週1回の長文にすると、何を書こうかと迷う。結局この1週間で一番印象に強かったことを書くことになるが、印象に強いことは常にたくさんあるのでまた迷う。それを前提としてつつも今回はこの映画を取り上げる。
妹から何枚かの映画のDVDを借りたままになっていたが、この10日ほどでおおよそ見終えた。借りていたのは筆者が妹宅で選んだものだ。そうこうしているうちに妹はさらに筆者が見たいものを入手している。この調子ではそれらの感想をブログに書くのは1年後でも無理だろう。『チルソクの夏』については2年ほど前にネットで知った。日韓合作映画と思っていたが、そうではなかった。高校生が主人公であるし、内容が日本と韓国の交流をテーマにしたものであるので、爆発的なヒットは最初から難しい。体育系の高校生をテーマにしたヒット作となると『ウォーターボーイズ』があるが、複雑な国際間の問題は一切取り上げられていなかったし、男がシンクロナイズド・スウィミングをするという突飛な話がテーマとなって笑いの要素が大きく、娯楽映画として受け入れられやすい条件を最初から持っていた。『ウォーターボーイズ』は確かに面白かったが、そういう面白狙いの映画ばかりでは日本の映画界も底が浅いと言うべきだろう。文部省選定や推薦といった堅苦しい教育的な映画がもっと作られるべきと言いたいのではない。笑いを通じる以外の方法でも映画は感動を伝えられるはずであるし、そのことを時として思い出さなければ、人間の精神はバランスが取れない。韓国映画やドラマが日本で受け入れられたのは、案外そんなあたりまえのことを再確認させてくれたからではないだろうか。真面目な問題を取り上げることは、どこか格好悪く、また気恥ずかしい思いをさせられるところから、あまり歓迎したくない思いを抱きがちになるのはわからないではない。正直に言えば、筆者はそんな思いを最初からこの映画に対して抱いたので、興味を持ったにせよ、DVDを借りて半年以上も放ったらかしにしていた。だが、真面目を常に茶化してまともに考えないのは幼稚と言うか、異常と言うか、逆にとても格好悪いことだ。真面目であるべき時は真面目になり、笑う時には笑うのがよい。
「チルソク」とは韓国語で「七夕」の意味だ。韓国にも七夕があったのかと思う人があるだろう。筆者もその口だ。それほどに韓国の文化は日本に知られていないし、日本は日本だけが特別な国だと思っている。だが、平安時代からずっと朝鮮半島も日本の島国も中国から見れば同じ属国と言ってよく、いわば中心から外れた辺境に過ぎない。それほどに漢字を生み出した国は文化を先進させていたわけだが、日本が経済大国になって中国を侮っていると、これはやはり今後はまずいだろう。話は変わるが、先日の新聞に北京オリンピックに際しての競技種目のマークの発表があって、それらがみな漢字を元にしたものであることに驚いた。それは当然予想されるデザインだったが、改めて目に見える形で提示されると、やはり中国の長い、確固たる歴史を思わないわけには行かない。筆者が小学6年生の時にあった東京オリンピックの競技種目のマークは、当時とても斬新なものに思えて盛んに模写した記憶があるが、漢字を基礎にマークを作り上げる感覚には、自国の文化に対する揺るぎない信頼が見られ、それが何だかとても眩しい。日本のモダニズムは欧米の物真似から出発してその改変を続けて来たが、中国はそうではない方法があることを今後見せつけて行くような気がする。それを言えば、また話は戻るが、韓国映画やドラマも欧米や日本にはないものを生み出して来ているゆえに目を離せない存在になっている。で、さらに話をつなげれば、そんな韓国ブームがあってこの映画も生まれて来たのだろうと思っていたが、実際はそうではなかった。ネットで調べると、監督は10年も企画を温めて来たらしい。佐々部清という、1958年下関生まれの監督で、助監督としては日本一有名なほどで、また監督しても何本も作品を撮っているが、筆者は今回初めて見た。筆者より7歳年下だが、映画を見たところ、感覚的には同時代人に思える。これは監督が大人びていて、筆者が子どもじみているからだろう。
