●見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その2
便局の風景印や駅に備えた記念スタンプは今でも健在なので、戦前の無名の人が収集したスタンプ集め帖はほしがる人はそれなりにいるだろう。第一、筆者にしてもそうだ。



d0053294_2344960.jpg2年ほど前にも別の古書店で集印帖を買ったが、それはここ2、3か月気になって探しているが出て来ない。同じく戦前のもので、寺巡りをして集めた朱印ばかりが30個ほどあったと思う。たとえば西国三十三か国巡りといった信心深い人の巡礼の旅には集印帖がつきものだが、あれは今でいうスタンプ・ラリーの元祖で、日本人が昔からいかに各地を回ってハンコを集めるのが好きかをよく示している。ところで、今はあまり大きく宣伝はされないが、筆者の息子が小学生の頃、阪急電車では夏休みにスタンプ・ラリーがあった。全駅ではないが、指定された駅に備えられたハンコを全部特製の冊子に押せば記念品がもらえた。毎年それに参加して息子を連れて回ったが、もちろん展覧会巡りを兼ねてのことだった。数年続いたその人気企画も、子どもを巻き込む事件がよく起きるようになってからは、子どもたちだけで阪急全線を移動させるのはまずいのではないかという雰囲気が生まれたこともあってと思うが、ぷつりと終わってしまった。結局そのような事故は一切起きなかったが、もし起きれば遅い。だが、ここ数年はまた小規模ながら復活していて、スタンプ・ラリーの特製スタンプを置く場所を示す大きなステッカーが駅構内のあちこちに貼ってある。スタンプはほとんど改札を出ずとも押せる場所に置いてあるが、これはスタンプ・ラリーに関係のない従来の駅の記念印でも同じだ。筆者はそういうものまで押す趣味はないが、たまに駅の片隅にスタンプ台と記念ハンコが置いてあると、適当な紙に押してみることはある。駅に常備されたそんなハンコはおそらく風景印とさほど変わらぬ時期に登場したのではないだろうか。前回書いた見知らぬ人が押した約70件のハンコは、すべて昭和8年の11月と12月に押されたもので、大半が駅印だが、これはそれだけ人々が鉄道を利用してよく移動したことを示すだろう。つまり、ちょっとした旅のブームがあったと想像する。それは景気がいいことが条件だが、田舎は別として大阪のような大都会はそうであった。週間朝日百科『日本の歴史』によれば、この年、東京のタクシーは1万台を突破して人力車が消えたし、「都会の若者は洋楽のレコードを聴き、シャンソン・タンゴを口ずさんでいた」とあって、近代化、西欧化が大いに進んでいたことがわかる。
 だが、一方で昭和5年に入って軍部が台頭し、新聞・言論は圧迫され始めていた。キナ臭い空気がひしひしと迫っていたわけだ。昭和6年には満州事変が勃発し、翌年には満州国の建国が宣言、そして昭和8年3月には日本は国際連盟の脱退を通告している。もっとわかりやすい例を上げれば、昭和8年、つまり1933年の1月にはヒトラーが政権を獲得した。そして、その当時の大阪在住のある人(ここではSとしておく)が、はがきよりやや大きいサイズの経本仕立ての白地帖を買い、さまざまな記念ハンコを押して回ることを思った。その最初は11月3日、大阪中央郵便局だ。今はその日は「文化の日」という祝日だが、スタンプが押された当時は「明治節」という祝日であった。これは明治天皇の誕生日を新暦で換算したものだ。戦前の祝日は今とは大違いで、ほとんどすべてが天皇関係だ。これは注目しておいた方がよい。日本が戦争に邁進したことと天皇を崇めることとは切っても切れない関係にあった。それはさておき、Sは明治天皇の祝日にまず大阪中央郵便局で「航空郵便夜間逓送記念」のスタンプを押した。それから2日後の5日は日曜日だが、大阪市内の東に見える生駒を日帰り旅行し、あちこちの駅で11個も押している。これらの駅は今で言う近鉄電車の大阪線と信貴山線だ。「大軌枚岡駅」とあるのは線路の幅が広いためだろう。日本の鉄道は2種類の線路幅があって、30センチほど差があったと思う。大阪では今でもこれらは入り混じり、そのため相互乗り入れの際はいろいろと面倒が生じている。「枚岡」は筆者が小学生の頃はまだ市であったが、その後東大阪市に編入になった。いずれにしろ、大阪に住む人ならこれらのハンコはよくわかる。一気にたくさんのハンコが溜まったSは気分をよくし、7日には今度は反対の西に向かっている。神戸で折しも「みなとの祭り」が始まったばかりであった。郵便局では風景印、そして駅でも押している。おそらく国鉄で行ったと思うが、阪神電車のホームとは隣接しているので、ついでにそこでも押したことがわかる。平日に出かけているところを見ると、Sは隠居の身であったかもしれない。前回には30歳と仮定したが、もっと年配かもしれない。神戸に行った3日後には大阪市内南部の阿倍野に出かけているが、もうひとつ恵美須町でも駅印を押している。このあたりに用事でもあったのだろうか。
