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●古い街を行く
手な思い込みかもしれないが、大阪人は比較的よく京都に出かけるのに、京都人は大阪をかなり遠いところと感じている。これは江戸時代から変わらないと思う。



人々の意識は百年や二百ではそう簡単に変化しない。それと同じ理屈で言えば、江戸時代に比べて今や大阪も京都のどんな辺鄙な場所でもそれなりに人が多く住むようになってはいても、江戸時代にさびしかったようなところは今でも相変わらずそんな雰囲気がどこかにあるのではないだろうか。もちろん、道頓堀のように、かつては墓地であったような場所がすっかり再開発されてとんでもない賑やかな場所になっているところはあるが、そうした例外はさておいて、つまり日本全体が裕福になってあらゆる場所がその恩恵を被った、あるいはその反対に浸食されたと言い換えてもいいが、江戸時代にあった格差はそのまま今も存在しているという見方だ。これはたとえば今の日本の地方都市と東京などの大都会を比較すればよくわかる。日本のどの都市でもみな同じようなたたずまいになり果てたとよく言われるが、地方都市は財政のやりくりに苦しみ、東京のように次々と建物を建て替えたり、新しい施設を作るという贅沢が許されなくなって来ている。そんなニュースをよく耳にするにつけ、ふと江戸時代のことを思ったりする。その頃はまだ地方ごとにそれなりにさまざまな特色を誇っていたのではないだろか。そんな昔に戻ることはもう不可能で、今ある状態でどうにか辻褄を合わせて行くしかないだろうが、九州の大分の何とかという町が昭和をテーマにした商店街によって観光客を招き入れ、それなりに自己主張していることがTVで頻繁に取り上げられているのを見ると、よくやっているなあと感心する一方、そうした旧式の、いわば東京から見れば、とっくに廃棄処分して不要になった文化を売り物にするしかない地方都市の悲哀が露で、さていつまで人々が関心を抱いてその地を訪れるだろうかと心配にもなる。そんな地方のごく小さな町に比べると、京都は長い文化の歴史的蓄積があり、そこにあぐらをかいている雰囲気がなきにしもあらずで、そのために京都人は大阪をよく知らないし、またわざわざ行く必要も感じていない。実際京都に長年住んでわかることは、京都人がいかに大阪人を蔑視しているかで、とかく柄が悪い、金にがめついといったマイナス・イメージしかないのにはいささか閉口する。しかし、そんな紋きりの印象を抱く人はだいたい京都人ではなく、京阪神以外の地方からやって来ている場合が多い。東京はさらに田舎者が集合しているとはよく言われるが、そうした人々が自分の多少の経験から他国人を推し量る様子は、腹立たししいと言うよりいかにも田舎人根性に見えて哀れに思える。
 京都は日本の精神的な中心地といった表現がされる。だが今の京都を見ていると、それこそ何だか腹立たしいことがよくある。昨日は急に用事が出来て妹の家に行った。同じ市内に住んでいても電車とバスに乗り継いでちょうど1時間かかるが、つい先日まであったヤフーのネットが無料で出来る店が閉鎖されていたことに気づき、同じようにすっかり建て変わった店を何軒か見つけて驚いた。これはおおげさではなく、毎日必ずどこかの店が潰れ、新しい店がオープンしている。これが京都市内の実情だ。本当のこの10年でもすっかりすべての店が変わったと言っても過言ではないほどだ。経済の原理なので仕方ないのだろうが、もっと街の景観を真剣に考えることが出来ないものかと思う。寺社以外の京都の町並みのどこに京都らしさがあるかと言えば、これはもう皆無で、大阪や東京と何ら変わらない。京都は今、ヨーロッパの街によくあるような路面電車を市内に新たに敷設しようと計画している。市電を取り払ったのは一体何であったのかと思ってしまうが、都市計画が100年単位ではなく、20年単位程度もないので、こんな行き当たりばったりの交通計画も持ち上がる。