韓国写真界の旗手の個展を何必館で24日に見た。3月に高麗美術館で韓国の菓子型展を見た時、2階で写真集『Mask』と題された写真集に感銘を受けたことは
当時ブログに書いた。

それは2004年にソウルで開催された写真展の図録で、同館でも2800円で販売されていたが、次に訪れた時には買おうと思いつつ、結局それも鑑賞時間が30分しかなく、2階に上がることは出来なかった。その心残りが今回は一気に解消された。何必館で韓国人の写真家の展覧会があることは新聞で知ったが、その時紹介された図版は箱か部屋のコーナーに埃が溜まっている様子をクローズアップした写真で、なかなか静謐な眼差しを持った面白い写真だなと思いながらも、見に行くほどもない気がした。ところが、ひょっとすればこの写真家が3月で見た写真集『仮面』を撮影した人物ではないかと胸騒ぎがした。ネットで調べてみるとやはりそうであった。まさかこんなに早く実際の作品に出会えるとは夢にも思わなかった。今回は『仮面』で紹介されたいた写真だけではなく、初期から近作までおおよそ全貌がわかり、「韓国写真界の旗手」と呼ばれる理由を充分に示していた。2800円の図録は迷わずに買った。チラシもその時に初めて見たが、これは他の美術館などでは見かけなかった。裏面には今回のチケットにも使用された「仮面」シリーズの1点がちゃんと印刷されている。このチラシを読んで不思議に思ったことがある。「日本初公開となる何必館コレクションより厳選された約100点の作品を展覧いたします」とあるのに、展示されていたのは図録に印刷されている69点であった。また図録の最後の「作品目録」には147点のタイトルが印刷されている。これは「出品目録」ではなく、何必館が所蔵するものだろう。そのうちの100点ほどを展示する予定が、69点になったようだ。会期途中で一部展示替えが予定されていたのかもしれないが、図録には69点の図版しかないところを見るとそれはまずあり得ないだろう。同館での100点の展示は、地下室を使用すればどうにか可能だろうが、それでもかなり窮屈になったはずだ。69点が100点では誇大広告気味なので、チラシの文面はかなり具合が悪いと思うが、印刷するのに訂正が間に合わなかったのだろう。それに147点を所蔵するので、残りはまたの機会に展示するつもりであるかもしれない。また、これは図録からだけではわからないが、147点はひょっとすればこの作家の全作品かもしれない。
「仮面」のシリーズを高麗美術館にあった図録で最初に見た時、どのような顔をした写真家かすぐに興味が湧いた。これほどの凄い作品を撮る写真家はそうざらにはいないから、風貌もきっと切れ者のようなところがあるだろうと予想した。だが、それは違った。眼鏡をかけ、どこかまだ育ちのよい青年の雰囲気を残し、おおらかで繊細さを感じさせた。1953年にソウルで生まれたので、筆者よりふたつ年下だが、そう思ってまた顔を見ると、なるほどと合点が行く。延世大学を出てすぐにハンブルクに留学し、1985年までの6年間滞在して国立造形美術大学写真デザイン専攻修士を取得している。「それまで主流であった報道写真でも、記録写真でもない、自己の精神世界を表現した作品によって、韓国の写真界に大きなムーブメントを生み出しました…」とチラシにはある。この表現はごくあたりまえで、何も説明したことにならないと思えるが、韓国には芸術写真の分野が未開拓であったからかもしれない。報道写真でも記録写真でもない芸術写真のあらゆるものが見られる日本では、クー・ボンチャンの写真は何の違和感もなく、すぐに理解されることだろう。そして、そこに紛れもなく韓国を背負っている意思や素質を見る。だが、これもまた李禹煥の作品を知る者からすれば理解はたやすいはずであるし、あるいは柳宗悦の収集した朝鮮の民藝品に馴染みのある者はただちにクー・ボンチャンの写真に流れる精神性を把握するに違いない。