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●『プラド美術館展』
ラドと言えばエウヘーニオ・ドールスを思い出す。神吉敬三訳の『プラド美術館の3時間』が美術出版社から出たのは72、3年頃だったと思うが、ビロード装の美しい本で、汚すのがもったいない気がした。



●『プラド美術館展』_d0053294_2172799.jpgだが、その心地よい手触り感にカヴァーもせずにそのまま読んだため、すっかり手垢がついてしまった。八尾に置いたままで、今は残念ながら手元にはない。その後『バロック論』も読み、この2冊で今もドールスをよく記憶している。プラドには行ったことはないが、2年前に甥が急にぶらりとスペインに旅し、土産にプラドで買ったノート類をもらった。そのうちの1冊は表紙がボッス(ボッシュ)の「悦楽の園」(「快楽の園」)の中央パネル上部がデザインされている。この絵は今後も日本には絶対に来ないはずで、どうしても見たければプラドまで行かねばならない。一度は見ておきたいそうした絵はたくさんあるが、経済が許さない。そのため、半ば強がりで言えば、プラドは『プラド美術館の3時間』を読めば行った気になれる。今ではさらに名画のカラー図版が氾濫しているので、なおさら館内は想像しやすい。プラドに3時間いたとして、それはおそらく想像していたものと大差ないと思う。だが、実際に行けば予想もしなかった出会いが必ずある。現地に赴くことの最大の収穫はその予想しなかったことに出会えることだ。これは自分だけの価値感の反応であって、予め誰かに見所を教えてもらっていたから得られるというものではない。たとえば筆者のことをよくよく知っている人でも、筆者が実際にプラドに行けば何に関心を抱くかは絶対にわからない。なぜなら自分でもわからないからだ。そうした予期せぬ出会いを求めるために筆者はなるべく近くの美術展にしろ出かけることにしている。そのようにしてもう35年は片っ端から見て来たが、それはもっぱら日本国内ばかりであるから、内容には限りがある。たとえば今回のプラド展にしても、プラドがそのまま一時引っ越して来るわけではないし、ドールスが3時間で見るべきとした作品のほとんどは来ていないので、真のプラドを見たことにはならない。今では世界中の有名美術館や博物館を自分の書斎のように知り尽くしている人はざらにいるから、筆者がこうして書く展覧会報告は全くしょぼくれた一庶民のささやかなものでしかあり得ない。人は身の丈にあったことしか出来ないもので、今の自分が世界中の有名美術館や博物館を回ることが許されないとしても、それは仕方がない。目の前に与えられていることを最大限に咀嚼するしかないし、実際のところそれすら怪しいかもしれない。
●『プラド美術館展』_d0053294_219246.jpg

 甥は別に美術ファンでもないので、プラドに関する前知識もなしに訪れた。せめて『プラド美術館の3時間』を読ませておいた方がよかったかもしれないが、身の丈にあったことしか人は見ないから、甥は甥で何か予期せぬ出会いがあったろうし、それで充分だ。『プラド美術館の3時間』は、プラドを初めて訪れた時、所蔵品の神髄を見るには最低3時間を要すべきで、それにはどういう作品をどういう順序で見ればいいかを親切に書いてあった。だが、よくあるようなガイドブックではない。そこはスペイン美術を知り尽くした碩学が書くのであるから、名画のゆえんがさり気なく随所で披露されている。『バロック論』はもっと変わった本で、バロック時代にのみバロックの定義を当てはめず、あらゆる時代にそれは存在するとしてその本質をうまく説明していた。その書きっぷりは堅苦しい学術的なものとは違って独特のユーモアがあったように記憶する。スペイン人気質ということかもしれない。日本では今までにスペイン美術の展覧会は何度も開催されているが、プラド美術館展と銘打ったものは4年前に東京で開催された。その時の成功に気をよくしたのか、今回は作品数を増やし、しかも喜ばしいことに大阪に巡回することになった。京都ではなく、なぜ大阪かと言えば、大阪市立美術館が開館70年で、その記念を兼ねている。それに京都ではもう少しすればルーヴル美術館展がある。これはほとんど毎年のようにやっている感があって、プラドも負けてはいられないと考えたのかもしれない。また、何度も書くように、エルミタージュも膨大な所蔵品を小出しにして何度も日本に貸し出ししているが、今のペースで続けば全作品を日本で展覧するのに1億年はかかる。それほど美術品は世に溢れているから、展覧会に片っ端から行くとしてもそれはごくわずかでしかあり得ない。芸術は膨大で、人生は卑小だ。そんなことをつくづく思わせるのが今回のプラド展であった。