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●アルバム『IMAGINARY DISEASES』解説、その1
京のUさんから送ってもらったザッパのアルバムのもう1枚について書いておかなければならない。『IMAGINARY DISEASES』だ。



●アルバム『IMAGINARY DISEASES』解説、その1_d0053294_130675.jpgザッパはプチ・ワズーという10人編成のバンドによるツアーを72年10月から12月までの間アメリカでのみ行なったが、これはその前の9月から始めていたグラン・ワズーのメンバーを間引いて半分に編成し直したものでそう名づけられている。ザッパはこれら大小ワズーのツアーを録音したにもかかわらず、生前には発表せず、一部の海賊盤によって知るのみとなっていた。そもそも大小ワズー・ツアーは大所帯でもあり、アメリカ・オンリー、しかもステージ回数もさほど多くない。どういうつもりでザッパがこれらのツアーを敢行したのかはわからないが、たとえば60年代末期にデューク・エリントン楽団と一緒にツアーしたことがあって、ビッグ・バンド・ジャズへの憧れは以前からあったのだろう。そしてやるならば、「現在」の、そして「自分」のジャズというわけだ。そうした自負は、『200モーテルズ』でオーケストラと共演し、映画も作り、渾身の同アルバムをものにした後では、次なる未知の可能性として当然涌き起こったものだろう。その助走を直接的にもたらすきっかけは、71年12月にロンドンのステージでファンから突き落とされて大ケガをした後の入院時期にあり、その時に書いた曲が意外なほど大きな種子となってその後数年にわたって実りをもたらすことになった。71年のザッパはフロ・アンド・エディを迎えてのヴォーカル主体のビートルズ張りのロック・バンドの絶頂期であったが、それが12月でケガによってぷつりと終了したのは、ザッパにとっては予期せぬ災難であったが、次々とサウンドを変遷させる創作態度にあっては願ってもないきっかけでもあったと言える。もしザッパが手術をするほどのケガをしなければ、まだフロ・アンド・エディ時代は続いていた可能性があり、もしそうならばこの『IMAGINARY DISEASES』の録音はなく、さらには70年代前半のザッパの音楽は全然違ったものになった可能性がある。
 72年に入ってザッパは71年の録音をまず1枚出し、それから72年の作曲の成果を7月に『WAKA/JAWAKA』として早くも発表した。そして同アルバムのサウンドをライヴで試してみるために秋になって大小ワズーのツアーを考えた。ツアー中には『THE GRAND WAZOO』を発表しているが、常にザッパはステージではまだアルバムに収録されていない曲を披露することから、大小ワズーのステージに接した者は、『WAKA/JAWAKA』や『THE GRAND WAZOO』には収録されないメロディを聴くこととなった。だが、どういうわけか大小ワズー・ライヴはアルバムとして発表されなかった。その理由は、曲の完成度がまだよくなかったことによる。このことは本アルバムを聴けばすぐにわかる。各曲ともザッパ自身が生前にまとめ上げていた録音テープをそのまま使用しているが、アルバムとしての統一感に乏しい。海賊盤か、ちょうど『オン・ステージ』のシリーズの出来の悪いものを聴いている感じがある。アルバムとして曲の流れはどうにか最大の効果を上げるように工夫はされているが、それでも通常のザッパのアルバムの完成の域からは遠い。筆者個人の好みを言えば、本作は『JOE’S XMASAGE』の数分の1しか価値がない。これはザッパがアルバム編集していないためかと言えばそうでもない。本作はプチ・ワズーの典型的なステージ、あるいはエキスを収録しているし、誰がどう編集しても本作とは似たりよったりの内容にしかならない。つまり、プチ・ワズーのステージ自体の内容に問題があった。それでもザッパはいくつかの録音は何かの形に活用出来ないかとずっと考え続けたであろう。それだからこそ、本作の各曲のテープが存在する。おそらく『オン・ステージ』のどこかに収めるつもりがあったと見たいが、それも見送られたところを見ると、ザッパ本人がこのツアーの音をあまり気に入っていなかったのではないか。今までのツアー以上にメンバーに支払う賃金が多く、経費がかかったツアーの割りには収穫がなかった。
