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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『夢の美術館 大阪コレクションズ』
ナルド・ジャッド(1928-94)の「無題(プログレッション)」という作品は、滋賀県立近代美術館にもほとんど同じものがあるが、まだ建物がない大阪市立近代美術館も所蔵していることを今回初めて知った。



●『夢の美術館 大阪コレクションズ』_d0053294_17443031.jpgこの作品は美術を見慣れた人にとってもどこがよいのかなかなかわかりにくく、どこかのブティックにある一風変わった商品棚かと思うことだろう。だが、今回取り上げる展覧会では筆者はこの作品が大いに気に入った。彫刻作品で、レンガ程度の厚みのある2種類の色合いの金属が二段重ねになって横に数メートル延びる。上段は一本の長い鉛色をした金属、下段は光沢のあるブルーで、ところどころに切れ目のあるが、その切れ目は右に行くほど倍々の形で大きくなっている。素材は上段は真鍮、下は青の陽極処理したアルミニウムだが、この青が塗料を塗ったものではないため、とてもきれいだ。イヴ・クラインのあるブルーとは違って、わずかに緑味を帯びているため、熱帯の海か何かのように温かい雰囲気がある。タイトルが「無題(プログレッション)」というのは、いかにもこのぶっきら棒な作品にふさわしいが、「無題」とせずに、その後にちゃんと「プログレッション」を添えているところがミソだ。だが、これは説明を読まないと意味がわからないだろう。「プログレッション」はprogressの名詞であるので、「前進」というポジティヴな感覚を与える言葉だが、もうひとつの意味として「数列」がある。解説には、フィボナッティ数列という、たとえば1、2、3、5、8、13…のように隣合う数の和を次の項とする数列にしたがった作品とあって、下段の青い箱の切れ目の長さがどうやらその数列に基づいて設定されている。なるほどそのことがわかって見直すと、下段は箱の長さが右に行くにしたがって短くなり、箱と箱の間隔は長くなっている。これが何の「前進」の意味であるのかは見る人の感覚次第だが、そこに面白味を感ずるかどうかでこの作品の評価は変わる。筆者は真先にこのフィボナッティ数列が日本の掛軸の表装裂の縦幅にも適用されていることを思い出し、ジャッドがそのことを知っていたかどうか、そんなことを思った。ジャッドはミニマリストで、この作品はミニマリズムの代表作と言われているが、よけいをものを削ぎ落とし、物事の内部の方式だけを純粋に抽出して見せるミニマリズムの志向性は、筆者には極端な厳密性とともに、それを作品として表現するうえで生ずる人間技に負うべき限界性によって、いささか大雑把でしかあり得ない一種の曖昧性を常に感じさせて、そこに何か人間味の存在を思ってしまう。
 それはたとえばモンドリアンの作品を思い浮かべればよい。渡米したモンドリアンの作品はミニマリズムの誕生を用意したと思うが、その白地のキャンヴァスに縦横の直線だけで描かれる作品は、間近で見ると決してパソコンで印刷したようなシャープさではなく、手技ならではの筆跡が見える。モンドリアンの意識の中では本当は人間技を越えたシャープな形を理想と思っていたのであろうが、当時は印刷に頼るにしても版下は手技によるから、顕微鏡で微視的に見てもくっきりと鮮やかという究極の線を描くことは出来なかった。今はそうではないと言えるが、まさか電子顕微鏡で作品を観賞する人はないから、作品の精巧度は人の目で普通に見てよければそれでよしという基準は、将来も変化はない。ジャッドの「無題(プログレッション)」の箱の大きさとその間隔が、どの程度の精度でフィボナッティ数列を守って作られているのだろう。実際は工場で職人に作らせたと思うが、それなりに精巧に出来ているから、間近で見てもいわゆるモンドリアンにあった手技ゆえの粗のようなものは見えない。だが、電子顕微鏡で見るなり測定すれば、かなりいい加減に作られているのは確実であるから、ジャッドが求めたのはそこそこ精確に見えればそれでよしとする程度のものであったのだろう。