雨が降る中、17日の日曜日は西宮市大谷記念美術館に行った。その日は3つ美術館を訪れた。

阪急沿線ならいいが、みな阪神の駅から近い。これでは阪急の1日乗車券を買うよりも、まず阪急で最寄りの駅まで行って、そのつど阪神の切符を買う方がよい。阪急と阪神が合併して、どちらの線も使用出来る1日乗車券が早く発売されればよいが、いつになるやらだ。それに阪急と阪神が同じホームに乗り入れているのは神戸の一駅だけで、合併しても両線共通券が発売されるかどうか疑問だ。それはさておき、いかに交通費が最も安く、しかも短時間で移動出来るか、ついそんな計算をしてしまうのは合理的な大阪人ゆえと思うが、毎月たくさんの展覧会を見るために東奔西走している身としては、経済を考えるのもやむを得ない。ところが、いつも物事が理想的に進むかと言えばそうではない。この展覧会も予めチケットを入手していたのに、17日は無料観覧日であった。何だか損したような得したような気分になったが、展覧会は作品数が少なくて見やすく、好感は持てた。案外早く見終わったので、強い雨の中、裏庭を巡った。館が建て変わる以前はよく見たなと思い出しながら、玄関ホールを見通す池の縁に来た時、しゃがんで写真を1枚撮った。どの植物もよく手入れがされていて、雑草の1本も生えていなかったのは気持ちがよい。いつも左回りする癖がついているために、庭もそのように回ったところ、最後に来て反対方向であることに気づいた。そう言えば、最初に岡本太郎作のブロンズがあったのに、それはどう見ても置かれている向きがおかしかった。指示どおりに回れば、最後でそのブロンズの笑顔にまともに出会うという仕掛けなのだ。今は美術館の敷地に入ってすぐ、玄関料金を支払わずとも庭だけをぐるりと一周することは出来るようだ。本当は咎められるだろうが、誰にもわからない。もっとも、庭だけを見に来る人は近くの花好きでない限りないはずだ。そうそう、思い出したことがある。前回はこの館では西村功展を見た。その感想の中に、西村が描いた神戸市内のビールを飲ませるリスボアという店にいつか行きたいと書いた。その後すぐにわかったが、同店はかつて元町の大丸前にあって、阪神大震災で潰れてしまったそうだ。そのまま閉店になったのでもう存在しない。「あった」ものが「ない」。「ある」のに「ない」。「ない」のに「ある」。そして「なかった」のに「ある」。これらが正確に区別出来ないようになれば恍惚の人か。

さきほど月末の新聞回収日が近いので古新聞を見直して束ねた。すると6月29日にこの展覧会の紹介が6段抜きで出ていた。見出しは「見えないものを確かめたい」だ。玄関を入って正面の広いホールに展示してあった作品と、その横に立つ植松氏の写真がある。背後に庭が見え、池の真ん中にも作品が立っているが、それもうまい具合に写真に収まっている。17日はこれもうまい具合に植松氏の作品説明があった。すでに始まっていたが、途中から作品を見ながら少しだけ聞いたところ、関西弁で、気さくな人柄が伝わった。鉄や石を使用する現代美術と聞くと、理論づくめの堅苦しい人柄を思いがちだが、氏は陽気な雰囲気がある。作品もそんなに難しいことを考えずとも、ただ素直に驚いて感心すればいいように思えた。1947年神戸生まれで、75年以降ドイツを日本を拠点に活動している。97年に『知覚を超えてあるもの』という展覧会を同館で開催し、同館はそれ以後毎年作品を買い上げている。今回は70年から近年の21点で構成されていた。作品ごとに簡単なスケッチをして来たので、それを掲載して説明する。まず前述の新聞に載った作品。「宇宙線の庭-水」(2006)というタイトルで、素材はブロンズ、ガラス、鉄、水だ。玄関ホール正面奥に、曲線のギザギザの縁を持った横長の巨大な雲型のステンレス板が敷かれ、そのうえにキャスターの車が6個つけられたブロンズ製の移動式地球儀が置かれている。これはかつてザッパがビザー・レーベルのトレード・マークにそのまま使用していた昔のガソリン・スタンドにあった移動式オイル・ポンプのようで面白い。雲板の端にはガラスで作った人の頭ほどの電球型のオブジェがぽんと転がっている。地球儀の中には水が入っているそうだが、それは気づかなかった。新聞記事によると、宇宙から地球に降り注ぐ粒子、宇宙線を真鍮の棒で示す考えがあったらしい。そのことはこの作品から最も近い壁面にこの作品の最初の案のドローイングにも示されている。近年は地球や宇宙、生命など新たなテーマに向かっているそうで、この作品もそれに属する。筆者には背後の庭と呼応して、何だか日本の生け花の現代版のように感じられた。現代の素材を使用した生け花的緊張感を孕む空間表現だ。雲型は水盤であり壺のような容器で、移動式地球儀は可変的植物のメタファーだ。「見えないものを確かめたい」のであるから、見る者が勝手に別の物を確認してもよいだろう。

