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●「songs and views of THE MAGNETIC GARDEN」
梅が咲き始めた。徒歩10分ほどのところに白梅の古木がある。それを毎年通りすがりに見るともなく見てもう20年以上になるが、ここ10年ほどは特に気になっている。ほかにも白梅は咲いているところがあるが、古さの点ではかなわない。



だが、剪定がよくされて格好よく咲いているのではない。かなり放ったらかしで、周囲も雑然としている。それが難と言えば難だが、何だかその雑然さが自然のままでかえってよいとも思える。あまり手を入れ過ぎた庭というものは、襟をただして見なければいけない気がしてのんびりと寛げない。庭に凝って造作をいろいろする気持ちはわかるが、その一方で熊谷守一の家の庭がそうであったように、雑草も何かもかもそのまま伸び放題というのもいいように思う。自然は本当はそういうように出来ているからだ。それはさておき、あちこち歩いていると、どういうわけか好きな場所というのがある。それは気に入った何かがそこにあるからだろうが、そうとも言えないところがあって、霊感が反応すると言えばよいか、何とはなしに引きつけられ、またその一方で、妙に行きたくない場所というのもある。そういう勘は何も場所だけに限らない。人や物もそうだ。そのようにして人間は自分の領域というものを形作る。それは今日取り挙げる音楽にかこつければ、磁場の作用ということなのかもしれない。実は昨日、自転車で通りすがりに先の古木の花が咲いているのを知ったが、用事を済まして帰宅した後、もう一度徒歩でその場所に行って写真を撮ろうかと思いながら出そびれてしまった。それで昨日とちょうど同じ時間帯、午後2時頃にデジカメ持参で歩いてそこに行って来た。残念ながら電池が切れていて、1枚しか撮影出来なかったが、それをどうにかトリミングして下に掲げる。●「songs and views of THE MAGNETIC GARDEN」_d0053294_11135690.jpgで、帰宅した後、今日の長文に何を書こうかと思いながら、ふとアルヴィン・カランの「磁場庭園の歌と眺め」が浮かんだ。これには驚いた。最近全く思い出すこともなかったのに、なぜか曲の雰囲気が向こうから突如やって来た。これを霊感と言うのは無茶で、実際はこの曲の世界がちょうど今こうして書いている初春の天気のよい頃にぴったりとしていて、毎年今頃になると聴いて来たからだ。つまり、ある季節のある天候のある時間帯にふさわしい世界をこの曲が持ち合わせているのだ。そのため、急にこの曲を思い出したことはむしろ当然過ぎると言わねばならない。その意味で、今ここにすぐに書くことになったのは、めったにない絶好の機会であって、今日を逃せばもう来年あるかどうかもわからない。
●「songs and views of THE MAGNETIC GARDEN」_d0053294_186053.jpg この「曲」と書いているが、実はアルバムは切れ目なしに演奏される6曲から構成されている。そのため、正確にはこの「アルバム」と言うべきだが、ある曲のみを選んで聴いたことがなく、必ず最初から最後まで通して聴くので、アルバム全体を1曲のように思っている。この点は交響曲と同じと言ってよい。1993年発売の輸入盤を中古で買ったのは発売後1年ほど経った頃だったと記憶する。アルヴィン・カランという音楽家はそれまで知らなかった。そしてその後もTZADIKから出た「THEME PARK」ともう1枚何かを買った程度で、決して詳しくは知らない。だが、詳しく知りたいともあまり思わない。筆者にはこの「磁場庭園」のみで充分に思える。「THEME PARK」を聴くと、カランがこのアルバムとは全然違う世界を繰り広げる才能を持っていることはよくわかる。だが、このアルバムに耳馴れた立場からすれば、それは全然別人の音楽で食指がさほど動かない。1、2度しか聴いていないのでもう少し聴き込むとまた感想も変わるはずだが、最初の1、2度で手応えが得られない音楽はなかなかその後も名盤になる見込みはない。これは耳障りがよい音楽かそうでないかを言っているのではない。もっと深いところでの反応、それこそ磁場に引き寄せられるかどうかであって、一般には非常にグロテスクなものでも、自分にとってはかけがえのないものである場合はしばしばある。とはえい、この「磁場庭園」はそういう特殊な音楽ではない。だが、耳障りのよいことだけを狙ったポピュラーなものでもない。カランはこの音楽で実に楽しく自分の人生と身の回りのことと対話をしている。カランにとっての好きな場所、それこそ引き寄せられる磁場を念頭に置いてのスケッチの積み重ねを通し、あたかも春の絵巻と言える音楽ドラマを構成してみせた。映像的な音楽と言えるが、何を思い描こうと自由で、ただ春先の懐かしいような空気をぼんやりと思い浮かべるだけでもよい。桃源境という言葉があるが、筆者はまさにこの音楽からはそれを思い浮かべる。そしてとにかく心が落ち着く。筆者にとってそういう音楽は決して多くない。それゆえ、この音楽を今年の春もまた思い出し、こうして聴きながらこれを書く幸福を思わないではいられない。人生に永遠というものがあるとすれば、今まさにこの瞬間という気がする。