筆者は昔から思っているが、京都は京都駅南に大きな駐車場を作って、外からやって来る車はそこにプールさせ、それ以北には一切入れず、路面電車を利用させるくらいの思い切った行政をした方がいい。中途半端で茶を濁している限り、また新たに路面電車を設置してもすぐに廃止されるに決まっている。話を戻すと、わが家から妹宅へは、うまく電車やバスの乗り継ぎが出来ない場合は、もう30分ほど余計にかかることがある。大阪の梅田まで1時間要しないことを考えると、この交通機関の歪な発展具合はどうしたものか。直線距離で8キロも離れていないところに行くのに90分、その5倍の距離がある梅田に1時間未満という事実は、いかに京都市内の各所がいかに隔絶して存在しているかをよく示すが、これも溢れ返る車のせいだ。車を利用するより自転車の方が早いという漫画的状況が京都には慢性的に存在するが、そんな街が本当に日本が誇るところなのかいなと野次を飛ばしたくなるが、この交通の悪条件もひとつの原因となって、京都人は京都でさえ隅から隅までよくは知らない。そういう閉鎖的な状態にあれば、大阪を遠い野蛮な地と思うことは当然だ。京都に30年近く住んでいる筆者は大阪人気質が抜けないのか、あるいは京都人から歓迎されていないだけなのか、今も居心地を悪く感じ続けていて、この状態はこれから死ぬ寸前になっても変化ないと思うが、さて、今からまたどこか全然違った地に住もうかという気もないので、エトランジェとしてこのままぐずぐず言いながら、朽ち果てて行く家に住むことになるだろう。そうそう、思い出したが、92年にフランクフルトに行った時、そこでずっと住んでもいいかなと感じた。やや下町風のところは特にそんな感じを抱いたが、ボンに生まれてそこでずっと住むドイツ人とその後文通が始まり、彼がフランクフルトのそうした下町へはもう行きたいとは思わないと書いて来たことがある。ボンの美しい場所に住んでいればきっとそうだろう。それは京都人が大阪のごみごみしたところを嫌悪するのとよく似た感情ではないだろうか。だが、下町育ちの筆者は商店街特有のごく普通のおばちゃんやおっさんが歩いているような雰囲気が好きで、出来ればそんなところに住んでみたいと思うが、もう今さらこの年齢になると引っ越しも無理、その甲斐性もないというのが実情だ。そのため、たまにはそんな空気を味わう必要も感じて、とにかく大阪方面にはよく出かける。もちろん用事があってのことで、ただ散歩に出かけるというのではないが。
 筆者が大阪方面に出かけるのは必ずと言ってよいほど展覧会を見るためだ。美術館周辺と、そこに至るまでのルートで、点と線でしかない。そのため広大な大阪の面と呼べる部分を知るのはごく限られている。それでも京都に来てからは、大阪にいた頃よりも大阪のあちこちに出かけるようになった。点と線でしか知らない大阪でも特に知らないのが此花区や西淀川区といった大阪湾に近い方面だ。そこには美術館がないので行く必要がない。だが、つい先日面白いことがあった。今日はそれを書いておきたいと思いながら、京都をだしにぐだぐだと長い前置きを書いてしまった。本当は展覧会の感想にしようと思ったが、ちょっとそんな気分にはなれないので、たまには展覧会を見る前後の道すがらのことを書いておくのもいいかと思った。14日の日曜日、家内と一緒に兵庫県立美術館に『ピクサー展』に行った。その日は同展の最終日で、午後2時頃に家を出た。本当は午前中に出かけたかったが、いつも携帯して行くメモ帳が見つからず、それを探すのに1時間かかった。いつも探しものは20年ほどかかるので、1時間で見つかったことは幸運だ。で、慌てて阪急電車に乗って美術館に行ったが、国道2号線を越える陸橋を下りたところのすぐ左手、美術館から500メートルほど手前にいつも車で行商に来ている露店でまず足を止めた。いつもは弁当やおかずなど、違う業者なのだが、その日に限って神戸の洋菓子を売っているおじさんがいた。同じような露店業者としては、大阪の天神橋筋商店外の天四辺りにもひとりいるが、筆者は必ずと言ってよいほどそうした業者のところでは立ち止まって何か買う。それで、早速広げられていた洋菓子を順に見て適当に買った。菓子は有名な店が作っているものだ。たとえばパウンドケーキの端を切り落としたものや、欠けたクッキーなどをビニール袋に詰めて格安で売っている。あまりに安いので数種類買ったが、美術館に向かうどの人も立ち止まって買おうとはしない。露店のため、信用出来ないとの思いがあるのだろう。
