それならばビールをつけても引き合うと見たのだった。ここで納得するのが、当時レコードがいかに高価であったかだ。62年当時は確か330円か300円だったが、封書がまだ10円の時代であるから、単純に比較してもドーナツ盤1枚が今の2500円程度であった。これならふたりの丼代は賄える。店の女店員たちは近くの寮に住んでいて、部屋に風呂がないので銭湯に交代で出かけたりする集団生活を送っているが、この点も時代を反映して生々しい。そして店の慰安旅行だったか、何かの宴会で彼女たちはサトからもらったレコードをかけてみんなで振りをつけて歌おうと考え、みんなでその練習をする場面もあったが、まだ歌声喫茶が全盛であった当時、そういう楽しみを若者が持っていたのだなと、ちょっとした健康的な時代風俗がわかる。寮の場所を教えてもらったくみとサトは、食事後ぶらつきながらそこまで行ってみるが、まだ彼女たちは仕事が終わっておらず、帰って来ない。手持ち無沙汰のふたりはお互いの素性を明かすこともなく、お互いがお互いを家まで送ろうと言い合ったりするが、そうこうしているうちに夕暮れが近づく。寮の近くの、映画の看板を放り出したちょっとした道端に座っていると、木村功演ずるスーツ姿でトランクひとつを手にしたセールスマンが登場する。これはなかなか印象的な場面で映画に強いスパイスを与えている。木村は買うはずのないくみとサトの目の前にして、いつも人前でやっている口上を長々すらすらと述べ始める。周りに中年の3、4人のおばさんたちが集まって来るが、高価でもあるので誰も買わない。映画では描かれなかったが、ぶらついていたくみとサトは木村が女房への土産として反物を物色しているところに出会い、助言したのであった。木村はその後勧められた反物を買い、そしてまたくみとサトに出会ったのだ。そして買った反物を見せて礼を言った後に、いつもの癖でトランクの中から化粧品を次々と取り出したのであったが、この場面におけるサトの応対の演技はほとんどアドリブに近いものだろう。まだ肌に張りがあって、おばあさんでも若い方に見えるミヤコ蝶々は、この後20年ほどは活躍したが、当時すでに貫祿充分で、もう二度と出現しない才能に思える。今の大阪のお笑い芸人はみな小粒で使い捨てになってしまったが、大阪に華があったのだと思わせるのは60年代半ばまでではないだろうか。この映画のミヤコ蝶々は、東京が舞台の映画であるのに大阪弁を隠しもせず、少し違和感を覚える向きもあるだろうが、大阪のおばあさんが息子のつごうで東京に引っ越したという例は当時すでにいくらでもあったはずで、映画をかえって脹らみのあるものにしている。
 ホームではくみがいなくなったことに気づき、警察に届けを出すが、くみとサトは一緒に行く当てもなく夜の電灯が乏しくなった東京をうろつく。その時ふたりはお互いの境遇を伝え合い、どちらも死ぬつもりであったことを初めて知る。そして夜の川に身を投げるか、車に飛び込むか話し合い、ふたりは思い切って車の前に身を投げるが、急ブレーキをかけた車ははねずに済む。けがひとつしなかったふたりだが、すぐ近くで人が車にはねられる音がする。くみとサト、それに運転手やらが現場に駆けつけると、ひとりの男が頭から血筋を垂れて死んでいた。さきほど出会った化粧品を売るサラリーマンだ。今日1日は歩いて頑張り、翌日は女房の待つ故郷に行くと喜んで話していたというのに、そして死のう思っていた自分たちとは違って、死にたくなかった男が死んだ。この現実の前にくみとサトは愕然とする。老人ホームからくみの家出の連絡を受けていた巡査は渥美清が演じていたが、そのほかに掛軸売りの三木のり平の演技も目を引いた。巡査から連絡を受けて実際に探し回るおまわりさんは柳沢寛という俳優で、名前は知らなかったが顔はよく覚えている。昔はそういう脇役がたくさんいたのだ。このおわまりさんが夜に自転車で見回りをし、くみとサトを見つけるが、ふたりは逃げ回る。