たくさんの文章を書く日だ。誰も気づいてはいないと思うが、この毎週一度の長文日は正確に1日ずつずれている。カレンダーに印をつければすぐにわかるが、長文日の軌跡はジグザグとなっている。

これが週2日であればどうなるかと言えば、カレンダー上できれいな綾織り模様が出来るような日を選ぶつもりであった。来年もしばらくは長文は週1日となるが、それではせっかく見た展覧会はその大半が感想を書かないままで終わる。これではもったいないので、週2、3回でもいいかと思わないでもないが、中途半端はやめておく。で、今日はワープロの前に座ってこうして書き始めていながら、どのカテゴリーにふさわしい内容にするかまだ決めていない。もう夜11時近いが、かなり疲れていることもあって気が乗らない。と、こんな愚痴めいたことを書いても、読む人には少しも面白くないので、早速本題に進む。実は先週日曜日に天王寺の大阪市立美術館に行ったが、今日もまた出かけた。チケットがあったからだが、それでもわざわざ電車で1時間半ほどかかって同じ展覧会を見に行くというのはよほどのことだ。それほど面白かったかと言えば、そうでもあるし、そうでもないと言える。先週もだったが、今日も4時に着いたので、正味観たのは2回合わせて2時間だ。2時間ではとても全部をじっくり鑑賞出来ない。この美術館の開館70周年を記念して、館蔵・寄託の名品を全館使用して展示するもので、出品数は668もある。これは疲れる。移動しにくい仏像、それに小サイズの工芸品は別として、絵画は褪色に弱いこともあって、会期中展示替えがあった。そのためにも本当は2度訪れるべき展覧会であった。だが、前期に出かけなかったので、後期の展示を2度観たことになる。これは惜しいことをした。前期には若冲の屏風が出ていたことも知ったからだ。それはさておき、国宝や重文、重美が全体の6分の1ほどを占めるから、館蔵・寄託が中心とはいえ、大いに見応えはある。だが、正直なところ、全体に古くて地味な内容で、若い人にはあまり関心が持てないかもしれない。だが、偉そうなことは言えない。筆者はこの歳になるまでいろいろと見て来たつもりだが、まだまだ強い関心が持てないものも多いからだ。いくら歴史的名品だと言われても、誰しも関心のないことには関心がないのであって、美術鑑賞に一生無縁のまま過ごす人は大勢いるし、それでこそ人間は全体でバランスが保っている。だいたい美術に関心を抱いたり、手を染めたりする人はみな狂気に侵されている存在と言ってもよい。それに、古い美術品など、ごく一部の人に注目されるものであって、そのごく一部の人にとってさえも、本当に美術品が欠かせないものかどうかははなはだ疑問な気がする。
今朝の新聞だったか、昔は王侯貴族が芸術家を保護したが、民主主義の世の中になれば、金を多く持つ企業が支援すべきといったことが書かれていた。バブル期に盛んに企業によるメセナが喧伝されたが、たちまちそれは萎んでしまい、今ではどの美術館も独立採算性の中でやり繰りに大変な思いをしている。先日TVで若い女性のヴァイオリニストが出演して、昔のような王侯貴族をパトロンに持つことの出来ない今では芸術家は盛んにマスコミに媚を売って、どうにか良好な経済状態を確保して行かねばならないといったことを発言していた。その女性は美人であることをひとつの武器にして、たとえばCDのジャケットではそれを最大限に売り込む方策を採っているが、何だかその様子には痛々しい思いがさせられた。確かに有名になってみんなから注目されれば、自分の音楽はより多くの人に聴いてもらえるし、また自分も金持ちになるので、よいことづくめと言ってよいが、芸術をどう捉えるかは人さまざまだ。クラシック音楽畑の人でも流行性と無縁でいるわけには行かないから、売れるものは何でも武器にするというのはわからないではないが、「有名」と「金儲け」のふたつの目標があまりに表に出ると、受け手側としては白ける。若い美人もすぐに老けるし、その時になって肝心の演奏が深まっていればよいが、そうでなければただの過去の流行演奏家として終わる。それもまた仕方ないし、そんな心配をして今売れる条件が揃っているのをそのまま見過ごすことはないが、それでもTVを見ながら何だか割り切れない思いがした。話を戻すと、企業が芸術支援をするというのも結局は企業のイメージ・アップが目的であって、その大前提から外れるようなところにはお金は回らない。そこにも何となく胡散臭いものが入り込まないか。結局、芸術家は誰からの援助もなしに、お金がなければないでそれなりにやって行けばいいような、全くの頼りのない、はかない存在でいいのだと思う。