●『黒水仙』
画してあったものを10日ほど前に見た。半年ほど前にもTVで放送されたが、その時は録画するのを忘れた。タイトルが昔あったイギリスの尼僧の物語と同じなので覚えやすいが、アン・ソンギが出演していることもあって、名作に違いないと思ってずっと楽しみにしていた。



d0053294_1310288.jpgだが、結果を言えば、一度見ただけではわかりにくく、1本の映画にまとめるのは無理があると思う。今日ネットで調べると、原作の小説『最後の証人』は以前にも映画化されたことがあるらしい。ならば今度はTVドラマにした方がよかったのではないか。だが、おそらく似た内容のTVドラマはすでにあるような気がする。監督はペ・チャンホという1953年生まれの人で、この映画は16作目というからベテランだ。何でも韓国のスピルバーグとか言われているそうだが、残念ながらこの監督の映画を見るのは今回が初めてなので才能の凄さは確認しようがない。韓国映画には、物語の設定を過去と現在をつないだうえで、現在をちょうど映画の公開した年に設定するということがよく行なわれる。これは「過去」から始まって「現在」に至って映画が終了するとして、「過去」におけるある要素が「現在」を強く規定しつつ、その物語の終着点が映画の封切り時の観客が今見ている画面そのままであるという、「こじつけたリアリズム」と言ってよい手法だが、これは今では日本ではあまり好まれてはいない手法だ。韓国人はよほど因縁好き、歴史好きで、現在は必ず過去とつながっているということを、虚構である映画の中にさえも求めるのだろう。日本はその点、学校でも現代史をほぼ全く教えないから、歴史的に現在と過去がつながっていると頭ではよくわかってはいても、生活の中で実感はしないし、思い出すこともない。何事も水に流す民族で、あくまでも過去は過去、現在は現在だ。そのため映画もそれらを行き来することはほとんどない。たとえば、近年は第2次大戦時をテーマにした邦画が割合作られるが、それはその過去の時点で閉じた物語であって、観客個人が映画を見た後、その物語を現在と引き合わせて思考するものとなっている。そこでは監督の微妙に偏った思想が鑑賞者に刷り込まれる可能性があるから、現代史を詳しく知らない、つまり免疫のない若い、あるいは単純な人にとってはそれが最初の簡単な教科書として機能し、制作者側の意図に染まりやすい。これはかなり危うい思想統制になりかねない。
 この映画が2001年に公開される必要があったのは、原作の改編によるこじつけだと思うが、アン・ソンギ演ずるファン・ソクという朝鮮戦争時の捕虜がおよそ50年間も獄中にあったとする物語の設定による。ファン・ソクの収監された1952年は日本人には何のことかわからなくても、韓国人にとっては朝鮮戦争の真っ最中で、忘れようにも忘れられない。まずここを最初に知っておかなくてはこの映画は楽しめない。そこがこの映画が日本であまりヒットしなかった大きな理由と思うが、韓国でも大ヒットしたとは言い難いようで、映画の構成そのものに問題があったのだろう。それはそのとおりで、あまりに欲張り過ぎた内容のため、2時間弱ではとても収まり切らないのだ。映画のジャンル分けは今では普通のことだが、この映画は他の韓国映画がそうであるように、いくつかのジャンルを横断していて、結局どっちつかずの内容で観客は見所が途中でわからなくなる。前にも書いたが、ドキュメンタリー的な内容をフィクションで見せる場合は特に、巨額の制作費の回収もあって、ファンを喜ばせるテクニックをいろいろと使用する必要に迫られる。この虚構をどの程度用いるかで、娯楽作品としての比率が著しく変化する。それは有名俳優であったり、また派手なアクションであったり、あるいは男も女も楽しめるようなラヴ・ロマンスの要素であったりするが、この映画はそれら全部を使って娯楽度を高めようとしているあまり、せっかくの歴史的ドキュメントの部分がより曖昧なものに傾き、監督の本来の意図が見えにくい仕上がりになってしまった。50年前の歴史をテーマにしつつ、それが映画を見る観客が今目の当たりにしているまさにその時点で大きなひとつの決着を迎えているのだとする壮大なドラマ作りが、2時間弱の暗闇の中でのしょせんは娯楽作品において、どこまで観客の歴史観の確定や現状認識をさせ得るかと言えば、なかなか心もとないのではないだろうか。
 それはひとつには50年前の戦争をどう考えるかという大きな問題が横たわっていることと、仮に監督がある思想に強く賛同していたとしても、それを俳優を使ってのフィクションで表現する場合、下手すると意図しなかったことが汲み取られる懸念があるし、大きなテーマを扱うのは確かに立派でも、50年前の歴史をよく知っている長老たちの思いをどれだけ満たすものになるかは大いに疑問だろう。どう転んでも戦後世代の監督の思いの表現に過ぎないから、それはそれで各方面の批判があってもどうでもよいと言えるが、現在の韓国に直結している現代史の一断面を描くところからは否応なしに監督は過去の総括と現在の把握が求められる。そしてそれは監督個人を越えて韓国として見られかねないことを含んでいる点で、なおこの映画のある意味での中途半端な完成度が惜しまれる。ましてや日本の宮崎県までロケをしたから、現代史は韓国だけにとどまらず日本まで含んだものになっていて、そこに注目するならば、日本における朝鮮戦争への理解が求められているわけでもあり、この映画が決して異国の閉じた場所での出来事であったとは思えないのだが、残念ながら日本では50年前の朝鮮半島での戦争について関心を抱く人はごく限られているだろう。韓流ブームとはいえ、それは「過去」を除いたあくまでも「現在」だけの韓国であり、日本では韓国以上に徹底した消費に終始するだろう。つまり、ブームが去ればそれでおしまいで、何事も、特に朝鮮の現代史については学ばないままになるに違いない。それは本当は不幸かつもったいないことだ。たとえば北朝鮮の話題が頻繁に報道されるその背後に現代史がぴったりと張りついていることが理解出来ない。日本は忘れていても北朝鮮は忘れてはいないことがあるということを知る必要があるにもかかわらず、まずそんな報道は日本ではなされず、とにかく「現在」だけが繰り返し報道される。何しろ学校では現代史は時事問題として教えられないし、アメリカと同じように右の翼を2枚持った国であるから、これはある意味では当然だ。戦後間近のことは知らなくてよいとするこの日本の姿勢が世界的に見て、いやアジア的に見てまともなのかどうか、それすら考えない人が多いとすれば、日本はうまく政治を行なっていると言うべきかもしれない。