もらったチケットがあったので、珍しくも15日の初日に行って来た。いつものごとく、会場に着いたのは4時過ぎだ。50分ほどしか見られないと思って、それなら今回は前半だけ見て、また来ればよいと考えた。だが、5時前になっても例の雷よりやかましい放送がない。おかしいなと思って半券を見ると、7時閉館とある。この時の嬉しかったこと。おまけに会場はとても空いていた。ゆったりたっぷり気分で各部屋を見たが、最も圧倒されたのはボデゴンの部屋とルーベンスの部屋だ。大阪市立美術館はファサードがほんの少しプラドに似ているような感じがあるが、今回は玄関ホールに特製の垂れ幕をいくつも下げ、左手奥にあった売店を中央階段後方の休憩所に移し、1階全室を使用して作品はゆったりと展示してあった。10月15日までのちょうど3か月の会期は異例中の異例だが、東京では50万人入ったから大阪でも同じ程度にはなるだろう。会期後半に客足は集中するから、初日の空いている時に見ておいて本当によかった。それこそプラドにぷらっと行って来た気分になれた。
 今回はプラドが所蔵する7000点から52作家81点がやって来た。1「スペイン絵画の黄金時代-宮廷と教会、静物」、2「16-17世紀のイタリア絵画-肖像、神話から宗教へ」、3「フランドル・フランス・オランダ絵画-バロックの躍動と豊穰」、4「18世紀の宮廷絵画-雅なるロココ」、5「ゴヤ-近代絵画への序章」という5つの章立てで、第1章で全体の約半数を占める。版画で出品数を水増しせず、すべて油彩画、7点以外は日本初公開だ。各章の簡単な説明パネルはあるが、絵には説明はない。これは客の動きを停滞させないためと、なるべつ図録を買わせるためだが、図録は2300円だったか、さほど高くない。簡単に各章を見て行こう。第1章の有名画家では、エル・グレコ(4点)、リベーラ(3点)、スルバラン(3点)、ベラスケス(5点)、ムリーリョ(3点)といったところで、後の画家はあまり日本では知られない。どれも素晴らしいが、先に述べたボデゴンから言えば、ファン・デ・サンチェス・コタンの「狩猟の獲物、野菜、果物のあるボデゴン」(1602年)がとてもよかった。背景は真っ黒で、タイトルにある狩猟の獲物や野菜、果物が並ぶが、しっくりして艶やかな画面は油彩画の本当の魅力を伝えてくれる。右に大きな白いセロリー、左上にレモン、中央に吊るされた鳥が2羽、左下には雀だろうか、小鳥が6羽きれいに細長い板に挟まれて立てかけられている。画面全体がまるで実物の窓枠のようだ。スペインが生んだこの独特の静物画(ボデゴン)はたとえばダリの絵に大きな影響を与えている。スペインの昼下がりと言おうか、そんな中での時間が一瞬止まったような永劫さが伝わる。92年に名古屋ではボデゴンを中心としたスペイン絵画展があって、そのチラシにはフェリーペ・ラミーレスのこの絵とそっくりな絵が選ばれた。当時のスペインでは同じような絵が盛んに描かれたのだろう。同じ部屋にあったスルバランの「ボデゴン」はコタンの絵より半世紀ほど後の作品だが、これは当時使用されていた陶磁器や銀器を横に4点並べただけのもので、同じく背景は黒だ。この絵は92年に名古屋に来た時はバルセロナのカタルーニャ美術館蔵になっていた。その後プラドに入ったのだろうが、今回日本初公開とされているのはおかしなことだ。それはいいとして、スルバランのこの作品は先の絵の華麗さとは違ってもっと田舎っぽい。物言わぬ静物であるにもかかわらず、寡黙な言葉とでも言うべきものが漂っている。今の時代の器を今の人が描いたとして同じような味わいが出るだろうか。器にアウラがなくなった、あるいはそもそもアウラを信じない人が増えて、絵画に神性を盛ることも感じることも出来なくなっているように思う。その神性はスペインが強固なカトリックの国であったことと関係するかもしれない。そして、今回はそうしたキリスト教にまつわる題材を描いた作品が全体の半数を占めて目立ったのは言うまでもない。
 1970年に京都市美術館で見た『スペイン美術展』の図録が手元にある。そこによく記憶しているムリーリョの「無原罪のお宿り」と題するカラー図版がある。画面中央には雲のうえに可愛い女性が天を仰いで立ち、その周りを人間の赤ちゃんそのままのたくさんの天使が飛び交っている。キリスト教を信仰しない日本の女子高校生が見てもうっとりするような絵で、ほとんど現在の漫画かイラスト感覚に近いが、中央に描かれる聖母マリアは聖アンナの懐妊の瞬間から原罪を免れていたとされるもので、当時宗教改革に対抗してスペインで熱狂的に信仰されて似たような絵がたくさん描かれた。今回は同じくムリーリョの同工異曲ながら、さらに可愛らしさが増した「エル・エスコリアルの無原罪の御宿り」が来ている。