心斎橋のキリンプラザで7月15日から今月3日まで開催されていた。7月29日に見たのでもう記憶がうすれ始めている。同じ日に国立国際美術館にも行ったが、こちらはまたいずれ取り上げる。

澤田知子という名前はごく普通で印象に残りにくい。これをたとえば「サワダトモコ」とやると、いかにも現代の芸術家といった雰囲気が生まれるが、人を食った割りには自信過剰気味の一方、中身はたいしたことのない様子が漂う。名前の凝った表記にこだわるのもいいが、才能が伴っての話であるし、まずは作品が当の表記にふさわしいかどうか絶えず自問し続けるべきだろう。澤田知子の場合、その独特の表現もあって、名前よりまず作品が衝撃的で、一度知ったり見たりすると、もう忘れることが出来ない。名前より先に作品が自己主張している例としてこれは見事だ。だが、その作品はすべて澤田の顔や身振りが中心となったもので、その点だけを捉えれば芸能人のあり方と大差ない。現在の芸術家は有名人という点において芸能人と同じような位置が求められてもいるので、澤田の作品はきわめて現在的と言ってもよい。画家が自分の顔をモチーフに描くことは昔からあるが、その点のみを取り出して極限にまで押し進めた立場にあるのが澤田だ。これは芸術史上初めてのことと言ってよいだろう。作品はよく人を表わすという言い方をするが、澤田の場合は直接自分の容貌を作品の主題にしているので、このテーゼに文字どおり沿いつつ、さらにその奥でやはり澤田の本質を露にもしているという二重性が存在する。となると、澤田のどの作品にも表われている澤田のそれぞれ違った顔は本人の本質を表現する素材群であり、どれも仮面と考えて差し支えないことにもなる。この展覧会のタイトルはその意味でよく考えられているが、これは澤田自身の新作からそのまま取ってつけたもので、澤田自身が自分の作品の本質を常によく考えていることをよく示している。仮面(マスカレード)に少なからず関心のある筆者としても見逃すわけには行かない展覧会であった。
去年だったか、澤田展が国立国際美術館で開催されたが、あいにく見ることを逸した。新聞でも取り上げられ、おおよそ作品は知っていたので、今回実際に見て新鮮な思いはあまりしなかったが、それでも一度は見ておくべき作家であるのでちょうどよい機会であった。澤田はキリンプラザには10年ほど前に訪れていつかここで個展をしたいと思ったそうだ。それが実現したのであるから、ちょっとしたシンデレラ・ストーリーと言ってよい。澤田は自身ではカメラのシャッターを押していないので、写真家と言うには型破りな存在だが、写真を主に使用して表現している点で写真芸術のジャンルに含まれる。そんな澤田の作品は一度知れば、あるいは見れば即座に理解出来てしまうようなところがあって、そのわかりやすさの点で侮られやすいだろう。ちょっとした思いつきがそのまま発展したもので、誰でも簡単に真似できる作品というわけだ。これはある意味とても正しい。だが、一見軽々しく表現しているような作品ではあっても、実際にそれを撮影し、そしてひとつの作品として組み立てるにはかなりの時間と手間を要するものであることはすぐにわかる。この点は森村泰昌の写真作品と同じと言ってよい。だが、そうした撮影までの準備に大きな手間がかかるとはいえ、撮影は一瞬であるので、表現されたものはどうしてもうすっぺらい感覚を伝える。だが、それがまた写真のよさでもある。絵ならば下手であってもとにかく自分の手で描くという行為が必要で、模写するにしても技術や時間が欠かせないが、そうした艱難辛苦が露になったような作品は現在はあまり歓迎されない状態にある。シャッターを押せば写るという即効性はいかにも忙しい時代には見合った表現で、メイプルソープもそれを思って、たとえばこつこつと時間をかけて彫り上げるような彫刻の道に進むことをしなかった。ここには彫刻も写真も表現の点においては同じという考えがあり、もっと先を言えば、有名になれるならばどんな表現方法でも手段を選ばないという思いが見え隠れする。無名の芸術家など何の意味もないという思想は、芸能人とほとんど同列に芸術家を思う現在であればますます万人が納得出来るものであって、作品づくりは有名になるための道という見方が支配的だ。そして有名になることはほとんど経済的に豊かになることと同義とも受け取られている。