 この映画の大きなテーマは北と南が戦った朝鮮戦争にあるが、男だけのドラマにしては観客動員は限られるから、ラヴ・ストーリーの体裁が取られた。また、「過去」と「現在」のつながりを少しずつ解いて行く役目として刑事を登場させ、サスペンス・ドラマとしても機能させている。朝鮮戦争は1950年から53年にわたったが、この映画ではプサン南部に位置する巨済島という大きな島の小学校の同級生の男子3人を一方に立て、もう一方には大地主で南朝鮮労働党幹部の父を持つ娘ソン・ジヘとその小作人の息子ファン・ソクを登場させて、これら5人の朝鮮戦争時代の「過去」と「現在」の運命が描かれる。刑事はある殺人事件を担当する中で、この5人の人生を知ることになり、観客はそれを回想録のように味わう。同級生男子3人は仲がよかったが、成人した当時に起こった朝鮮戦争では思想を違えて反目し合う。ジヘの父は戦時中に処刑されるが、ジヘは黒水仙という暗号名を持ったカトリック尼僧としての活動の傍ら、父の意思を継いで巨済島の捕虜の脱走を手助けする闘士となる。ここは少し理解し難いかもしれないが、大地主であったジヘの父は北朝鮮の共産思想を抱いていたことになる。だが、ソクはあくまでもジヘを慕う小作人の立場で、思想的なことはいわばどうでもよく、単にジヘの窮地を救うことだけに命をかける存在として描かれる。そんなソクにジヘも強く惹かれているが、この設定はかなり無理がある。父の意思を継ぐならば、ジヘは強い思想を持った活動家と恋に落ちる必要がある。そんな人物として同級生男子3人のうちのハン・ソギュが登場する。ソギュは仲間をまとめて捕虜収容所から脱走に成功し、そしてソクの願いもあってジヘを連れて逃げるが、結局愛国青年団長のヤン・ダルスに捕まってしまう。ダルスはかつて3人で写真に収まる幼馴染みだ。ソギュは逃がしてもらう代わりにジヘをダルスに与え、そして自分は死んだことにして日本に逃れ、そこで別人の戸籍を得て「現在」までの戦後を生き抜く。ソクもダルスに捕まってしまうが、ダルスはジヘを逃がすという交換条件を出し、そのままソクを50年もの間刑務所に閉じ込めた。ジヘは自分がダルスの女になったことで、ソクを開放してもらったとずっと信じて戦後を生きて来たが、実はダルスが自分もソクも騙していたと気づき、ダルス殺害を考えてすぐに実行する。
 この映画で奇妙なのは、ダルスの残忍な描かれ方だ。思想に関心のないソクがただ愛するジヘのために50年も刑務所に入っていたのはまだわかるとして、南朝鮮愛国青年団長であったダルスは現在の韓国の思想を持った人物であったから、むしろ正義として描かれるべきであるのに、そうなっていない。ダルスは朝鮮戦争時は村人を苦しめて恐れられていた人物として描かれているが、戦争のドサクサに利益を貪ろうとした資本主義思想の連中はたくさんいた。実際それは、ダルスの手引きによって警察所長がジヘの父親が所有していた土地を全部自分のものにするという様子が描かれていたことからもわかる。つまり、朝鮮戦争は簡単に北の共産主義が悪で、南が正義とは言えないもので、戦争の勃発の本当の理由も定かではない。現在の韓国ではアメリカがむしろ画策したものとして考える向きもあって、近年のアメリカの行動を見ているとそれは大いにあり得ることとも思える。また、革命戦士のドンジュも勝手な男として描かれているのが興味深い。これまた戦争のドサクサに乗じて日本にわたり、そこで幸福な家庭を築いてのうのうと生きていたという設定であり、実際大いにあり得た話であろう。そんなドンジュが事情を知るダルスから脅されて金を絞り取られようとしていたという「現在」の話も念が入っているが、結局ドンジュは呆気なく刑事の前で自殺してしまう。これは革命戦士としての心意気や恥の精神がまだわずかにでも残っていたと考えれば納得が行く。同級生男子3人のもうひとりカン・マノという男はあまり出番はない。ずっと巨済島にとどまって豚を飼って生きているといううだつのあがらない人物だ。だが、彼も殺される。同級生男子3人の「現在」を知らないままずっと刑務所暮らしをしていたソクがようやく釈放された時に、ダルスが殺される事件が起こり、そしてジヘと50年ぶりに対面出来るというその矢先に、ジヘは警察の発砲で死ぬ。政治思想に関係なくひとりの女をずっと思い続けた男も結局は不幸な人生であったが、一途な思いを相手から示されたことにおいて意味のある人生であった。政治思想がどうであれ、一番大事なのは「信念を曲げない」ことであることをこの映画は示したいのであろう。最初から腐っていたダルスや、途中で信念を曲げたドンジュが悲惨な死に方をするのはもっともということだ。
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by uuuzen | 2006-07-09 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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