そのようにしてしか生きられないというのが芸術家であって、マスコミにせいぜい媚を売りたい人はそうすればよいし、そこから一切背を向ける人もまたあってよい。何を信ずるかが大事で、それが有名になることやお金が第一というのでは、芸術が泣きはしないか。芸術とはそんなものだけに制約されたものか。確かに先の女性の言うように、ヴァイオリンひとつ買うのに家1軒以上のお金がいる。だが、そんなもの、最初から手を染めなくてもいいではないか。安物のオカリナひとつでも立派な芸術は出来るだろう。それが高価なヴァイオリンでなくてはと思うところに、何だかいやな権力主義のようなものを感じてしまう。どれだけお金を儲ける地位にあるかで勝ち組負け組をことが今年は流行ったが、芸術でももしそれがある、いやそれしかないとすれば全く悲しい話だ。筆者も一応は表現者のごく端くれの身だが、よく周りの者から、いつになったら有名になってお金儲けをするのかとか、あるいは貧乏暮らしの家内がかわいそうだと面と向かって言われるが、ははは、それを聞いて一番悲しむのが家内だという事実を知ってはいない。男は金儲けする男が一番格好よいという意識を持つ男は多いが、筆者から言わせればそういう男は格好悪い典型だ。
大阪市立美術館が設立70周年記念に今回の『大阪人が築いた美の殿堂』という展覧会を開催したのは、ひとつには区切りの意味でどのような蔵品や寄託品があるかを一堂に見せるという意味と、もうひとつは各地から借りて来て見せるよりかは、あまりお金をかけないで展覧会を開催するという意味も多少あったかもしれない。ま、いずれにしても普段なかなか展示の機会のない収蔵品を見せるという目的もあったので、とてもよい展覧会であったことは確かだ。前のプラド美術館展のようなわけには行かなかったようだが、それでも先週も今日もそこそこ人は入っていた。企業による芸術支援が激減してからは、各美術館とも新作品の収蔵のペースはがた落ちし、企画展示もなるべくお金をかけないで済むような方向になって来ているが、そこは学芸員の工夫のしどころでもあって、同じ収蔵品を手替え品替えして、新しい切り口で見せることが求められている。京都市美術館はよくそれをやっていると思うが、大阪市立美術館はどうだろう。今回の展示からは、いかに美術館のために作品を寄贈して来た人々が多くいたかがわかるが、中国の彫刻は山口コレクションという、中国人が見ても驚くほどのものが集まっているし、中国絵画でも阿部コレクションが京都では見られない充実ぶりを伝えている。また、今回はカザール・コレクションの印籠や根付がまとめて展示されたが、本来ならば常設展示でもっと見せるべきものだ。京都に比べるとどうしても芸術では遅れを取っている大阪だが、大阪の商人の力や、あるいは大阪人の特色ある気質によって、大阪は大阪独自の美術コレクションを成して来たとことが今回の展覧会でよくわかる。大阪はバブル期にさっさと近代美術館のひとつやふたつは充分建てられるだけのお金があったはずだが、その機会を逃したばかりに、新美術館の建設は遅れに遅れて、同美術館で公開されるべき作品は小出しにして心斎橋の旧出水美術館で展示されている。大阪市立美術館の収蔵品は多少そこに移動して、近代美術館が建った暁には両館の収蔵品ははっきりと差別化がなされると思うが、早くそうなって大阪独自の特色ある展示をやってもらいたいものだ。たとえば江戸時代の大坂画壇の展覧会は80年代にあったが、その後の研究成果を加えてもっと突っ込んだ内容のものをもうそろそろしてもよい頃であるし、大阪に因む画家たちに焦点を当てた展覧会ももっと求められる。地味な内容の展覧会をしたばかりに、人があまり入らなければ税金の無駄遣いと言われるから、どのあたりの美術ファンの層に焦点を当てるかは難しいが、今年のプラド美術館の30万人、何年か前のフェルメール展では60万人が入って大成功、後者ではそれを記念して特別の道まで天王寺公園内に整備されているから、やはり大量の動員数こそが成功かそうでないかのバロメーターと思われているふしがある。美術展もショー化して、大衆により受けるものがいいものだという認識が固定化しつつあるように思うが、本当はそうでは決してなく、昔から玄人が見るものとそうでないものとに二極分化している。
