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●『山下清展』
miさんが暑中見舞いのはがきを投函してくれたのは8月1日だった。消印が富士山頂の風景印になっている。前に書いたように、日本初の風景印は富士山頂だ。デザインが何度か変わったが、とにかく富士山の山頂から郵便物を出さない限りはその風景印は捺してもらえないから、これはなかなか貴重だ。



●『山下清展』_d0053294_1114317.jpg消印部分の画像を左に掲げておく。ところで、その暑中見舞いは山下清の「富田林の花火」を印刷した絵はがきだ。emiさんの好みの画家が山下清かどうか知らないが、以前にも山下清の「ムーラン・ルージュ」の絵はがきをもらったことがあるので、emiさんにとってはそれなりに気になる画家であるのだろう。筆者は昔から山下清の名前はよく知っていた。おそらく小学生の頃からだ。当時、幼い子どもの耳に入るほどに山下清の名前は頻繁にマスコミに取り上げられ、一種のブームであったのだろう。その後随分経って芦屋雁之助が山下清役を演じてTVドラマが作られたこともあったし、今はブームとは言えなくとも、山下清の名前はそれなりに定着している。だが、筆者は好きになれず、無視し続けて来た。画壇からは隔絶した存在であり、「知的」に絵を構成するといった画家ではない点で物足りなかったのだ。現在では山下清の位置をジミー大西が占めているが、知能指数が高くて博学な知識がなくても人に愛される絵を描くことが出来るという例を、山下清-ジミー大西のラインが引き受けていると言ってよい。絵の世界は無限であるから、何も知能指数が高くて博学な知識がなくても感動的な絵が描けることは真実であるに違いない。もし、絵というものが、ごく一部の知識層にしか理解出来ないものとすれば、絵の世界はごくごく狭くて、人を幸福にするものとは言えないだろう。だが、そうではあっても、やはりごくごく狭い一部の人のみに理解される絵もまたあるのも事実だ。結局ある絵とそれを愛する人というのは、ある程度住み分けている。いやいや、そう言い切ってしまえばかなり語弊がある。言いたいことはこうだ。絵を描く人にあらゆるタイプがあるとすれば、それを支持する人もまたあらゆるタイプがあるということなのだ。もちろん、人間はゴムのように伸びる心を持っているから、山下清がいいと思う一方で、たとえばハンス・ベルメールにもぞっこんという人がいておかしくない。
●『山下清展』_d0053294_164371.jpg 筆者が山下清の名前を知ってからこの半世紀近くの間、何度山下清展が開催されたかは知らないが、開催を意識したことは2、3度あった。見に行こうと思えば出来たのにそれをしなかったのは、先に述べたように関心が持てなかったからだ。で、今回は先月12日から24日まで京阪守口駅のデパートで開催され、大阪に出る用事があったので見に出かけた。見に行こうと思った一番大きな理由は最初に書いたemiさんの暑中見舞いだったかもしれないし、TVのお宝鑑定番組で最近山下清の貼り絵が出品され、かなりの高値がついたことに驚いたことにもよる。また、利根山光人の若冲論の中に、山下清と若冲が似ているとする意見を思い出したことも作用している。ま、そんなふうにあれやこれやがあったので、今回はいい機会であった。この守口の京阪デパートはいつも庶民が喜びそうな展覧会をよくやる。それは京阪沿線、しかも守口という下町に見合った企画でもあって、京都の大丸や高島屋でやる展覧会とは少し雰囲気が違う。会場を訪れてびっくりしたが、大変な人出で、今なお山下清が庶民に絶大の人気を誇っていることを実感した。展示はライフワークとなった遺作の東海道五十三次全点と、新しく修復された代表作の貼り絵少々、そしてヨーロッパ旅行で得た名所を描いた作品、それに本や身の回り品などの資料だ。東海道五十三次全点には山下自身の簡単な説明がついていて、これを読みながら絵を見るとなお味わい深かった。そして、むしろ絵よりも文章の方がはるかに面白かった。会場内の資料によって、赤瀬川原平が山下清に関して書いていることがわかったが、やはり山下の鋭い文明批評のようなものに感嘆している様子であった。文章を次々と読みながら、筆者はとても養護施設で学んだ人物とは信じられず、ひょっとすれば山下は本当は完全なる健常者であるにもかかわらず、一種の知恵遅れを装って生きる方が楽と決め込んだのかもしれないとさえ思った。メモはして来なかったが、だいたいは車社会到来を皮肉ったようなもの、あるいはお金持ちの冷淡さを突いたものなど、かなり風刺が利いていて、一見ぼーっとして無抵抗の優しい人格そのものの固まりのように見えていながら、その実、内面ではしっかりと言うべきことは言っているという姿を伝えてくれる。