ビートルズの来日公演がTVで放送されたのはちょうど今から40年前の6月30日の午後9時半であった。今それとぴたり同じ時間にこれを書き始めた。
だが、BGMはビートルズではなく、ジョニー・キャッシュだ。祇園会館で韓国映画『頭の中の消しゴム』を見た時、予告編に今夜取り上げる映画と、もう1本『オリバー・ツイスト』が流れた。どちらも面白そうで見ることに決めた。それで21日に見た。2作とも2時間ほどの大作で、内容には満足した。映画には疎いので、どんな映画が話題になっているかはさっぱり知らず、この映画も予告編を見なければずっと知らないままであった。ジョニー・キャッシュの伝記映画で、日本における彼の人気からしてあまり客の入りは期待出来ないのではないかと思うが、どんな音楽を書いたか知らなくても、映画を見て音楽に興味を抱き、CDを早速購入する人は少なくないだろう。筆者は数年前に5枚の輸入盤CDを買ったが、2、3度聴いたのみであった。歌詞カードがないために何を歌っているのかわからないこととと、どの曲も単純な作りで、音としては面白くなかったからだ。だが、映画を見て興味を新たにした。歌詞についてもネットで調べて10曲ほどを印刷した。それでわかったことは、キャッシュの曲は歌詞の意味をしっかり把握しなければ、4分の3以上は楽しめないことだ。ほとんど曲の持ち味は歌詞内容にあると言ってよい。いや、実際は声も独特の艶のあるバリトンで、耳馴染むとすっかりファンになってしまうような魔性がある。それに単純な伴奏も、抑制が効いていながらもどの曲も実によく計算された個性がある。確かに60年代末期以降の過剰とも言えるロック・サウンドに親しんだ耳からすれば、かなり物足りないスカスカした音世界だが、どう言えばいいか、広大なアメリカの根本から生えて来たような香りに満ち、気分を落ち着かせる。一言すれば「大人の」音楽だ。映画ではビル・フリーゼルの『ゴーストタウン』からも引用されてムード作りに貢献していたが、ニューヨークといった大都会ではないアメリカの真髄を堪能出来る作品と言ってもいいかもしれない。最晩年のキャッシュの顔写真を見て、そのあまりにもヤクザの親分めいた感じにおののいたことがある。よほどこの人は悪いこともやって来て酸いも辛いもよくわかっているなと思わせるような風貌だ。もちろんCDでは若い頃の顔写真が使用されているし、筆者の所有するものには30歳の時のものもある。そしてネットではもっと若い頃の顔も確認出来るが、それらから思うのは、目が鋭くてすでに大物の風格がはっきりと漂っていることだ。
映画はよく出来ていた。キャッシュの生涯を知るには最適な内容だ。幼少の頃から始まって空軍への入隊、復員して結婚、メンフィスへの移住と同地での初レコードの吹き込み、エルヴィス・プレスリーらとの巡業、ジューン・カーターとの出会い、離婚、そしてジューンとの結婚といったように、時々正確な年月日も記述され、時代順にわかりやすく描かれていた。最初の場面からしてよかったが、それは1968年1月に行なわれたカリフォルニアのフォルサム刑務所でのライヴが始まる前の様子だ。ステージには演奏メンバーが揃ってすでにリズムをズンズンと刻み、観客である囚人たちはワイワイと熱が入っている。だが、控え室でキャッシュは肉を切る電動ノコギリの歯に指を触れて物思いに沈んでいる。そこから急に画面は幼少時代に飛ぶ。そして物語は前述のようにどんどん時代が現在に近づき、やがてまた電動ノコギリの歯に指を触れている場面につながって、同刑務所でのライヴ演奏の場面が満開となり、そこで映画が終わる。キャッシュは1932年2月にアーカンソー州に生まれ、2003年12月に亡くなっているが、同刑務所でのライヴは36歳直前であるから、映画は音楽活動の前半期のみを扱ったことになる。同刑務所でのライヴ盤はキャッシュの最大のヒットとなったから、それを映画の最初と最後に持って来た構成は、キャッシュの生涯を示すには最適であった。アーカンソー州は東がテネシーとミシシッピ、西がオクラホマ、北がミズーリ、南がテキサス、ルイジアナの各州に接している。幼少時代を描写した部分では広大な綿花畑で働くキャッシュ一家が映し出され、典型的なアメリカ南部のプア・ホワイトを思わせた。キャッシュには兄ジャックがいた。弟思いで働き者だったが、木工所で賃仕事をしている時、電動ノコギリで自分の腹を切ってしまった。まだ10代半ばの頃だった。この兄の死がキャッシュのトラウマになった。