人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●京都国際マンガミュージアム
らない間に京都に漫画の博物館が出来ていて、25日にオープンしたことをTVで知った。この名称だが、「京都国際漫画博物館」の方がいかめしくて古風でも、かえって覚えやすくていいのではないだろうか。



●京都国際マンガミュージアム_d0053294_0254229.jpg今や日本の漫画は「MANGA」と記されて国際的になっているが、それを受けてでもなかろうが、「漫画」ではなく「マンガ」、しかも、そうとなれば後に来るのは「博物館」ではなくて、同じ片仮名の「ミュージアム」となるのはよくわかるが、漢字と片仮名のこの混合名称は、現在の日本の文化事情を端的に示しつつ、それでも覚えにくいと感ずる向きも少なくないだろう。ネットで調べるのにはっきりした名称がわからず、何度か入力し直した。いずれにしても「京都国際マンガミュージアム」はあまり印象に残らない名称で、すぐに別の愛称を公募すべきと思う。これは以前に書いたが、もう10年以上前になるか、京都北山の新設のコンサート・ホールの名称が公募されたことがある。結局「京都コンサート・ホール」という全くアホらしい、あたりまえの名前に決まったが、このセンスのなさは呆気に取られたものだ。その建物は黒が基調で、昔の楕円形の弁当箱に似ていたので、筆者は「音楽タンク」という名前で応募した。愛称であるからには、それくらいの思い切ったものがいい。だが、クラシック音楽を最高の音楽とありがたがる人々にとってはそういう名称は冒涜なのだ。それでも筆者はそのホールの横を通るたびに「音楽タンク」と呟いてみる。で、マンガミュージアムは廃校になった小学校の校舎を利用して、新しく塗装をし、一部を改修して作られた。鉄筋コンクリートだが、内部は木造の使用が主であったようで、全体に昭和中期の何となく温かみの感じられる雰囲気に満ち、マンガ全盛時代を想起させつつ、懐かしさを喚起させた。古い建物の一部を現代的に改造して博物館などに利用することは、ドイツのフランクフルトにもあったが、このミュージアムもそうした動きに倣ったものではないだろうか。愛称に話を戻すと、名称の頭文字のアルファベットを連ねて「KKMM(くくむむ)」ではどうだろう。そんなわけのわからない響きから新しいマンガのキャラクターまで思い浮かびそうではないか。愛称とそのシンボルが公募されるとすれば、筆者はここで「くくむむ」を宣言しておくので、誰もまねしないように。はははは、誰もそんなの気に入らないって? でもかまわない。筆者個人が勝手にここではそう呼ぶことにする。
 それで、その「くくむむ」に開館3日目に行って来た。行く気はあまりなかったが、近くまで仕事の用事で出かけ、時間潰しをする必要が出来たので、そのまま6時近くまで3時間近くいた。その予想外の長い滞在で、せっかくの仕事の用事もこなせず、また出かけ直す必要がある。それはさておき、烏丸御池西北角という便利なところにあって、しかもそうとうレトロな雰囲気のある龍池小学校の校舎をそのまま活用した点は評価されてよい。2キロほど東南の四条仏光寺にある小学校は、現在「京都市学校歴史博物館」として利用されているし、また別の近くの同様に統廃校になった小学校は芸術家の賃貸アトリエとして活用されているから、今回もそうした「ある物利用」の一貫の動きから思いつかれたことなのだろう。京都精華大学にマンガ学科が出来てもう10年経つだろうか、それを契機にして今回のようなミュージアムが登場することは当然予想が出来た。実際、「くくむむ」は京都市と精華大学の共同事業だ。『日本初!「マンガ」文化を世界に発信する次代型ミュージアム誕生!!』という文句がチラシに躍るが、かつては何でも日本初を誇った京都がここに来てまたそれを狙っている感がある。日本初のマンガと言われる『鳥獣戯画』の絵巻物を生んだ土地として、これはぜひとも他県に先駆けて旗を上げたかったのだろう。川崎市には確かマンガを集めて積極的に展示する美術館があったと思うし、宝塚には手塚治虫の博物館があるから、こうしたミュージアムが出来ることは意外ではないく、むしろ遅いほどと言ってよいかもしれない。まだ開館したばかりなので、今後充実させて行くべきことは多く、その分自由に何でもやって行ける可能性も持ち合わせるが、「国際」を謳い、たとえば『鳥獣戯画』を持ち出すのであれば、自ずと視野は巨大に広がるはずであるし、美術とも当然関連して、お子様好みのマンガだけではない展示の企画や、マンガに関係した新しいムーヴメントのきっかけ作りも求められる。