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●「AS」
祭りの季節。今日は祇園祭りの宵山だ。夕方からぶらりと四条烏丸に出た。いつものごとく大変な人出で、長刀鉾の近くの四条通りの一方通行に規制された歩行者天国は全く身動きが取れない蒸し風呂状態になっていた。



●「AS」_d0053294_2402380.jpgだが、今日は昼間から何度も雷雨が通り過ぎ、夕方にも文字どおり夕立があって、人々は一斉に傘を差すか、あるいは屋根が続く歩道に入るなりしてそこから地下道に下りて行った。筆者もその口で、長刀鉾だけ写真を2、3枚撮ってそのままフィルムを現像に出しに寺町に行った。祇園祭りは明日の山鉾巡行を見る以外は、ただ人の波を見るだけのことでさっぱり面白くはない。日本の三大祭りのひとつと言われるが、祇園祭りに関係あるのは京都市のごく限られた中心部の町内だけだ。それ以外の大部分の京都市の人々は、参加は求められず、許されもせず、ただ傍観者として宵々山や宵山の夕暮れに山や鉾の付近を歩くのみだ。それものんびりと歩ければいいが、それはあり得ない。数十万の見物客が1キロ四方ほどのエリアに集まり、その人の集まりこそが最大の見物ということになる。若い世代にはそれもまた面白い。毎年湧いて来る16、7歳の女の子はみんな浴衣を着て挑発的な眼差しで闊歩する。彼女たちは山や鉾はどうでもいいのだ。祭りで人が集まるという事実だけあれば充分で、山鉾町から10キロも離れたところからでも電車に乗って馳せ参ずる。昔は祭りの夜は男女が結ばれるのによい機会であったが、今でもその精神的名残はあるだろう。浴衣姿の10代半ばの女性が何人も集まって歩いているのを見て、桃山時代の湯女図屏風を見る思いに囚われたが、それを言えば今の日本の十代半ばがみんな遊女になって具合悪いが、実際そんなはすっぱさを感じたから仕方がない。それも祭りの夜の開放感がそうさせるのだろうが、筆者のような50代はさっさと帰宅して、こうしてブログを書くことしか似合わない。で、このスティーヴィ・ワンダーの曲も前回取り上げた「LIVE TO TELL」と同じように、去年書こうと思っていて、ようやく今夜になった。祭りと言えばブラジルのサンバを連想するが、この曲が初めて収録されたアルバム『ソングス・イン・キー・オブ・ライフ』では次曲が「ANOTHER STAR」という、もろお祭りサンバで、そっちを取り上げてもいいが、どっちが好きかとなると、まだお祭りの前の感じのこの曲の方がいい。それにお祭りの曲を聴くと、後は祭りの後のさびしさしか残っていない。そのため、やはりこの「AS」なのだ。スティーヴィの最高傑作として長く記憶される曲だ。
●「AS」_d0053294_13231021.jpg 邦題は「永遠の誓い」という信じられないほど無粋な訳がつけられた。これはアルバムが発売された1976年当時からそうであった。「アズ」では意味がわからないからという親切心からであることは理解出来るが、これは「のように」という比喩、しかもとても詩的で美しいたとえを指しているので、それを「永遠の誓い」と、近頃の10代でも絶対に言わないような嘘臭い言葉を使うのは、原曲のイメージを台なしにしているし、誤解も招く。筆者は英語の原題をそのまま片仮名に置き換える怠慢より、小学生でもわかる邦題をつけることに賛成するが、どうしても原題の意味をそのまま格好いい日本語に置き換えられない場合がままあるのは確かで、それならば、せめて曲の内容を端的に示す別の日本語ということになるのは無理もない選択とは思う。この「AS」は歌詞冒頭のそのままの引用で、スティーヴィはきっといいタイトルが思い浮かばず、苦し紛れに使用したのであろう。曲のタイトルより先に歌詞やメロディが完成し、後でタイトルを考えるということはよくあることだ。だが、「AS」とひとまずしたのがなかなか端的、しかもきわめて珍しくて覚えやすいので、そのまま落ち着いたのではないだろうか。ザッパなら「ASS」という曲を書きそうだが、スティーヴィはこのアルバムでザッパに謝辞を示しており、どういう経緯か、スティーヴィはザッパに関心を抱いていたか、あるいは出会ったことがあるのだろう。それをあれこれと想像するのも楽しいが、大御所スティーヴィであれば音楽業界のあらゆる人物とつながりがあっておかしくない。
