●『JSA』
に聞いて想像していたものとはかけ離れた映画であった。名古屋のFさんから随分以前にもらった数枚のDVDがあって、まずこの作品を10日ほど前にようやく見た。韓国では2000年に公開された。



d0053294_152951.jpg「JSA」が何の略かもわからず、最初はアメリカ映画にあるようなアイクョン本位のものかと思ったが、俳優の秀逸な演技を主にした推理もので、重い現実を突きつける内容だ。物語をあまりに感傷的に設定し過ぎと思わないでもないが、韓国の人々はどう受けとめているのだろう。韓国と日本とでは受けとめ方にかなり差があるはずだが、先ほどネットで調べると、日本ではおおむね見所を押さえている発言が目立ち、映画の意図はほぼ正確に伝わっていると思えた。フィクションであるし、娯楽と言い切ってよいが、テーマが韓国と北朝鮮との停戦状態にかかわる事柄が主題であり、パク・チャヌク監督がそこに横たわるなにがしかの問題を、韓国やあるいは諸外国に伝えたい思いがあるとすれば、その功罪が問われかねない点において問題を孕んでいる。国家が分断されていない日本では想像し難いが、それでもドキュメンタリー映画ならばいざ知らず、日本ではこうした現実の、一種のタブーを正面切って描いた娯楽映画は撮影されないだろう。韓国映画界における、何でも題材にしてヒット作を作り上げてしまう実情にとにかく驚くほかない。この映画のストリーを「あり得ないこと」として見る向きは韓国にもあるが、それでも「ひょっとしてあってもおかしくない」との見方を監督は持ったはずで、それが韓国の多くの人々の共通する思いであったところに大ヒットの理由があるし、そこに韓国の北朝鮮観の反映が見られて面白い。こういう映画が作られるほどに、韓国における北朝鮮問題は若者にも昔とは違ったように関心が持たれており、その点をこの映画からだけにしても日本が知り得るようになったのも意義が大きい。もちろん、フィクションであるので、割引きして考える必要は多々あるが、この映画があらゆる意味で現在の韓国における北朝鮮への眼差しを提示していることには変わりはなく、日本とはかなり温度差のある北朝鮮観を知ることにも役立つ。それはたとえば、現代史には疎い日本とそうではない韓国の対比でもあるだろう。北朝鮮という国がなぜ誕生したかも知らない日本人は多いはずで、「現在」を知るには「以前」を知る必要があると認識するだけでもこの映画を見る価値があるはずだ。だが、前述したように、日本では相変わらず大多数は娯楽面のみを享受するだろう。
 日本における北朝鮮観は主に拉致問題によってそうとう悪いものがある。横田夫妻は娘の拉致について、「昔なら戦争ものだ」とTVで語っているが、そういう表現を韓国の国民がどう思っているかを案外日本のTVは報じない。韓国から拉致された人々の数は日本のそれより桁違いに多いが、同じ民族である点で、日本から拉致された人の家族の思いとは微妙に差があるだろう。確かに38度線の国境から向こうは月より遠い国だが、昨日のキム・ヨンナム氏と韓国における母親たちとの再会のように、会おうと思えば何らかの手段によって実現する可能性がある。そこには政治が絡むが、その度合いは日本の立場よりはるかに小さいもので、そのことはたとえばこの映画の出現によってもわかる。妙な言い方だが、北朝鮮と韓国とは情によってまだ対話が出来るが、日本とではそれがほとんどないため、結局アメリカや国連に訴えてでもということになる。北朝鮮に情があるなどと書くと、とんでもない奴と言われそうだが、この映画で描写されている韓国側兵士の北朝鮮の兵士に寄せる情は、相手にそのまま通じ、同じく情で応じ返される様子を見れば、少なくとも韓国では北をアメリカが言う「悪の枢軸」と思ってはいない考えがあることは明白だ。同じ民族で同じ言葉を話し、離散家族が南北に膨大に分かれて住む状態、ましてや国境を接しての隣合わせとなると、相手を「悪」と罵るより、むしろ「太陽」のように微笑む方が現状安定には効果があると考える方がまともであるし、実際そういう政策を現在の韓国は取っている。一昨日だったろうか、日本はいずれ保育園と幼稚園と合体させ、2歳から受け入れる構想のあることが新聞に載った。それを見てまるで北朝鮮だと思った。北朝鮮では子どもは国の財産で、生まれて間もない頃に共同で育てる施設に預けて、両親はせっせと国家のために働く実情があったはずだが、日本はそれと同じになりつつある。日本はまるで社会主義国家同様に、富が比較的国民に平等に分配されるとよく言われる。ここ数年でそういう状態が減退し、貧富の差は拡大しているが、それでもまだアメリカほどではない。国家の規模や体制は違えど、日本は北朝鮮に近いのではないだろうか。そこには文人や士大夫の意識を解する東ジア人の共通した感性があるように思う。
