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2006年12月20日 ●第 186 話
2か月前、マニマンは倒れた翌日に薬持参で電車に乗って遠くに出かけました。そして、図書館で長時間調べものを済ませた時、吹き抜けホール内の階段を下りていると、すぐ右横の壁際に大きなロダン風の黒光りした銅像があることに気づきました。それは長崎の原爆記念碑の銅像を作った彫刻家の作品で、題名は「神農」とありました。マニマンはふーんと思いました。ちょうどマニマンが調べていた300年ほど前の古い本に、当時の野菜の絵がたくさん載っていたのを思い出したからでもあります。その本には何とヒシがちゃんと真っ黒な姿で貫禄充分に描かれていて、当時の人がよく食べていたことがわかります。ヒシはマニマンが生まれるちょっと前までは、日本中の田んぼで育てることを奨励されていましたから、珍しくなったのはそんなに古いことではないのです。ところで、ヒシは北海道ではペカンペと言って、やはりよく食べられていました。この発音は何となくピカポロンツァを思わせます。ひょっとしてアイヌの人々はスロヴェニアと関係があるのかなとマニマン勝手な想像をしてしまいます。
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