そこで話を戻せば、掛軸の表装裂もそれと同じ考えに立って、本紙に近い最も目立って貴重な一文字裂やその上下に来る生地などの各裂の高さが決められるが、これは造形的に最も安定して見える、また天井から床までの距離、そして掛軸を巻いた状態で長期保存するのに内部の本紙にとっては最もよい状態が保てるようにといった各条件を追求して来た結果、決まって来た方式であって、簡単に言えば人間が見出した究極の知恵だ。そこにつまりひとつの数式が内在しているのは実にあっぱれなことと思うが、実際は当然であって、そこに人間が幾何や代数を見出してそれを発展させた数学的知識と、それにしたがう生活上の各道具などの決まった寸法というものがある。このことは日本の畳やその数にしたがう部屋、そして家屋全体の形式といった物を見ればわかりやすいが、それとほとんど同じことを日本よりもっと遅れて、たとえばル・コルビュジェといった欧米の建築家が思想化したような気がする。それはヨーロッパが北と南とでは風土がかなり異なって、ひとつの基準に普遍化出来なかったことも理由として大きいが、抽象や具象などとわざわざ騒ぎ立てるまでもなく、日本では昔からそれらが渾然と生活の造形の中に溶け込んでいたと思う。つまり、そういう観点に立てば、ジャッドの「無題(プログレッション)」は、いかにも現代の生活に根ざしたところに発する芸術といえ、難解な哲学を持ち出さずとも、案外簡単に作品の面白味がかわる気がする。
 それを具体的に書けばこういうことになる。昨夜のNHKのTV番組に、64歳で産婦人科医になったある男性を紹介するものがあった。番組は1984年制作で、その男性が生存していると今87歳になる計算だが、84歳で亡くなったそうで、20年間を医者として過ごした。64歳で医者になるとは凄いエネルギーだが、そのことに驚くより、筆者は84年からもう23年も経ってしまったことに全く信じられない思いがした。筆者にとって80年代はごく最近のことに属するが、世間から見ればもう大昔のことで、どうやら年月を感ずることにおいては個人と世間とでは大いに差があるらしいことを今さらに実感した。23年と言えば、今23歳の人はこの世にいなかった。筆者の息子は先日満24になったが、息子が生まれてこっち、本当に月日の経つのが何と早かったかと思う。そしていつも思うことは、今後20年はその倍の速度感で過ぎ去るであろうことだ。つまり、もうおわかりのように、個人の人生の過ぎ去る感覚はフィボナッティ数列のようになっている。ジャッドの作品で言えば、年月が経つほど、隙間が大きくなり、青い実体はごく短くなっている方向に移動する。そのため、もし人間が300歳の寿命を持ったとしても、100歳以降の200年はほとんど何の実りらしき感覚をもたらさない。TVの64歳の医師は髪が黒々としてとてもエネルギッシュに見えたが、84の時はどうであったろう。64から84までの20年間をその医師はきっとエネルギッシュに過ごしたことと思うが、フィボナッティ数列からは逃れられなかったはずで、たとえば5歳から25歳までの20年間に比べると、ほとんど数分の1の早さで年月が通り抜けたと思えたことだろう。ジャッドが「無題(プログレッション)」で言いたかったことはそんなことではないかもしれないが、そんなことを否定する理由もない。人生の深淵を覗かせるような、そんな恐ろしいとも言える作品を作ったジャッドは、最初に書いたように94年に66歳で亡くなっている。「無題(プログレッション)」は1969/70年の作で、ジャッドが41、2歳頃のものだが、その当時はまだまだ人生半ばの思いがしていたことだろう。しかし、時は確実に過ぎ、その後20数年の余命をジャッドは自らが作った「無題(プログレッション)」のように前進したと思ったことに違いない。ミニマリズムの作品にはそのようなひとつの真理のような法則を今さらによく示してくれるところに面白さがあるが、それゆえに恐ろしさも突きつけている。「ジャッド」という名前にはどことなく狂気めいた響きがあるが、それが完璧に作られた作品の趣と相まって、なおさら絶対的な、つまり神のような存在の希求の表象のように感じられる。
