徒歩徒歩(とぼとぼ)と毎日1回投稿を続けて今日はゴーゴーゴーの555回目。同じゾロ目でも、これは777に続いて景気がよいので、特別に目立つマイル・ストーン・マークを作って掲げておこう。
こんな地味ブログでも、文章の数が溜まればそれなりににぎわいがあると錯覚するから不思議だ。そうそう、昔々こんな夢を見たことがある。暗い地面にお札や硬貨がばら撒いてあって、そこでみんなが一斉に拾い始めてよいと言われる。子どもの筆者はきらきら光る硬貨ばかり拾って、やがて両手に握れなくなり、新しく拾おうとして、先に拾っていたものをたくさん地面にぼろぼろとこぼす。すると、すぐ目の前で友だちが笑いながら言う。「アホやなあ、1万円の分厚い札束がいっぱいあるのに、なぜそれを拾わんと、小銭ばっかりつかむんや?」 そう言われてもなお筆者は事情がよくつかめない。お金の大事さが知らないのではない。いくら勝手に拾っていいとはいえ、札束は自分にはふさわしくなく、またそれを握ることを何だか悪と考えているらしいのだ。それゆえ、同じ時間と手間で、何万、いや何百万倍ものお金を手に出来る機会が今しがたみんなに平等に存在したというのに、そのせっかくの人生でたった1回の機会をよく把握せず、両手でいっぱいの1円や5円、10円玉ばっかり集めたのだった。

そんな遠い昔の夢を大人になってごくたまに思い出す。そう言えば、まさに筆者の今までの人生の歩みは、それとぴったり同じで、しかも徒歩歩の安っぽい輝きでしかなかった気がする。今後も変り映えすることはないはずだが、その様子はおそらくこのブログの毎日の内容にもよく現われている。お札ではなく、じゃらじゃらした硬貨の、つまり目方は重いが価値は少ない。そうなのだ、両手に小銭を山盛りにして喜べる程度の人生観の表明だ。もちろんそれを笑う人のが多いのはよく知っている。実際、金儲けに忙しい金持ちやそれを指向する人は金持ちにしか関心はないし、それ以外の人の発言はみなゴミと思っていることだろう。だが、去年のちょうど今頃考えて作った切り絵の
『ゴミのアミーゴ』では、「五三五三五五(ゴミ・ゴミ・ゴーゴー)」の文字を配して、ゴミと笑う奴がゴミ野郎との思いも込めた。好きな作品なのだ。ここ2、3日はその作品を不思議とよく思い出していたが、ちょうどブログ投稿数555回目にもう一度確認しておくのはいいと考えて、その画像を載せておく。(精度を高めてスキャンし直した。)

2006年10月03日 ●第 108 話 油断していたマニマンは風邪を引きました。鼻が詰ってとても苦しく、毎晩奇妙な夢をよく見ます。口で息をするため、朝起きた時は口の中がネバネバカラカラです。昨日はついにママーニが腹痛で寝込んでしまい、おろおろマニマンです。でも風邪薬を飲み、温かくしてゆっくり眠ったこともあって、どうにか快復しました。ところが今度はコマニが病院で手術をして帰って来ました。悪性ではないですが、頬の中に腫瘍が出来ていて、医師の判断で切り取ってもらったようです。「ようです」というのは、もう成人コマニなので、細かいことは話してくれないのです。それにしても、ここ2、3日はほとほと疲れマニマンです。マニマンは、傍目には遊んでいるように見えますが、頭の中では多くの事柄が同時進行で思考されています。それらの試行から志向が生まれ、やがて嗜好となって、時には至高の作が生まれるとマニマンは無邪気にも信じているのです。そんなマニマンは最近特に鼻詰りで、周囲ははなをかんだティッシュの屑山です。ほとほと疲れママーニはそれを注意しますが、マニマンはいつも笑ってごまかします。