若くして有名になった澤田がそんな世間の目というものもあれこれと考えながら作品づくりをしていることは、会場にあった澤田の言葉からもわかる。メモしなかったので正確ではないが、こんな意味のことを書いていた。以前澤田は職業を訊ねられてフリーターと答えたところ、人々はいい表情をしなかった。アーティストと答えるとそれはもっとひどくなった。つまり、売れない芸術家は世間ではフリーター以下なのだ。澤田が母校の成安造形大の講師になった後、同じ質問をされて先生と答えると、人々は今度は尊敬の眼差しで見たが、さらに本を出していると言うともっと相手の目は輝いた。この話は世間の常識をよく伝えてとても面白い。売れないアーティストはただの道楽者で、普通に働くフリーター以下の存在というのはかなりまともな見方であるし、学校で教えているというのは、誰でもそう簡単になれないという点でフリーターとは3桁以上も価値の大きい見上げた職業と認識される。そして本を出すというのはもっと珍しいことであって、なおのこと感心される。澤田は処女作品を作って10年にしかならないが、その10年でフリーターから始めて本を出すどころか、展覧会もどんどん開催し、日本より海外での方が有名という存在になった。だが、澤田自身の内部には10年前と自分は変わっていないという見方がある。同じ人間であるのに世間の方は見方を変えた。こうした世間の目と自分との対比の中から澤田は次々と新しい自己を見出して表現して来た。そこで素材になるのが自分の顔であるということなのだが、筆者も20歳頃だったか、顔というものをよく考えたことがある。それはキリストの顔を想像したことからだ。人間の顔の筋肉は喜怒哀楽を作り出すものであるから、キリストも悪人面のような相をしてみることは出来たはずだ。でなければキリストは顔の筋肉が硬直した病気ということになる。つまり、顔は自在に表情を変えるものだとすれば、キリストの卑しい表情もあり得たし、そういうキリストの方が人間らしくて信用出来る気もするが、今までの絵画の歴史はキリストを痩せ型の男前のように描いて来たし、人々もそう思っている。神々しい理想的な男性の顔があるということで、そういう紋切り的見方から最初から弾かれる男は立つ瀬がない。だが、キリストがロボットではなく、人間の筋肉を持った存在ならば、時にひとりになって鏡の前で卑しい表情を戯れにしてみたことはあり得るし、もしそうであるならば、同じ人間の顔は仮面ではないかとも思えて来る。そして顔が自在に変化し得るのであれば、それに応じて心もそうであるだろう。そこから考えを押し進めて昆虫など小動物はどうかという問題も浮上するが、それはさておき、とにかく人間の顔の表情の変化という問題は神の表情の問題につながって、人間にとって本源的なことの中心を成しているとさえ思える。そういう筆者の若い頃の思いを澤田の作品は想起させてくれるが、ごく一般的な人間の感情と自己をバランスよくを見つめることの出来る澤田はすでに大物の器をはっきりと伝えている。ちょっとぐらい有名になったからといってすぐに自惚れる芸能人とは格が違い、また逆にスノビズムから人を見下すような作品づくりに進むのでもないところが急速な人気上昇を支えているだろう。
写真芸術の可能性が加速化したのは80年代からであったろうか。シンディ・シャーマンが紹介された時、自己をそのまま素材にした新たな写真芸術の可能性の地平が開けたが、日本ではたちまち森村泰昌が同じように自分自身が写真に登場する作品によって有名になった。両者の作品はたとえば滋賀県立近代美術館の常設展示室では隣同士に並べられている。両者に共通するのは自己が別の何かに扮するという手法だ。森村の場合は、セザンヌの静物から始まって『モナリザ』などの名画中の人物にそのままなり切るという方法を繰り返している。この調子では森村のなり切り写真による名画全集がいずれ刊行されるだろう。だが、正直な感想を言えば、森村の作品は初期の頃はさておき、どの芸術家にもある作品の変遷の跡が見られず、すでに退屈の域に入っている。