 本作は収録時間が63分ある。LPにすれば2枚にする必要があるが、それは実際的ではないので、もし72、3年にアルバム発表されていたとしても1枚もので40分ほどにまとめられる必要があった。本作を40分に縮小すればより密度の高いものになると思うが、それでも致命的に具合が悪いのは、ザッパが書いた新しいメロディの少なさと、そしてヴォーカル曲のなさだ。『WAKA/JAWAKA』と『THE GRAND WAZOO』という2枚のインスト・アルバムが続いた後、また同じようなジャズ・バンド・サウンドでは売り上げに響いたことは間違いがないし、結局このツアーの音の発表が見送られたのは正しい判断であった。また、本作で示したザッパの新しいメロディはその後のアルバムでほとんど消化されたし、そうこうして年代が経るほどに本作の発表の意味はなくなって行き、機会を逸したのだろう。もし価値があるとすれば、ソロの部分だが、それを主体にしたアルバムは海賊盤の分野ではあっても、70年代前半のザッパとしては考えることは出来なかった。とはいえ、以上の理由から、逆に今となってはそれなりの面白さがある。72年秋にザッパがステージでどういう演奏をしていたかの初めての公開であるから、それだけでもファンにはありがたい。ザッパの音楽活動、アルバムは絶えず以前の何かを引継ぎ、以後に何かを引きわたす形で存在しているが、その意味で本作から71年や73年以降を眺めることが出来るし、またそうすべきとも言える。さらには70年代だけの問題ではなく、実はこのプチ・ワズーはメンバーの多さの点で最後のロック・ツアーとなった88年ライヴに再現している事実を考えると、プチ・ワズーの録音を発表するよりも88年の演奏を発表することでいわば溜飲を下げたと見ることが出来る。その意味で、本作はザッパが究極に考えたバンド・スタイルであったとみなしてよいかもしれない。ジャズやロック、何でも演奏出来て、そして奏でられる音楽は自分自身しかやらないような独特なもの。それが本作からも伝わる。次回は各曲の説明をしたい。
●アルバム『IMAGINARY DISEASES』解説、その1_d0053294_12422972.jpg
●2001年9月24日(月・祝代休)昼
11時頃に起床。よく寝た。夢もよく見た。ひとつだけ書く。道を歩いていると高さ1メートル、幅50センチほどの本棚が道端に捨てられている。3段に分かれた棚には合計で10冊ほどの分厚い本が立っている。通り向かいを振り返るとおばさんがこちらを見て立っているが、自分はその本棚には関係がないといった表情だ。そうならばこれらの本はゴミであろうし、勝手に持って返ってもよかろうと思う。本は小説ではなく、全部同じ体裁の何かの叢書で、かっちりとした赤色の箱に入っている。本は黒の皮装丁で、白のコーティングを施した紙のカヴァーがかけてある。全部フランスものを翻訳したもので、1冊は確かロマン・ロランであった。どこの出版社のものかはわからないが、夢の中では25年ほど前に新潮社が出したパウル・クレーの『造形思考』によく似た装丁だなと思っている。しかし、それより版型はやや大きくて『大論』と同じだが、より分厚くて重い。そして何より豪華で洒落ていて、なぜこんな本が10冊も捨てられているのかわからない。本箱の前にしゃがんで、1冊手に取って箱から出してぱらぱらすると、かっちりと箱にはまっていたはずの本であるのに、表紙の閉じ部が少しぶよぶよとしていて、しかも本の間の2、3か所には紺色のプラスティックの厚さ1センチほどの四角い破片がいくつか入っていて、それがあったのになぜ本がかっちりと箱に収まっていたのかわからない。