 「夢の美術館」とは、大阪市立近代美術館、国立国際美術館、サントリー・ミュージアムの3館から名品を集めて展示しようといういわば合同常設展で、各館は同時期に趣向を変えて企画展を開催している。先月17日、鍋島展を見た日に、その3つのうちのひとつである『佐伯祐三とパリ展 大阪コレクションズ』を心斎橋で見たが、こちらの『夢の美術館』はようやく一昨日見た。3時頃に美術館に入ったから、時間は充分にあったはずだが、後で地下2階で開催されていた『ピカソの版画と陶芸』に回ると、もう閉館まで10数分しかなく、また気力もなくなっていたため、2、3分ほどちらりと見ただけに終わった。天候も気になっていたからで、外に出たところぽつぽつと雨が降り始めた。両手には濡れてはならない品物がずっしりと重かったので、『ピカソの版画と陶芸』を数分で切り上げたのは正解であった。同展は協賛がダイキン工業現代美術振興財団となっていて、そこが所有する作品のようだが、かつて見たことのあるものばかりで、その意味で新鮮ではなく、見るまでもない気がしたが、逆に言えば何とも言えない70年代のまだピカソが存命中であった頃の懐かしさがひしひしと蘇り、日を改めて詳しく書いておきたい気もした。だが、館内は20歳そこそこの若い男女が圧倒的に多く、彼らにすれば初めて接する作品が多いことだろう。それは『夢の美術館』にしても同様だ。海外からわざわざ持って来た作品ではなく、あまり経費もかかっていないにもかかわらず、大勢の人が訪れていたことに筆者は驚いた。それは筆者にとっては馴染みであっても、20そこそこの世代では初めて見る作品が多いという、あたりまえの現実による。世の中は自分中心でしか見ようとしないものだが、世間側から眺めると、同じ作品がさまざまな展覧会に繰り返し登場することに大きな理由があることがわかる。チラシやチケットに印刷されたモジリアニの「髪をほどいた横たわる裸婦」は、筆者は1968年7月21日、つまり16歳の夏休みに、中学生の頃の友人ふたりと一緒に大阪から京都国立近代美術館で開催中の『モジリアニ展』に出かけて見たのが最初のことだった。それからもう40年ほど経とうとしている。同展の図録では「横たわる女」と題され、芦屋の山本清雄氏所蔵とある。『戦前日本に招来された唯一の原作。しかも、1917年前後の<横たわる裸婦>の連作中でも白眉というべき作品。…』と説明が続くが、この作品のみ図録では折りたたみになって収録されていて、展覧会の重要な作品のひとつであったことがよくわかる。16歳の筆者でもその描かれる女性のポーズにどきどきしたが、ポルノ的なその姿態も芸術では許されるということで、まして性に関して人々の意識が大きく変わった今では誰も猥褻さを覚えないだろう。今回はこの絵の前でそれこそ20歳そこそこの女性が群がって動かなかったが、どのような思いで見ているのか、そっちの方に関心があった。また、40年前に筆者はこの絵のまるで今描かれたばかりに見える油絵具の照り具合に感心したものだが、その状態は全く変化がなかった。人間は老いるが、大事にされる絵はほとんど歳を取らない。そこで思うのが、16歳の頃から40年近く経った今、自分は人生のフィボナッティ数列としてのスパン上のどこに立っているのだろうという思いだ。
 大阪にもなかなか作品がよく揃っていると思わせられた展覧会で、72点の作品はよく選択されている。また、それはいかにもこの40年における日本の経済発展と美術への関心度の深まりをも証明している。そのことはおそらく今の20歳代にはわからないであろう。展示番号順に作家名を書くと、セザンヌ、モネ、ドラン、ピカソ、キスリング、パスキン、モディリアーニ、ブランクーシ、ゴンザレス、ピカビア、デュシャン、マン・レイ、クレー、カンディンスキー、タトリン、モホリ=ナギ、セガンティーニ、ボッチョーニ、キリコ、モランディ、エルンスト、ダリ、マグリット、コーネル、アルプ、ジャコメッティ、ヴォルス、デュビュッフェ、フォートリエ、アペル、フォンタナ、ロスコ、ノーランド、ルイス、トゥオンブリー、デ・クーニング、バーネット・ニューマン、アルネス・マーティン、ステラ、リチャード・セラ、モリス、ジャッド・ウォーホル、チャック・クロース、ローゼンバーグ、バスキア、シモン・アンタイ、ヴィアラ、クッキ、バゼリッツ、リヒター、キーファー、ポルケ、バリー・フラナガン、トニー・クラッグで、最後のふたりは即座に作品が思い浮かばない。