それに名画をパロディにするとはいえ、モンドリアンの縦横の格子絵画のような抽象画は決して手がけないし、手がけられもしない。シリーズ的な作品を手がけると、情報伝達が速い現在では、たちまち次の手が読み取られ、新作が退屈でしかあり得ないという状況が生まれる。森村はそういうことを見越して多くの手を尽くしているとは思うが、それでも筆者にとっては名画の人物なり切り作品はもう食傷気味となっている。むしろ醜くいやな物を見たという思いになるほどだ。あらゆる名画の人物に森村がなり変わるとしても、名画の命はびくともしないし、むしろ将来は森村の作品はひとつの変わった模写程度の位置にとどまるだろう。たとえばマリリン・モンローになり切った作品があるが、これもマリリンというイメージが一般に流布していることで成立する作品であって、すでに有名なイメージを借りる手法は名画のパロディと同じだが、実際の話、森村のマリリン風の化粧はただ気持ち悪いだけでどこに見所があるのか筆者にはわからない。森村の作品は、巨大かつ不動となったイメージに寄りかかって作品を作る方法を生み出したウォーホルから必然的に導き出されるような一方法と言えもするが、森村の顔が作者の落款のようにどの作品にも登場する点で、芸能人ときわめて近い自己陶酔型の人格を強く思わせつつ、そうであるならば名画というものに寄りかからずに役になり切って演技をする俳優を見ている方がはるかに面白い。誰でも知るイメージを引用しないで森村が自身を登場させる作品を作るかどうかが今後の楽しみと言ってよいが、実はそれを澤田が軽々となし遂げてしまった。森村は女装趣味が強いが、女性である澤田は最初から化粧という女性に特有の普遍的行為に関わった作品づくりをしていて、しかも無理に男性に成り変わろうという考えも起こさない。この自然体が作品に安心感を内蔵させ、また森村の作品のような無残な印象を伝えない。それに森村のように、たとえばそこそこの美術通でなければわからないような凝った名画を引用する行為は澤田には無縁だ。寄りかかる物は自己しかないという点において、森村よりはるかに芸術の極北に位置していると言ってよい。キッチュ性を考えると、澤田にもそれは見られるが、森村とは別種のものだ。森村の場合は風刺ではなく、かといってオマージュでもないが、筆者には自己耽溺性しか伝わらない。澤田はそれをも突き抜けている。ジョン・レノンの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の歌詞冒頭ではないが、「自分は彼で、あんたはあいつで、みんな同じ」といった人類すべてを見わたすような壮大性すらある。
シンディ・シャーマンは美人と言ってよいが、彼女もまた森村のように異性になり変わる願望を露にしたような作品をよく作っていた。それは見ていて痛々しくもあって、作品を絵として楽しむというより、作品行為に至る彼女の内面の方に関心が向く。この点は森村の作品も似ている。名画を引用する行為には何か有名コンプレックスのようなものが貼りついているように見え、表現者としてまだ青い印象を与える。だが、作品行為は大なり小なりコンブレックスが原動力としてある。澤田も例外ではない。澤田の作品の一大特徴である自写像は大学の授業での課題がきっかけであったが、自身の容貌にコンプレックスがあったことがこの課題にその後も関わり続けさせることになった。今回は1996年から翌年にかけての最も初期の作品「Early Days」が展示された。これはモノクロの10点ほどの比較的小さなサイズの写真で、すでにその後の澤田の持ち味が出ている。白く塗った顔を時計の文字盤に見立てて数字をぐるりと額や頬、顎に書いた様子を捉えたもの、同じく白く塗った顔に仮面をかぶったもの、片目に義眼を嵌め込んで撮影したものや高い鼻をつけたところを写したものなど、自分の顔をキャンヴァスかつ描かれる素材として考えた写真ばかりだ。授業の課題によく挑戦して表現し得たと言ってよいが、これら初期作品には不気味さや静謐さ、そしてどこか痛々しさのようなものが見て取れる。それらは自己の顔に対するコンプレックスゆえと言っていいかもしれない。