秋がぐんぐん大きくなっている。一昨日、京都市役所の西壁で彼岸花を見た。昨日わが家の裏庭向こうの畑ではまだ1本しか見えなかったが、今日の秋分の日はそれがもっと増えているではないか。
それは弱々しく鳴くツクツクホウシであった。死の直前まで前向きにいるその姿は哀れを誘うが、相変わらずマニマンの襲うマミー・モスキートと同じことだ。生物は種族保存のために用意された機能を、それがもう役目を果たさなくなっているにもかかわらず、命が尽きる間際まで使い続ける。となると、エロじじいという存在もしごくまともな、自然の摂理にしたがっているものと言える。その一方、ニンゲンだけは理性があって他の生物と違うという見方があり、エロさ加減もうまくコントロール出来ない人物は社会的に摩擦を起こすとして社会から抹殺される。となると、となるとだが、弱々しく鳴いた後、地面にそのままぽたりと落ちるツクツクホウシをどう考えればよいかという問題も生ずる。俳句ネタに格好なこの秋の蝉の姿ひとつ描くのに、ニンゲンは無限の立場を持つことが出来るが、そんなややこしい事情とは無関係に、とにかく蝉の雄は死の寸前まで鳴き続け、蚊の雌も同様に刺す力がほとんどなくなっても人の血を吸おうとする事実が存在する。こんなに単純率直で見事な姿はなく、ニンゲンだけが理性で理屈をこねくり回し、結局何が正しいかもわかってはいないと考える立場も間違いとは言えない。ところで、死の間際まで、元気でいた頃と同じように好きなことをし続けるというのが、生物としてのニンゲンのあり得るべき姿に思えるが、誰しもこればかりはどうなるかわからない。で、どうなるかわからないままこの『おにおにっ記』を続けて、あさってには100回を数えるが、ちょうどその半分ほどをこのブログで公開したことになる。ほとんど2か月遅れの文章の掲載は、気の抜けたコーラみたいに味気ないかもしれないが、去った季節の出来事を別の時期に読むというのは文学の常識であり、自分としてはここに再掲載するたびに読み返して面白く思っている。そうそう、1週間前、新たにIDを取得してこの『おにおにっ記』をケータイで読めるようにした。まだ30日分しか掲載していない。現在のこの画面で見るには、毎回の『おにおにっ記』の投稿画面における緑色のバナーをクリックして目次画面を表示させ、最上部の緑色の枠の中の3つ並ぶリンク・アイコンのうち左端をクリックすればよい。URLは
http://aimew.jp/uuuzen/index.phpだ。ケータイを持たない筆者は、同画面中央の縦長のケータイ用画面をケータイで見ることはかなわず、目下もところ、ケータイでどのように表示されるのか確認していない。コマニのケータイではアクセス出来なかったが、ケータイにもいろいろあってややこしいようだワイ。

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2006年08月07日●第 52 話 光じゃな。光と水があればわしらは深い眠りから目覚めて活動を始めるんじゃ。オニオニっとな。わしらの尖がった鬼の角の間、つまり頭のてっぺんからふたつの芽を出すんじゃ。じゃがな、ジャガイモさんも同じようなもんなんじゃが、水にいつも浸かってばかりいるわしらとは違うじゃが。わしらは陸に上げられればすぐに乾燥してしまって、感想なんかも言えんようになる。でもな、真っ暗の中ならば何百年でも眠っておられるんじゃ。ボウフラやニンゲンはそんな真似は出来ん。わしらの仲間がな、池いっぱいに青々としたでかい菱型の葉を浮かべてな、それで水の中では黒々とした実をな、あっちゃこっちゃの茎につける様子は、「オニオニオニーオニッ」という感じで何とも楽しいことよ。マニマンがわしらに関心を持って、去年は遠方から呼んでくれたが、コマニが昔使っていたちっぽけなバス・タブで育てられるとは、夢にも思わんかったゾイ。わしらの生態ついて無知なマニマンはあの手この手を打つと言っとるが、なぜわしがこんなに弱ってるかわからんじゃろが。オニオニオニッと角で刺してやろか、マニマン!