 11日の土曜日はちょっと理解に苦しむほど猛烈にあちこち回っている。ハンコ数は23個だ。子どものようなはしゃぎ振りが見える。桜井まで訪れ、しかも阪和線の天王寺や阪急の梅田、そして大阪環状線外回りのいくつかの駅、さらには心斎橋や高麗橋の百貨店にも足跡を記している。紅葉の美しい時期であるので、桜井では談山神社にでも行ったのであろう。そしてついでに途中下車してあちこちの駅で押したわけだが、早朝から夜遅くまで費やしたのではないだろうか。日帰りであることは間違いない。翌12日もまた大阪駅のハンコがあるからだ。そこで思うのは、大阪駅界隈がよく登場するところ、Sは梅田に住んでいたと思う。で、昨日桜井に行ったというのに、また今度は奈良方面の法隆寺に出かけている。このエネルギーは若者並みだが、出かけている場所が渋いので、学生ではないと思う。奈良に出かければ、次は京都でハンコ収集となるのは自然の流れで、23日に京阪電車を利用して訪れている。郵便局でも精力的に集め、全部で14個だ。そして12月に入って大阪市内の西端の天保山あたりに行っているが、今でも大阪市の中心部から見ればこの界隈は馴染みのない別世界の雰囲気があるから、ぶらり散歩の感覚で訪れたのだろう。締め括りは12月29日の皇太子誕生記念印だが、実際の誕生は23日で、1週間遅れで押したことになる。これでひとまず怒濤の2か月の押印期間は過ぎ、70個ほども集めたことになる。
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●「西宮」(昭和9年1月1日)
○「甲子園 阪神電車」(昭和9年1月1日)
○「西宮 阪神電車」(昭和9年1月1日)
◎「浜甲子園 阪神パーク 南運動場」(昭和9年1月1日)
○「尼崎 阪神電車 廣徳寺」(昭和9年1月1日)
●「逓信記念日制定記念」大阪(昭和9年4月20日)
◎「新和歌望海樓・白濱白濱館・勝浦越之湯 紀洲遊覧紀念」
◎「弘法大師壹千百年御遠忌大法會記念 南海電車」5種あり
◎「弘法大師文化大展覧會 御遠忌一千百年記念 南海高島屋」
◎「大阪湾海上艦隊演習記念 大阪商船株式會社 大智丸」(昭和9年7月27日)
◎「御來船記念 大智丸」
●「近畿防空演習記念」大阪(昭和9年7月28日)
◎「大阪商船 大智丸」(昭和9年8月21日)
◎「尼崎汽船 遊覧記念 高松支店」(昭和9年8月22日)
○「高松桟橋」
○「高松桟橋駅」
○「坂出驛 白峰御陵」
○「參宮電鉄坂出駅 名産金山鯛 製塩所」
●「琴平」(昭和9年8月22日)
○「參宮電鉄琴平駅 金比羅宮」
○「琴平駅」
○「琴平電鐡 琴平駅」
○「琴平電鐡 瀧宮驛」
○「琴平電鐡 佛生山驛」
○「琴平急行電鐡 電鐡琴平より坂出ゆき」
○「塩江温泉鉄道」(昭和9年8月23日)
●「栗林公園」(昭和9年8月23日)
○「琴平電鐡 栗林驛」
●「屋島」(昭和9年8月23日)
◎「國立公園源平古戦場屋島登山記念」
◎「國立公園屋島登山記念」
○「宇野驛」(昭和9年8月24日)
○「琴平電鐡 高松驛」
◎「高松三越遊覧記念」
◎「たかまつO.S.K」
◎「國立公園瀬戸内海の中枢たかまつ」(昭和9年8月24日)
◎「高松」
◎「讃岐鬼ケ島 遊覧記念」(昭和9年8月24日)
◎「宇野~高松 山陽丸」
○「播州赤穂驛」(昭和9年8月24日)
○「岡山驛」(昭和9年8月24日)2種あり
●「岡山出石」(昭和9年8月24日)
●「高松」(昭和9年8月24日)
●「赤穂」(昭和9年8月25日)
●「明石」(昭和9年8月25日)
●「姫路」(昭和9年8月25日)
○「山陽電鉄明石駅前駅」(昭和9年8月25日)
○「電鉄姫路驛」(昭和9年8月25日)
○「姫路驛」(昭和9年8月25日)
○「明石駅」(昭和9年8月25日)
●「陸戰隊觀兵式記念」大阪(昭和9年10月22日)
●「奈良多武峯」(昭和9年11月11日)
●「箕面」(昭和9年11月23日)