明け方になってふたりは別れ、くみはホームに戻り、サトは公団住宅に帰る。そこで映画は終わってもよさそうだが、それだけでは物足りない。サトが帰ったところで、息子夫婦の冷たい態度は改まる様子もない。愚痴を言うだけのサトだが、TVのスイッチを入れて驚く。そこに映し出されたのは、都内の老人ホームからの中継で、今しがた行動をともにしたくみを含む老人たちがホームで盆踊りをしている様子だ。元の鞘に収まり、それなりに楽しそうにやっいるをくみを見ながら、サトは息子に与えてやった20万円をホームに寄付し、自分もそこに入ればよかったと思う。ここには今と変わらない老人問題の難しさがある。嫁と母サトの板挟みになって腕を抱えて悩む息子の姿で映画は終わるが、これは通常なら誰しも行き着く道だろう。渡辺文雄が息子を演じていたが、実に達者で、息子の性格を見抜いた演技をしていた。いじわるでヒステリーな女房役は関千恵子で、この女優も当時よく出演していてよく覚えている。
 もうひとつの見所はホームにいるさまざまな老人たちだ。配付資料から引用すると、飯田蝶子(風船ばあさん)、浦辺粂子(ざあませばあさん)、原泉(大食いばあさん)、岸輝子(いじわるばあさん)、東山千栄子(あそばせばあさん)、斎藤達雄(ロマンチッククじいさん)、渡辺篤(インテリじいさん)殿山泰司(八卦じいさん)、上田吉二郎(政治家じいさん)、菅井一郎(画家じいさん)、左卜全(優等生じいさん)、中村是好(乞食じいさん)、杉寛(モグモグじいさん)、小笠原章二郎(ノイローゼじいさん)、伴淳三郎(酔っぱらいじいさん)で、よくもまあこれだけの老人を集めたなと感服する。伴淳はやはり目立つが、筆者は上田吉二郎がよい。こういう名脇役がいたからこそ、半世紀前の映画が光輝いている。上田の演技は大袈裟だが、それがコミカルでまたよい。ホームに入る前は政治家をしていたという設定で、それはまさにぴったりだ。これら全員が最後のTV中継の場面では輪になって踊るのであるから、見事というほかない。実際に老人ホームに取材した成果が生かされているのは言うまでもないだろうが、どんな世界でそれなりに活躍しても最後には老人ホームで共同生活するという、一種グロテスクな現実を見せつけられ、観客は身動き出来ない恐怖感に囚われるかもしれない。筆者は55歳であるので、まだ少し早いが、それでもあっと言う間であろう。現在では老人ホームに入るのもまとまったお金が必要で、そんなものに縁のない筆者は、荒れた自宅でひとりでカレーばかり作って食べ、華麗なる加齢臭まみれになるしかないだろう。それを覚悟しておかねばならない。いや、それでもまだ幸運な方か。路上に寝る羽目になって、見知らぬ子どもに石で殴り殺されたり、焼き殺されたりするのが今の日本で、そのうち70歳になれば全員ガス室送りにせよと唱える若手政治家が出て来るかもしれない。その一方で金持ちが臓器を買って長生きしたいというのであるから、人間の欲は限りがない。スウィフトの『ガリヴァー旅行記』には300歳になっても死ねない不幸な老人が登場するが、その残酷さは笑い事ではなく、スウィフト自身も同じように辿って発狂した死んだ。自分はしっかりしているから大丈夫、絶対にぼけることもないと思ってはいても、あれっ、さっきあったあれはどこへ行ったのかななどと、少しずつぼけ始めるのが人間だ。前述の老人を演じた名優たちは最晩年をどう過ごしたのだろう。それがとても気になった。嫌われじいさんは登場していなかったが、老化してどうせ臭いと嫌われるなら、筆者は思い切り嫌われるじいさんになってやろうか。いやいや、もうほとんどそうなっていたりして。ぐぁっはっはっはっ。(この笑いは上田吉二郎のまねで)
by uuuzen | 2007-04-11 13:42 | ●その他の映画など
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