先週の日曜日も今日も出かけたのは、気になってもう一度じっくり見ておきたい作品がいくつかあったからだ。美術鑑賞とはそんな作品との出会いがあるから楽しいのだ。今回は図録が作られなかった。2500円だったか、この展覧会に合わせた形で分厚い図録が売られていたが、それは館蔵・寄託品をまとめた図録で、正確には今回の展示内容のすべてを収録しない。さきほどチラシを探したが出て来なかったので、これは想像になるが、今回の展示は館蔵・寄託品以外にもあった。たとえば、最初に観た2階の「仏教絵画・写経」の部屋の、その最初に展示されていた滋賀の聖衆来迎寺の「六道絵のうち念仏証拠」は、確か京都国立博物館の寄託ではなかったか。この鎌倉時代の国宝は全部で15幅あって、それらは去年の秋に京都国立博物館で開催された『最澄と天台の国宝』展に出品され、このブログでも触れたが、その真新しい表装裂をよく記憶もしていたので、思わぬところで再会出来て嬉しかった。ガラス越しとはいえ、絵は聖衆来迎寺で見るよりはるかに間近で確認出来て、この展覧会がまずなかなかの内容であることを実感した。実は今日もまたこの部屋から観たほどだが、まず全館を使用しての展示を書いておくと、1階は、1「日本の仏像・仏具」、2「日本の工芸」、3「中国・朝鮮半島の工芸」、4「中国の彫刻」で、2階は、5「仏教絵画・写経」、6「中国書画」、7「日本の書蹟」、8「中世・近世の絵画」、9「近世の絵画」、10「近代の絵画・工芸」、11「江戸・明治の装身具」、12「掌にのる小工芸」、13「近世の意匠」という内容だ。先週は一応すべてをざっと見て、今日は5と6のみ観た。100円で8ページの目録が売られていて、それを今日は買った。その記載内容に誤りはないと思うが、何しろ700点近い展示でもあり、ミスはあるだろう。たとえば、「仏教絵画・写経」の部屋では最も大きな作品であった「釈迦八大菩薩像」が、目録では「釈迦説法図」となっている。大阪の四天王寺に所蔵されるこの作品は縦横が5×3メートル近い着色画で、1587年に朝鮮で描かれた。どのようにして四天王寺に伝わったのか知らないが、保存はまあまあという感じでかなり全体がぼやけた感じになっているが、それでもどのように描かれているかよく把握は出来る。もう1点朝鮮時代の仏画「五仏尊像」は、チベットのタンカに似た色合いと図像をしていて、日本の仏画にはない大陸性を強く感じさせて面白かった。「釈迦八大菩薩像」と共通するのは、仏や菩薩の着衣の温かい朱色とそこに使用されている截金や金泥の模様が独特の繊細さを伝えていることだ。海外に流出しているものも少なくないが、奈良や京都や大阪にある高麗や朝鮮時代の仏画を一堂に集めた展覧会を期待したい。朝鮮の美術はどうしても陶磁器か民藝の文脈に連なるものばかりがよく紹介されるが、日本の仏画に与えている影響をもっと実作で知りたいと思う。大阪の長宝寺に伝わる「仏涅槃図」は南北朝時代の作品だが、かなり大きな作品で、全体に華麗な絵具もよく残っていた。釈迦の入滅に悲嘆する弟子やあらゆる動物の表現は、やや過剰とも思えなくもないが、劇的かつ細密に表現されていて、定型のある涅槃図から少しでも工夫しようという絵師の実力がよく伝わる。ほかにも「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(兵庫の小童寺)や「当麻曼荼羅」(大阪の実相寺)など好きな作品があったが、時間が気になってとても細部までじっくり鑑賞するというわけには行かなかった。
先週観て一番印象に強く、もう一度ぜひとも観ておきたいと思ったのは、1階の「中国・朝鮮半島の工芸」の部屋の最後に展示されていた17世紀の「螺鈿唐草文箱」だ。所蔵家が書かれていないが、この美術館が持っているのだろう。買えるものならぜひ買って手元に置きたいと思わせる一品であった。漆の黒地に七色に輝く貝の螺鈿をたくさん施したもので、一見何でもないようなごく普通にある工芸品のようだが、筆者は吸い込まれるようしてその場に行き、しばし立ち止まったまま動けなくなった。とても17世紀、そして朝鮮のものとは思えなかった。朝鮮は螺鈿細工が盛んで、それなりに筆者は作品を見て来ているつもりだが、これはデザインがとても現代的で素晴らしかった。現在のデザイナーが作ったとしか思えないほどの斬新な感覚があって、その見事さは知的で艶めかしい美人のような風格がある。全体に大きめに切り取った貝を螺鈿していて、長方形の長辺には唐花が3個、短辺には2個が左右対称になるように中央に等間隔に配置され、その周囲を唐草が取り巻いている。それだけならばごく普通にある文様配置だが、驚くべきことにその唐草をさらに取り巻く形で直径3センチほどの円形がずらりと辺を縁取る形で並べ尽くされている。