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●見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その1
タンプは切手のことだが、ここではハンコを指す。半年前、大阪の古書店で戦前の記念スタンプ帖を買った。



●見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その1_d0053294_233977.jpgハガキよりやや大きいサイズで、経本仕立てだ。裏表貼り合わせで同じ紙質、両面合わせて80ページある。厚さは表紙ともで2センチだが、思ったより軽く、しっかりとした造りだ。上下にぼかし染めのある縦長の題箋が表紙左上に貼られ、見返しは銀の揉み箔を蒔いてある。今でもこうした経本仕立ての白紙帳は売られているだろうか。あっても高価であろう。これをスタンプ帖としてある人が昭和8年(1933)以降丸3年間使用したが、近年おそらく故人になったので身内の人が処分したのだろう。筆者の手に来たのも何かの縁、ずっとブログで紹介しようと考えていた。保存はよく、ほとんど見開かれずに保管されて来たのだろう。前の所有者は大阪人であったと思うが、そのことは数多く押された記念スタンプを調べればわかる。スタンプは全部で140ほどある。ほとんどに日づけが入っているが、それを見ると最初のページから順に押されたものではないことがわかる。その理由としては、スタンプの種類が大きく3つに分けられることにもよる。では、その3つに予めページを分けて順に押して行ったかと言えばそうでもないからややこしい。140個もの戦前の記念スタンプが1冊に押されているのはなかなか面白いと思って買ったが、その流行していた様子は今と何ら変わらない。いや、実際は変わったことの方が大きいかもしれない。だが、変わらないこともまたたくさんある。戦争によって灰塵に帰したことはたくさんあるが、また戦前と同じことが復活した例も多い。そんなことをこの記念スタンプ帖からあれこれと思うのは楽しい。今日はスタンプ名を全部書き出し、前の所有者が押した順に並べ変えてみた。そしてスタンプを次の3種類に分類し、各印の冒頭に丸印をつけて区別した。切手を買って郵便局で押してもらう風景印や小型印(●)、国鉄や私鉄の駅に備えられた無料スタンプ(○)、そしてそれ以外の記念印(◎)だが、日づけのないものはそれが押してある場所の前後を考えてしかるべき場所を想定して並べた。このことで、前の所有者がいつどこへ旅行したかがはっきりとわかるようになった。昭和8年11、12月分のみで全体の半数を占めているが、それを下に列挙する。
●「航空郵便夜間逓送記念」大阪中央(昭和8年11月3日)
●「大阪商工祭創始記念」大阪(昭和8年11月2-4日)
○「大軌大阪上本町駅」(昭和8年11月5日)
○「ひょうたん山駅」(昭和8年11月5日)
○「大軌枚岡駅」(昭和8年11月5日)
○「信貴山 西から登る急行ケーブル」(昭和8年11月5日)
○「信貴山駅 參詣記念 福徳開運」(昭和8年11月5日)
◎「生駒山脈縦走記念 生駒山上駅」
◎「生駒山脈縦走記念 信貴山奥院」
◎「生駒信貴縦走記念 天津磐境天明山 金明水」
◎「生駒山脈縦走記念 信貴山本堂」
○「大軌生駒山上駅」(昭和8年11月5日)
○「恩智駅」(昭和8年11月5日)
●「みなとの祭創始記念」神戸(昭和8年11月7-8日)
●「神戸橘」(昭和8年11月7日)
●「神戸中央」(昭和8年11月7日)
○「神戸 阪神電車」(昭和8年11月7日)
○「神戸 湊川駅」
○「三ノ宮驛」(昭和8年11月7日)
○「神戸驛」(昭和8年11月7日)
◎「みなとの祭」(昭和8年11月7、8日)
○「難波驛」
○「大鐡電車 アベノ橋驛」(昭和8年11月10日)
○「南海電車阪堺線 惠美須町」