とにかくそれらの本を全部持って帰りたいが、そばに立っていた妻はそれをたしなめる。2、3冊ならどうにか持って帰れるが、とても全部は無理だ。それで宅配便が近くにあればなあと思っているところで夢は別の場面に移った。筆者は本や郵便局、切手の夢をしばしば見る。高さ1メートル50くらいの厚い本を見たこともあった。それはシャガールの全画集なのだが、中ほどのページを見ようとすると、背表紙ががくりと折れ、とても片手でそれを支えられないのであった。今朝見た本の夢は出所がだいたいわかる。まず箱だが、先日石原さんから電話があった時、『大論2』のオマケを以前のような『サプリメント』にはせず、本の箱でもと考えたという話が元だ。この日記ですでに書いたかもしれないが、ザッパ論が『大論4』程度で完結したとして、その時の特典に4冊が収まる箱はどうかと、Uさんに以前に手紙で書いたことがある。電話では石原さんにそのことと、「今回は箱は止めておきましょう」と言った。『大論』にはなかったのに『2』にはあるというのもバランスが悪い。それよりも『サプリ2』の方が手っ取り早い。ただし筆者に負担がかかるから、石原さんはそうは無理強いできなかった。その話での箱が夢に別の形で出て来た。
 本の箱の赤色は、布袋像の赤い衣の色であろう。昨夜土産店では「この達磨さんの衣はオレンジですが、まだ4つほどある在庫はみな真っ赤です。こうして長い間展示している間に色が飛ぶのです。この方がいいというお客さんもあります…」という話を聞いたが、そのために赤色が意識の中に残っていた。また先日伏見の大手筋商店街のある男性ブティックで、濃い赤の皮ジャケットを見てほしいなと思ったことも影響しているはずだ。そのジャケットはLサイズで5万円以上していたから、体にも財布にもフィットしないので簡単にあきらめたが、よく似たもののMサイズとおぼしきものが河原町にあるのを見かけた。価格は同じ。派手な色だが、やや錆びた色で深みがある。ほしいなあと思う。しかしほとんど着ていないジャケットがいくつもあるし、買っても何度も着ないだろうから、もったいないなという気分の方が大きい。それに5万円なら今は伏見人形5個買う方がいいなというのが正直なところ。収入が少ないというのに、いつも何か気に入ったほしいものがある。とはいえせいぜい数万円のもの、ささやかというべきだ。昔から本当にほしいものはムンクの大きな油彩画だが、これはもう美術館に入っているからジャンボ宝くじのトップ賞が2回当たっても実現不可能。それでもほしい。盗むしかないか。ムンクはとうてい無理としても、それでもたまにほしい作品があって、20万ぐらいまでなら思い切って買う。ただし版画だ。筆者の哀れな経済状態からするとそれは同世代のサラリーマンの100万から200万くらいに相当するだろう。そんな無茶なことをする一方で、パソコンひとつ買わずにいるのだから、たいていの友人はその心が理解できない。だがパソコンはどこにでもあるし、友人の助けを得られるが、絵の方はそういう具合には行かない。人それぞれに価値感が違う。それはそうと、その皮ジャケットの皮の方が夢で見た本の皮に転移し、赤の方が箱に乗り移ったと思う。しかしこの赤、黒、白の3色は『大論』のカヴァーの色でもあり、『2』でも黒を中心としつつ3色でデザインしてほしいと言ってあるので、それで夢にその3色が出て来た。先日の石原さんの電話によれば、装丁デザインはまだ取りかかっていないそうだが、黒の代わりに紺も考えているという話で、少しがっくり来たが、その紺色が夢ではプラスティックの破片として現われたはずだ。

by uuuzen | 2006-07-12 23:59 | ○『大論2の本当の物語』
●『藤井永観文庫の優品展』 >> << ●『印象派と西洋絵画の巨匠たち展』

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