この作品の背後、ガラス越しに庭池に立つ白いオブジェが見える。高さ3メートルほどか。これはポスターやチラシに使用された作品の別ヴァージョンだ。ポスター作品は西宮のどこか公共空間に展示されていると係員から耳にした。「水の庭-螺旋と結晶」(2006)で、FRP、鉄、ステンレス、大理石から成る。漏斗をいくつも重ねた構造は花のようで、これまた生け花ではないか。大理石がどこに使用されているかわからず、目を凝らしたところ、庭横の茶室の縁側のうえにそっと人頭ほどの白い塊が置かれていた。遠くだったのでよく形は確認出来なかったが、キュビズム風の彫刻に見えた。先の作品のガラス頭と似た位置にある添え物だ。漏斗の重ねは安定のために底に丸い板がついていたが、これが池の底に丸見え状態でやや白けた。次のホール左の最初の部屋はインスタレーション作品だ。「水の庭-雨」(2006)。床に直径30センチほどの丸くてとても細い管の蛍光灯が30個ほど光っていて、その各中央からは真鍮の細い管が天井に斜めに届いている。蛍光灯がとても眩しかったが、白い電気コードが見てはならず、記憶の中で消し去るべきものだ。降り注ぐ宇宙線が地表にぶつかって輪を描いて光っていると味わうべきものだろう。次の部屋は真っ暗で大きな音がしていた。滝の音だ。縦3.8、横10メートルの壁面いっぱいに映像が写し出されていて、左半分は水がうえから下へ流れる様子のFALLING、右半分はその逆回転映像のRISINGだ。「水の庭-音」(2006)で、どのくらいの時間で映像がループするのか知らないが、ま、涼しげな印象を与えるところ、夏向きと言える。

この後2階はみな旧作で、オブジェを1ないし数か所のピン・ポイントで支えるアクロバット的な緊張感のあるものがほとんどだ。まず「置-傾」(1988)は銅と木による作品で、直方体の白木の角のひとつが高さ1メートルほどの円錐形の筒の先端に寄りかかっている。力がうまく拮抗しているためにある程度安定していて、わずかな力では倒れない。これは小さな模型で実験してから大きなものを作るはずだが、数式を使用した力学計算をしているのではなく、直観と試行錯誤の産物だ。「置-3つの石/傾」(同)は先の作に3個の石を加えた壁面用作品だ。円錐筒の大きさはぐんと小さい。それが壁に取りつけた鉄の支えからずり落ちそうだが、うまく安定している。同じ部屋にあった「置-浮遊の場」(1989)は真鍮で作った枯れ枝が銅筒3本に支えられている。あらゆる物は3点で支えるのが最も安定するから、これは驚くに当たらないと言ってよいが、それにしても見事なバランスだ。タネも仕掛けもないのに宙に浮いているという感じがあってよい。銅の円錐筒は先の2点より小さく、高さ40センチほどだ。この部屋で40人ほどが植松氏に説明を受けていた。氏の背後に回って室内を一巡したところ、壁面に3点の写真作品があった。「直角の場」「垂直の場」「水平の場」で、いずれも1993年撮影だ。これらは美術館だろうか、部屋の出入口の空間枠を利用し、そこに直方体の木を持って立ったり坐ったりして突っ張っている様子を写す。当時氏は46歳、まだまだ突っ張るほどに若かった。モノを使用する一方、自身も用いてバランス感を確認していた点は好感が持てる。体を張っている創作は「具体」の活動には目立つが、氏も影響されているのかもしれな
い。

次の部屋は1点のみで「置-傾斜の角度」(1996)。鉄のみで作られている。大きさは260×270×90センチで、どこをどう測ったのか知らないが、大きいことは確かだ。黒く塗られた鉄のテーブルの中央に溝が1本刻まれていて、そこに背の低い円錐が横向きに挟まっている。これは溝を動くのだろうか、もしそうならばテーブルからすとんと下に落ちてしまいそうでちょっと恐い。氏の作品には恐さと面白さが同居しているが、次の部屋の作品「垂直の場-まちがってつかわれた机1」(1991)もそうだ。壁に斜めに張りついた机があり、その縁に石がひとつ挟まっている。その石の下に高さ2メートル近い銅製の円錐筒が1点で支えている。壁から鉄の机が落ちて来るのではないかと不安を誘う。次の作品「まちがってつかわれた机-浮」(1994)も似た作品だ。床に置かれた鉄の机の角に1個の大きな石があり、その石の1点と机の縁の1点を支えとして真鍮の枯れ枝が乗っている。机からはみ出しているため、いかにも危なっかしい。部屋を出たところに模型があった。「慰霊と復興のモニュメント」(2002)、「兵庫県立芸術文化センターのモニュメント」(2005)で、これらの記念碑的彫刻は最初の玄関ホールや庭池にあった作品をいつくか組み合わせたヴァリエーションだ。どちらも実際に作られてすでに展示されているのだろうか。それならば写真の展示があってよかった。神戸在住ということで、それなりに地元から大きな仕事が舞い込み、一方でこの美術館が定期的に作品を購入していることもあって、現代芸術家はどのようにして食っているのかという心配は氏には不要のようだ。さて、館を出ようとした時、そこにもう1点あることに気づいた。「垂直の場-点」(1997)で、鉄、黒御影石、ワイヤーロープから成る。玄関ホール壁際の天井からワイヤーで鉛筆状の鉄棒がぶら下げられている。その尖った先端から3ミリ下に、胴体はざらざらのまま、上面がつるつるに磨かれた太鼓状の黒御影石が置かれている。よく見ると、鉄の先端はちょうどその石の光沢ある表面の中央付近でかすかに揺れている。これは土木の測量でよく見られる光景でもあり、その経験がある筆者はさほど驚かなかった。この尖った鉄の先端の下に、石の代わりに氏が坐ってパフォーマンスをやってくれれば、なお体を張っていることがわかってみんなびっくりしたことだろう。それは「見えないもの」として想像だけにしておこう。だが、実際は王様と同じように、創造者はいつアウトになるかわからない危険を常に抱いて活動しなければならない存在なのだ。