その意味で、「知能指数が低くて博学でない」といった絵画観がいかに先入観に染まったものであるかを痛感することになる。ある意味では山下の目から世間を見れば、価値がすっかり転倒して、文明社会を誇りたがる知識人がみな馬鹿に見えて来るわけだ。たとえばの話、山下が死んだ1971年以降さらに圧倒的な車社会になったが、人と車が同じ道路を行き通っていて、運転手のハンドル操作ひとつでいとも簡単に人間を何人でも轢き殺せるという現実を改めて見つめてみると、それは江戸時代より何百倍も文明的ではあっても同じだけ野蛮さが増した社会と言える。便利な面だけを見ているから人はそうは思っていないだけで、実際自分が轢き殺されかけたという事態にでも遭遇すれば、いかに車社会が矛盾に満ちたものであるかを実感するだろう。現代は便利さを手に入れた代わりに、昔にはあり得なかった危険やアホらしさを同時に獲得せざるを得なくなった。それを手放しで進歩と呼んでいいのかどうかだ。山下清は49歳で亡くなったが、それでよかったような気がする。今は山下のような放浪画家が、時に人情に支えられながら各地で描くには、あまりにも世知辛く、また人々は忙しくなってしまった。
 東海道五十三次のシリーズは黒のフェルト・ペンのみで描かれたもので、時間があれば貼り絵として完成されるべきものであった。下描きなしのぶっつけ本番で風景が描かれたが、広重が描いたような昔の宿場町がそのまま残っているはずもなく、山下がここだと思った風景が選ばれている。だが、あまりにも選択に困って月並みな場所を描くしかなかった場合もあり、そうした時に山下はちゃんとそれを文章で告白しているところがすごい。『どこにでもある風景で面白味はなくても、描き始めればどこでも同じ』といったことを書いていたが、この表現も唸らせる。画家としての真実の思いをよく伝えているからだ。最初は気乗りしなくても、描き進むと完成に向かってまっしぐらの気分となり、その間はずっと絵に集中出来る。時としてあまりにも普通の場所しか見当たらないというのも、東海道五十三次というシリーズを完成させるためのひとつの試練で、描きたくないものは描かないというわがままをもし山下が貫いていたならば、同シリーズの完成はなかった。このシリーズは未完と思われていたが、没後アトリエの押入れから京都に近い宿場町の13枚が発見された。密かにスケッチを元にして描いていたのだ。このシリーズはみな作品の保存状態はきわめてよく、今描き上げたばかりのような印象があった。また、これは気になったが、山下を陰で支えた後見人的な知識人がいたようで、次はこれを描いてみてはどうかといった助言をしたのではないだろうか。それは、山下が日本中を旅して歩いたため、もう描く場所がなくなったから外国に行きたいと言い始めた時以降はより顕著に見えるようになった。山下は40数日をかけて精力的に欧州を旅行したが、まだ1ドル360円の60年代に入ったばかりのことでもあり、山下ひとりでは全くどうすることも出来なかったはずだ。旅行のスケジュールを作り、同伴し、名所に連れて行って、眺めのよい場所を指示することの出来る人物があって初めて現地を題材にした幾多の作品が描けた。また、山下の生存中に東宝映画『裸の大将』が小林桂樹主演で撮影されたが、そうしたことの折衝にもそれなりのしっかりした人物が山下側についている必要があった。それは当然なのだが、山下の作品の奥でちらつくそうした人物たちの存在を思うと、山下がまさか操り人形のように描くことを半ば強制されてはいなかっただろうなとつい考えてしまう。山下の作品が現在どういう管理がなされているのか知らないが、大変な高額になっているからにはそれなりにしっかりした財産管理団体があるはずだ。
 山下は1922年に東京浅草で生まれた。翌年関東大震災に遇い、その翌年に新潟に一家は移住する。3歳の時に重い消化不良を患い、3か月後に完治するが、軽い言語障害が残った。翌年一家は浅草に戻る。10歳で父を亡くすが、言語障害によっていじめを受け、12歳で千葉の養護施設「八幡学園」に入った。15の時に八幡学園の貼り絵展が開催され、注目を浴び、翌年は山下の作品を中心とした貼り絵展が開かれて安井曽太郎から賛辞を得る。これがきっかけになって翌年には美術雑誌「みづゑ」に特集が組まれる。ところが、その翌年の18の時に、突然放浪の旅に出る。学園生活に飽きたことと、翌年の徴兵への恐怖が原因であった。1943年に母によって強引に徴兵検査を受けるが、不合格になって兵役免除となった。戦後の1956年は東京大丸で個展が開催され、1か月で80万人が訪れた。ここからは人気がうなぎのぼりになって行って、幼い筆者でも名前を知る存在となった。