 筆者はスティーヴィの1973年発売の「迷信」のドーナツ盤を所有している。その曲で初めてスティーヴィを意識したと思う。だが、当時はそれどまりで、アルバム『キー・オブ・ライフ』に出会ったのは78年春であった。その頃母方の10歳ほど年下の従妹と1年に1回程度は会っていたが、ある日彼女の家でLPをいろいろと見せてもらうとその中にこのアルバムがあった。洋楽好みだが、筆者の所有しないミュージシャンのがたくさんあった。レッド・ツェッペリンも2、3枚目についたが、そっちは興味がなく、『キー・オブ・ライフ』だけ借りた。このアルバムは76年秋の発売で、もちろんラジオからよくかかって何曲かはよく知っていたが、何しろ当時5000円もして、これは今の1万円以上の感覚であったから、そう簡単に買える価格ではなかった。借りてすぐに2時間カセットに録音したが、それは今も所有している。LP2枚組にボーナスとして4曲入りの、60年代で言うコンパクト盤がついていて、この変則的な仕様に並々ならない仕事量を感じたが、アルバムを通して聴いてさらに仰天した。カセットであるためと、仕事中のBGMであったために、いつも必ず最初の曲から順に最後まで通して聴いたが、曲の並びが実によく出来ていて、夏の午後3、4時から聴くと周りの空気と共鳴して馴染み、なおさらすべての曲がきらきらして立ち現われた。数回聴いた後ではスティーヴィの天才ぶりをはっきりと認識した。その後の新作アルバムも聴いたが、結局このアルバム以上の出来のものは生まれなかった。たまにとてもいい曲を発表しているが、アルバム全曲が名曲揃いというものはない。昨日アマゾンでこのアルバムの評をいくつか読んだところ、全員が5つ星の評価で大絶賛していた。全く同感で、もう誉める言葉が見当たらないが、ザッパの解説を書いた時に一度このアルバムに触れて76年のベスト・アルバムと表現した。その思いは今も変わらない。「70年代最大の作品」と言えば異論も多いであろうから、アルバムが出た76年と限定したわけだ。今年はちょうど30年目になるが、このアルバムは古典の輝きをさらに強めて君臨している。時代にそびえる真の名作とはこのようなアルバムを言う。
●「AS」_d0053294_13242884.jpg

 カセットでずっと聴いていた筆者も7、8年前に中古でLPをようやく買った。日本盤の新品同様が1000円ほどであった。その頃はCDが出ていて、LPは状態がよくても安価であったのだ。デジタル・リマスターしたCDが今は出ているが、東京のPさんが2、3年前にCDを聴かせてくれた。彼は無人島に持参するアルバムとして10作を選び、このアルバムを一応筆頭に上げているが、その気持ちはよくわかる。そして筆者はこのアルバムが文句なしに大好きという人とは親しくなれるような気がする。従妹が買っていたおかげで筆者はこのアルバムと出会いがあったが、もしその機会がなければ今も全曲を通して聴くことはなかったであろうし、50代ではいささか感覚も違ってさほど感動しなかったかもしれない。若い頃に感動したことはそのまま年老いてもその感動の行進が更新され続けるもので、そうした人生の香辛料とでも言うべき感動に、なるべく若い頃はさまざまなに出会って吸収しておくことに限る。あるいは、若いからこそ何でも感動出来るかもしれないが、そんな少しでも若い時にこのアルバムに接することが出来たことを今さらに感謝する。だが、あまりに聴き過ぎたこともあって、さすがに近年は毎年蒸し暑くなる今頃のみに何度か聴く程度だ。そしてCDで聴くので、好きな曲だけ選んでのことが多い。だが、CDではディスク2の7曲目が終わった後、数秒の間隔を置いてボーナス・トラックの4曲が始まるが、これがどうも聴いていて気分をそぐ。曲がたくさんあるのは嬉しいが、この4曲はミニCDとして別に用意出来ないのだろうか。つまり、アナログ時代の形をそのままCDでも適用して、ディスクを3枚にするのだ。そうしてもさほど製造原価に差はないはずだが、2枚組で充分収まるという考えなのだろう。紙ジャケにしてオリジナルに近づけるのはけっこうなことだが、それを考えるならば、むしろディスクを3枚にすべきだ。あるいは、このあまりの4曲を筆者は2枚の本編のどこかに挿入して新たな構成に出来ないものかと考える。現在のようにボーナス・トラックの4曲目はアルバムの最後に置くこと以外に考えられないがが、他の3曲はもっと別の場所でもいいと思う。