下関は一度だけ土を踏んだことがある。もう10年以上になるだろうか、韓国旅行した帰り、関釜フェリーに乗った。朝の8時頃、下関港に着き、そのまま電車に乗って若戸大橋の見えるところまで行って、後はタクシーで北九州市立美術館を見た。そのため下関の街はさっぱり見ずに終わったが、ここ何年か旅行会社の企画商品に下関や門司方面へのレトロを売り物にした1泊旅行があることには目をとめていて、下関には赤間神社といった見所などがあることはよく知っている。その赤間神社がこの映画に出て来たが、山が迫った港町はどこか長崎に似ているようで、旅行してもいい気分になった。関釜フェリーは国際フェリーの代表格だ。今では韓国からの旅行者が毎日それに乗ってやって来るが、下関が釜山と姉妹都市提携を結ぶのは当然のことだろう。だが、映画でも言っていたが、下関は釜山とでは人口が1桁違うどころではないので、見所があるとすれば断然人口の多い釜山の方かも知れない。関釜フェリーが開通したのは1960年頃だったか、この映画が描く1977年からしてまだそんなに昔のことではなかった。また、韓国の1977年は朴大統領政権で、夜は戒厳令が敷かれて外出禁止になっていた時代でもあり、とても今の韓国ドラマで見るような洒落た生活が一般には及んでいなかった。1977年と言えば、監督としては20歳になるかならない頃だ。日本の高校2年生の女子4人が物語の中心を担うが、監督は彼女たちの思いがそのまま理解出来る世代なわけだ。つまり、自分の青春時代を思い出しつつ、そこに思い入れを込めやすい点、映画はよりリアルなものになる。また、これは本当のことだと思うが、下関は70年代に釜山と毎年7月に高校生の陸上競技の親善試合を行なっていた。関釜フェリーの取り持つ縁ということでそうした動きはあって当然だろう。国の思惑もあるが、地方都市にはそれなにまた別の思惑があって当然であるし、親善することに異論を唱える者はいないだろう。だが、こんな話もある。ある評論家は対馬が最近税収目的で韓国人に別荘地として土地を分譲していることを取り上げて、いずれ対馬は韓国の物だと韓国人が騒ぎ出すとTVで言っていた。トンデモ意見でメシを食っている恥知らずを見ていると吐き気がする。
さて、4人の女子高校生の陸上選手たちは釜山での競技会に出る。そこで4人のひとりがある格好いい韓国の男子高校生に一目惚れをする。だが、その男子は4人の中では別の女子に関心を抱き、七夕の夜、明日はもう日本の高校生たちが帰国するという時、宿泊している建物の外にやって来て窓ガラスに小石を当て、彼女を窓際に呼び出す。ふたりは窓越しにまるでロミオとジュリエットのような感じで話し合うが、お互い言葉はスムーズに通じない。それでも来年の7月には今度は下関で開催される試合で会おうと約束をする。韓国の男子アン君を演ずるのは、その訛ある日本語からして本当に韓国人かと思ったが、そうではない。これはなかなかの名演技だ。一方、アン君が惚れた女子は郁子という名前だが、筆者の好みを言えば4人の中では一番目立って好感が持てた。たいていは髪を三つ編みにして両方で束ねていたが、それを解いた髪型で2、3度映ったのを見ると、まるで別人の色気があった。4人の女子は実際に陸上競技の出来る女子高校生から選んだとのことだが、そのこともこの映画にさらなるリアル感を付与している。アン君の家庭は父親が外交官をしていて、いずれ自分も同じ道を歩むという、かなり金持ちで知的な家庭との設定だが、郁子は同じひとりっ子ながら、父がギター片手の流しの歌手で、カラオケが出回り始めて仕事が激減している状態でもあって、家庭の経済状態はすこぶる苦しい。