それはどこか日本の神道の古い造形精神を見るのと共通した清潔さや安定感、懐かしさと言ってよいもので、それはこの写真家が動的なものよりもむしろ静的な構図に関心があって、写真を最も安定した左右対称性を強調した構図で作り上げることが多いことからも納得出来るだろう。派手なカラー写真は好まないようで、基本はモノクロだ。朝鮮の白磁の名品をそのまま撮影した「白磁」シリーズは、ほんのりとベージュ色であったが、これはカラー写真の一種なのだろうが、モノクロに分類してよい仕上がりだ。何必館は2002年にサラ・ムーン展を開催した。それをマルク・リブーが見てこの館でやがて個展を開催するに至ったことは去年9月に書いた。だが、もうひとつ同じような出会いがあって、クー・ボンチャンも同展を見た後、この館で個展をいずれ開催したいと強く思った。そして梶川館長と個人的なつき合いが始まり、作品の購入も始められた。今回は全部の紹介は出来ないが、出品作のシリーズ名だけは書いておく。「息」(95)、「自然1<象徴>」(97-02)、「長い午後の尾行」(85-90)、「太初に」(91-02)、「グッバイ・パラダイス」(93)、「仮面」(98-02)、「内部」(02-04)、「白磁」(04-05)。
館に入ってすぐ右手の壁面には大きな2点があった。「太初に」のシリーズから1(191)と4(94)で、その実験的な手法に意表を突かれた。縦130、横90センチほどのこれらの黒っぽい作品は、1枚の紙に焼きつけたものではない。B5サイズ程度にカットされた不定形の印画紙をランダムに重ね合わせて黒糸でミシン縫いし、外周がデコボコとしたひとつの大サイズの画面を作り上げたうえで人体の一部を焼きつけてある。面白いのはミシン糸をあちこち長く垂らしたままにして焼きつけしているので、印画紙上にあったその糸部分が白く感光していることだ。黒糸は作品として仕上がった後もそのままにされているので風でそよぐほどだが、印画紙に焼きついた糸の白い様子と、その実物の黒糸が同じ場所にありながらかなりずれて見えるので、作品に不思議な緊縛効果が付与されている。また印画紙の重なりの下になった部分は当然真っ白に仕上がっているが、ミシンで縫うのは印画紙の縁から1センチほど入った位置のため、印画紙が多少めくれると背後に白地が見える。そしてすでにそうなっている部分もある。大きな1枚の紙に焼いてもいいようなものを、わざわざこのように縫い合わせた紙を用いているところにこの作家の特別な思いがあるが、図録には「人体は、生命の苦しみやもがきを表すことができる。…重ねた複数の紙にイメージを焼き付けることで、隠喩的に生の「重み」を表現したかった。…イメージ上に残された糸の縫い目と無数の針穴は、人間の肉体についた傷痕のようでもあり、切断の危機に晒された脆弱な人間そのもののようでもあに」とあって、なかなか思いテーマから発していることがわかる。このシリーズが、日本とはまた違った韓国独自の現代社会のあり様を表現していると断定するのは早合点かもしれないが、それでも日本の写真家はこういう表現からは縁遠い気がする。あったとしても、それはこの作家が表現しているような迫真性を宿さないだろう。それは日本よりも韓国がより不幸な状態にあることを示すかもしれないが、視点を変えればすぐにそれは逆転するものであって、全く同じ理由から日本は韓国より不幸という見方も成立する。ただ、この作家が若い時に長年ドイツで暮らしたことは、たとえばこの写真にも影響を及ぼしているであろうし、「人間の肉体についた傷痕」の言葉からは、キリストの迫害からたとえばユダヤ人のそれや、韓国における政治犯らの拷問といった記憶が幾重にも折り重ねられていると見ても決して的外れではないであろう。つまり、繰り返すならば、そのような普遍的な視点を抱きつつ、こうした作品を生み出す力は不幸かもしれないが、そうした眼差しを持ち得ても一向に真に迫りようのないうすっぺらな日本の写真家はさらに不幸と言うべきかもしれない。
