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●『更紗今昔物語』
かねばと思っていた「みんぱく」で開催中の企画展に、小雨降る寒い日に出かけた。この前の日曜日のことで、万博公園内の諸施設は無料公開日であった。



●『更紗今昔物語』_d0053294_18463617.jpgひとりでふいと出かけて、たっぷり鑑賞し、それでまた逆の道をたどって東口からバスに乗って帰って来た。たまには寄り道しないそういう日があってもよい。この展覧会は9月から始まって3か月間も開催されるもので、現在の更紗事情について知るにはまたとない機会だ。以前にも書いたが、筆者はジャワ更紗はとても好きで、人類が生み出した最も美しい染色品と考えている。ジャワ更紗もいろいろだが、好きなのは初期の古典だ。そうしたジャワ更紗をたくさん集めた展覧会は数年に一度程度は開催されるが、みんぱくでは1993年に『ジャワ更紗 その多様な伝統の世界』という、400点を展示する圧倒的規模のものがあった。その時買った図録を見ると、発行者は民族学博物館ではなく、平凡社となっている。一般に書店にも並ぶ資料として作られたのだろう。あるいはあまり人が入らない展覧会と踏んで、みんぱく単独では図録作製が出来なかったかだ。ジャワ更紗が好きな割りにこの図録は数年に一度しか中を見ない。その理由は、本物の魅力がほとんど伝わらないからだ。1ミリの密度でびっしり染め抜かれた線の美しさを持つ大きな布地が10分の1以下の縮小率で印刷されては、全体のおぼろげな構図が把握出来るのが精いっぱいで、図版はほとんど意味がないに等しい。それでもないよりかはましで、それゆえ図録を買うのだが、もっと細部の美しさを原寸大で示す図版集が発刊されないかと思う。ともかく、ジャワ更紗の真の美しさは実物に接するしかあり得ない。どんな美術的作品でもそうと言えるが、ジャワ更紗は特にそうだと言ってよい。じっくり鑑賞するうちに次第にその驚異的なたたずまいがはっきりとわかって来る。古典的ジャワ更紗の優品はすでに個人が入手するには困難かつ非常に高額になっているが、機会があればほしいとは随分昔から思い続けていて、それがかなわないため、現在のプリントによる量産品でお茶を濁している。
 今回の企画展は93年展の続編だ。13年前の展覧会をよく記憶している筆者にすれば、これは絶対に見逃すことの出来ないものだ。だが、わざわざみんぱくがやるからには、前と同じような内容であるはずがない。実際、今回はジャワ更紗がどのように世界に広がっているかの貴重な情報を1000点以上の膨大な実物資料で示すもので、今後も当分は開催され得ない空前規模と言ってよい。国立の施設であるからこそ出来た圧倒的な染色讃歌と言ってよく、関係者の意気込みが伝わって感動の思いが今なお去らない。本年見た展覧会の最良のひとつと言ってよい。と、ここまで書いてチラシを探すために1時間ほど中断し、ようやく出て来たので執筆再開。チケット、チラシ、それに会場に入って配付される折り畳んだ色刷りの説明書はみなデザインが共通しているが、黄色地を背景にした中年の黒人女性の上半身の写真が目立つ。どうせ使用するならもっと美人をと言えば、差別発言と受け取られるかもしれないが、考え直してみると、この写真は実によい。今回はごく普通の民衆が着る布地に大きな焦点を当てたもので、展覧会の内容をぴたりと説明している。93年展の図録の中に10枚近いジャワ更紗展のチラシを挟んでいるが、93年は実は全く同じ展示期間中に、すぐ近くにあった国立国際美術館で『ニュー・ファッションへの展開 現代のジャワ更紗』という展覧会が開催された。国立国際美術館が大阪中之島に移転する以前にみんぱくでは常設館とは別に特別展用の建物がすぐ隣に出来たので、今回のような1000点を越える展示数でも展示場所には困らなくなったが、みんぱくと国立国際美術館が共同で更紗の流れ展を開催していたことを思い出して懐かしい。