優秀な者が死に、屑の自分が残ったという罪の意識だ。それは後の作詞にも影を落としている。父親は飲んだくれで、ふたりの息子が毎晩ラジオから流れて来るカントリー音楽を聴く楽しみをよく思わず、そうした音楽はクズだといつも罵った。だが、母親は音楽に理解があって、キャッシュは12歳で地元のラジオ局に出演したことがある。一人前の大人として逞しく成長したキャッシュは空軍に入隊し、入隊前から好きであった女性にラヴ・コールを送り続け、復員後すぐに結婚する。子どもに恵まれるが、セールスマンの仕事には熱が入らず、音楽の道で立ちたいと思い続ける。仕事の合間にギターとベースを担当する友人と演奏の練習を重ねるが、素人バンドの域を出ない。ある日ついにメンフィスの有名なサン・レコードの門を叩く。5ドルでレコードを作ってもらえるのだ。そこではすでにプレスリーが録音していた。スタジオのオーナーであるサム・フィリップスに懇願して自分たちの演奏をようやく聴いてもらえたが、耳が肥えたサムは首を縦に振らない。同じような音楽はすでにたくさんあったからだ。自分だけが演奏出来る音楽こそが人を救うとの言葉を耳し、キャッシュは空軍時代に書いたオリジナルを演奏する。それに気を惹かれたサムは録音を決める。プレスリーの録音から1年後のことだ。
サムの前で初めて演奏したキャッシュのトリオは黒シャツに黒ズボンの出で立ちであったが、これはキャッシュの音楽を知る者にすれば意味があって面白い。映画では、3人で揃えられる服は黒しかなかったとキャッシュは言っていたが、実際そうした服装で演奏したのかどうかはわからない。それでもこの黒の衣装はキャッシュのひとつのシンボルとなって、71年には「Man In Black」というヒット曲も生まれた。少しだけ訳す。「オレは黒を着る。貧しく、そして打ちのめされ、希望もなくて空腹を抱えた者のために。オレは黒を着る。罪を長い間贖う囚人のためだ。奴が時代の犠牲であっていいのか。オレは黒を着る。神の言った言葉を読んだり聴いたり出来ない人のために。愛と慈善を通じた幸福への道について神はあんたやオレに直接語ってくれる。それをあんたは考えるだろうよ。…オレだって毎日虹色を着たいさ。そして世界に向かってすべてはOKと言いたい。けどな、オレはちょっとばかしの暗さを背負って行こうと思う。物事がより明るくなる時まではな。オレは黒の男さ」。キャッシュはシンガー・ソング・ライターでほとんど自作曲を歌うが、この1曲からでもその世界はよくわかる。貧しい者、虐げられた人に対する温かい眼差しとキリストへの感謝で、いかにもアメリカ南部の保守的な場所から登場した歌い手を思わせる。キャッシュのこの姿勢は、映画でも教会に赴くシーンを少し挿入するなど、忘れてはならない事項として描写されていた。そこがプレスリーやあるいはキャッシュとは音楽仲間であったカール・パーキンスやジェリー・リー・ルイスとはいささか違う部分だ。フランク・ザッパは最後のロック・ツアーとなった88年にキャッシュの「リング・オブ・ファイア」をカヴァー演奏したが、それは大部分はキリスト教信仰を前面に押し出すミュージシャンの代表的存在への揶揄からだが、少しはオマージュだったとも考えられる。最も白人アメリカ的な音楽となればキャッシュが代表格であるからだ。だが、キャッシュの音楽の要素にイタリア・アメリカン的なものが流れ込んでいるかどうかとなると、キリスト教を共有する部分以外には大いに疑問で、キャッシュとザッパを並べて見つめると、アメリカの雑多ぶりのルーツもよくわかる。
映画で大きく割かれていた部分は、キャッシュの薬物中毒とその克服、そしてその陰の支えとなったジューン・カーターとの結婚に至るまでのロマンスだ。戦前のアメリカで大人気を得ていたカントリー音楽の祖の代表格として、カーター・ファミリーという夫婦と従姉妹によるトリオがあった。従姉妹のメイベルはやがてリーダーのA.P.カーターの弟と結婚したが、ジューンを次女とする3人の娘はカーター・シスターズを結成して、子ども時代から舞台に立って人気を博した。そこに母が加わってまたカーター・ファミリーとして活動することになるが、キャッシュは兄ジャックと一緒にラジオでよくその歌声を楽しんだ。キャッシュが有名になった頃、ジューンは憧れの存在であったが、やがてふたりは同じステージに立つことが多くなる。そのことを妬いたキャッシュの妻は離縁を決め、有名人だったキャッシャはひとりぼっちになる。