植木等が亡くなって、TVでは追悼番組がよく放送されている。先週の木曜日、朝刊でこの映画が放送されることを知った。たいていは夜までに忘れてしまうのに、その日は楽しみに待ち続け、録画せずにリアル・タイムで見た。こんなことは珍しい。
一昨日の夜の番組では、植木等を100年にひとりの才能と持ち上げていたが、こういう表現を大勢の人が見るTVで誰かが言い始めると、にわかに実体を伴って人心に入り込みやすいので、割引きして考える必要がある。それでも植木等の記憶を強く持つ筆者のような50代は、この表現はさして誇張とは思えず、なるほどうまく言ったものだと妙に納得する。それは現在から見て、昭和30年代という時代が何か特別な重みを持っていると褒められているような気がするからでもあって、しかもその30年代を通過して来た筆者が、貴重な体験をして来たと一種の錯覚をする心地よさも手伝っている。当時生まれていなかった人にその時代の空気を伝えることは不可能で、若い人の前であまり昔のことをあれこれと話題にするのはよくないが、若者にとって昔を感じる方法に当時作られた音楽や文学、映画に触れる方法があって、それらの時代の精華を想像力で補えば、おおよそ過去がどういう時代であったか追体験が出来る。そして、昭和30年代の明るい部分をきわめてよく伝える作品の代表として、案外植木等主演の映画は最適かもしれない。当時は映画がまだ盛んで、今以上にさまざまな作品が作られていたから、漫画をそのまま映像化したような植木等の出る映画だけで昭和を代表させることはとても無理だが、それでもその底抜けの明るさは、今になって思えば当時の楽しかった空気を理想的な形で伝えているように思える。その頃小学生の高学年から中学生であった筆者は、植木等の映画を映画館で見ることは一度もなく、この映画も今回初めて見たが、実に面白かった。その思いは若者のそれと大差ないのではと思う。40数年も経って、醗酵具合もほどよくなったのか、60年代がもう古典の領域に入ったからかもしれない。同時代では見えなかったものが、今頃になってくっきりとわかる。それだけ世の中が変化したためだが、当時を体験したかどうかとは無関係に楽しめる。ただし、若い世代と違うのは、50代以上は懐かしさゆえに当時がいとおしく思えることだろう。
植木等を含むジャズ・バンドのクレイジー・キャッツは、当時のラジオ、TVの歌番組やバラエティに頻繁に登場していたので、次々とヒットする曲は、好きとか嫌いを言う前にどれもこれも耳にたこが出来るほど聴き、そのリズミカルなメロディと笑いをもたらす歌詞は、筆者にとっては少年期に刷り込まれた音楽体験として、忘れようにも忘れられないものになっている。同じ曲を今の若者が聴くとどう思うのかは知らないが、それは10代前半の筆者がエノケンやアチャコをいかにも昔の喜劇人だなあと思ったことに等しいかもしれない。だが、10代前半の筆者は植木等をエノケンやアチャコほどではないにしても、いかにも日本の、つまり世界から見ればローカルな、言葉を変えれば田舎臭いところがあると思っていて、正直な話、格好よいとか悪いといった判定の俎上にものらないものと思っていた。それは植木等の顔が喜劇人のようでありながら、どこかそうでもないようなところがあって、どっちつかずと思えたからかもしれない。当時の筆者は伴淳三郎やトニー谷を喜劇人の代表と思っていたが、そういう人の顔に比べると、植木等の顔はちょっと違って中途半端なところがあった。確かに歌では大いに笑っていて、笑顔が真先に思い浮かぶ人であったが、作り笑いというのではないにしろ、何か違うなと子ども心ながらに思っていた。そのため、どのヒット曲もよく知っていた割りに植木等のファンになるということはなかった。今にして思えば、ヒットしたのは歌詞と曲作りのセンスのよさに負うところが大で、これは言い過ぎかもしれないが、植木等以外の人が歌ってもある程度ヒットはしたのではないだろうか。