つまり、既存の美術館や博物館との連携がある程度必要だ。だが、それがどう機能して行くのかはなはだ疑問に思える。つまり、人材があるのかどうかだ。マンガと美術の垣根がどうあるのかないのか、そこのところをこのミュージアムがどう問題提起して、「良質」のマンガの出現に手助けをし、またマンガの可能性を示すかだ。だが、この「良質」の言葉には抵抗を持つマンガ家は少なくないだろう。マンガ家もさまざまだ。上品から下品、高踏的なものからエログロまでひっくるめて存在し、これはいつまで経ってもそうであるはずで、博物館の存在がそこにどこまで介入出来るか、またしてよいものか、そもそもそうした権威的と言ってもよい施設が必要なのかどうかという根本の問題も問われるだろう。マンガが消耗品であるかどうかはマンガ家の態度次第、思い次第でもあろうが、消耗し尽くしてしまうものがあってもよい。何でも地球上に残そうとするのは異常な考えで、ミュージアムに保存してもらわなくてけっこうと考えるマンガ家も多いのではないだろうか。マンガがごく普通の庶民を相手にする限り、それを供給するマンガ家もまた同様の存在であるべきとも言えるからだ。マンガには本来そうした反権威主義的なところがあるし、それが大きな原動力にもなって来た。そのため、これは前にも書いたことがあるが、筆者は大学でマンガを学ぶなど無駄、あるいは大きなおせっかいだと思っているが、それは学歴などなくても好き勝手に描いてマンガ家になれるという道をいつまでも大きく残しておきたいと思うことにもよる。どこそこの有名マンガ大学出ですという肩書きが必要な時代がマンガ家にも来る、あるいはすでに来ているかもしれないが、そんな権威のようなものを楯にすることはマンガには似合わない気がする。芸術の根本は自由の精神だが、それはマンガでも同じであって、弱者に夢を与えるような存在であってほしい。つまり、「描く」ことさえ出来れば、後は何も必要なものはないということを示してほしいわけだ。だが、それは時代遅れな考えかもしれない。出版によって初めて存在出来るマンガを考えると、売れなくても個人で好き勝手に制作する画家とは違って、社会とのつながりは無視出来ない。それが大きく発展すると国家的な財政の一手段にもなり得る可能性、つまりマーケットや資本と関連して来るので、その意味から大学で多角的に教えるという動きは必要ともなって来る。このように、マンガを取り巻く現状はいい意味でも悪い意味でも「国際」的になっているので、それに対応しての「くくむむ」登場ということなのだろう。
●京都国際マンガミュージアム_d0053294_02353100.jpg

 烏丸通りに面した門から入って板のスロープがある。運動場は人工芝を敷いてあるが、そこではイヴェントなどすればいい。スロープの途中に喫茶店があったが、これも洒落ていてよい。校舎に入ったエントランス・ホールの端で、食堂の食券のように入場券を自販機でさびしく買う。ところがそのデザインが全く素っ気なくて失望した。画像を上部に掲げたが、もっとマンガをあしらった楽しいものにすべきだ。だが、そうなると、誰に描かせるか文句が出るのかもしれない。そのためにも愛称やロゴをすぐにでも作ればよい。大人500円、入場当日の間は何度でも出入り自由というのは嬉しい。筆者は堀川通りから歩いたので、学校西端の両替町通りに来て御池通りから上がり、そして学校の北を東に進んで烏丸通りを南下した。そのため、ほとんど学校を半周したが、これは不便だ。二条城を見学した人が徒歩で来ることを考慮して、校舎の西側の門を使用して入場出来るようにした方がよい。そこに門がなければ仕方がないが、ちゃんとしたものが2か所ある。それを使わない手はない。1階の随所にはたくさんマンガの本棚があった。自由に手に取って読んでよいが、その光景はちょうどマンガ喫茶と同じだ。おそらく京都市内のマンガ喫茶はこの施設をその点において決して歓迎はしていないだろう。世知辛い昨今、マンガ好きをいかに獲得して利益を上げるかにどの店も苦心していて、そういう中に京都市も大股で参入したという格好にも思える。ネットが自由に楽しめるスペースが出来れば、それこそ市中のマンガ喫茶は商売上がったりだ。入場と同時にオレンジ色のパスポートをもらえるが、帰宅してそれを見ると、地下の研究展示ギャラリーと収蔵庫のイラストも掲げられていることに気づいた。