甥がガンダムのファンで、ネット・オークションでよく何万円もするプラモデルを買っている。高さ30センチほどだろうか、個人が独自に色を塗ったもので、その出来上がり具合がよいものほど高額で取り引きされるようだ。

それを短縮して「ガンプラ」と呼ぶのかどうか知らないが、オタク文化の一端をよく示す例と言ってよい。そうしたガンダムのプラモデルをたくさん並べて道行く人々に見せているウィンドウを見かけたこともある。売り物ではない。個人が趣味で自分の家の出窓のような場所を利用して展示するもので、ガンダムに関心のある者からすれば、意識すべきスポットとして評判になっているのかもしれない。同じ趣味を持つ者が集まるのはいつの時代でも同じだが、ガンダムに関するこうした展覧会が日本各地を巡回するところ、ファンの数がどれほど大きいものであるかは想像にあまりある。「ガンダム」と聞いてすぐに男性整髪料の「マンダム」を連想する程度に筆者は古い世代であるので、本当のところこの展覧会には関心はなかった。去年夏に大阪のサントリー・ミュージアムで開催されていた時も、迷いつつ結局行かなかった。ところが、今回、去年秋にオープンした京都の「くくむむ」ことマンガミュージアムで開催されることになり、それなら近いので出かける気持ちになり、11日に見て来た。もちろん他の用事のついでで、本展だけのためなら出かけなかった。つまり、その程度の気持ちから見たので、以下は門外漢の戯言がはなはだしい。ところで、「ガンダム」を英語で「GUNDAM」と綴ることを今回初めて意識した。「マンダム」は「MANDOM」のはずで、これは「王国」の「KINGDOM」から作った言葉だろうが、「ガンダム」が「GUNDOM」ならば、これは「銃の国」となってかなり物騒だ。だが、「GUNDAM」には「GUN」が入っているから、いかにも男の子好みの、機械や闘争に深く関係するマンガであることがただちに連想される。「DAM」はあの水力発電の「ダム(堰)」と同じ綴りだが、別に「雌の親」という意味もあって、どうしてこの言葉を選んだのかは筆者にはわからない。とにかく長く続いているアニメであるので、そこに繰り広げられる物語は、見たことのない筆者からすればさっぱり中身がわからず、ファンなら誰でも知るかもしれない「DAM」についてもお手上げの状態だ。そうしたファンなら知るさまざまなことが多ければ多いほど熱烈なファンは増えるが、その一方、門外漢との距離はますます広がる。

ここ数年だろうか、フィギア・ブームが続いていて、動物からエロティック、いやポルノティックな女の子の肢体まで含めて、何でもありの状態となっている。この源はその昔、グリコのキャラメルのオマケについていた小さな玩具にあると思うが、もっと遡ると、日本人は何でも模型にすることを好む文化を持っていたことにつながる。それゆえ、今の若い人がフィギアに熱中するのは不思議でも何でもないが、子ども時代にだいたい卒業するそんな趣味が50代の大人でもけっこうはまっている人が少なくないことに驚く。ガンプラにしても、形は予め作られたものを組み立てるが、彩色で自分の能力が発揮出来る余地がある。その点で想像力を働かせ、創造性を発揮するという満足感を与えてくれる格好の素材となっている。筆者が小学生の頃でも戦闘機や戦艦、戦車などのプラスティック模型は大はやりして、自分で色まで塗ったものだったが、それから少しも世の中は変化せず、模型にする対象が大きく拡大したに過ぎないように思える。海洋堂がそうしたフィギアで有名になり、その精巧な模型は芸術的とまで言われるほどだが、それは言い過ぎというもので、本当の芸術はそんなものでは全くない。筆者には、海洋堂のフィギアは値段の割りには精巧に出来ていても、基本はあくまでも「チープ」だ。そして筆者は「チープ」ならむしろ「チープ」さを露にしたものを大いに好み、チープであるのに高尚さを演出するものはチープの中でも下の部類に属するものと考える。グリコのおまけはそのおまけ程度に収まっているから面白いのであって、本体の食べ物を越えて豪華さを主張すると、もはや何の関心も持てない。そういう中途半端のシロモノより、いっそのこともっと豪華なものの方がいいからだ。それはどういうものかと言えば、形からすべて自分で作る1点ものの造形作品だ。量産されたフィギアにいくら独自の色を塗るとはいえ、それはあたがわれのお仕着せに過ぎず、その向こうに企業の巧妙な戦略が見え透いて白ける。だが、そうしたものに満足する人は、たとえば車を買う時にさまざまなオプションをつけてもらうなりして、自分だけのデザインを求める世代と重なっているように思える。車を売る企業は全く同じ車がどこにでも走っているというのでは、売れ行きが芳しくないことを悟り、どうにか購入者が細部を自由に変更出来るようなシステムを提供して来た。その様子は筆者にはまさにガンプラの世界と同じに思えるが、結局のところは基本は量産に頼っている点で、そこにはユーザーにとっての完全なオリジナリティはない。だが、もともとユーザーがそのような自分ひとりのオリジナリティを求めていないから問題はない。求める人もあるだろうが、それはクラシック・カーの世界に没入するとか、かなりの少数派で、無視してよい数字だ。ガンダム世代はそうではなく、何か大きな共通性を保つことで連帯感を持つことが出来、その傍らで自分独自の個性も主張したいという思いを抱いている。