また同じように愛らしい幼児を描いた「貝殻の子どもたち」(1670-75)もきっと大きな関心を買うはずだが、実際この絵を間近によく見ると、現代でも昔と変わらぬように好感が持たれる理由がよくわかり、イラスト的な軽い絵とは決して侮れない厚みと深みが感じられる。この子どもふたりはイエスとヨハネで、そばに子羊がいて、すぐ背後にはさらに幼い天使が3人輝いている。その構図や想像力も見事だ。ムリーリョ展はまだ日本では開催されていないと思うが、いずれそれも必要ではないだろうか。ムリーリョのほかにもキリストや使徒、聖人を描いた作品は多く、宗教絵画にあまり関心のない人には強く印象に残らないであろう。この次に多いのが王侯貴族の肖像画だ。チケットにあるのはベラスケスの「ハンガリー王妃マリア・デ・アウストリア」(1628-30)で、フェリペ3世の娘だ。しばしば政治の駆け引きで婚姻がなされた当時のこと、兄フェリペ4世が妹の記憶をとどめるために描かせた説がある。写真がない時代であるから、本物そっくりに描く写実の腕前は画家の基本であったが、この絵がどれほど当人に似ているかは、伝わっているベラスケス描くフェリペ4世の肖像画から推してわかる。
 また、スペイン絵画は聖人でも王様でもない道化や乞食もよく描いたが、同じくベラスケスの「道化ディエゴ・デ・アセド、”エル・プリモ”」はどこか哲学者の風貌にも似た印象深い表情で、この道化が貴族のような誇りを持って宮廷書記官のような上級職務を与えられてことを納得させる。「ル・プリモ」の題は、国王がスペインの大貴族をこう呼んだことに由来するとの説がある。スペインの宮廷には小人や非常に太った女の小人などがよくいて肖像画がたくさん残っているが、この趣味はどう考えればよいのか、何かきっと専門書があることだろう。ペラスケスは今回は「ヴィラ・メディチの庭園、ローマ」が来ていて驚いた。これは10代から図版ではよく知っていたが、今頃になって実物に対面出来た。イタリアに赴いての珍しい風景画で、どこかワトー風なところも感じる。風格ある画家としてはスペインの代表格のベラスケスは、その寡黙さの陰にどんな憂愁を秘めていたかと思う。フェリペ4世にとても気に入られ、盛んに王の家族の肖像を描いたその一方で、本当はもっとこうした自由なタッチの風景画を描きたかったのではないだろうか。ありあまる才能に足枷がなければどんな飛翔をしていたであろう。それがかなうのはゴヤの時代になってからだが、その飛翔は時代の不穏を反映して悪夢であった。ベラスケスがその夢を見なかったのは幸いであったかもしれない。ベラスケス以降18世紀に入ってのスペインの王位は、ハプスブルク家からブルボン家に引き継がれ、宮廷美術は大きく方向転換し、スペイン画家の活躍は一時限定されることになった。そして18世紀半ばにはマドリードに美術アカデミーが創設され、留学制度も整ってふたたびスペイン画家たちは宮廷で活躍することが出来るようになったが、ゴヤの登場はそんな中でのことで、社会の近代化は目前に近づいていた。
 第2章の見物は俄然ティツィアーノ(4点)、第3章はルーベンス(3点)、ファン・ダイク(2点)、そして第4章のロココのティエポロやブーシェを挟んで、最後の第5章はゴヤの7点でひとつの部屋が割り振られていた。ゴヤに関しては昔のゴヤ展があるので、日本での人気も高いため、今回はこうした特別の部屋が当てられたのだろう。生涯を端的に見わたすのに充分な作品が選ばれていた。上記の画家のほかには、ヤコポ・バッサーノ、ヴェロネーゼ、カラッチ、ヤン・ブリューゲル、ヨルダーンス、プッサン、クロード・ロランといった馴染みの名前も見えた。じっくり説明すると切りがないので割愛する。ゴヤの部屋を出ると、そこは普段の3倍ほどの広さのある大きな売店であったが、人が少ないので全員手持ちぶたさであった。何も買わなかったが、ふと見ると、ボッスの「悦楽の園」のジグソー・パズルの重そうな木箱があった。係員を呼んで説明を受けると、10000ピースで世界最大、日本ではめったに入手出来ないものらしい。完成すれば横240、縦136センチになる。安く抑えた価格は33600円。今とてもほしいと思っているが、本やCD、ガラクタで占拠されたわが家にはそんな広い壁面は残っていない。半ば諦めているが、ふと考えると天井に貼ることは出来る。だが、それでは毎日悪夢を見そうだ。いや、それよりもパズルを完成させる時間がない。ぷらっと始めて3時間どころか30時間でも無理だろう。
by uuuzen | 2006-07-21 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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