しかし、それだけ自分の顔の構造を熟知しているところもうかがえる。ここが大事なところで、澤田は学生時代に自分の顔を絶えずそして強く意識していたことがその後現在までの作品づくりのエネルギーの源となっている。女性であるので、いや男性でも自分の顔に関心があるのはごくあたりまえのことだが、澤田のように一般的な意味では美人とは捉えられそうもない顔では、この問題はもっと深刻なものであったに違いない。もっと鼻が高ければよいのにとか、顔の各パーツに不満を抱き、さっさと整形手術に走るというのが昨今の風潮であるし、澤田もそうしていれば芸術行為に走ることもなかったかもしれない。だが、澤田は自分の容貌にどこか不満を抱きながらも、それを凝視することを選び、そのままひとまず自己肯定の位置から顔というものの不思議を考え続けた。そこが芸術家になるかただの普通の女性になるかの別れ道であった。
澤田の作品を見て行くと、実に愛らしい女性であることが即座に伝わる。通常の意味の美人は無数にいるが、澤田のような可愛らしい女性は稀だ。女性芸術家にありがちな、自分は特別だと言わんばかりの傲慢振りは微塵も感じられず、ごく普通のそこらにいる気やすいおばちゃん的な感覚があるのがよい。これはけなしているのではない。温かくて心が大きい感じがするという点において最大の女性への賛辞だ。澤田は神戸生まれで京都の大学に学んだが、大阪で言う「いちびり精神」を芸術に引き上げた点において森村と共通し、関西でしか生まれ得ない作家と言ってよい。2003年の作品に「COSTUME」と題するものがあって、澤田は旅館のお将や受付嬢、八百屋の店員に扮装して写っている。旅館のお将振りは本物以上に本物で、しかも実に楽しい表情で写っていることもあって、見ていて非常に楽しい作品に仕上がっている。澤田は俳優の道に進んでいても性格俳優として大成したと思える。たとえばパーシー・アドロンの作品など似合いそうではないか。それはいいとして、澤田を知らない者からすれば、単なる旅館のお将の写真でしかあり得ない写真が、どうして芸術作品として立つかと言えば、そこには澤田の顔や以前の作品を知っておくという前提が欠かせない。その点において澤田が作り上げて来た文脈から外れては作品たり得ないという一種の欠点はある。その意味で「COSTUME」はシンディ・シャーマンの作品の手法と同じと言ってよいが、あっけらかんと明るい表情が満ちる点でシンディや森村とは一線を画し、一旦澤田の顔や持ち味を知れば、より幅広い世代や芸術に関心のない人々にも受け入れられるものだ。今回は2006年の作品として「Recruit/Navy」「Recruit/Grey」「Recruit/Black」という、それぞれ縦横10点ずつ合計100枚の就職活動用証明写真の3点揃いや、20点組の同じく正面向きの顔を捉えた「COVER/FACE」、そしてチケットやチラシに一部が使用された50点組の「MASQUERADE」、30人のお見合い用写真になり切った「OMIAI♡」、それにヴィデオ作品も上映された。このほか資料として「コギャル」シリーズや「School Days」、「ID400」シリーズなども紹介され、澤田の10年間の変遷ぶりがよく伝わる内容となっていた。「ID400」は澤田の名前を世に出すきっかけとなったものだ。600円で4カット撮影出来る証明写真機を400回使用して撮影した組写真で、そのすべてが違う服装と表情となっている。地下鉄で自宅から4駅目のスーパーの立体駐車場にその証明写真機があり、すぐ近くにトイレでいちいち着替えをして24万円の撮影代を費やして作品を作ったが、この作品によって木村伊兵衛賞を受賞した。一眼レフの高価なカメラがなくても写真作品が作れることを証明した功績は大きい。素人ほど機材や道具に凝ってろくに使いこなせいまま次々と新しいものを買い続けるものだが、最も始源的な何かを使用してさえも最先端の面白い表現が可能であることを澤田の作品は言っているかもしれない。何しろ自分の顔だけがあれば人を仰天させ、そして微笑ませる作品が生まれるのであるから、澤田の作品に注目する人々が次々と現われているのは当然過ぎることだ。