ガンダムのアニメが放送され始めたのは1979年で、筆者は28歳であったから、その物語を知らなくも当然かもしれない。最初に書いた甥は今27で、79年はまだ生まれる前年に相当するが、赤ん坊から子もどに成長する過程でガンダムのアニメに染まったことは当然であったし、そうした幼少期の記憶が今になってもなかなか消えない痕跡を残していることはよくわかる。甥らの世代が今後日本の中枢を背負って立って行く時、おそらくガンダムはもっと普遍的なアニメとしてその地位を確立していることだろうが、その一方で、新しい文化に染まった新しい世代はど次々に生まれて来るから、アニメやマンガ業界もそう簡単に名声ある地位を持続出来るとは限らない。そこにはアニメやマンガそのものの価値とは別に、キャラクターや関連商品を販売する会社、TV局や映画会社といった存在の、商売の論理が大きく関係し、儲かるならば人気は続くし、そうでなければごく限られたファンだけの趣味という範囲に凋落する。筆者がアニメやマンガを小学生ですっかり卒業した当時もそんな経済の論理は当然存在していたが、その規模や商法の巧妙さはまだ素朴なものではなかったかと思う。それがそうではなくなったのはウルトラマンやガンダムあたりにあるのは間違いがない気がする。あるいはアトムや鉄人28号が先鞭をつけたか。そうした男の子向きのマンガやアニメの基本思想は、戦いと平和があって、平和が勝利する、あるいはそれを望むというところにあった。だが、70年代からは末期思想が拡大し、必ずしも正義が勝つといった単純な物語ではみんなは満足しなくなった。そうしたものももちろんあったであろうが、マンガやアニメはより複雑化し、見る者の年齢を限定したような制作が行なわれ始めた気がする。これはシリーズが長く続く物語の宿命でもあって、見る者の成長に合わせて少しずつ内容も大人びたものにして行かねばならないからだ。第1世代の固定ファンをその後ずっと引きとめておくには、登場人物なども次々と加え、当初の物語を大きく膨らませて内容を変化させ続ける必要がある。そしてそのようなものになるにしたがって、その物語は全体としてオタク化し、門外漢が容易に立ち入れない秘教めいたものになる。ガンダムの内容を知らないのでそうだとは言えないが、何となくそのようなものではないかと思える。それは、たとえばの話、ザッパの音楽でも言えるからだ。ザッパの音楽も、全曲を知らないことには見えて来ないような複雑に込み入った世界となっていて、それをよく知る筆者はおそらくガンダムにもそんなことがあることを直観する。
ガンプラに何の関心もない筆者だが、どういうわけか「ザク」と呼ばれるロボット(こういう表現が正しいのかどうかはわからない)は、そのわかりやすい形から昔から好きであった。これは悪役だったのかどうか、名前からしていかにもそんな雰囲気があるが、だいたいロボットの物語ではこの悪役がいつも格好いい。正義の味方にはない独特の形をしているからだが、筆者にとってその代表は零戦と戦ったアメリカのグラマン・ヘルキャットであった。しなやかで、まるで柳の葉のように見える零戦と比べて、エンジンがずんぐりとし、両翼も途中で少し折れ曲がった形のグラマンの戦闘機は、エンジンにペンキで描かれた鋭い歯を持った魚か何かの絵によって、いかにも猛獣らしく、力がみなぎって見えた。それは零戦のはかなさに比べると、全く異なった獰猛な美とでも言うべきもので、小学生時代、どのような角度からでも零戦をまたたく間に描けた筆者は、いつの日からかそのグラマンが非常に格好よいと思うようになっていた。日本の美意識とは違う美の基準があるという予感を抱いたからというよりも、正義の味方の零戦に対し、悪のアメリカが作った、そのいかにも地獄から飛来したように見える重厚な戦闘機のデザインが、その圧倒的な悪の強さゆえに何だか子ども心ながらに惚れ惚れとさせるものがあったのだ。ガンダムのキャラクター・デザインを手がけた伊藤剛の年齢がわからないが、もし筆者と同じ程度とすれば、そのグラマン戦闘機をどう見ていたか知りたいと思う。