そして時代の好む音楽はビートルズの登場によってどんどん変化し、キャッシュの音は時代遅れと見なされるようになった。ジューンに何度も繰り返しプロポーズしてもいっこうに振り向いてもらえず、薬物中毒はひどくなるばかり、それでもふたりは一緒にツアーに出る生活をしていた。彼らの音楽を愛好する人々がアメリカにはまだまだいたからだ。ある日キャッシュはステージでのうえでジューンに結婚を申し込み、ようやく了解を得る。そんな頃、キャッシュの元に囚人たちからファン・レターがたくさん舞い込んでいた。それを見てキャッシュはコロンビア・レコードの幹部たちに刑務所での収録を提案する。言語道断と思われたこの試みは大成功となった。それ以降夫婦は長らく一緒に音楽活動をともにし、ジューンが亡くなった数十日後にキャッシュも世を去った。いろいろと問題のあったキャッシュだが、思いを遂げて一緒になったジューンとは生涯連れ添ったということで、一途振りを証明した人生であった。映画ではキャッシュ役は『グラディエーター』の悪役を努めたホアキン・フェニックスが演じ、歌も全部吹き替えなしで担当した。だが、本物のキャッシュの声の方がはるかによい。ジューンを担当した女性も楽器の腕前や歌もなかなかうまかったが、これも実際のジューンのこぶしを利かした唸り節が聞こえる方がよい。映画はキャッシュの生前から予定されていて、両者の配役はキュッシャとジューンからは了解を得ていたという。キャッシュの父親役は『ターミネーター2』に登場した液体ターミネーター役を演じたロバート・パトリックで、さすが腹も出っ張って貫祿が増した。
キャッシュの音楽はカントリー音楽という表現はあまりふさわしくない。ロカビリーの要素もあるし、フォーク・ミュージックや賛美歌にも隣接する。アメリカ民謡の中から出て来た大人向きポップスという位置づけがいいと思うが、たとえばビートルズとそっくりな部分もあって、じっくりと聴くと改めてさまざまな発見がある。今後評価はますます大きくなるだろう。歌詞は男の生き様を主張したような、演歌的な味わいのあるものが主で、この点はビートルズにはなく、ザッパにもない。だが、ボブ・ディランのような哲学的とも言える文学的閃きはほとんど見られないだろう。肉体労働者にもそのままストレートに通ずるような、簡単な言葉を使用した物語形式に真骨頂がある。映画のタイトルになった「ウォーク・ザ・ライン」という曲の歌詞には神こそ登場しないが、愛する相手への確信を抱いた歩みの表明ぶりを歌い、ここにも一旦決めればテコでも動かない強固な意思を見る。キャッシュの魅力はそこにあるだろう。鶴見俊輔が戦前アメリカから交換船で日本に帰国した際、どんなことがあっても自分の考えを変えない「立派な」ならず者がいたと何かに書いていたが、キャッシュとその言葉がふと結びつく。今日ざっと読んだ10曲ばかりの歌詞を全部ここで分析して紹介したいが、残念ながらもうその場がない。これは聴いてはいなが、「Long Black Veil」という歌詞をたまたま昨夜読んだ。キャッシュの男ぶりの美学をよく表現する内容なので簡単に紹介しておく。ある日男が殺された。殺した男の走り去る姿を見た者がいて、ある男が捕まる。そして裁判の場でアリバイがあれば命は助かると言われるが、男は黙って刑に服し、今は骨となって墓に眠る。夜になると長く黒いヴェールを被った女がそこを訪れて泣く。そのことを知るのは女と墓の下にいる男だけだ。殺人のあった夜、死刑になったその男は一番の親友の妻の腕の中にいたのだ。男はアリバイを証明するより黙って死を選んだ。この大人っぽい内容の歌詞と出会うのに、筆者は中学2年のビートルズ来日公演からちょうど40年かかった。ビートルズは当時不良の音楽と盛んに言われたが、筆者は先生もいる前でみんなにそれを反論したことがある。だが、学年で1番の成績を取るような真面目な筆者が大のビートルズ・ファンで、それを盛んに擁護する態度にみんなは不思議な顔をした。だが、この映画でもキャッシュは巡業先で毎夜女に困らず、薬漬けになって、とにかく良識派が眉をしかめる生活ぶりで、そうしたミュージシャンへの一般的眼差しがそのままビートルズに当てはめられたのは無理もない。確かにポップスの世界で有名になろうとする人物は、平凡なサラリーマンから見ればみなヤクザかそれに近いような存在だろう。だが、そんな人物にもこれと決めた覚悟があって、その道を真っ直ぐに歩む。頭がよくてもそれをずるいことだけにしか活用しないような人物は、きっとキャッシュの歌はわからない。