で、その『現代のジャワ更紗』のチラシに大きく印刷される写真が、金箔や銀箔を黒い布地にびっしり施した豪華なドレスをまとう女性で、その圧倒的な存在感に頭がくらくらして来る。金箔を布地に接着させる方法は、合成樹脂系の素材が発明されて以降、日本の友禅界でもよく発展したが、この写真を見る限り、到底ジャワ更紗に比肩出来るものではない。それは模様の命というものが違うからだ。日本の文様を同じように金銀箔でキモノにびっしりと使っても、むしろ異様さが目立ち、また日本古来の花鳥風月的な味わいも失われて違和感のみ生ずる。それにいくらキモノの形をしていても、いやそれだからこそ逆に日本では似合わない。それゆえ、熱帯特有のアニミズムの図太い蠢きといった感覚に直接に根ざして立ち現われて来たジャワ更紗の文様は、かつてはあり得なかった金銀箔のみで表現しても少しも威力を失わないばかりか、よりその特徴を露にしていて、そのことに驚愕とそして妬みすら覚える。結論を先走りするようだが、今回の会場の2階の最後にジャワ更紗を取り込んだ日本の友禅キモノの一亜種としての染色品が少々あった。だが、それらは見事に貧弱に見えた。それらのみをどこか別の会場で見れば決してそうは見えずに上品に感じるのだろうが、ジャワ更紗およびそれから派生した現代の更紗プリントと同じ会場で見れば、いかにも頼りなくて地味、そして脆くはかないものに見えた。それが日本の美徳と言えば言えるだろうが、どうも世界の基準はそこにはない。ジャワ島も日本も島国であるが、この差はいったい何であろうかと思わせられる。確かに日本は世界に冠たる金持ちの文明国になってはいるが、土地が生み出す動物的エネルギーといったことに関してはジャワの比ではない気がする。「美しい国」はけっこうだが、それは多面的に考察されるべきものだ。
 さて、会場はまず「世界からジャワへ」と題して、93年展に展示された古典更紗の展示と、「ジャワから世界へ Part1」の展示があった。そのトンネル状になった通路的空間を過ぎると、急に「ジャワから世界へ Part2」の広大な別世界が眼前に広がった。そこでほとんどどの観客も驚嘆の声を上げることになる。この展示方法は実に心憎い。現在のアフリカで主に使用されるさまざまな更紗プリントがびっしりと展示されていて、その色彩の氾濫ぶりにショックを受けない人はまずいない。原色の派手さがあるだけと言ってしまえばそれまでで、ここにはもっと別の美の基準を持った人々の世界観があり、廉価な品物がごった煮的に並べられたというものでは決してない。つまり、日本のフリー・マーケットの安くて古い衣類が並べられているのとは全然違う印象を与えるものであって、別の国土に住む同じ人間に対して敬意を評したくなる感覚を抱くに至る。日本のような文明国に住めば、思想まで規律正しいものを持つことを迫られるようで、次第に自己規制が進んで美の感覚までもが型にはまったものになって行く。自由業の人々がせいぜい頑張って一風変わった格好をするだろうが、それさえもまた紋切り型でしかあり得ないほどに国民のムードが規制、ないし去勢されてしまっている。そして異質なものは醜として退けすることで自分たちこそ文明的に豊かと自覚し得ている。それはある意味では国毎の差がいつまでもそれなりに保証されることであるから、世界的視野のもとでは別段悪いとも言えないが、異質なものにある圧倒的エネルギーをむしろ見習うほどの余裕を失わないようにしなければ、国の将来はない。今回のような貴重な国際的情報を肩肘張らずに、とにかく視覚的に一目瞭然に見せる企画展がみんぱくで開催されたことに、日本もまだまだ大丈夫の感覚を持つが、それはみんぱくが大阪にあり、その大阪が東京主導の国際化とはまた違ったアプローチでなし遂げて行くであろうことを思わせて、なおさら大阪人としては嬉しいのだ。大阪は日本でも特異な街と思われているが、それでいいのであって、そういう異質な存在が日本になくては、日本は変わったことを何もしない、ただのつまらない国になるだろう。日本中のどの街も東京化しつつあるような現在、大阪はどしどしそれに反発して、東京人が眉をしかめることを積極的にやればよい。東京が型なら、大阪はそれを破る立場を考えるべきだ。