ガンダムに登場するザクのデザインにはどこかそのグラマンが影響を与えている気がするからだ。ガンダムは確かに79年にアニメが放送され始めたが、その時点でガンダムの総監督の富野由悠季が何歳で、どういう経歴を持っていたかは重要だろう。メッセージ性がきわめて強いガンダムの物語だが、富野が何に感化を受けて育ち、何をガンダムを通じて子ども、あるいはその後成人になった大人に伝えたいと思ったかは、世代間における思想伝達ということを考えてみた時、大きな責任感があったと言える。先の話に戻ると、まだ小学3、4年生頃の筆者が、零戦を正義の味方で、グラマンが悪といったような単純な見方は決してしていなかった。戦前ならそういう見方が主流であったろうし、また国家もそのように思想を導いたが、戦後は子どもでも戦争は悪で、絶対的な正義や悪は日本にもアメリカにもないことを知っていた。だが、子どもが読む漫画雑誌では、零戦は血の通う人間が搭乗していても、それと戦うグラマンは無機質な存在、つまりロボットのように描写され、一応の正義と悪の対立として描かれていた。そういう漫画ならではの事情をよく知ったうえで、やっぱりグラマンも格好よく、その理由が一体どこにあるのか、そのことが不思議でならなかったというのが実情だ。
富野や伊藤がそうした昭和30年代の戦闘機ブーム、それに伴うプラスティックの模型ブームを下敷きに、その一方でアトムや鉄人、そして宇宙時代到来という世相を踏まえ、ガンダムを生み出したのは当然の帰結で、不思議でも何でもない。であるから筆者はよけいにガンダムに関心がないと言ってよい。それはあるべくしてあって、進展するようにして進展して来たであろうことはよくよくわかる気がするからだ。そこにはありとあらゆるものが渾然となって投入されているであろうこともまたよくわかる。筆者がかつてザクのデザインを格好いいと思ったことも、おそらく伊藤が意図したことにぴたりとはまったに過ぎず、そのように見てもらえることをよく知ってデザインされたに違いない。「機動戦士ガンダム」というのが正しい呼び方らしいが、「機動戦士」は「GUN」と釣り合う言葉であり、実際ガンダムは大きな銃を携えている。つまり、この物語は戦争に主題がある。それは筆者が子どもの頃から変わらぬ男の子の好むマンガのテーマであり、その意味でガンダムは何ひとつ進化はしていないが、模型が単に机や棚に飾るだけのものではなく、実際に動くことが求められる時代となって、内部構造にも注目が集まり、その分ガンダムが抱える要素は大きく拡大した。それは時代に沿ったものであるし、それを可能にした技術促進と、マーケットの拡大がこの30年ほどの間に生じた。また、物語は未来に設定されているが、これもかえって物語をより現実的なものに思わせるにはつごうがよい。未来とはいえ、いかにも現在から想像される延長上のそれであって、その分ガンダム・ファンはあたかも自分たちが予言者のような気分になって、物語について語り合うことが出来る。他愛ないと言えばそれまでの話だが、今この瞬間の現実に生じている悲惨なことや人類の愚かなことなどを見ていると、問題はそうは簡単には解決出来ず、戦争というものもいつまで経ってもなくならない予感は正しいように思える。いつか人類が宇宙に住む時代が来るだろうが、そこでも繰り広げられるのは早い者勝ちの領土問題であり、それを巡る戦いであるだろう。また、きっと宇宙に捨てるゴミの問題も深刻化しているに違いない。そう考えると、人類が宇宙に出ても今とたいして変わらぬことをやっており、そのひとつの例がガンダムの物語に描かれたいるのではないかとの想像は笑えることではないだろう。だが、問題は未来のガンダムの物語にどっぷり浸かって妄想を楽しんでばかりいてはどうかというところにあるようにも思う。そこにたとえば富野が「いやあ、単なる空想マンガですよ。楽しめればそれでよし」と言うのであれば、何だか騙された気にもなる。オタクたちがそのあたりのことをどう考えてガンダムを享受しているのか知らないが、作品の根本思想がどういうものであるかは、子どもに与えるものほど重要であるように思う。