 無口だがいかにも人のよさそうな田舎っぽいおじさんは、車の中で寝ていたが、筆者らが菓子箱に接近すると笑顔で近寄って来た。そうするともう買わないわけには行かない。ビニール袋には当然洋菓子メーカーのラベルは貼っていないから、それらは本当に有名メーカーが作ったものかどうかの保証はないが、たとえばレーズン・パイが数十枚も入った袋があって、150円だったと思うが、後で早速1枚食べて見ると、紛れもなく有名メーカーと同じ味がした。他の菓子も同様だ。会社としては製造工程で確実に出る歩留り品を捨てることはせずにどうにか業者に引き取ってもらっているのだろう。と、そんなことがあって数日後、不二家のニュースがあった。露店業者が信用出来ないのではなく、むしろ大手の大量生産品自体が信用出来ない。かつて町中の駄菓子の大腸菌検査を実施したところ、予想外にも全く安全であることがわかったというニュースがあった。だが、大手有名メーカーの同じような菓子が検査不能なほど無数の大腸菌があったわけで、何事も大手が信用出来るものでないことはこのことでもわかる。これは食べ物屋、つまりレストランでも同じだ。高級と言われるところほど実際はえげつないことをしているということを、80年ほど前にジョージ・オーウェルが体験談から書いていた。日本でもよく有名な料亭が食当たりを出して何日間かの営業禁止処分を食らうが、そんなニュースに接するたびに、何でも自分で作って食べるのが一番と思う。見栄えがいくらきれいでも、中に何が入っているかわからないと疑ってかかっていい加減なのが、現在の有名メーカーの真の姿だ。もう半世紀近くも前だが、不二家はアメリカのTVアニメ『ポパイ』のスポンサーになって日曜日の夜はよく宣伝を流していた。当時筆者は不二家のミルキーなどはよく食べてはいたが、そのアメリカ金持ち主義を標榜するようなコマーシャルがどうも嫌いであった。経済的に貧しかった自分とは無縁の世界を感じていたからと言うより、派手なコマーシャルの下の虚飾を見ていたからだ。わずか10歳かそこらでも敏感にそうしたことはわかるものなのだ。
●古い街を行く_d0053294_19272074.jpg

 『ピクサー展』を見た後、また同じ露店業者のところを通りかかると、車の中で寝ころんでいたおじさんはまた笑顔で出て来た。そこでもう一度ずらりと並ぶたくさんの菓子を順に見て、またひとつ買った。時計が5時を指していたので、もうそのまま帰宅してもよかったが、その日は時間があれば出かけようとしていた展覧会がもうひとつあった。大阪港にあるサントリー・ミュージアムでの『ポンペイの輝き』展で、幸いなことに夜7時半までやっている。神戸からそっちに向かって1時間ほどかかるとして、1時間半は鑑賞に費やせる。そう踏んだが、昼御飯も食べずにいる。どこかで何かを食べる必要があるが、美術館近辺はろくなところがない。それでとにかく大阪に出ることにした。だが、ここで筆者の冒険心が出た。阪急ではなく、その手前にある阪神電車に乗ろうとしたのだ。上り坂を阪急電車の駅まで歩いて行く気力がなかったからでもあるが、たまには阪神に乗るのも楽しいと考えたのだ。そして、電車賃を見て、ふとあることに気づいた。梅田に出ずに、どこか途中の駅で下車して大阪港に行く方法がないものか。駅員に訊ねたところ、野田駅まで行ってそこで地下鉄に乗り換えるとよいと言う。野田駅には行ったことがないから、それは楽しいだろうと思って、そうすることにした。電車賃はその先にある梅田までと同じだが、サントリー・ミュージアムへの到着は、梅田に出るより10数分は時間短縮出来るはずだ。阪神電車に乗っていると、窓から見える浜側に夕焼けが始まった。これがきれいだった。冬の夕焼けはさびしいものだが、それがまたよい。それに阪神電車の車窓は見慣れない風景が続く。おおげさだが、ちょっとした旅行気分だ。デジカメを持参していたので、大石駅を通過する時に、向こう遠くに見える3つの赤いキリン状の港に設置されるクレーンを撮影した。それはひとつの思い出があったからだが、それについては書くのをよそう。電車の中で、筆者はまた急にあることを思い出した。野田で下車せず、尼崎から分かれて出ている線に乗り換えて、西九条駅まで行くことにしたのだ。