●「AS」_d0053294_13255567.jpg 全21曲が2枚のCDにこれでしかあり得ないような形に並べ替えられたとして、筆者はやはりこの「AS」の至って最高の感動を覚える。このアルバムを聴いて思わず落涙しそうになるのは、いつもこの曲の冒頭のスティーヴィの歌声が流れ始める時だ。単なるラヴ・ソングと言ってしまえば身も蓋もないが、盲目で繊細かつ鋭敏なスティーヴィが心の中から歌っていることがよく伝わり、嘲笑や皮肉を寄せつけない迫力がある。それはあるいはスティーヴィにとっても人生に一度限りしかないような真に説得力ある叫びであったかもしれない。それほどの真実味がこの曲からは伝わる。さきほど歌詞を読んでみた。どういうわけかLPには英語の豪華な歌詞本はついているが対訳がない。解説は今は亡き福田一郎が書いているが、これはとてもよい内容だ。対訳が間に合わなかったか予算がなかったかだが、CDではどうなっているのだろう。いつもの下手な訳では誤解が生ずる恐れもあるが、冒頭からふたつのヴァースをまず書く。「太陽のまわりを回っていることを地球が知っているのように、薔薇の蕾が5月の初めに咲くことを知っているように、憎しみが愛は癒しだと知っているように、ぼくが君をいつも愛し続けるってことを、君は安心していいんだよ。「今」が「明日」の神秘を示すことが出来ず、毎日古くなって行くように、生まれるすべてが新しいように、君はぼくの言うことを本当だと知っているかい。ぼくが君をいつも愛し続けるってことを」。補足すると、普遍的な事象と同じように、自分の愛する心は変わらないよと歌っているわけだ。「のように」のすべての箇所を「のと同じように」と言い換えた方がよく意味が通ずるが、結局「as」は自分の愛をさまざまなものにたとえるために用いられていて、単に「愛しているよ」とストレートには言わず、文学的に、あくまでロマンティックに伝えていて、これはラヴ・レターの常套手段でもあり、いささかキザで面と向かって字面を読むと恥ずかしくなるが、世における愛の詩とはみなそうであって、ここでもその比喩から立ち現われるスケールの大きさを楽しめばよい。先のヴァースの次には別の短い主題が繰り返され、女性コーラスとスティーヴィとのかけ合いで歌われる。その部分は、「虹が空で星を焼きつくすまで、常に、海がすべての山より高く覆うまで、常に、海豚が飛んで鸚鵡が海に住むまで、常に、ぼくたちが人生の夢を見て人生が夢になるまで、常に」となっていて、曲最後の長い繰り返しにもアドリブで再現する。
 また、この7分ほどの曲が面白いのは主題がふたつだけではなく、もうひとつ声質を著しく荒々しく変えて歌われる部分を置いて全体を複雑かつドラマティックに演出していることだ。それは同じ疾走するようなリズムを伴いつつ、女性コーラスとスティーヴィとのかけ合いを一時中断した形で挿入されるが、歌詞内容は愛のささやきに自分を忘れてはいないスティーヴィの現実的な視線を示し、これがさらに感動を呼ぶ。異性に対する愛情表現の曲かと思っていたことが、ここに至ってそうではないことがわかる。この曲の歌詞に登場する「愛」とは、「友愛」のことであり、「人間に対する愛」なのだ。「ぼくたちはみんな時に人生が憎しみと紛争であることを知っている。君は別の時代や場所に生まれていたならばと願うかい。けれど、君は人生を二倍に二度も賭けることは出来るんだ。神は君にいさせたい場所を知ってそうしたんだ。だから君はそこから出ずに、そこにいるってことを確信するんだ。君はこの地を時に地獄と呼ぶような場所にすることには手を貸さないさ。君の言葉を真実に変え、それからその真実を愛に変えるんだ。そしてたぶんぼくたちの子どもの孫、彼らの孫の孫の孫は言うだろう。ぼくは君を愛し続けるって」。どこかの新興宗教団体が喜びそうな内容で、単なるアイドル歌手が歌えば嘘っぽく聞えるはずだが、この曲がそうなっていないところは、スティーヴィの貫禄があってこそだろう。また、7分の曲と言えば、ビートルズの「ヘイ・ジュード」やフィフス・ディメンションの「輝く星座」(アルバム・ヴァージョン)に先例があるが、それらとは違ってここでは前半と後半がはっきりと分離されず、前例のないような複雑さが歌詞の世界をより劇的なものに仕立て上げている。調性はG♯マイナーだが、5音音階的で、そこにさらに別の半音が加わって微妙な綾を織り成している。曲の不思議で覚えやすい魅力はそうした独特のメロディ・ラインにある。この曲の歌詞を、祇園祭りで歩き回る浴衣姿の10代半ばの女の子たちは言われなくても理解していると信じたい。だが、筆者のような50代前半のおじさんでもこの曲を聴くたびに胸がたちまち熱くなって涙が出そうに感動することを知ってほしいと思う。それをどんな比喩で表現すれば若い人にとって格好いいのかわからないのが本当のおじさんでしかないのだけれどもね。
by uuuzen | 2006-07-16 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●アルバム『IMAGINARY... >> << ●見知らぬ人の戦前の記念スタン...

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