ただ、それが勧善懲悪の単純な物語であってよいというのではない。おそらくガンダムはそこもうまく設定して、大人が見てもそれなりに考えるような哲学的な命題を含んでいることだろう。だが、そういうことも含めて、アニメでは限界がある気がする。それゆえ高踏な思想をばら撒かないようなナンセンスなギャグ漫画を筆者は大いに好むが、話がもつれ始めたので、この程度にしておく。さて、今回2度目に訪れた「くくむむ」は、日曜日でもあったためか、満員状態であった。みんな棚の漫画を手に取って熱心に見ていたが、予想どおり、漫画喫茶の様相を呈している。秋山ジョージの世みたい漫画を探したが、残念ながらなく、展覧会を見た後はすぐに館を後にした。館を入ってすぐ、TVモニターに養老孟司が映っていたが、配られたパンフレットを見ると、この「くくむむ」の館長であることがわかった。これはちょっと意外だ。有名人がなった方がいいのに決まっているが、京都人から選べなかったのであろうか。「くくむむ」内部は小学校を利用しているため、迷路のようにかなり複雑になっていて、展示も3か所に分かれていた。帰り際、2800円で売られていた図録をぱらぱらと見ると、西尾康之の巨大な作品「crash セイラ・マス」や新聞で図版を見ていた小谷元彦の「胸いっぱいの愛を」など、見なかった作品がいくつもあることに気づいた。それで係員に訊ねると、ちゃんと展示されているとのことで、その部屋まで引率してもらった。それが教室をふたつ使ったような最初の第1会場で、狐につままれた気分になったが、その暗い部屋の奥はカーテンで仕切られて別の展示室があることに気づいた。これでは見逃す人が多いのではないだろうか。チラシを見ると、「crash セイラ・マス」はサントリーミュージアムでのみ展示されたようで、それほどに大きいのだが、どうにか「くくむむ」にも運ばれて展示されたのは関係者の努力を思う。「国内最後 京都開催」との触れ込みで、これはこの後海外でも展示されることを暗に示しているのかどうか、それはあり得る話だ。そしてそのことをもくろんで展示作品が選ばれていた気がしないでもない。絵画、彫刻、写真、映像といったように、いろんなジャンルのものが並んでいたからだ。あたりまえのことながら、どれもガンダムそのものの形や物語における登場人物、作品に描かれる思想やある場面といったものに因んでいて、ガンダムを知らなければ本当のところは楽しめないのだろう。そんな中、門外漢として特に注目させられたのは、日本の伝統文化の媒体を使用してガンダムの世界を表現している作品だ。
たとえば天明屋尚の作品だ。この作家の別の作品を去年『ニッポンvs美術』でも見たが、題材の表現に江戸時代と現代を混ぜつつ、緻密かつきっちりと描き、その技法は一目見て記憶に強く残る。「RX-78-2 傾奇者 2005 Versin」は、ふたつ折り屏風の形をした金箔を貼ったパネルにガンダムを日本画の顔料で描いたもので、ガンダムの立像が一体描かれるが、体には入れ墨がされ、龍が巻きつくなど、歌舞伎の雰囲気が強い。これは「傾奇者」という題名にも表現されている。この作品の右手前には、ガンダムの頭部の形をした握り部分を持つ大きな筆があった。伝統的技法に忠実にしたがって職人が作ったもので、ただの筒ではなく、そこにガンダムが表現されているところが見所らしい。また、料紙に書いた和歌のように、ガンダムの物語で使用された有名な言葉を書き連ねた巻物もあった。同じようなものとして前衛書道と言うべき作品もあったが、いかにも未来的なものばかりで表現せず、日本が生んだガンダムであるから、逆に伝統的なものを用いることで、半ば面白がり、半ば格調を高めるという考えも生まれて来る。こうした天明屋尚の作品は一風変わった日本画として市場価格がいずれつく、あるいはついているのかもしれないが、そのことはガンダム世代がお金に大いにゆとりが生まれる頃になってますます顕著になるだろう。ガンプラで満足していた連中から芸術に目覚める者も出て来るに違いない。そうした新たな絵画マーケットとでも呼ぶべき現象を笑うことは出来ない。好きなものには大金を惜しまないという人間性が不変である限り、美術の概念はいくらでも変化し得る。近年はあまりにも美術がお金絡みで語られ、より高値で海外で取り引きされることが作家にとっての自慢となっているが、「売れれば勝ち」が芸術の最大の測定基準になるということの裏には、有名になるには何らかのメディアに頼る必要があるということと関連して、致し方のない側面はあるだろう。仮に生前無名で死んだ作家が、没後に再評価されるとしても、その結果その作家の作品は市場価値が高まるはずで、それは結局のところ「売れれば勝ち」の論理がそのまま適用出来るものだ。孤独な個人芸としての美術の一方で、ガンダムに代表されるような、最初からマス・メディアを背景にした表現が登場し、そのことに個人の作家も何らかの影響を受けずにはおれないような事態が生じている。ガンダムが単なるアニメやマンガの領域を越えて日本の美術界にも浸透し始めるとしても、それは戦後直後の漫画から眺めれば、行き着く自然のなり行きに思える。だが、そこで芸術とは何かという問題が改めて問われる必要はあるだろう。そのことも含めて筆者はガンダムの世界を藪睨みしている。