 尼崎西九条間の阪神電鉄に乗ったことは初めてだ。帰宅してネットで調べると、阪神電車のその西九条に至る線から見える大阪湾の夕焼けは昔から絶品と評されるほどの見物であるらしい。そう言えば、電車が西九条に差しかかるまで、本当に夕焼けの色が印象深かった。ごく普通の夕焼けで、別にオレンジ色が空を大きくも占めていなかったが、車窓からはいつまでも夕日を追うことが出来、夜を告げる濃い紫色の雲に上方から圧迫された夕焼けは、一種不気味なムンクの『叫び』にあるようなそれを連想させた。それがあまりに強烈な光景であったので、デジカメでシャッターチャンスをずっと狙っていたが、電車はついに終点駅の構内に入ってしまい、もはや高みから夕日を眺めることは出来なかった。大阪湾沿いを走る尼崎西九条間は、まだ戦後直後のようないかにも労働者が利用する雰囲気があって面白い。何かもかもきれいなタイルで覆い隠して洒落たビルにしてしまう必要は全くない。そんな軽い感じより、歴史の汚れのようなものがこびりついているものの方がいかに街の固有性にとっては大事か。終点の西九条駅で下りた時、何かが違うように感じたが、よく事情がつかめない。JRとは相互乗り入れしているが、古くて狭い構内の一角に駅近辺の地図があった。だが、それを見てもちんぷんかんぷんだ。全く何ひとつ知る施設もなく、方向もわからない。そこで駅員に訊ねた。「あのー、アーケードのある商店街はこの駅の近くにありますか」「あるにはありますが、ずっと先ですよ。その道をずっと行ったところです」「その先には大阪ドームがありますか」「ありますが、遠いですよ。ここではなく、もうひとつ次の駅で下りた方がいいです」。それがどうにも理解出来ない。それに、また電車に乗るのは癪なので、とにかくどうにか疑問を晴らそうとした。駅前を5分ほど右往左往していると、ヤンキーの若い男女がいたので声をかけた。「あのー、アーケードのある商店街はこの駅の近くにありますか」「えー、それは全然この辺りとは違いますよ。ずっとあっちの方で、次の駅です」。やはり同じ返答だ。そこでもう美術館に間に合わない気がしてタクシーに乗ろうかと家内に言うと、土地勘もなく、そうとう遠いかもしれず、それなり電車で一駅行った方が安いとの返事。それもそうかと思って、また地図のところに舞い戻ると、さっきからずっとその地図の傍らに立っていた40半ばの前歯の1本抜けたダウンジャケットを着た男性が話しかけて来た。ぷんと酒の臭いがする。「アーケードのある商店外はこの道の先にありますよ」。そう言いながら地図で方向を示してくれた。「この道を5分ほど行けばビルが見えます。そこにはエレベーターがあって安治川を下を潜るトンネルがあります。そのトンネルを越えて向こうに出るとすぐにアーケードの商店街が見えます。それを突き抜けると中央大通りで、それを越えてさらにまたアーケードの商店街があって、それを抜けた向こうが大阪ドームです」。これでようやく事情が飲み込めた。