おそらく印象派の絵画は多く集め得たはずだが、今回はキュビスムを初めとして現代美術につながる観点から作品が選ばれていることがわかる。セザンヌやモネなど時代を遡るほどに著名どころが並ぶのは、当時多くいた作家が淘汰されたことを示すが、その意味からは後100年もすれば、今回取り上げられた最後に近い作家は案外消えていることもある。この現時点を含めて過去に遡る遠近感というものにもまたフィボナッティ数列が適用出来ると言ってよいが、それはありがたみの度合いを示す指数とも合致しているだろう。フィボナッティ数列的な密度の漸次的推移は、ひとりの人生、ひとつの流派、ひとつの区切られた分野など、あらゆる領域において見出される普遍的な構造と言ってよく、今回の72点もまさにフィボナッティ数列のように並んでいて、後になるほど作品の価値があまりないと人々に思われ、見事に人の数も少なくなっていた。会場の後になるほどに観客数が少なくなるというのはどの展覧会でも同じだが、展覧会は明らかにフィボナッティ数列として作品が並べられている。
 会場を入ってすぐ右手にチョコレート色をした大きな彫刻があった。これはデュシャン3兄弟のひとり、レイモン(1876-1918)のもので、生前に残した44センチの高さの石膏モデルから没後に拡大して鋳造したものとのことだ。若くして死んだレイモンは彫刻の数は少ないが、「馬」の連作で名高い。キュビスムであるので、「大きな馬」と題されていなければ、馬とはとてもわからないが、大きな塊になった各部分の微妙な曲線を見ていると、有機的な力強さはよく伝わる。また、そうした曲線のカーヴが44センチの小さなものにどれほど忠実に存在しているのか、実際の石膏モデルを確認したい気がした。ほかにもぽつぽつと気になった作品もあったが、全体として見ると今の筆者にはあまり関心が持てない。それもまた筆者がフィボナッティ数列の右端近くにいて、誰もあまり顧みない美術、すなわちまだほとんど紹介されない美術に興味がより大きいことによる。30年以上も毎年100近い展覧会を見続けて来た者の目は、今20歳の美術愛好家のそれとは違っていて当然で、めったに展示の機会のない作品に心が動くのは仕方がない。だが、美術館も人気商売ということ一本槍になれば、どこも買い揃えるべき作品は同じようなものにならざるを得ない。72点の作品によって近現代の欧米の美術の歴史の一端が外観出来るのは喜ばしい機会だが、日本という全体から見れば大阪のコレクションは東京にはるかに見劣りする。東京に対抗心を燃やせというのではない。豊かであった上方文化における美術の研究や紹介、美術品の収集も同時に行わなくては関西復権の声も虚しい。上方と表現されていた江戸時代にも大阪は美術があったし、それに焦点を当てた展覧会がもっと行なわれてもいい。大阪市立近代美術館が美術館を建てた暁には、そのあたりのことを今後どのように作品の所蔵や研究を深めて行くのかが大いに見物だが、大阪そのものがフィボナッティ数列の右端のごくさびしいところに位置しているとするならば、それを逆手に取って何か独自に主張出来るものがありはしないだろうか。ジャッドの「無題(プログレッション)」の左を見れば青色が充実して豊かに見えるが、「前進」という言葉を信ずれば、その青が減少して行く右方向部分にむしろ意味があるのではないか。作品はそれら青の占める部分と、青と青の間隔が占める部分とが見事に釣り合って存在している。隙間の多い右部分に立つ筆者は人生の半ば以上を通過したが、作品の見所、また見所のある作品というものが微妙に変化して来たのも当然で、本展はそのことを改めて意識させてくれたということで締め括ろう。
by uuuzen | 2007-03-12 17:44 | ●展覧会SOON評SO ON
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