 今回の展示の趣旨は、「産業革命から現代に至るまでのバティックのデザインと技術がダイナミックに展開して来た歴史的経緯をグローバル化の一現象として把握する」だが、バティックとはすなわちジャワ島とその周辺で生み出されたロウを使用して染めた更紗ことで、17世紀以降のジャワの宮廷を中心に発展した。手の込んだ緻密な工芸品が王侯貴族の使用するものの中で発展するのはどの国でも同じことで、ジャワ更紗においても飛び抜けて高度な技術を見せるものは、そういう人々が腰巻きや肩掛け、頭巾、筒型のスカートであるサルンに使用された。ところがその文様はジャワ独自のものに改変されていながら、実はジャワ島に伝播した文化を源にしている。金属文化(ドンソン文化)、インド、ペルシア、アラブ、中国、ヨーロッパ、日本やヒンズー、イスラーム、仏教などで、今回の展示ではまずそうした各文化の影響毎に古典のジャワ更紗を分類していたが、これがわかりやすくてよかった。一例を挙げると、ボーダー(布の端)に見られる鋸葉模様はドンソン文化、ヒンズー教のガルーダの翼文が「パルラ」文に、三位一体の超越的な空想動物模様の「ペクシ・ナガ・リマン」はイスラームの空想動物である「ブラック」の胴体と、中国の龍の頭、ヒンズー教のガネーシア神の顔を組み合わせて作ったもので、ほかにはコーランに典拠したアラビア文字のカリグラフィを多用したもの、バリ島隣接の島であった戦争を主題にしたオランダ軍を表現したもの、ヨーロッパ船の錨や日本の人形や花、蝶をモチーフにしたものなど、とにかく外来の珍しいものをどんどん摂取した。そうした古典的なジャワ更紗の多様さを前に、誰しもいったいどのいったものが正統なのかわけがわからなくなるが、そのあらゆる影響の源を個別に知ることでジャワ更紗の奥深い魅力が改めて迫って来るし、その一方、オリジナルとは何かという普遍的な問題にも気づく。さきほどジャワ更紗が世界一美しい染色品と書いたが、染織に関心を抱く人は誰でもまずインド更紗の美にぞっこんとなる。そして、ジャワ更紗が文様的にインド更紗の大きな影響を強く受けていることを知れば、やはりインドこそすごいと思うかもしれないが、影響を受けたとしても、ジャワ更紗はジャワ更紗でしかないもっと「変な」模様が豊富で、その「変」さ加減の味がわかれば、もうインド更紗は物足りなくなる。これは飲み込みつつ、決して飲み込まれなかった強さと言うべきで、模倣の域をはるかに越えてオリジナルの強固さを獲得している。であるからこそ、ジャワ更紗は世界に伝播し、今なお進化し続けている。これは日本の代表的染色である友禅ではついにあり得なかった。ジャワ更紗はどの国の独特な文様を取り込もうともジャワ更紗でしかあり得ないものになっているが、これは創作ということの秘密、あるいは文様というもの不思議を知るうえでは貴重な主題を内蔵している。
 通路内の次なる展示「ジャワから世界へ 「Part1」は「近代のプリント更紗」に焦点が当てられた。メモから引用する。19世紀後半から20世紀前半にジャワ更紗のデザインは飛躍的に進化し、その一方でヨーロッパのプリント更紗に取り込まれて行った。1811年、当時ヨーロッパでプリント産業の先駆的役割を担っていたイギリスから、ジャワとその周辺の地域で作られていた染織品を模したプリント更紗がジャワ島のバタヴィア(現ジャカルタ)にもたらされたが、この動き以前にすでにインドからジャワのイカット(絣)やソンケット(紋織り)を模したプリント更紗(一般にインド更紗として知られる)が入っていて、支配階級の象徴として用いられていた。イギリスの動きに対して1830-40年代以降、オランダやスイスを初めとするヨーロッパ諸国が加わり、50年代以降はアフリカにも輸出を始めた。そして20世紀に入って日本も生産を始め、1910年代からジャワ島、20年代後半からアフリカに輸出した。