●「大阪東」(昭和8年11月11日)
●「天王寺大道」(昭和8年11月11日)
○「大軌桜井駅」(昭和8年11月11日)
○「桜井駅」(昭和8年11月11日)
○「阪和天王寺駅 阪和電車」(昭和8年11月11日)
◎「阪急梅田」(昭和8年11月11日)
○「天王寺驛」2種あり
○「玉造駅」(昭和8年11月11日)
○「森ノ宮駅」(昭和8年11月11日)
○「京橋駅」(昭和8年11月11日)
○「桜の宮驛」(昭和8年11月11日)
○「天満驛」(昭和8年11月11日)
○「大阪驛」(昭和8年11月11日)
○「大阪市場驛」(昭和8年11月11日)
◎「商工祭記念大阪繁昌展覧會 大阪髙島屋長堀橋」(昭和8年11月)
◎「大阪三越内J.T.B案内所」(昭和8年11月11日)
◎「大阪安土町J.T.B案内所」(昭和8年11月11日)
◎「大阪大丸内J.T.B案内所」(昭和8年11月11日)
◎「阪神電車心齋橋案内所 直営H.E.R喫茶店」(昭和8年11月11日)
◎「心斎橋旅客案内所 京阪電車 大阪」(昭和8年11月11日)
○「大阪驛」(昭和8年11月11日)
○「湊町驛」(昭和8年11月11日)
○「大阪 阪神電車」(昭和8年11月12日)
●「法隆寺」(昭和8年11月12日)
○「大軌新法隆寺駅」(昭和8年11月12日)
○「法隆寺駅」(昭和8年11月12日)
○「たつた川駅」(昭和8年11月12日)
○「關西線王子驛」(昭和8年11月12日)
●「七條」(昭和8年11月23日)
●「聖護院」(昭和8年11月23日)
●「祇園」(昭和8年11月23日)
●「京都五條」(昭和8年11月23日)
◎「京都大丸内J.T.B案内所」(昭和8年11月23日)
○「嵐山電鉄北野駅」
○「京都驛」
○「京都四條駅 京阪電車」(昭和8年11月23日)
○「伏見桃山御陵 乃木神社 京阪電車」(昭和8年11月23日)
○「石清水八幡宮 京阪電車」(昭和8年11月23日)
○「伏見稲荷 京阪電車」(昭和8年11月23日)
○「京阪電車京都」(昭和8年11月23日)
○「澱川橋粱 奈良電車」(昭和8年11月23日)
○「天満橋駅」(昭和8年11月23日)
○「櫻島驛」(昭和8年12月17日)
○「安治川口駅」
◎「乘船記念 天保山 大阪」(昭和8年12月24日)
○「西九條駅 源兵衛渡し」(昭和8年12月25日)
●「皇太子殿下御誕生奉祝記念」大阪(昭和8年12月29日)


●見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その1_d0053294_23414913.jpg あちこち適当に押して行くとしても、まずは最初のページから使用するのは当然で、前の所有者もそうしている。その日づけは昭和8年11月3日だ。大阪中央局で「航空郵便夜間逓送記念」というスタンプを押している。切手は1銭5厘分以上が必要だ。1銭5厘は当時のはがき料金だが、今でも風景印ははがき料金の50円以上を支払う必要がある。はがきを買ってその印面に押してもらうか、あるいは切手を買ってそれを貼った場所に押してもらうかするのだが、これは今も変わりがない。大抵の郵便局には固有の風景印が置いてあって、局員に頼めばそれを押してくれる。たとえば誰かに送る手紙やはがきをポストにそのまま投函せずに、郵便局窓口で風景印を押してもらって送ることも出来る。もちろんその場合は、ポストに入れてはならない。そうすれば通常の消印も押されてしまう。風景印は手をひとつずつ押すため、郵便局にすれば手間がかかるが、そのためかほとんど宣伝はしていない。知っている人だけがたまに頼み込むというのが実情だ。風景印は通常は円形で、最初の登場から現在まで大きさやインクの色は変わっていない。最初の風景印は昭和6年(1931)7月10日に静岡の富士山局と山梨の富士山北局で始まった。