この円形が唐草文とよく似合っていたが、それはたとえば日本で言えば正倉院に伝わる織物にあるようなペルシア起源の西洋風をかもしていて、そのことがこの螺鈿細工の箱を現代的な感覚に溢れたものに見せている。漆と貝の豪華を光沢の調和は、それのみの材料しか入手出来ない美であって、ほかの材料では代えることが出来ない。その意味でもこの箱は300年近く前のものであっても、現代にそのまま通用する風格を獲得している。現代でも同じものを作ることは可能であるし、おそらく似たものはよく韓国で作られているだろうが、時代が作り上げた風格までは模倣出来るものではない。300年前の朝鮮でこの箱をどのような工人が作って、どのような人が使用していたかを想像すると、そこには幸福な人々の姿があったであろうことを思わないわけには行かない。同じことは、その箱に対面する形で展示されていた「粉青線刻条線文ほ(竹冠に甫に皿)形祭器」(15-6世紀)や「白磁き(竹冠に艮に皿)形祭器」にも言える。この2点にある独特の突起のある形や肌の色合いはしばしば見て来ているはずだが、今回はまた全然違った感覚で迫って来た。見慣れているはずのものでも、時と場所を違えれば新たな魅力がわかることの例だろう。どちらもきわめて現代的としか言いようのない姿をしていながら、風格があり優しさがあり、面白さがあり謎めいてもいる。膨大な作品からここに紹介したのは、特別気に入ったものの中から適当に選んだごくごく一部だ。どの作品もそれなりに見所があって、書く内容に事欠かないが、今夜はこのくらいでやめておく。今日はせっかく中国絵画をじっくり鑑賞するつもりが、3分の1も見ることが出来ずに最後のドボルザーク交響曲から「家路」のメロディが鳴りわたった。1時間の鑑賞がなぜこんなに短いのかと思う。開館は夜7時までだったか、大阪港のサントリー・ミュージアムに足を延ばしてもよかったが、とても疲れたので、天六商店街に立ち寄って1000円の安物のクリスマス・ケーキを買って家路についた。
気になっていながら探さなかった新聞は14日の読売新聞に記事を見つけたので補足しておく。年末の古紙回収のためにさきほどたまっていた1か月分に目を通し、いろいろと切り抜いた。この展覧会について5段抜きで紹介されている。かいつまんで書く。これは大阪市立美術館のパネルにもあった説明だが、まず住友吉左衛門男爵が現在の土地を寄贈したことで当時大阪唯一の美術館として実現した。展覧会の題名にもあるように、市民の期待を担って戦中、戦後を通じて多くの作品の寄贈があった。中国石仏は大阪生まれで関西信託社長などを務めた山口謙一郎のコレクションで、大正から昭和初期のかけて収集したものだ。戦中は床下に石仏や青銅器を避難させて守った。大阪は戦前から中国との貿易が盛んで、それゆえ関西には中国美術の収集家が多いという。そう言えばただちに思い当たるところとして、京都の泉屋博古館の青銅器や奈良国立博物館で常設展示される一括の青銅器があるが、山口コレクションと同様の条件があったために集まったものだろう。このコレクションはヨーロッパにも評判が聞えていたもので、遺族が125点などを寄贈した。また小野薬品工業の社長・会長が収集した石窟仏(小野順三コレクション)や、東洋紡績の元社長による中国絵画(阿部コレクション)などとともに、中国美術はこの美術館の柱のひとつなっている。それらは今まで定期的に企画展や常設展の形で展示されて来て、図録も豊富に揃っている。館蔵品は約8000点、社寺や個人からの寄託品は7500あるというが、後者は所有者が永遠ではなく、おそらく適当な年月を置いてあちこちの美術館に保管を依頼するので、流動的な内容と数字だろう。新聞記事では、収蔵品の多くは『地下倉庫に眠ったまま。しかも、2004年度から同館の予算が毎年、数千万円ずつ削減されており、常設展の光熱費や監視の人件費が削られ、スペースの縮小を余儀なくされているという』とあるが、今や日本のどの美術館も大同小異の状態だ。王侯貴族がいなければ企業が援助するしかないが、世界でも有数の大金持ちの国家であるはずなのに、とてつもない額の赤字を抱えているから、国も企業も美術支援どころではないというのだろうが、何ともおかしな話に思える。しかし、お金がなければないでそれなりにやって行けばいいし、照明も乏しく閑散とした感じの大阪市立美術館であっても、それなりに筆者は好きだ。30万や60万の人を動員するようなお祭り騒ぎの企画もたまには必要だが、本来は静かなところで心行くまでじっくり作品と対話出来るというのが美術館のあり方であって、年配の愛好者しか関心を持って訪れないような展示内容でいいと思う。