これら外国製のプリントは、ジャワ更紗を忠実に模したものから多少アレンジをしたもの、その他カンボジアのイカットを模したもの、ヨーロッパで普及していたものなど、多種多様が存在した。日本の動きに関しては今回初めて知ったが、そうした商品を作って輸出したのがいずれも大阪を中心とする関西の企業であるのが面白い。輸出専門の商品であるため、日本で消費されることはなかったようだが、もし逆輸入してある程度の人気が出ていたならば、日本のファッション界の流れがどうであったかと思う。そうならなかったところに、日本の衣服に対する限定的な美的感覚の存在を思うし、それは今もたいして変化がない気がする。それだからこそ、通路内を抜けて建物中央の広い空間で展示されていた「Part2」の「現代のプリント更紗」における、膨大な数の広幅反物のプリント生地やそれらを等身大マネキンに着せた様子には度胆が抜かれた。そうした珍しい生地は、その気になれば日本でも比較的容易に買うことが出来るもの思うが、現状では流通に見えない壁のようなものがあって、一般からは隔離されている。それは市販してもどうせ売れないという理由からでもない気がする。おそらくあまりにも派手で異質という、その謎めいたアニミズム的感覚に恐れを成しているからに違いない。日本も染色の分野で加担もして来たというのに、これは不思議なことだ。世界中のものが流れ込むはずであるのに、ある種ものには今なお精神的鎖国を敷いているが、単なる文様であっても、その単なるものが生活の根本の何かを大きく作用することを日本人はよく知っているのだ。そのため、世界で消費される「現代のプリント更紗」のごく一部のものしか取り込んではいない。それはさておき、日本の商店や商社やジャワやアフリカ向けに作った更地プリントは、ヨーロッパ諸国もの同様、次第に現地人好みの模様が出現し始めるが、これが特に面白い。ジャワ更紗自体が外来の文様の組み合わせと改変から発展したものであるから、この動きは当然と言うべきだが、やがてもはやジャワ更紗の影響が見られない大胆なプリント生地が出て来る。ジャワの宮廷とアフリカ諸国の民衆との好みの差と言ってしまうえばそれに尽きるが、その一方で明らかに伝統的ジャワ更紗風の模様もしっかりと好まれていて、世界でしぶとく生きるジャワ更紗の生命を思う。
 アフリカで流通する、ジャワ更紗の影響の見られないプリント生地は、「エスニック調」とは別に「キッチュ」として定義されていたものがある。そのアホらしいとも言える模様は、大胆と言おうか、何も美的な気配りを考えていないと言おうか、シュルレアリスム絵画の世界とそっくりでありつつ、どこか健康さも兼ね備えていて強い戸惑いを覚える。ピストルを大きく染めたもの、アルファベットのパズル的模様、仏教で言う手の印相に似た手首模様など、ヨーロッパ諸国や日本が勝手にデザインして売りつけたのか、それとも現地の捌き人たちから注文が出されたのか、おそらくその双方が絡み合って、次第に現地の好みが確立して行ったのだろう。そしてそういう大胆な模様と色使いの生地はアフリカではよく似合う。いや、そういうものしか似合わないだろう。チケットに印刷される肌の黒いアフリカのおばさんの姿をもう一度見直せばよい。その誇らしげで満ち足りた様子はどうだ。通路内展示から抜けて吹き抜けの広い中央空間いっぱいを使用した「ジャワから世界へ Part2」は、アフリカとアジアで現在流通している更紗プリントの大展示で、前者はナイジェリア、コンゴ共和国、ベナン、セネガル、カメルーン、マリ、ニジェール、タンザニア、ケニア、マダガスカル、ガーナ、後者は東南ナジア諸国やネパールなど7、8か国であった。アフリカのプリント更紗は西と東に大別されるが、西アフリカでは生地両面にロウをプリントして浸し染めする高級品のWax Printと、片面に染料を直接プリントする安価なFancy Printに分けられる。専門的になるので、これらの工程やその差については述べないが、どちらもプリントであるので、当然量産製品であり、古典ジャワ更紗のような緻密な文様を手描きで完璧に染めたようなものは再現出来ない。