賀状が遅れて全部届き揃った昨日、お年玉年賀はがきの当選番号の発表があった。年賀切手小型シートが2枚当たった。例年どおり、ごく平凡な確率だ。
で、去年初夏、母が京都に引っ越して来た際に持って来てもらった記念切手の類を、つい先日確認した。半年ほどそのまま放っておいたわけだが、先日書いたように、十日戎に出かけた際、あるフリー・マーケットで記念切手がないのかと問うと、あると言うので、また翌日出直し、そして買って帰った。その中に年賀切手の小型シートが何枚か混じっていたので、大阪から持って来たものと一緒にしようと考えたわけだ。だが、いくら探しても見つからない。去年、大阪に最後に帰った時、自分で切手類を紙袋にきっちりとまとめたはずで、母はそれをそのまま京都に持参したから、運ぶ途中でなくなるはずがない。となれば、筆者が紙袋に詰め込む際に入れ忘れたことになる。その可能性は少ないと思いつつも、そういうこともあるかもしれないと決め込んで、探すのをやめた。とにかくこうして書いている仕事場は、あまりにもさまざまなもので溢れ返って、一旦何かを見失うと20年は出て来ない。そのため、探す面倒よりもまた同じものをまた買う方が早いほどだ。探しても出て来なかった年賀切手の小型シートを束ねて入れてあった袋は、シート1枚が2、3万円もするかなり貴重なものも混じっている。なくしたとなると本当に癪だが、それを探すためだけに誰も住まない大阪の家に足を運ぶのはもっと癪な気がして、当分はこのままにしておくことになるだろう。毎日のように探しものをしては見つからないと騒いでいるが、探し物に要する時間を集積すれば、きっと数年にはなるはずで、そういう無駄が人生には確実に存在することがまた癪だが、自分の整理整頓が悪いので仕方がない。あるいは部屋の面積の割りに何でも買い込んで溜め込むからか。だが、ひとつとして不要なものはないつもりであるから物が減ることがない。あるいは、そう思いたいだけで、実はみんなガラクタとして処分してもいっこうにかまわないものであるのが本当のところか。息子は筆者の関心事に全く関心がないので、いずれ筆者の所有物はみな処分して、何もないがらんとした部屋で寝ころびたいと思うが、果たして本当にそんな日が来るのだろうか。そうそう、今思い出したが、そのことに関してまた書きたいことがある。だが、今日はやめておいて、最初の話題に関連させて進もう。
元旦は郵便局が休みであることは当然だが、2日や3日はどうかという疑問があった。2日にどうしても小包を送る必要があったのだ。そういう場合、即座に情報を与えてくれるのはネットだが、手元に自分の電話帳があったので、すぐに地元の本局である京都西郵便局にかけた。ところが誰も出ない。やはり2日も休みかと思ったが、念のためにネットで確認した。郵政省のホームページだ。これはしばしば見るので「お気に入り」に登録してある。画面の「郵便窓口のご案内」(上に掲げる写真の左端の赤い楕円で囲んだ部分)をクリックして別画面を見ると、近くの特定郵便局でも休日、祝日以外は普段どおりに開いているとある。それで早速運動がてらに徒歩10分ほどの郵便局に小包を抱えて赴いた。ところが閉まっている。そして閉まっている理由も書いた貼り紙もない。おかしいなと思って帰宅してまたホームページを調べ直した。何度繰り返し見ても、2日は断固休日でも祝日でもないし、そうなればホームページが伝えるごとく開いているはずだ。次にさきほど出かけた郵便局の情報が載るページを見ても、2日が休みであることは書かれていない。そこでその郵便局に電話した。だが、留守番電話の聞き慣れた男の自動録音の声は、ATMがどうのとかを長々と喋るだけで、一切正月休みについてのことは言わない。それでまた西郵便局にかけた。今度は別の部署だ。すると若い女性が出た。本局であるので当然2日もやっている。先ほどは出なかったし、それも含めて事情を聞くと、特定郵便局は2、3日は休みだとわかった。だが、そのことはホームページのどこにも書いていないと言うと、きょとんとした返事で埒が開かない。それで、少々頭に来た筆者は、郵政省のホームページをまた見て、「正月休みはきっちりと報告すべし」というタイトルで電子メールを送った。すぐには返事が来ないはずと踏んで、今度は電話した。すると若い女性が応対した。