今でも富士山の山頂に郵便局があって風景印を押してくれるが、デザインは何度か変わったようだ。現在は10000局ほどに風景印があるが、たとえば万博の間、会場に設置される臨時の郵便局で使用されるもの、そして記念イヴェント期間のみ使用される、ひと回り小さい小型印などもあって、これらの総計は今まで日本が発売した通常切手、特殊切手すべてを足した数をはるかに上回る。現在使用されている1万個だけならばどうにか自分で押して回ることも不可能ではないだろうが、戦前のものとなると、誰かが押したものを入手するしか方法はない。それに、切手は日本全国同じものが一応販売され続けているが、こうした特殊な消印は地域的かつ一時的なものであるため、今まで日本の郵便局が作ったすべての記念消印を集めることは不可能だ。
●見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その1_d0053294_23425426.jpg 筆者は小学校5年の時から切手を集めているが、風景印を知ったのは成人してからだったと思う。最初に風景印を押してもらったのは25年ほど前のことだったと思う。切手収集も中途半端なものであるから、風景印もそんなに熱を入れてはいない。まず写生してみたい場所を訪れ、そして実際に描き、ついでに近くに郵便局があればという3条件を満たす必要上、なかなかたくさん集まらない。だが、何年か経った後でそれらを見返すのは楽しい。筆者が入手したスタンプ帖もおそらくそんなちょっとした記念になればとの思いで始めたものだろう。風景印の取り扱いが始まって2年少し経ってから始めているところを見ると、当時記念スタンプ・ブームがあったのかもしれない。昭和8年は筆者の母親が4歳の頃で、遠い昔には違いないが、スタンプ帖まだ骨董品と呼べるものではない。だが、戦争を挟んでよく伝わったものであるし、筆者と同じ大阪人が大阪を中心としてあちこち回って精力的に集めたものであるから、何だか自分の姿と大いに重なるのだ。それにこのスタンプ帖は家にじっとあったままのものではなく、所有者と一緒にその場所ごとを訪れて、実際に手で押したものであるから、少なくともその人の数年の行動と思い出が詰まっている。だが、昭和8年にスタンプ帖を買って、次々と押して行くことを企てたような人物は当時はたくさんいたであろし、とても安上がりな旅行記念でもあるから、せいぜい一庶民のささやかな趣味の産物に過ぎない。だが、こうした風景印が始まって間もない頃のものがいい状態で伝わっていることは比較的珍しいのではないだろうか。通常1ページ当たり上下にふたつをとてもきれいに押してあるところからは、几帳面な人柄が忍ばれる。これは子どもではとても無理で、比較的あちこち自由に旅出来る時間的なゆとりのあった人のはずだ。仮に始めたのが30歳として、今生きていると103歳になるが、わずか3年で終えているところ、本人はすっかりスタンプ帖の存在を忘れていたであろう。白地が7ページもあり、1銭5厘の切手だけを貼って風景印の押していないのが1か所あって、いかにも途中で急速に興味を失った感があるからだ。その白いページを見るたびに筆者は自分でそれを使えばどうだろうと思う。せっかく70年前のまとまった内容であるから、そこに現在の切手を貼ったり風景印を押せば全体が台なしになるという思いもよぎるが、前の所有者と何らかの形で呼応出来るような内容を足せば、どこか未完であったものがより面白いものになるのではないだろうか。だが、それが何かはまだわからないでいる。さて、次回は140個の後半部分の提示と全体から浮かび上がることを書く。
●見知らぬ人の戦前の記念スタンプ帖 その1_d0053294_23451877.jpg

by uuuzen | 2006-07-14 23:47 | ●骨董世界漂流記
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