だが、同じプリントでも工程が増えて複雑化すれば、それなりに凝った表現が出来るし、いくらでも高価なものを作り出せる。また、プリントならではの配色が可能となり、それは手作業ではもはや作り得ない。ジャワ更紗の模倣、キッチュ、エスニック調という19世紀末から20世紀初頭に定番となったもののほかに、20世紀前半以降には肖像をモチーフにしたものや宗教的なもの、記念日やキャンペーンに因んだものなど、模様は独自に多様化している。また、東アフリカやマダガスカルは他のアフリカとは違ってカンガと呼ばれる独自の布地が普及している。これは外縁部に矩形の枠が表現され、その内部に東アフリカでは幾何学、マダガスカルでは風景を表現するのが一般的で、中央部の少し下に諺などのメッセージがスワヒリ語で表現されている。
 2階の展示は古典的なジャワ更紗の道具類の展示と、その工程や世界各地のプリント工程をビデオで見せるなどしていた。プリント技法は一様ではない。シルクスクリーンによる手作業もあれば、模様を刻んだ回転ドラムで連続的に染める、より大量生産に適した方法もある。1846年創業のオランダのフリスコ社(Vlisco)は、現代アフリカの最高級ブランド商品を生み出しているが、同社はガーナやコート・ジボアールに系列会社を持っている。またイギリスのマンチェスター近郊にある1812年創業のABCワックス社(A.Brunnschweiler & Co.)は、1908年からアフリカ向けのワックス・プリント更紗を生産していて、フリスコ社と並んで最高級ブランドとなっているが、1992年に香港に本拠をかまえる査氏紡績集団(Cha Group)の傘下に入った。日本は今も輸出しているようだったが、新たに中国の山東省が両面ワックス・プリントや片面プリントの双方に参入しているのは、時代の流れだ。それにアフリカでも独自に染める国がある。服地は消耗品で永遠になくてはならないものであるし、巨額が動く市場でもあって、今後も世界中で新たな企業の動きが見られるだろう。そういう中で、アフリカ人に階級が固定化し、それに伴って着用するプリント生地にも差が生ずる時代がもうすでに来ているかもしれない。そして、それがもっと進めば、最初のジャワ更紗のように全部手仕事でやるのが、一品制作で貴重という考えも出て来るかもしれない。おそらくそうだろう。支配階級がいて高度な工芸技術が発展するから、それは一概によくないこととは言えない。それはさておき、日本におけるロウを使用した最初の染色品の例は、有名な正倉院に保存される唐から伝来したものがまず挙げられるが、それはすぐに衰退した。現在の日本の染色界ではロウケツ作家が圧倒的に目立つが、それは奈良時代の作品とは直接的には関係がなく、明治末期に、後に京都工芸学校(現在の工芸繊維大学)の校長となった鶴巻鶴一がジャワ更紗の技術を導入して始まったとされる。ただし、ジャワ更紗制作の固有の道具であるチャンチンやチャップは使用せず、筆を用いた。京都の気候ではチャンチンの使用がかなわなかったからでもあろうが、一方で、それを用いたならば、友禅染めと大差ない表現になると考えたからではないだろうか。より自由な絵画表現を思えば、制約の多い道具より筆を使う方がいいからだ。友禅で使う糊は粘度が高くて筆で描くことは出来ず、特別の道具を使用するしかないが、ロウは熱すれば液体になって筆で充分に描ける。かくて、現在の日本の染色はロウケツ染めが主流になった。だが、それは古典のジャワ更紗とは遠く隔たった表現であり、むしろ友禅の方がジャワ更紗にきわめて近い表現が出来る。だが、そのすべて手作業による手描き友禅は、ジャワ更紗のように世界に広まることはなかったし、やがては日本からも消えるだろう。その理由は筆者にはあまりにも多様過ぎて、ここでまとめることは不可能だ。
by uuuzen | 2006-11-24 18:48 | ●展覧会SOON評SO ON
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