筆者の質問にかなり慌てた様子であったが、しばらく待っていると、いささか震える声で、ホームページのトップ画面の「過去の新着情報 お知らせ」という欄(画像の中央の横長の楕円の下の数行)の1行に、正月休みについての告知が小さく出ていて、その細かい文字列をクリックすると特別に作った画面が現われると言う。そこで初めて正月休みがちゃんと告知されていることを知ったが、それにしてもわかりにくいことこのうえない。なぜなら、その特別に作られたページは、ホームページのトップ画面のその1行を見出さない限り、つまりそこをクリックしない限り到達することが出来なくなっている。だが、誰がそんな「過去のお知らせ」をつぶさに1行ずつ見るだろう。肝心なことは、画面左端の縦に並ぶメニュー欄のうち、先に筆者がクリックした項目「郵便窓口のご案内」の別画面に飛べば、そこに休みについて書き加えておくか、あるいはその最上段に、「正月休みに関してはここをクリックしてください」と大きく表示して特別に作った画面にリンクさせるべきだ。それとも、そのメニュー欄の各項目は、しばしば臨時的に数行の告知が書かれるが、「郵便窓口のご案内」のすぐ下に「正月休みに関してはここをクリックしてください」と注釈書きをして、そこをクリックすれば特別ページに飛べるようにすべきだ。そうしたリンク張りのHTMLのつけ足しは、ものの1、2分もあれば出来るはずだが、驚くべきことに天下の郵政省のホームページがそうはなっていなかったのだ。夕方になって郵政省から返信メールが届いたが、予想したとおりそこには、「過去のお知らせ」の欄にちゃんと告知しているとあって、まるでそれを見つけられないお前が悪いという態度だ。また頭に来てメールを送り返した。せっかくの正月休みの告知ページが、肝心の「郵便窓口のご案内」とはリンクされていないのであれば、筆者同様に勘違いした人はきっといるはずで、なぜそんな初歩的なホームページ上の工夫に思いが至らないのか。するとまた返事が来て、今後参考にしますとあった。郵政省の民営化にはさまざまな意見が飛び交ったが、こうした一事を見てもかなり末期的な症状に陥っていることがわかる。これまた思い出しただけでも頭に来るのでここでは書かないが、筆者は近くの郵便局をもはやほとんど利用していない。局員の大半が入れ代わって、横柄な態度で理不尽な応対をされたからだ。実はそこを利用しなければかなり不便だが、そういう不自由をいいことに、これは郵便局に限らないが、ちょっと図に乗り過ぎではないかと思わされることがあるのだ。そのため、ここ数か月来、自転車に乗って別の郵便局に行くか、郵便を使わずメール便に頼ることにしている。
郵便局が好きであった筆者は、確実に郵便局離れを起こしている。そのため、1年ほど前から記念切手も買わなくなった。もう半世紀近く記念切手が発売されるたびに買って来たが、切手のデザインもさっぱり面白くなくなったからだ。100年もすれば切手の存在が消えるかもしれない。切手売り上げ増進を狙って、何年か前から郵政省は、好きな写真を印面部分の下に接続した形で印刷してくれるサービスを始めた。これは韓国が先に始めたことで、撮影したその場でただちに切手シートを手わたしてくれる。だが、日本ではまだそこまでのスピードあるサービスはしてくれず、また価格もかなり割高だ。自分だけの切手に関心がないわけではないが、単なるシールと同様のものであれば、自分で作ったものをはがきや封筒の別の場所に貼っておけばよい。そんなことで、切手が非常に軽いものに成り果てた。それはそれでいいことかもしれないが、もはや筆者には強い興味はない。にもかかわらず、古い切手となると、まだ入手していないものはほしい。いつ頃のものを古いと思うかだが、筆者が生まれた1951年前後より以前だ。50年代終わり以降の切手はほとんどすべて額面だけの価値しかないも同然で、チケット・ショップでは何と額面割れで売られている。たとえば、1961年2月に発売された「花シリーズの梅」は、10円切手だが、1枚500円や600円の価格で趣味の切手店で売られている。ところが、この1シート、つまり20枚組の新品がチケット・ショップで190円で売られていた。いくら市場価値があるとはいえ、自分が売る時は額面以下にしかならない。誰が儲けているかと言えば、商売をしている人だ。世の中は万事がそう出来ている。それでも、筆者はそうした古い切手には懐かしさも手伝って、安ければ買うことを続けている。まとめて買ってもとても安いからだ。そんな思いがあったので、7日の夜にえべっさんで遭遇したおばさんたちが開くフリー・マーケットで質問してみたのだった。