 ところで、北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国」という長い名称を持っていることに中学生の頃から違和感がある。だが、民主主義国家ならば、なぜ日本やアメリカと国交がないのだろう。誰しも素朴にそう思う。民主主義国家であるはずの北朝鮮が実際は世襲制の王国であることは今では誰でも知るが、ならば「朝鮮王国」と改名すべきではないか。そうなっていないところに社会主義国家の国民への欺瞞がある。韓国の国民は北朝鮮の人々に個人的には何の恨みもない。思想を操られているだけのことで、悪いとすればそれは国のトップにある人たちだと思っている。みんなで生産をして成果を平等に分配するというのは、人間を性善説で見る点で美しい考えだ。人間が理想とすべきことと言える。だが、それはごく小さな範囲であれば可能でも、数千万単位の人が集まる国家ではうまく機能するはずがない。人々にあらゆる役割分担が出来るし、国民の住む地域差もあって、平等の観念が限りなく曖昧なものになるからだ。単純な理論どおりには国家は機能しない。むしろ個人に内在する欲望がそれを動かす。それでも北朝鮮の政治だけを嘲笑するわけには行かない。役人天国は北朝鮮でも日本でも同じことで、日本では今日も官僚の天下りが堂々と行なわれて税金の無駄遣いが驚くべき多額でなされることをTVが伝えていた。韓国でも最近財閥の会長が海外に莫大な資産を移したとして3兆円だったか、韓国史上最高の追徴金を課せられる判決があった。北朝鮮は民主主義と言いながらも徹底した階級社会で、いい暮らしが出来るのは昔で言う貴族と同じようなごく一部の特権階級だ。そういう層がある限り、首席が死んでも何ら変化ないままに体制は維持され続ける。自分たちが享受している生活は才能と努力による賜物であって、餓死する人は能力がないか、怠惰か、あるいは反国家思想を抱くような人々と言うわけだ。勇気を出してそんな実態に意義を唱えようものならば、さっさと強制収容所送りになるだろう。だが、先日「お金を儲けることがそんなに悪いことですか? わたしが急に儲けたからみんなに嫌われるのでしょう?」と言った人物は、見方を少し変えれば北朝鮮の高級官僚と大差ないと思える。人間はどんな国家体制でも変わらない。だが、この映画はそんな人間の醜悪な部分に焦点を定めず、理解し合いたいという思いが国家の考えの前でどう揺れ動くかをテーマにする。その意味で切なく、また命がかかった男同士の友情という、人間にとって最も美しいテーマが扱われる。
 映画を見て初めて知ったが、イ・ヨンエが流暢な英語を話す外国人ソフィアとして登場する。彼女の父親は韓国人で、朝鮮戦争が終わった時、北も南も選ばずに南米に亡命し、そしてスウェーデンの女性と結婚した。映画では朝鮮戦争が終わった後の実写フィルムが少々挿入されたが、外国に亡命した人は10数人だったか、とにかくごくわずかだが、この映画を見るまでそんな存在があったことは知らなかった。ソフィアはJSA(Joint Security Area)すなわち板門店の共同警備区域で起こった事件の真相を究明するために、中立国の監査委員としてやって来る。映画は現実の板門店そっくりに作られたオープン・セットで撮影されたが、その念の入れようは政府のある程度の協力がなければ難しかったであろう。とにかくそのセットを中心に、北朝鮮と韓国の兵士、それにソフィアなどの中立国側の人物が動き回ることで映画は進む。そのため、事件はどこかの密室で生じて解決に至るという様相を呈する。その密室とはJSAという、通常の人々には足を踏み入れることの出来ない特殊な空間だ。そこでドラマが起こったとする設定は、ちょうど詰め将棋を見事に解決するようなところがあって、入念な脚本や撮影、主演者の演技が要求され、この映画を稀な完成度の高さに導くことに貢献している。ソフィアはたったひとりの女性として映画に花を添えていたが、いなくても映画は成立し、もっとわかりやすいストーリーになったと思うが、逆に加えることで推理映画として機能させ、しかも南北分断の歴史の犠牲者の末裔という、韓国現代史の副産物的な側面を示す効果もあった。だが、そこはうまく出来過ぎていると感じさせ、映画のリアル感を削いでいる。その意味で、監督はどっちつかずのソフィアの父のかつての行動には批判的な立場を取っているとも思える。現実に板門店に中立国の監査委員は存在するであろうが、映画の最後で古株の中立国の駐在員がソフィアに「JSAでは事実を隠してこそ中立が保てる」と語るシーンは、映画であったようなフィクションが現実にあったとしても闇に葬られるということを示唆しているようで、監督のなかなかうまい戦略の言葉に思える。だが、映画では事件の真実は観客に提示され、その生々しい現実感に映画の醍醐味を思う存分感じ取るだろう。
