正月気分が抜け切らない気分だが、別ブログ用に去年の秋に書いたものを毎日こうして再投稿する前にもう一度読み直していると、なおさら季節感覚がおかしくなる。今年は今までにない暖冬なのでなおさらだが、今朝は一転して雪が降り、窓から見えるいつもの山の稜線が消えている。
去年は記録的な寒波がやって来たというのに、あまりの暖冬でいったい日本の四季はどうなってしまったのかと思っていたが、昨日の深夜は雷や台風並みの大風で、その荒れ具合がまた狂った季節感を思わせる。このまま寒い冬に突入するのか、また暖冬に戻るのかわからないが、鼻をずるずるさせてくしゃみを連発するのがいやなので暖冬になってほしいと思う。それはそうと、年末から年頭の1週間は長文を投稿したが、予想に反して、今までの倍以上の訪問者があった。みんな年末の忙しいさなかに筆者のこんな地味ブログをよく読んでくれたと思う。だが、ちゃっかりしたもので、長文が終わるとまた数値は元に戻った。この『おにおにっ記』の人気のなさがよくわかる。それでも訪問者が一時的に急増すると、いつも何かの間違いだと思うので、下がっても気にならないどころか、正常に戻ったと安心出来る。自分が思うほど誰も注目はしていないもので、何事もあまり期待しないで思っておくに越したことはない。いい歳をして自惚れがひどいがよくいるが、見苦しいものだ。これは自戒の意味で。
またそれはそうと、今年はもう年賀状はやめておこうと思ったが、年末の29日に郵便局に行く用事があり、その時つい買ってしまった。仕事絡みでは1枚も出さないし、目上の人からもらえば出さないわけには行かない。そんなこんなでとにかく毎年出している。デザインは大晦日の夜に急遽作った切り絵だ。「松に猪」で、花札の「萩に猪」を思い出しながら、別のイメージをいくつか重ねた。プリンターで120枚刷り、宛て名書きの大半を書き終えたのは、元旦に入った深夜3時過ぎであった。120枚程度ならどうにか1日もかからずに作り上げることが出来るが、確か○○さんは1000枚だったか、1500枚だったかを宛名を手書きして出していると言っていた。義理でないとすれば大変な律義者だ。筆者は今年も去年と同じく裏面だけを、ピンク1色で印刷したが、これはインクのカートリッジがピンク色だけ残ったものがあったからだ。つまり、もったない主義。それに切り絵を年賀状図案にすればホームページと一石二鳥なので、ここ3年ほどはそうしているが、毎月の切り絵に対する反響が、今年来た年賀状にひとつだけあった。ほとんど今まで文書で届いた唯一の感想と言ってよい。その部分だけ引用すると、『…切り絵をホームページで拝見しました!! 作品数にも驚きましたが、“切り絵”というジャンル自体の独特さの世界に圧倒されました…』ということになるが、この「独特の世界」というのが筆者の切り絵なのか、切り絵全般なのか判然としないものの、独特であることには変わりなく、正月であるのでおめでたくもいちおうの賛辞と受けとめておこう。「とてもいい」とかの単純な誉め言葉ではなく、筆者はいつもよく「独特」と言われる。自分ではそれを狙っているつもりはさらさなく、好きなように作ればいつもそう言われる。先の賀状を送ってくれた人物は、美大を出て長年画廊に勤務していたので、現在の作家の作品はよく見ていると言ってよい。そういう意味では美術のプロに属するが、そういう人から「独特」と言われるのは、本質を見抜いていることでもあり、自惚れがかなり混じるとしても筆者としては嬉しいわけだ。美術に興味がない人に見てもらっても意味がわからないだろうし、そもそも最初から見ようともしない。それにまたいくら美術好きでも固定観念に囚われている人にはきっと何ひとつ理解はしてもらえないだろうことも筆者はよく知っている。となると、毎月の切り絵に対する反応がほとんど寄せられないのはわかり切ったことであり、筆者は全く無駄骨を折っているも同然だ。にもかかわらずやり続けるのは、筆者に自由があることの証であり、手作業が好きであって表現したいものがあるからだ。同じことはこの『おにおにっ記』にも言える。「独特」のものになっているかどうかは知らないが、何年か経って振り返ってみた時、「ああ、書いておいてよかったかな」と思えるものにはしたいと思う。

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2006年11月01日 ●第 137 話
不思議なもので、10月31日と今日とでは1日しか違わないのに、がらりと晩秋に変化した気がします。暖冬の予感とはいえ、そろそろお気に入りの青いクッキー・モンスターのマフラーを引っ張り出そうかと思うオニオニニンゲンニーベルンゲンのマニマンは、ママーニがピカポロンツァでもらったハート型クッキーをちゃっかり頬張りながら、夕暮れの庭を見つめてくつろぎました。バス・タブを引っくり返したのに、夕方になるとまだ網戸の向こうにはたくさんのマミー・モスキートが乱舞しています。いったいどこで発生しているのでしょう。また、どこから侵入したのか、いつも部屋の中で大きなものが1、2匹飛び回り、隙を見てはマニマンの皮膚にへばりついて血を吸おうとします。もういい加減、彼らは「黄昏」の季節を迎えているはずです。庭でか細く鳴く秋の虫とモスキートのどっちが長く生きるのでしょう。当然モスキートですね。マニマンの庭ではもうほとんど秋虫の声は聞こえませんが、昨夜は近所を散歩中、道端できれいな透き通る声に出くわしました。それでも11月になるともう駄目でしょう。