安井曽太郎の賛辞を得たことは大きな幸運であった。これはジミー大西が岡本太郎から絵を励まされてお笑い芸人を辞めたこととよく似ている。一般人は画壇の重鎮が画壇以外の才能をほめるといった話題にはすぐに飛びつくし、過剰に反応するものだ。もしそうした権威筋のお墨つきがなければ、山下清のその後の絶大な人気沸騰はなかっただろう。だが、人気はあっても、日本の絵画の歴史に占める安井と山下の位置は明らかに違うものであり、美術史の流れの文脈の中で山下の絵が語られることは今後もあり得ないと言ってよい。その人気はいわば芸能人的なものであって、もし美術史に位置づけるとしても、「素朴派」ないし「art brut」というカテゴリーに分類されるものだ。だが、近年における「art brut」への一般的関心は歴然とした芸術の一ジャンルとして積極的に捉えようとするものであり、先に述べた利根山光人による若冲との近似の見方などは、「art brut」を越えてさらに絵画の本質からの吟味再考を迫るものと言ってよく、今後山下の絵が新たな面で論じられる可能性もあるだろう。東海道五十三次のシリーズでは、カラフルな貼り絵とは違って黒1色で描く必要もあって、大胆に描く対象を点や線によって立体感を浮かび上がらせていたが、それはもはや「art brut」とは言えない専門的な画家以外の何者でもない技量を見せていた。貼り絵の狂気的な緻密さは違う省略の感覚が見事に発揮されているのだ。そこには朴訥に話す山下からは想像出来ない、プロの画家としてのしたたかさが露になっていた。筆者は山下をてっきり知恵遅れと思っていたが、実は全くそうではなく、見事に計算して絵を描ける才能とわかった。
●『山下清展』_d0053294_193079.jpg ところで甲府に住むemiさんが山下清の絵はがきを送ってくれたのはそれなりの理由があることがわかった。会場ではあまり詳しくはわからなかったが、山下は一時甲府の精神病院に入院していたことがあるらしい。山下はゴッホを深く愛していて、欧州旅行ではゴッホの墓参りもしているが、自分のことを日本のゴッホだと思って、油絵具ではなくて色紙を用いてゴッポ張りに見える貼り絵をたくさん制作したことは、ゴッホ以上に狂気的な絵画への熱を伝えると言ってよい。emiさんの絵はがぎの「冨田林の花火」は、今でも盛況のPL教団の花火大会に取材したものだが、山下はとにかく花火好きで、毎年夏になるとどこかの花火大会を見に行くのを楽しみにしていた。代表作は花火を題材にした貼り絵になっているが、絵具で一気に描けばすぐに済むような絵を、微細にちぎった色紙を画面いっぱいに隙間ないどころか、何重にも貼り合わせて、それこそゴッホの油彩画の絵具の盛り上がりに見えるほどに稠密な画面を作り上げていることには驚くほかない。その執念めいたエネルギーは画家よりもむしろ工芸家に近いものだが、作品をひとつ仕上げていくらになるといった金銭感覚がある者には出来ない芸当だ。無私の心があったおかげで山下の絵は卑しさから逃れ得ている。見るべき点はそこにあると言うべきだろう。山下の日記の実物が展示してあったが、鉛筆の文字がびっしりと改行なしに埋まり、貼り絵と同様の空間充填脅迫観念が見える気がした。それは筆者にはわからないでもない。筆者も似たところがあるからだ。2002年が生誕80年で、それを機に褪色や劣化が進む作品を修復するプロジェクトが始まり、修復家岩井希久子が完成させた8点が今回は並んだ。油絵具とは違って、脆弱な紙で表現されたものであるし、今までの度重なる展覧会によって、貼り絵作品はかなりダメージを受けていた。微細にちぎって貼られた色紙が画面から立った状態になったり、あるいはカビや汚れなどの付着、それに色紙の褪色の問題など、これらを修復するのはそれこそ山下が膨大な時間を費やしたのと同程度の時間を要するに違いない。色紙であるので、画面の表面は艶消しであるとばかり思っていたが、何か樹脂系の溶剤を塗布したのか、照りが全体にあった。そのため、ぱっと見は油絵具に見えるほどだ。他の画家では例のない表現でもあるので、保存方法も暗中模索になるだろうが、花火のようにすぐに消えてなくなるものではなく、末永く保存してほしいものだ。ところで、山下は日本一の存在は何でも関心があったので当然富士山はよく描いているが、頂上には登ったことはあるのだろうか。いつか日記を読むのもいいかなと思う。まだのどかな昭和時代が感じられそうな気がするからだ。
by uuuzen | 2006-11-02 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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