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●「WE WILL MEET AGAIN」
浜で74年続いたジャズ喫茶が閉店したとTVが伝えていた。昨日はそう言えば、島根にあるルイス・C・ティファニー美術館が来月閉館するとも新聞記事にあった。



●「WE WILL MEET AGAIN」_d0053294_0465456.jpgこの美術館は去年の正月明けに行ってこのブログでも感想を書いたが、行っておいてよかった。それにしても出来てまだ数年だったと思うが、儲からないとなればさっさと閉館か。雪に閉ざされる島根の海辺近くでは、訪れる人もまばらなのはわかるが、それはもとより承知であろうし、誘致した自治体は残った植物園や教会などの施設を今後どう活用するのだろう。それがふと心配になる。また別の美術館がコレクションを持って同地に行けばいいようなものだが、はたしてそんな収集品を誇る企業があるのかどうか。横浜のジャズ喫茶がなくなったのは付近一帯が再開発されるからだ。巨大なビルか何かが出来ると、その中にまた入り込めばいいようなものだが、そんな資金はないのだろう。それにオーナーも高齢で、ジャズを喫茶店で聴くという人種自体がもう化石化している。とても新しい場所を借りてまではやって行けない。西梅田にも30年ほど前にひとつあったが、その閉店後に訪れて、がらんとして何もない中に入った時のことをよく記憶している。さて、TVを見ていて、そのジャズ喫茶が最後に鳴らしたレコードが、設立オーナーが一番好きであったビル・エヴァンスのアルバム『Waltz for Debby』とのことだ。実は今それをBGMにしながらこれを書き始めた。そう言えば毎年今頃になるとビル・エヴァンスを聴きたくなる。あるいは真夏に聴きたくなる盤もあるが、筆者が一番好きなのが、一番最初に買った『You Must Believe In Spring』で、もう20年近くなるだろうか。ビルの大ファンというほどでもないので、名盤を全部揃えるほどではない。今後もそうだろうと思う。だが、『You Must…』だけは何度聴いても飽きない。ビルの演奏を全部聴いたことがないのでわからないが、おそらく最高傑作だと思っている。最も寒い季節の2月にこれを聴くか、シューベルトの『冬の旅』を聴くか、ちょうどいい勝負で、今後もずっと決着はつかないだろう。世間が名盤と言っていても、自分が納得出来ないことにはそうではないわけで、『冬の旅』は20歳頃に最初に聴いてその後20年は少しもいいと思わなかった。いや、その間まともに聴いていなかった。だが、ある日急に啓示があった。好きな音楽との出会いはそんなものだ。世間の評価などどうでもよい。名盤であるから本当によいと納得出来ることなど実はほとんどないのだ。それを言えば、筆者がここでビルを褒めるのは何だか変だが、ただ自分の経験をひとりごとしているだけに過ぎない。
 ビルの『You Must…』はたまたま中古でCDが安く売られていたから買った。そのことがなければ今も出会いはなかったかもしれない。たまたまかもしれないがそれが運命的な出会いというもので、人生とはそんなことの連続だ。ともかく『You Must…』を最初聴いた時、いかにもああジャズだなあと思った程度だったが、何度か聴くうちにのめり込んだ。ほかに似た音楽を知らなかったからだ。本当にビルの音楽の魅力はそれにつきるかもしれない。ピアノとドラムとベースというジャズ・トリオであるから、似た音は本当はたくさんあるのだろう。だが、それでもビルでしかない世界がある。それは静かに小さな声で心に芯に直に訴えて来るもので、一旦その感覚を記憶すると、心の中にずっと小さな消えない炎を灯した気分になれる。それは大風ですぐに吹き消えてしまうほど小さいものに見えて、実際はどういうわけかどんな強い風が吹いても消すことは出来ない。そうであるから、ビルをちょっと聴いて「ああ、ただのおじさん向きのジャズだね」などという意見を耳にするものならば、『ちぇっ! あんたに何がわかるんだよ!』と激怒したくなる。ま、そんなわけで筆者はあまり人に好きな音楽を明かしたくはない。いつも書くように、本当にそれを必要とする人は必ず自力でものにする。そうでないようなものは最初からその人にとって毒にも薬にもならない。自分の足と目と耳で出会ったものの中から見出すという労苦を通さなければ、たとえ世間でいいと評価されるものでも宝物にはなり得ない。金やダイアモンドは誰にとっても高額なものだが、芸術は必要な人には価値があるが、そうでない人にはゴミにもならない不要なものだ。その意味でビルの音楽に少しも感動しない人は大勢いることだろう。