●「日露戰役三十周年陸軍記念日」大阪(昭和10年3月10日)
●「萬國郵便聨合為替約定加入五十周年記念」大阪中央(昭和10年3月21日)
●「大阪市域擴張十周年記念」大阪(昭和10年4月2日)
◎「大阪市町村併合記念」(大正14年4月1日)
●「滿洲國皇帝陛下御來訪記念」大阪(昭和10年4月21日)
◎「滿洲國皇帝陛奉迎記念」大阪(昭和10年4月21日)
●「逓信記念日逓信文化展覧會」大阪中央(昭和10年4月21日)
●「千早城舊趾」大阪・神戸(昭和10年5月19日)
● 「日本海海戰三十周年記念日」大阪(昭和10年5月27日)

●「昭和十一年特別大演習觀艦式記念」大阪(昭和11年10月29日)


d0053294_2251878.jpg さて、後半の70個だ。ペースは一気にダウンする。そして回復せずにぷつりと途絶える。順に見ると、昭和9年1月1日は甲子園に出かけた。戦前は元旦は祝日ではなく、3日が休みであった。冬場は押印活動を休んでいたのか、4月になって難波高島屋での弘法大師没後1100年記念の展覧会に訪れている。筆者は1150年展を京都国立博物館で見たが、似たような内容であったことだろう。そして一気に夏になって、7月27日と28日にとても興味深いハンコを押している。「大阪湾海上艦隊演習記念」と「近畿防空演習記念」だ。防空演習は昭和8年にすでに行なわれ、それを批判した新聞がテロ攻撃されるという事件が生じた。新聞は自己規制をして軍部の意向に過敏に反応するようになり、防空演習の評論もタブーとなって、言論統制が強まり始めた。近畿防空演習は陸海軍上げての史上空前規模の大ががりなもので、7月26日から28日の3日間実施され、近畿地方の住民1200万を動員した。郵政省は近畿各県に、毒ガス・マスクをかぶった人や大砲の玉が飛ぶ記念スタンプを作らせたが、今の日本では考えられないデザインだ。大智丸という商船に乗って防空演習に参加したSは、その時に思いついたのであろう、8月23日にはまた同じ船に乗っている。そして尼崎から高松に向かい、金比羅参りをして琴平で1泊、翌日は屋島を見物して高松でまた1泊、そして翌25日は赤穂や岡山、姫路、明石に途中下車して郵便局や駅でハンコを押している。いかにも楽しい旅であることが伝わる。大阪人からすれば奈良や京都、神戸の次は瀬戸内海に目が向くのはきわめて自然だ。11月の紅葉シーズンは奈良と箕面に1日ずつ費やしているが、風景印のみで少ない。1年で50個ほどで、これは前年の2か月で70個と比べれば8分の1のペースだ。次の昭和10年はほとんど風景印のみとなり、しかもたったの8個だ。日帰り旅行ですら行く気力を失ったのがわかる。ハンコを押す興味を失っただけの話で、相変わらずあちこち旅していたと考えるのは現実的ではない。むしろ、旅もいいがハンコも同じほど関心があったと見たい。それが激減するのは、のんびりと旅行やハンコに精出す空気ではなくなって来たからだ。
d0053294_228224.jpg 昭和10年の風景印は、日露戦争ものや満州国関係で、戦争色がとても濃い。そしてSが最後に押したハンコは、昭和11年10月、郵便局での「特別大演習観艦式記念」だ。このハンコを押す時のSはきっと面白くなかったに違いない。このスタンプ帖における戦争の影は、近畿防空演習からすでにあった。人前で旅の楽しみや記念印集めが趣味などとは大声で言えない時代が来ていた。Sが最後のハンコを押した翌11月には、日本とヒトラーのドイツが固い握手をして協定を結んだ。ヒトラーが政権を取った年の秋に始められたスタンプ集めは、そのヒトラーが日本と手を正式に結ぶ直前で終わった。つまり、ファシズム国家の日本がどんどん戦火にまみれて行く寸前でSはスタンプ帖を閉じ、大切に仕舞い込んだ。B29が100近くも飛来して大阪を大爆撃したのはそれから8年半後昭和20年3月のことだ。50万人が被災し、1万以上の人が亡くなったが、スタンプ帖は無傷であった。そして半年前に筆者の手にやって来た。気軽でささやかな趣味の表われに過ぎないスタンプ帖だが、ここには平和で楽しい日々が、急速に戦争の影に覆われて行く様子がよく見える。Sはきっと平和主義者であったと思う。自分の大事なスタンプ帖がそのまま戦時色のみで染まって行くことには耐えられなかったのだ。今ではあり得ないハンコ・デザインを見るのも楽しみだが、日づけをつぶさに追って行くと、そこには歴史に翻弄された一個人の悲哀が炙り出される。社会の大きな変化は日常のごく小さいものの中からまず顔を覗かせる。郵便局が平和で無害なデザインの切手や風景印ばかりを大量に生産し続けている間はいいが、そこに違和感を覚えるようなものが入り込み始めた時、日本は危険な状態に逆戻りしているのは間違いなない。切手収集や押印収集を侮ってはならない。それは国家の恥の歴史もはっきりと刻印しているものであり、過去の豊富な例によって現在の国の方向を分析する手立てになるだろう。毒ガス・マスクや大砲の玉が飛び交うデザインは、今後もお笑いネタのTシャツといったものだけにとどまってほしいものだ。
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by uuuzen | 2006-07-17 02:15 | ●骨董世界漂流記 | Comments(0)


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