8日は昼前に出かけた。おばさんはちゃんと持参していて、早速大きな缶を開いてくれた。鳩サブレーの美しい缶で、そのデザインの見事さに驚いた。この有名なお菓子はもちろん食べたことがあるが、缶がこれほどシンプルできれいな色合いをしているとは知らなかった。よけいなものを削ぎ落とした美で、デザインはかなり古いようだ。それこそ半世紀ほどにはなるのではないか。缶の中には小型のとても古いストック・ブックが5、6冊あった。全部いかにも小学生が集めていたものという感じがありありとあって、鉄腕アトムやエイトマンのシールがところどころに貼ってある。おばさんの御主人が収集していたもので、シートもあるが、それは昨夜あまりの懐かしさに御主人がもうしばらく見ていたいと言い出し、持参して来なかったのだ。後で近所から来たような老人を加えて世間話が始まり、老人の口からおばさんの御主人はTVに頻繁に登場する有名評論家であることがわかったが、残念ながら、筆者が全く関心のない分野の世界の人で、顔と名前が一致しなかった。筆者より数歳ほど年長と思うが、それは集めていた記念切手を見ればわかる。1958年のアジア大会の記念切手以降のものが集中してあったからだ。しかも、それは期待外れで、枚数も内容もたいしたことがない。そんな記念切手では筆者の触手はさほど動かないが、わざわざ出かけたし、親切なおばさんでもあり、額面で売ってくれるなら買いますと言い、結局計算機片手にあったものを全部まとめて買った。7000円分ほどになったが、消印のあるどうでもいいようなものや、外国切手も100枚ほどはおまけにしてくれた。チケット・ショップで買う方が安かったかもしれないが、面白い出会いであった。ほとんどはそのまま封筒に貼って出してもいいような安物だが、数枚は筆者が所有しない珍しいものがあったので、その点においてのみ出かけた甲斐があった。
そうそう、戦前のある通常切手1枚を新聞の切り抜きと一緒に特別なタトウ紙に入れて保存しているものがあった。その記事は50年ほど前のもので、通常切手の写真が大きく1枚掲げてあって、その写真と同じ切手が横に収まっていた。「これ、昨日主人と言ってたんですけど、記事に1枚2万円と書いてあるから、今やったら30万円くらいするんと違うやろか」。ほんまかいな。その切手は韓国が日本から独立した直後に軍が間に合わせで作った加刷切手で、元は茶色で春日大社が印刷された14銭切手だ。そのうえに5という韓国のお金の単位がハングルとともに刷られている。記事によると、40銭切手が稀で高価格で取り引きされると書いてあるので、切手にある「拾四」はおかしいと思って早速韓国切手のカタログで調べた。すると、14銭切手はいいのだが、5ではなく40と加刷したものが、実はエラーということで価値が高いことがわかった。だが、それでも日本円で1万円に満たない市場価値だ。つまり、半世紀経って韓国でも切手収集熱がぐんと下がったのか、思ったほど高くはないのだ。それに筆者がもらって来たその5を加刷した14銭切手は、100円の価値もないものであった。ストックブックを入れてあった鳩サブレーの缶も持って帰っていいと言われたが、実際切手よりもその缶の方が嬉しかった。美しいものは心を和ませる。その缶のデザインは、筆者が好きな1950年代初めから半ばあたりの切手(この上に掲げる写真)デザインに共通する味わいがある。切手シートの方はどうしますかとおばさんから問われたが、また明日出かけるつもりはとてもない。それでどういう切手か電話で伝えてほしいと言って、電話番号を教えて帰った。1日置いた10日の午後におばさんから電話があった。予想どおり、全部東京オリンピックより少し前からのもので、数十枚しかないとのこと。額面で言えば1万円ほどだろうか。だが、おばさんの名前も住所も電話番号も知らないし、出会えるとしてもまた来年の十日戎だ。「またえべっさんの時にフリーマーケットやりますし、その時に持って来ておきますんで、よろしかったら来年どうぞ」。はははは、来年のことを言うと鬼が笑うと昔筆者はよく母から言われた。もし、来年そのおばさんから記念切手シートを買うようなことがあれば、その時はまたブログで報告したい。だが、やっぱり、ははははであって、来年のことは約束するでない!