それを芸術を理解しない人と謗っても始まらない。好きな人だけが好きであればいい。そしてビルの音楽が好き人はそのことを生涯大事に心の中で保って行くことだろう。そういう共有観念があるだけでよい。ビルのファン同士がそのよさを語り合うということも必要ない。自分の心の中にビルがそっといるだけで満足なのだ。これはちょうど片思いしている時の心の充実に似ているかもしれない。今『Waltz for Debby』を聴いていると、演奏に混じってグラスをガチャガチャ鳴らす音が聞こえる。みんな一杯飲みながら演奏を聴いていて、それを録音したからだ。真面目に正座でもしてクラシック音楽を聴く人にとってはこういう録音そのものが気に入らないかもしれない。だが、寛ぎの音楽があってよいし、寛ぎの中に真実がないと誰が言えようか。
 ビルの音楽がムード音楽のような寛ぎを主な目的にしたものと言えば、これは正しくないだろう。3人が即興で繰り広げるスリリングな調和という点ではジャズの定義そのままだが、3人は競争しているのでもないし、かと言って何かひとつの目標に向かって手をつないで仲よくやっているという風でもない。聴き手は時に3人全体の演奏を聴きながら、誰かひとりの音に耳を澄ます。そして3人がそれぞれの世界観を持っていることに気づく。それでいて音楽はひとつで、そこに人間世界の理想的な姿の縮図を見る思いがすると言えばよいか、とにかく人生のさまざまなことが次から次へと脳裏に想起され、これこそ人生だなという気分にしばし浸れる。その意味で、いい年をしたおっさんがグラス片手に聴くのにふさわしい音楽と言う表現は正しいかもしれない。だが、誰しもそんな年齢に達するし、そんな年齢の人々のための音楽は必要だ。永遠などという陳腐な言葉を持ち出すのはビルに失礼かもしれないが、とにかく人間の何か真実に触れることを表現し、それを聴く者にそっと気づかせる。ビルが麻薬中毒者で、晩年は身なりもかまわずボロボロ状態であったといったことはどうでもいい。とにかく、ビルは音楽の力を信じていた。これが一番大事だ。何も信じないということを信じていれば、それはそれなりに何か見事なものを生むだろうが、たいていは中途半端なのが人間で、何かわかったような感じで人生を消耗し、ふっと世の中から去る。(中断)気分が乗らないので、今階下に行ってしばし休憩した。グラスにウィスキーを注いで持って上がり、またワープロのスイッチを入れたところだ。今日はまさかこの曲を取り上げることになるとは全く思いもよらなかったので、思いつくままだらだらと書くしかないが、それでも今日を逃せばまた鬼笑いの来年2月になってしまうのでちょうどよかった。BGMは『You Must Believe In Spring』に変えた。このCDはジャケットがとてもいい。ベージュ色地に表現主義的な冬枯れの木立が描かれ、地面には水が溜まっている。春のぬかるみまでもう少しといった季節だろうか。『春を信じなさい』と訳せるアルバム・タイトルは、2番目の曲名をそのまま転用したものだが、筆者が好きなのは4番目の「We Will Meet Again」だ。これはビルの代表曲のようで、別の日に演奏したものもあるようだが、まだ聴いていない。もう10年ほどになるか、ギタリストのジョン・マクラフリンがこの曲をギター・アンサンブルで録音したことがある。すぐに買ったがやはりビルの演奏とは味わいがかなり異なる。ギターなので鋭利な感じが強調され、華麗に変化したのはいいのだが、楽譜どおりに演奏している感じが強くてスリルさには欠ける。それは伴奏部分を3人かのギタリストに演奏させるため、楽譜に書き起こす必要があったから当然だが、そこからわかるのは、ビルの音楽の神髄は3人の息のあった即興にあるということだ。
 前に書いたことがあるが、ビルの名前を最初に教えてくれたのは、大阪に住んでいた頃、近所のジャズ・ピアニストの兄さんと久しぶりにばったりと会って、そのまま家にお邪魔して教えてもらった。その時、レコードはかけてくれなかったし、貸してもくれなかったが、アメリカの白人でビル・エヴァンスという名前を記憶した。どこにでもあるような名前なのに、不思議なことだ。もうひとりクラシックではラヴェルのピアノが好きと耳にしたが、ビルやラヴェルの音楽を実際にいいとわかるまでに20年かかった。そんなことを筆者に教えてくれたその兄さんとはそれ以来会っていない。筆者が引っ越しをしたからだが、今も元気にしているかどうかはわからない。ピアニストの仕事はとっくにやめたと風の便りに聞いたが、筆者が今ここでこうして兄さんに教えてもらったピアニストのことを書いているとはきっと夢にも思わないだろう。