ただし、植木等のように、歌う時の振りが漫画的かつ快活で、それを全く恥ずかしがらずにやってみせる歌い手はほかにはなかったから、植木等は飛び抜けて目立った存在であったのは確かだ。植木等が、たとえば喜劇人の先人であるエノケンから何をどの程度受け継いでいるのかそうでないのかは筆者は知らないが、植木以前にボードビリアンとして目立った才能はいくつかあったろうし、そういう存在抜きには植木という才能もあそこまで大きく開花することはなかったのではないだろうか。これはひとつにはTV全盛時代がうまくマッチしたことが大きい。それに戦後20年ほど経って、東京オリンピックを控え、人々はとにかく活気に溢れていた。しかしそうした高度成長期には必ずひずみはつきもので、調子よく成功を勝ち取る連中もいたはずで、そういう風潮をにらみながら、面白おかしく植木等がヒットを放ち、また彼を主人公とする便乗映画が次々と作られた。たとえばこの映画は1964年制作で、オリンピックの年に封切られたが、映画の冒頭で植木等演ずる初等(はじめひとし)がオリンピックに三段跳びで出場するために強化練習をしているシーンから始まり、それは今になってみれば時代をよく刻印していてひとつの見所と言ってよい箇所でもある。そして、この三段跳びに引っかけて物語は時代劇と現代劇を交差させつつ、三段跳びの出世物語となっているところも構成としてはうまく出来ている。
当時の筆者は仮にこの作品を映画館で見たとしても、たいして何も記憶にとどめなかったと思う。今50代半ばという年齢で見てこそあれこれと面白いと思うのは、子どもには実感出来ない部分が多いからだが、その意味で大人向きの映画だ。だが、今はこのようなアホらしくも楽しく、また人生のひとつの真実を暗に言っているような映画があるだろうか。釣り馬鹿シリーズはそうした部類に入ると言ってよいかもしれないが、何とも小粒と感じるのは、役者がそうであるからか、あるいは時代のせいだろうか。昭和30年代は大人がとにかく楽しんでいたように思う。その楽しい大人を子どもが見て、自分たちも楽しんでいたと言ってよい。それはお金があるなしにかかわらない問題で、貧乏であっても何となく世の中は明るかった。これも当時が歴史的に眺められるからこそ言えることで、当時は当時で大人は今と変わらず大変であったろう。だが、戦後の焼け跡からオリンピックをするまでに国力が回復するという時代、やはり大人たちは上を向いて元気であったと思う。確かに暴力やエログロはいつの時代にもあるし、その当時筆者の近所の歯医者の前の溝に他殺死体が発見され、新聞にそれが載ったりもしたが、まだ10代前半の子どもであった筆者は、そんな恐い話を軽く越えて明るい気分がより大きかった。そして、これは紋切り型の言い回しになるが、今の10代前半の子どもたちはいじめ問題が深刻化し、自殺する者も珍しくなくなっているのに対し、当時は極端な陰惨なことは子どもの世界になかった。子どもの世界が大人社会の反映とすれば、今の大人が陰惨に慣れ過ぎ、明るく楽しく過ごせなくなっているからかもしれない。その大人とは筆者も含めての話で、昭和30年代に明るく楽しく過ごしたというのに、それから40年経って同じ人物がもう楽しくなくなったということになり、今の子どもたちの不幸の原因は筆者も含めての大人たちに責任があると思えば、言葉をどう続けてよいのかわからなくなる。ましてやこの映画を取り上げることで、当時はよかった、とても懐かしいで話が締め括られるのであれば、今の若い人は白けるしかない。今の子どもたちの社会を作ったのがたとえば筆者らの戦後の世代に責任が一番大として、その戦後世代を作ったのはその前の世代であり、結局責任の所在を追求して行くと、前へ前へと遡るほかなく、アダムとイヴの原罪に行き着くほかない。あるいは、「国家が悪い」と言う人もあるかもしれない。そうした考えが責任転化に過ぎず、全く無責任かと言えば、これはそうも言い切れないところがあって、結局今の子どもたちの社会という大きな問題をひとりの大人が受けとめるには無理があり、せいぜいわが子をうまく育てるしかないという小市民的と言えるようなところに落ち着く。ただし、それを言えば言ったで、そのことにまた文句を唱える人がきっとあって、とかく他人とのかかわり合いや、意見を発することで波紋が生ずることの過敏さが60年代より今は増している気がしてやり切れない。