 この音楽は1993年にCATALYSTというレーベルからCDの形で出たが、本当は1973年に初のソロ作品として世に出た。93年のCDは75年の演奏をまとめたもので、収録時間からしておそらくLPで発売された。また何かで読んだことがあるが、2時間ほどの演奏もあったようで、それを発売するとなると2枚組CDとなるが、ぜひとも出してほしいものだ。CATALYSTレーベルは当時面白いアルバムをいろいろと含んでいて、筆者も10枚ほど所有しているが、その後あまり見かけなくなったので、あるいはもうなくなったのかもしれない。パソコンで調べればすぐにわかるが、いつも書くように、これは別室でワープロを使って書いているので、確認が面倒臭い。CATALYSTは「語りスト」で「語る人」という意味のようで面白いが、これはもちろん「カタルシス」(触媒)から来ている。音楽による刺激作用を目指した名づけたのだろうが、確かにそんな意味合いにふさわしい音楽を主に取り揃えていた。どんな音楽でも刺激はあるが、「カタルシス」の言葉の意味にある「物事を促進させる」という意味合いでのものはそんなに多くない気がする。だが、この「磁場庭園」を聴いて、さまざまな音楽をよく知る人は、すぐに作曲された時代を言い当てるだろうし、また簡単にシンセサイザー音楽と分類して、それで納得して終わってしまうかもしれない。どんな対象でも自分の頭のどこかの部屋に収まらない限り、それは消化されたものにはならないから、人はいくつもの分類という手段によってある対象を力づくで理解しようとするが、そのことでその対象の命のすべてがわかるはずはあり得ない。芸術はある時代特有の手法や様式を使って表現されるが、それは人間で言えば衣装のようなもので、内面の精神は別なところにあると言ってよい。表現の手立てとして使用する楽器や音楽のあらゆる形式をみな越えたところに、表現者の魂がふと一瞬立ち現われるものではないかと思う。そんな気づくかどうかわからない、それでいて確実に存在するきわめてかすかな何かを聴き手は求めてさまざまな音楽を聴こうとする。そして、たまたま中古店で安価で出ていたので買ったが、それが思いのほかよく、おそらく磁場か何か、目に見えない吸引力によって筆者はこのアルバムに出会ったのだと思う。自分にとっての大切なものとはだいたいそのようにして出会うことが多い。強く求めなくても、向こうからやって来るのだ。出会いは磁場作用で、地球上は無数の磁場庭園から出来ている。
 「磁場庭園」は確かに70年代半ばの音をしている。だが、ジャズやポップスにシンセサイザー音楽と部分的に音色が似るのは当然としても、ここで表現される世界はカラン以外にはない独自のものではないだろうか。あまりさまざまな音楽を知らない筆者には詳しくはわからないが、直観でそう思う。それはひとつには、この音楽には商業的に当てようといった思いが皆目見当たらないからだ。つまり、簡単に言えば商業的な胡散臭さがない。だが、これはジャズやポップスを歓迎する向きからすれば逆効果を与える。現代音楽特有の素っ気なさ、冷たい素振りと思われるからだ。しかし、そんなところもまたこの音楽にはない。となると、ジャズやポップスでもなく、また現代音楽でもないということになるが、確かにそうとしか言えないような内容をしている。ジャンルを越えていると言えば、それがまたなお色眼鏡で見られる理由になってしまう不幸が現代の音楽業界にはあるが、そんな難しい時代にとにかくカランのこの音楽は際どく立っている。カランはさほど有名ではないだろうし、このアルバムも品切れになっているところを見ると、あまり売れなかったのだろう。だが、そんなことは筆者にはどうでもよい。自分が毎年聴きたくなる時があるというので充分ではないか。このアルバムが世界で重要なベスト10に入ろうが、あるいは1000枚しか売れなかったものであろうが、自分にとってよければそれでよい。部分的にはテリー・ライリーのインド的瞑想を意識した部分も濃厚に持つが、カランはアジア的神秘主義に傾くよりも、ここではイタリアにどっしり居を据えてその自然や伝統を見つめているところが別な重厚感を音楽に与えている。とはいえ、シンセサイザー音楽から想起する大げさな音では全くなく、むしろどこにシンセサイザーを使っているのかと思わせるほど素朴で風通しがよい。今急に思い出したが、ある意味ではアル・ディメオラの「ワールド・シンフォニア」の一連の音楽のサウンド・スケープ版といった趣と言えばいいかもしれない。イタリアに根ざしながらの世界主義と言えばよいか、確かに異国なのだが、日本にもあるいは世界のどこにでも普遍的に存在する空気を表現し得ている。