記憶とは不思議なもので、昔であるほど本当はぼんやりと消えて行くはずなのにそうではない。むしろごく最近のことでもすっかり忘れていることなどいくらでもある。兄さんの家で喋ったことは今でも鮮明で、30数年も経ったことがとても信じられない。「We Will Meet Again」は「また会いましょう」という意味だが、人間は記憶の中ではいつでも会えるし、会ってもいる。これは死者であっても同じことで、つまり別れなど人間には存在しないと言える。であるに、この曲名がいかにも悲しいのはなぜだろう。先に何が起こるかわからない年齢になると、「また会いましょう」は「さよなら」以上に何だかさびしい響きを持つ。また会いたいという意思を持ちながら、会わない、会えないからで、つまり別れは人間には不可避ということだ。だが、それでも「また会いましょう」はいい言葉だ。そこには約束や希望がある。会えない、会わないのは双方ともよくわかっていても、ひょっとすればまた会えるかもという思いがあるのは心に明かりを灯し続けることだ。また話は戻ったようだが、ビルの演奏を聴いていると心の中がほんのり明るくなる。それがたまらない。特に冬の寒い日にビルの演奏を思い出すと、それだけで寒さの中に暖かさが感じられるほどだ。だが、こんな記録的な暖冬の季節では気分も台なしか。いやいやそうではない。木々はすっかり枯れて裸ん坊であるし、風景はちょうどこのアルバムのジャケットのように見える。ああ、そんな冬の寒いある日に下鴨のとある目立たない喫茶店でケーキと一緒にコーヒーを飲んだことがあった。その店はもうとっくになくなったが、あの時はビルの演奏は流れていなかったのに、今こうして音楽を聴いていると、その時の気分がまさにぴったりだ。
 ビルは1929年生まれで1980年に死んだから、享年51だったが、最初に書いた横浜のジャズ喫茶は1933年に出来たというから、ビルと同世代でより長生きした。その店が最後にかけたレコードがビルのものであったという事実をジャズに関心のない人は心のどこかにとめて置いても損はない。世の中は何でも即席で納得出来るものばかりではない。20年や30年かかってようやく自分のものになるものがあってよい。筆者はそのようにして近所の兄さんから名前を教えてもらった時からようやくビルの音楽と再開したようなものだ。「We Will Meet Again」は「For Harry」という副題があるが、これは友人の追悼のために書いたものだろうか。調べればわかることだが、まあいい。もしそうだとしたら、「おれももうすぐそっちに行くからな」という意味にも取れて、この曲の味わいにまた別の何かが足されるような気がする。短調のワルツで、短い主題をテンポを変えながら何度も繰り返すが、しみじみとしたピアノ・ソロの序奏から始まって、やがてベースとドラムスが参加し始めると速度も増して一気に輝くばかりの色合いで音楽が展開する。ベースはエディ・ゴメスで、これは長年ビルの相手を努めたスコット・ラファロとは演奏がかなり異なるらしいが、筆者はそこまでわからない。本曲ではとても息が合っているように思う。中間部は特にベースが活躍し、その背後で鳴らすビルのピアノもまた絶妙のシンコペーションの間を取りながら味わいを紡ぎ出す。そして今度はビルの一音ずつはっきりと鍵盤を叩くソロが始まるが、それを聴いていると実にさまざまな思い出がふつふつと蘇る。それは聴くたびに異なるもので、ある特定の何かに結びついているものではない。だが、過去の何かであることは確かだ。主題はどこかシャンソンの名曲「巴里の空の下セーヌは流れる」に似たところがある。そのように似た曲を考え始めれば、ビルのほかのオリジナル曲も何かにヒントを得たものであるよう に思えて来るし、実際そうだろう。ビルはクラシック音楽も勉強したから、そうした名曲の断片が形を変えてそっと忍び込んでいるかもしれない。それを謗ることはない。似ているを言い始めれば切りがない。短調の曲はみな似ているし、ワルツはどれもそうだろう。そんな似たものが膨大にある中で、それでも際立つものがあって、そういう音楽にビルのものもある。おっさんがグラス片手に聴くような音楽であっても、おっさんの中にはただのおっさんでない人もいる。そこを見当違いすると、痛い目に会いますよ。おじさんの言うことを信じなさい。いや、春を信じなさい。いつかあなたもわかります。
by uuuzen | 2007-02-02 00:47 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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