 主役はソン・ガンホ演じる北朝鮮の士官オ・ギョンピルだ。生死を分ける幾多の修羅場を潜り抜けて来た筋金入りの兵士を演じるが、その演技にはもう何も言うことがない。彼なくしてはこの作品はなかった。一方、俳優としてもずっと後輩に当たるイ・ビョンホンが韓国側の兵士イ・スヒョクを演じていて、そのまだ肝の座っていない若輩者をよく演じていた。韓国では日本以上に年長者、しかも役者としての上下関係がそっくりそのまま映画に適用されると言ってよいが、この映画で面白いのは、そうした現実における上下関係がそのまま物語に移されていることだ。そこが演技の迫真性にそのままつながった。ギョンピルの温かい包容力は深夜の地雷原で最初にスヒョクに出会って彼を助けたところからそもそも示される。そこで話が終わっていればその後の不幸は訪れなかったが、それでは映画にならない。その後ふたりは出会いを偶然に重ね、いつしかスヒョクは闇夜に紛れて橋をわたり、すぐ向こう側にあるギョンピルらが詰める場所を訪れる。まるでホモの関係を思いもしたが、強い男に憧れる思いがスヒョクにはあったろう。訪問が1回だけならば事件は起こらなかったが、スヒョクは図に乗り、やがて部下までも連れて訪れる。一方、ギョンピルらは逆のことはしない。このことを思うと、ラヴ・コールを送っているのはあくまでも韓国であって、北はただ来る者は拒まないという態度であることがわかる。そこに韓国における北朝鮮観があるだろう。現実は北はトンネルを掘って南下しようとしたり、拉致したりなど、裏での積極工作はいろいろとやっているが、そうしたことはこの映画では描写されず、北はただ情のある兄貴分としてのギョンピルに代表されている。その見方が危ういかどうかは観客が判断すべきだが、北がすべて「悪」であるとの見方がまともでないことは事実であろう。
 最も印象深い場面は、スヒョクが音楽カセットやライター、雑誌など、南でしか入手出来ないものをいろいろとギョンピルに持って行くなか、ある日チョコ・パイを食べさせるシーンだ。それを口にほうばるギョンピルを見て、スヒョクはぽつりと南に亡命してはどうかと言う。ただちにギョンピルは怒る。誇りを傷つけられたからだ。北が貧しいことは充分承知しているが、だからと言って亡命とは何事かというわけだ。これは現実的だ。生活が苦しくて北から亡命する人は後を断たないが、それでもギョンピルのように現状に耐えて誇りを持つ人は多いだろう。それを洗脳されている、あるいは特権階級だからと言うのは簡単だが、そうではなくても自国の現状に甘んじることはごく自然であって、圧倒的な経済力だけで人心を翻すことは出来ない。象徴的なチョコ・パイを、たとえば近年の韓国のTVドラマやこの作品そのものに置き換えて考えることもよい。韓国にはこんな豊かな社会と自由がありますよとの宣伝にはなるが、それでもなお北でいいと思う人々は大多数ではないかと思う。まさか北朝鮮に清貧の思想が浸透しているからと言うのではないが、映画の中でほおばったチョコ・パイを掌に吐き出しながらギョンピルがいみじくも言ったように、優れた製品をいつか生み出せる国になるように自分たちは頑張るというのは人間として正しい、まともな考えに思う。それは国家の頂点にいる者がどうあっても関係のないことだ。自分の生まれた国に自分の忠誠を誓うのはどんな国の人であっても最後の誇りではないだろうか。物質的に豊かになることが精神的にも満たされることと同義でないことは、北も南もよく知っているはずだ。映画の最初から描かれていたように、ギョンピルは情が深く、立派な男だが、スヒョクやその部下はその前にあっては意思が弱く、経験も浅い恥じ入る存在でしかない。結局ふたりとも自殺でしかギョンピルに男ぶりを示すことが出来ない。そこに監督の韓国の現状における若干の批判の目と、北に対するある種の畏敬の念があるように思える。それが監督の世代の特徴なのかどうか、そして現在の政権の洗脳に染まったゆえのことなのかどうかはわからない。ともかく、この映画が遠い昔の笑い話であったと思えるような時代が半島に早く来ればと思う。
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by uuuzen | 2006-06-29 19:24 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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