4日前、このカテゴリーが100回目を数えた。その内容は9月25日に書いたものだが、翌日はザッパの新作アルバムについて書き、同時に5年前の9月25日の日記を掲載した。
つまり、計らずもちょうど5年を隔てた同日の日記を相次いで投稿することになったが、5年前はまだパソコンにイロハもわからず、所有もしていなかったから、かなりの環境の変化を来したことになる。別の見方をすればこの5年はずっと落ち着きがなく、ばたばたの連続であって、それは本当のところ、いいことばかりとは思っていない。ネットのすべてに信頼を置いていないからでもある。ネットは便利だが、同じ程度にもどかしさもある。進歩と思えるものの陰には犠牲はつきものだ。来年のことを言えばオニが笑うので、5年先のことなど考えればオニは狂い笑い死にすることだろうが、ふと5年後を考えてみると、案外ネット・ライフには飽きて、また本来の、つまり本職の制作生活三昧に戻っているかもしれない。そう希望すればきっとそうなっているだろう。こうしたブログやホームページにおいてある程度自分を表現出来れば、後はほぼ同じことの繰り返しになる予感があるし、とにかく定期的に目先を変えて自分でも楽しめる内容が日々投稿出来なくなるのであれば、だらだら続けてもあまり意味はない。つまり、節目が大切だ。で、今日はそういう節目のちょっとした日に相当する。この『おにおにっ記』の文書ファイルの7つ目が始る。前にも書いたと思うが、最終回はすでに頭の中にあって、それがいつかも決めてある。そのことが見えてしばらく日数が経ってから、次なる節目も見えた。いや、さらにその次のことまでおぼろげに見えた。これは今進行中のことを日々やっているからこそで、何もやっていなければそんな先の節目も見えない。これは大事な事実だ。将来に確たる何かをやっていたい希望を言うのであれば、今とにかく何か熱心にやっていることが肝心だ。それがなければ夢は単なる夢想に終わる。将来の希望は今懸命に何かをやる中で初めて確かな形となって向こうから姿を現わす。こういうことを人から言われなくてもしっかりとわかっている若い人は、いつの時代でも一定の割合で存在する。今の世の中がおかしくなったのは、大人がなさけないからとよく言われるが、大人もさまざま、若人もそうだ。とにかく人のことを言う前に自分を見つめるのがいいかもしれない。そして、そんなちょっとした道具のひとつにこのブログが機能しているかなと思ってみたりもする。自分が面白いように書いているつもりだが、これは当然のことながら、読んでもさっぱり面白くないどころか、立腹する人もあるだろう。いいことをしていると自分では思っていても、それが目障りで仕方ない人はいるものだ。そういうことがあるとよくわかっているので、なるべくブログやホームページは宣伝もしないでおくに越したことはないとも思う。そうそう、この『おにおにっ記』はとあるブログでリアル・タイムで毎日投稿しているが、幸いなことにと言おうか、1週間にひとり程度しか訪問者がない。それでも何だかほっとしている。何事もひっそりがいい。ひっそり生きてひっそり死んで行く。ほんまかいな。

2006年09月28日 ●第 103 話 コマニはひさしぶりにまたマニマンのことを日記に書いていました。お盆が終わって宿題がたまっていた頃ですが、コマニはいっこうに平気です。図太いのか図々しいのか、単に鈍感なのか……。※
●コマニの夏休み日記 7 <8月19日> おとうさんはまえにマニマン人形をつくりました。おとうさんはさっき紙ねんどを出してきました。オニビシセイジンをつくるとおもいます。お母さんやぼくがねてしまってもまだつくっているとおもいます。おとうさんはいつも夜おそくまでおきてしごとしていますが、お母さんはおとうさんがあそんでばっかりとぼくにいいます。紙ねんどで人形をつくってもお金もうけできません。おとうさんがオニビシセイジンをつくるのは、紙ねんどがちょっとあまっていたからです。でもおとうさんはじかんもあまっているみたいです。おとうさんのかんがえていることはよくわかりません。おとうさんも夏休みのしゅくだいがあるといってます。でも、たのしくあそんでいるみたいです。おとうさんはまだバイバイバイサオーとひとりでうたっています。ときどきぼくのかおをみたとき、「♪コンマーニ・ドンマーニ」とうたいます。