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 西九条と九条がてっきりすぐ近くと思っていたのだが、かつて友人も言っていたように、双方は安治川を挟んで南北に対峙し、全然違う場所と言っていいのであった。もう5、6年前だろうか、地下鉄の九条駅で下車してシネ・ヌーヴォーという映画館にヘルツォークの映画を見に行ったことがあるが、それは中央大通りからまだ南で、阪神電車の西九条駅からは安治川トンネルを越えて徒歩で20分近くもかかるところであったのだ。それでも不親切なのは駅の地図だ。そこには安治川は収まっていたが、「トンネル」の文字もそれを示すべき破線もなかった。そのため、初めて訪れた人は誰もその橋のない川を無料でわたれるとは思わない。声をかけて来た男性は、筆者と家内が駅構内を出たり入ったりして口喧嘩しているのを最初からずっと見ていたのだろう。腹が減っているので、腹の立つ元気もなかったが、美術館の時間が気になって筆者は必死であった。それにしてもよく教えてくれた。ヤンキーの若いふたりにしてもそうだ。普通なら知らぬの一言で終わりだろうが、見かけによらずなかなか親切であった。大阪出身の筆者の身贔屓になるが、そういう優しさが大阪人にはある。ともかく、思わぬところで長年気になっていた安治川トンネルを通ることになったのはよかった。筆者の勘違いがなければこのトンネルはこれからもずっと通ることはなかったはずだ。そこでまたちょっとした旅行気分になり、写真も撮ったが、エレベーター内には明日15日からしばらく補修と点検があるといった告知紙が見えた。その前日に利用したことになるが、エレベーター内には自転車を利用する人々が多く、運転するおじさんも含めて、地元に欠かせないものであることがよく伝わった。このトンネルがなければ、4、5キロは遠回りして橋をわたる必要があるが、大阪の財政難によって、エレベーターを運転するおじさんを廃して、利用者が動かす案が浮上し、そのことがTVで相次いで報じられたのは、筆者らが利用してから1、2日後のことであった。数千万円程度がそのことで浮くらしいが、いくら財政が逼迫しているとしても、あのトンネルの無人化はよくない。その程度の金額なら、どうでもいい議員を2、3人減らせば済むように思う。
●古い街を行く_d0053294_1931191.jpg トンネルを越えて地上に上がると、暗闇の先に明るい長いアーケードの商店街がすぐに見えた。ほとんど人通りがないにもかかわらず、たくさんの蛍光灯がこうこうと輝き、あちこちの蛸焼きやお好み焼き店が下町情緒を高めていた。商店街の一歩裏は真っ暗な中に民家が接して建っているのが見えたが、そこがいかにも昔の大阪特有の味わいがあって、これはまた日を改めて歩きたいという思いにさせた。何だか筆者が10歳かそこらの当時に一気に引き戻されるような空気が漂っている。それは懐かしいと言うより、心のどこかをぷつんと突けば、一気に涙がほとばしりそうな、そんな自分の遠い過去そのままが見えそうな、つまりタイムマシーンに乗って過去に戻ったような気分にさせる奇妙な現実感が伴ってものだ。この数十年はいったい何であったのだろうと一瞬思わせられる感覚で、それは本当はものすごく怖い悪夢とも言えるものに似ている。最初の商店街を抜けて中央大通りに出た時にはすっかり夜になっていた。時計を見ると6時20分だ。そのままさらに南に続くより道幅の大きなアーケードの商店街で食事して帰ろうと思ったが、また出直す手間を考え、思い切って大阪港まで展覧会に行った方がいいと決めた。それで中央大通りの上を走っている地下鉄に乗った。大阪港駅に着くと、すでに美術館に行く人などほとんどおらず、いつも見慣れた通りの各店も内部の明かりのせいで全然違って見えた。展覧会は最終までちょうど1時間鑑賞出来た。館を出て、海遊館近くの建物にあるレストラン街でようやく食事をしたが、若いアベックばかりで、みな日曜日のデートを楽しんでいた。その建物はサントリー・ミュージアムを訪れるたびに中を覗くが、その日も大観覧車のすぐ近くにある、大阪の下町を模した食堂や小物店のある一角を歩こうと思いながら、さきほど充分に本物の下町の商店街を見たことを思い出して、出口辺りで写真を1枚だけ撮った。
●古い街を行く_d0053294_19331799.jpg

by uuuzen | 2007-01-25 19:34 | ●新・嵐山だより
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