1階と2階は見たが、地下と3階は立ち入れないものとばかり思っていたがそのことを係員に確認すればよかった。筆者が最も見たかったのは地下に展示される内容と言ってよいからだ。校舎を利用しているため、内部は折れ曲がりがあったりしてややこしい。そのため、地下に下りる場所もわからなかったし、案内書きもなかったように思う。それはいいとして、エントランス・ホールは保育園のような雰囲気があって、おそらく近所の小学生だろう、十数人が気ままな格好で本を読んでいた。そのホールだけに本棚があるのではなく、次に続く展示室に至る廊下のところどころに本棚があった。監視が行き届いているとは言い難く、本は簡単に盗難に遇うだろう。だが、盗まれても容易に補充が利く安価な本ばかりなので、監視を強化して経費をかけるより今のままの方が安上がりだ。所蔵資料は20万点とのことだが、そのうち自由に見てよいマンガ本が何冊かは知らない。筆者は基本的には現在人気のあって読まれているマンガにはさっぱり関心がないので、そうした本棚には一切近寄らなかった。
 エントランス・ホールを過ぎるとやや広めの通路があり、その隅にひとりの若い男性が針金細工をしていた。そこで話が弾んだ。30分以上は話したか。針金細工があまりにアレキサンダー・カルダー(コールダー)の作品に似ていたので、そのことを言うと、彼は知らなかった。旅行雑誌に鳥瞰図的地図イラストを描いたりしているイラストレーターで、「龍野藝術工房伊勢屋」と題するパンフレットを1部くれたが、そこで働いているのだろう。波打際漫月あるいは満月というペンネームだったはずだが、ちょうど昔の大道芸人ないし香具師的なあり方で、それはこの博物館のレトロ性には似合っていた。そう言えば2階のある教室では時間を決めて紙芝居をやっていた。そのおじさんはかつて本当に紙芝居をしていた人のように見えたが、おじさんの鐘を鳴らしての誘いに、マンガを読んでいた子どもたちが一斉にそこに駆け込んで行った。昔ならどの横町でも普通に見られた光景が今はこうしたところに保存されてそれなりに命脈を保とうとしている。子どもの入場料は100円という安さで、これなら自由に放課後を楽しめる。そういう保育所的な意味においてもこの施設が機能して行くのはとてもいいことだ。マンガすら読まなくなった子どもという表現があったが、元小学校を新たに放課後の小学生を吸収出来る場とすれば、そこに集まる大人と子どもとも間に自然と交流とまでは行かないにしても、同じ関心を抱いた者同士の近づきやすさが生ずる。それだけでも大事なことで、子どもにはいい影響を与えるだろう。それは昔は多くあったものだが、今では珍しくなったことではないか。おおげさに芸術的マンガの将来を考えることばかりを優先するのではなしに、ごく楽しい卑近な場所として機能する施設がもっと公的にあってよい。マンガ図書館としての機能を持ちながら、博物学的研究もし、その成果を見せるというわけだ。数多い教室など、展示空間に困らない点が、そうしたミュージアムとライブラリーの両方を兼ねることを可能にしているが、たとえばかつての校長室などはそのままにして、前述の学校歴史博物館のミニ版の趣を呈していたのもよかった。かつての職員室だろうか、歴代の校長の肖像写真がずらりと展示されている部屋もあったが、それらの偉いさんの写真を見ていると、世の中にはたくさんの賢い人がいたし、いるものだと改めて思う。ちょうど京都の舞妓さんをテーマにした白黒のイラスト100点の展示がそうした部屋や廊下でなされていて、あまり熱心には見なかったが、それにしても100人の個性あるそれらのイラストレーターやマンガ家などのことを考えみると、世の中にはたくさんのイラストレーターやマンガ家がいるものだと改めて思った。さて、木製の油引きした古い階段を上がると、2階は『世界のマンガ展』が開催されていた。この企画展はオープン記念のため、最初に払った500円でついでに見られるようになっているが、その期間が終われば別料金を徴収するらしい。そのことをTVの放送で知っていたから筆者は早い目に見ておこうと思った。『世界のマンガ展』に関しては来週にでも書くことにする。
by uuuzen | 2006-11-30 00:24 | ●展覧会SOON評SO ON
●オニオニブドウ >> << ●宝珠ニンゲン

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?