 カランは1938年生まれで、エリオット・カーターに学んでいるから、アメリカのクラシック音楽の正統派に連なると言ってよいが、ジャズも同時に勉強している。そしてどういうわけか60年代終わりからイタリアに住み、同地のメンバーとムジカ・エロクロニカ・ヴィヴァというグループを結成した。これは「電子音楽万歳」と訳せるから、まるで当時のヨーコ・オノ風で笑わせるが、そんな活動の中からこの「磁場庭園」が生まれた。つまり、曲想のあちこちにイタリア的な雰囲気が濃厚にあるのはそんな経歴による。何がイタリア的なのかは具体的に表現しくいが、遠くで犬が吠えていたり、のんびりした雰囲気のメロディが続いたり、あるいはイタリアの民謡の断片が女性によって歌われるなどによって相乗的に作り上げられる。その音のコラージュ的な部分だけを見れば、ごく月並みな、よくある手法と言ってよいかもしれないが、全体の中にそれが収まると、また感じが違って来る。6曲を切れ目なしにつなぐという手法は、ポップスでも当時はごく当然の手法としてあったので、新鮮さよりもむしろ常套手法に厭味を感ずる向きもあるかもしれない。だが、ここでは6曲が実に巧みに配置構成されている。起承転結がはっきりしていると言えば、これもまた聴かずともわかる、つまり欠点として捉えられるかもしれないので、そのように断言するのは差し控えるが、それでもこうでなければならないという配置で6曲は並んでいる。最初に「何だかその雑然さが自然のままでかえってよいとも思える。あまり手を入れ過ぎた庭というものは、襟をただして見なければいけない気がしてのんびりと寛げない。庭に凝って造作をいろいろする気持ちはわかるが、その一方で熊谷守一の家の庭がそうであったように、雑草も何かもかもそのまま伸び放題というのもいいように思う。自然は本当はそういうように出来ているからだ」と書いたが、このアルバムにはそれと同じことが言える気がする。おそらくどの部分も適当に引き伸ばして2時間や3時間を演奏することは可能だ。6曲のタイトルを順に書いておこう。「広場の部屋から」「水晶のメロディ」「家路へ」「グリ・スカリオランティ」「私のサテンのハープで」「ハーモニーの農場にて」。
 さて、こうして書いていて、リピートで鳴らしているアルバムがまた最初から始まった。夕日が山の向こうに隠れようとしているが、カランのこの音楽の素晴らしさは、自然を気づかせてくれるところにあると思える。光、雲、虫、鳥のさえずりなど、自分が普段あまり意識していないものを改めて思い出させてくれる。そうなれば、本当はこの音楽など不要でもあるかもしれない。その論法で行けば、すべの芸術などなくてもよく、ただ自然さえあればいいことになる。だが、なぜ人間が芸術を作ろうとするのか。またそれを感じる心があるのか。それはひとつには芸術を通して、より自然をよく見つめることが出来るからだろう。今日は白梅を見て写真に撮ったが、帰宅してすぐにこのアルバムを思い出したのは、先に書いたように、ちょうど今日のこの天気のある一瞬が筆者の中では分かち難くこのアルバムと結びついているからだ。これは自然はなくてもこのアルバムさえあればいつも同じ自然を想起出来ることを示すかもしれない。おそらくそうだろう。このことは自然の方が常に大きく無限であることを思えば、すごいようでもあり、また不幸でもあるだろう。だが、ふと考える。自分がもっと老いて病院の床で死を待つばかりになっているとして、もし窓の外に春の気配を感ずることが出来なければ、ぜひともこの音楽を小さな音で鳴らして、かつてあったかすかな春の微笑みの光景に浸りたいと思う。いや、窓の外から白梅の開花が見えていたならばもっと幸福だ。自然の美しさもよいが芸術のそれも欠かせない。両者が磁力で強く結び合っているのを感じる時、人間はさらに幸福になれる。本作は筆者にとってそんな数少ない音楽のひとつなのだ。
by uuuzen | 2007-02-16 18:08 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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