何だか話が植木等の映画からどんどん外れて行くようで、ここらで話を戻すが、この映画で面白いと思ったことを列挙し、そこから懐かしさを除外すれば何が残るかを書くと、「人のあり方」とでも言うべきものが当時はまだ万人が暗に共有出来ていたことの社会の健康さ、そしてそれをこうした娯楽映画であっても監督が意識せずともはっきりと滲み出ていることの安心感、そして今から見ればそれは羨望感に転ずるものだが、そういう日本のよき姿がまだ健在であったことを確認出来る点がよい。しかし、それも案外懐かしさにそのまま分類出来る感覚であるだろう。60年代に比べて今の人心が荒廃したと言えば、事を簡単に結論づけてまずいが、それでも何かが大きく変質したことを感じないわけには行かない。だが、この映画の主人公は、とにかくお調子者で、映画でも描かれていたように、心臓に毛が生えている程度ではなく、心臓がないと思われるほど人を食ったところがあり、その持ち前の図々しさによって、一流電気企業でとんとん拍子に出世し、美人の奥さんをもらって幸福な家庭を作るというハッピー・エンドで終わる。ほとんどのサラリーマンが夢で終わることを、初等は簡単にやってのけるという漫画的筋立てによって、サラリーマンたちの欲求不満の解消に役立っていたのかと思わせられるが、こういう底抜けに明るい映画が作られる背景には、社会が厳し過ぎてストレスの発散にも困るという事情があったかもしれず、そう簡単に時代が薔薇色ばかりであったとは言えないかもしれない。そういうことを議論し始めるとまた切りがないので、ここではこれ以上は書かないが、お調子者の初等の言動にはなるほどと思わせられる知恵とでも言うべき態度が裏打ちされていて、そこは大人社会の、いや人間社会のひとつの真実を言い当てていて、大人たちに勇気を与えるところが多々あったと思う。それは「物おじしない」「先を見通して今努力する」「敵の裏をかく」「人心をつかむ」といった人としての行動規範で、決して陰惨にはならず、始終明るい態度を失わず、次々と目的に向かって実行を重ねる初等の態度に誰しも呆気に取られながらも賛辞を送りたくなる。人より出世するということは、人より目立つことをするからでもあるが、初等はずるいことをしたり、人を蹴落としたりはしない。やましいことがないので、堂々としており、その様子が爽やかなのだ。そういう道徳的な側面がこの映画には図らずもあるが、それは監督が意識したからか、あるいはごく当然と思って意識するまでもなかったか、おそらく後者であろう。そしてそのことが筆者にはこの映画の大きな魅力に思える。よく言われるように、植木等は実際はしごく真面目な人であったらしい。それはそうだろう。真面目でなければ100年にひとりの才能と言われるような存在になりようがない。
物語の荒筋を書くと、三段跳びの選手でオリンピックに出ようと思っていた初等だが、足を痛めてしまって選手生命が断たれる。入院生活を終えて実家に戻った時、道路工事をしている人夫たちが江戸時代の壺を発見して騒いでいるところを見かけ、初等は自分の土地から出て来たものだから寄越せと言い、自分のものにする。中からは小判ではなく、1冊の自筆の本が出て来た。祖父が書いたもので、出世物語だ。それを参考に初等は自分もサラリーマンで出世しようと考える。そして一流企業に面接に行くが、見事に不合格。しかし諦めない。その会社の臨時雇いの守衛になる。社長が車で出社して来た時、運転手を駐車場に誘導して仲よくなり、社長の趣味や行動を聞き出す。つまり、社長に直接会って自分を売り込もうという魂胆だ。