それゆえか、郁子は朝刊配達のアルバイトをしている。何だか取ってつけたような対比だが、現実としてそういうことは大いにあり得る。アン君と郁子は文通をするが、お互いの家庭の親はそれに眉をひそめる。アン君はソウル大目指して猛勉強せねばならず、郁子は親を初め、周りの人間は誰ひとり朝鮮人を快く思わない。そんな中、郁子の成績はがた落ちし、アン君の母親からもう手紙を送ってくれるなとの便りが届く。それでも夏には下関にきっとやって来ると信じて走り高跳びの練習に精を出す郁子だ。そして夏が来るが、日本に来る高校生の名簿にはアン君の名前はない。にもかかわらずみんなと一緒に港で船を待つ郁子で、このあたりの描写は痛いほど気持ちがよくわかり、涙を誘う。
だが、それ以前に涙を誘うシーンがあった。郁子の父親は下関出身の演歌歌手山本譲二が演じているが、流しの仕事が激減したことで、ある日とあるスナックのカラオケを壊してしまう。男数人によって袋叩きにされ、ギターもぶち割られてしまうが、たまたまそこを通りかかった娘によって助け起こされる。このシーンはあまりに出来過ぎで演歌っぽいが、もともと歌手が仕事である父親役でもあって、そのはまり切ったわざとらしい設定も気にならない。その後郁子は質屋で1万円のギターが半額で売られているのを見つけ、アルバイトのお金でそれを買って父親にプレゼントする。娘からギターを贈られた父親は少しチューニングした後、すぐに1曲歌う。それが絶品で、山本譲二の才能と格好よさに思わず唸ったが、この映画のベスト3のシーンのひとつに入る。歌った曲は「雨に咲く花」で、昭和10年の流行歌だ。何度もカヴァー録音されているので、演歌の古典のようになっているが、筆者はこの曲は幼い頃に聴いて記憶にある。山本譲二が歌うのは歌詞の1番目だけだが、その内容があまりにも郁子の境遇に合っているため、歌を聴きながら筆者は涙が出て仕方がなかった。「及ばぬことと諦めました。だけど恋しいあの人よ。儘になるなら今一度。一目だけでも逢いたいの」。たったこれだけだが、この歌がなければ山本譲二の起用の意味はなかった。監督のこだわりが強烈に光っている部分だ。映画はもっぱら高校生が見ればいいように作られているが、実は監督の世代やもっとうえの世代が見ても大いに感じ入れる内容になっている。そのひとつがたとえばこの曲の使用だ。それに、男女の恋しい思いに古いも新しいもない。また、1年後に会えるか会えないかわからない異性に対して、ただひたすらにその日が来るのを待つという設定はあまりに純粋過ぎて、今の高校生の感覚にはそぐわないとして、最初からこの映画の値踏みをする人があるだろうが、それは早合点というものだ。監督はそれを見越してちゃんと今でも通ずる現実的な内容も盛り込んでいる。それは4人のうち、最初にアン君に目をとめた女子が、すぐさま別の男子高校生に恋をして接近し、たちまち肉体関係にまで進んでしまうという話だ。今では中学生でもセックスまでに至る関係は珍しくないが、この映画はそういう現実が70年代でもそれなりにあったと描くことで、逆にピュアな恋心というものの存在感をリアルに浮かび上がらせている。そして、これは『冬のソナタ』でも感じたことだが、肉体関係にさっさと進展しないからこそ、逆にエロティックと思えるものなのだ。ピュアな恋心は、とっくに肉体関係の何たるかを知ってしまったから失われる感覚では全くない。心がときめく異性の出現とは、常に全く経験したことのない新しい感覚を伴っている。そのことが感じられなくなった時はもう人生からはお払い箱だ。さて、これ以上詳しく映画の粗筋を書くことは差し控えよう。日韓の難しい問題がテーマと言うより、いつどこでも起こる男女の恋焦がれる思いが中心になっている。恋心は国境を越える。それくらいの恋でないと恋ではない。