社長の趣味がゴルフであることを知った初等は、本屋に行ってゴルフの本によってにわか勉強をし、すぐに社長の前に現われてうまく取り入り、社長に自分を印象づけることに成功する。そして社長自らのコネによって入社出来る。ところが、そう簡単にいい仕事が与えられるはずがない。窓際族のひとりとして、古い資料の計算仕事が割り当てられる。その係には数人の社員がいるが、みな出世を諦めて適当に仕事をこなしている。そんな中、初等は猛烈に仕事をし続け、ついにはその部屋で泊まり込むまでになる。適当にやっておればいいという仕事を、一気に仕上げることで自分を目立たそうという計画で、係の者全員から嫌われるが、会社のためという理由が結局は勝ち、昇格を獲得する。次は社運をかけた大仕事を成功させるが、それもまた秀逸な作戦勝ちで、人の心をよく知り抜いていればこそだ。サラリーマンの出世物語としては全くの漫画で、現実離れした物語と言わざるを得ないが、それでも初等の発想と行動には見習うべき点は多々ある。ホラは吹くが、その陰でそれだけ努力もしているからこそ、思ったことがそのとおりに結実するわけで、その典型的な例が、たとえば残業手当てなしで不精髭を生やしてまで書類計算を人の何倍もの速度で仕上げてしまうというところにある。つまり、やらねばならない時はみっちりと身を粉にして働くという信条だ。適当な人間に見えていて、実際とそうではなく、努力すべきところはそれを惜しまないという態度で、それをこの映画があたりまえのように描いている点が実にさわやかでよい。努力もしないで出世街道まっしぐらという、そんなつごうのようい話をこの映画は描いていないのだ。努力という美徳が今はどう思われているのかどうか知らないが、60年代にはまだそれは出世には欠かせない必須条件と思われていたのではないか。
もうひとつ書くと、ゴルフ好きな社長に取り入った後の初等の発言も印象深い。社長は自分のゴルフが初めて論理的に上達する糸口を初等から教えられたことに感激し、会社の中でも初等にフォームの質問をする。すると初等は、会社に入って仕事の態勢にある社長がそんなけじめのないことでどうするとたしなめるが、その正し過ぎる発言に社長は言葉が出ない。先に釣り馬鹿日誌の映画について少し触れたが、そこでは社員と社長は釣りという共通の生き甲斐によって結ばれていて、映画はいつも仕事より趣味の釣りが中心に描かれる。そこに60年代ではもはやない日本の姿があるが、もっと比較すべきことがあって、数十年先において日本の60年代以降のいくつかの人気サラリーマン映画の差異が論じられて、そこから日本がたどった姿の変遷具合が端的に浮かび上がっているかもしれない。ともかく、映画が単なる使い捨ての娯楽ではなく、多くの作品を比較することによって、監督たちが予期しなかった文化の推移などの興味深い事柄が見えるようになって行くだろう。映画は監督が描こうとしたものばかりで構成されるとは限らない。図らずも写ってしまったと思えることも多いはずで、その本質から外れた箇所に意外な面白さが現われもするだろう。綿密に意図して1コマずつを撮影して作り上げても、時代性からは逃れられない。その時代性は、作品が時代を経るほどに意味不明となる部分が増すが、その一方でより見えて来る部分もある。植木等が出演した60年代の映画は今ちょうど見直すのによい時期にあるように思う。フィルムの色はまだ美しく残っていて、服装のセンスも今につながるところが大で、60年代がそれなりに洒落ていたことがよくわかるところは、若者にも面白いと感じられるだろう。ヒロインの浜美枝が今も美しく健在であるから、そんなに昔の映画とは思えないが、確実に40年以上経ち、そして植木等も世を去った。社長役の曾我廼家明蝶もまさにはまり役、その他の顔をよく知るが名前の知らない脇役たちも、みないい演技をしていることにも感心する。とにかく役者の層の厚さが今とは比較にならない。今作られている日本映画が40年後の大人に実に面白いと歓迎されていればいいと思う。