「太初に」のシリーズのどこか告発的な趣も感じられる写真とは対照的に、その前の壁面に圧倒的なたたずまいでかかっていた「白磁」シリーズはさらに奥深い感覚を伝える。李朝の白磁の精神性の高さは今さら言うまでもない。日本にはそれらの名品が韓国よりもむしろたくさん多く所蔵されていて、日本人による賞揚はもう尽くされたと言ってよいほどだ。その誰しも知る白磁の名品を美術館に訪れて撮影するのは、安易に見れば図録用の写真を撮ることと同じように変わり映えのしない職人仕事に思える。だが、クー・ボンチャンは自分で写真の焼きつけを行ない、その過程で厳格に表現したいものだけを抽出する。写真は何でも写ってしまうと先日書いたばかりだが、彼の写真はまるで絵画のように、写るすべての細部に意思を込めている。無駄はすっかり削ぎ落とし、必要なものだけを画面に浮かび上がらせる。白磁自体が本来は無駄が一切ない白い肌の容器だが、それをさらに写真する場合、どのような方法が可能か。その答えが見事に作品には表現されている。まず作品の大きさだが、縦125、横100センチと、実物の白磁よりかなり大きい。ほとんど画面いっぱいに写され、背後には平らな床と垂直の壁が交差する線がわずかに見えている。白磁の器だけをトリミングして別の無地に重ね置くのではないため、図録図版とは印象が全然異なる。光の当て方が絶妙で、白磁と背景の地とがうまく拮抗してお互いが馴染み合ってひとつの調和の取れた空間を形づくっている。丸い壺を撮影する場合、ピントをどこに合わせるかだが、パン・フォーカスにはせず、焦点が合っているのは最も奥深まった両端部分のみで、壺の膨らんだほとんどの部分はピントがぼけて仕上がっている。これはそのように撮影されたのか、焼きつけ段階の処理なのかはわからない。それでもデジタル時代の感覚言えば逆行しているかのようなピント感覚で、どこもかしこも隈なく克明に表示しようという意思は伝わらない。では、全体にぼかした写真によって、何か柔らかいムードを演出しようとしているのかと言えば、そんな洒落た商業写真とはきっぱりと一線を画した潔さがある。白磁本来が持つ精神性がクー・ボンチャンのそれを見て取る精神性と共鳴し合い、写真は異様なまでに増幅された李朝白磁の想念がこもっているように見える。それは息苦しいほどだ。全く単純きわまりない画面であるにもかかわらず、いやそうであるからこそ、あらゆる思いが閉じ込められているように見える。紛れもなく「太初に」のシリーズと同じ作家の感覚が流れている。

白磁の美しさを実感したのは1989年にある雑誌でルーシ・リーの作品を見たことによるらしい。彼女の作品は日本でも何度かの展覧会によって馴染みのものになっているが、ルーシーの作品を撮るのではなく、自国が生んだ名品を撮るところにこのこの作家の自尊心が感じられる。それは「仮面」のシリーズでも同じだ。全くこれほどに印象深い写真を見たことは初めてのことで、大絶賛を惜しまない。韓国の民衆仮面劇の仮面はみんぱくにはたくさん展示されている。1970年の万博に際して収集されたもので、日本における韓国のまとまった仮面の所蔵としては最も早く、また充実しているものだろう。手元にある1981年の展覧会図録『変貌する神々-アジアの仮面-』には韓国の仮面がたくさん紹介されている。「韓国の仮面劇-タールツム-は、特権階級を揶揄したり、解脱したはずの老僧が遊女に誘惑されるといった皮肉なテーマを中心として展開されている。そのため仮面も、庶民の諷刺がその造形に小気味よく表現されている。面相は素朴で図案化されているが、左右不均衡なものがむしろ多い。…海西地方<黄海道>の鳳山、嶺南地方<慶尚道>の五広大・野遊・河回・屏山、中部地方<京幾道>の山台という、大きな三つの系統がある」と説明があって、全部で60点ほどのカラーとモノクロの図版が掲載される。だが、仮面はそれを実際に被った様子を見なければ本質を知ることにならない。4年前の5月にみんぱくに「固城五広大」の仮面劇がやって来て、それを間近で鑑賞した。実際に韓国の仮面をつけた人々が楽師の演奏に合わせて舞い踊るのを見たのは初めてのことだ。それは日本の能とは正反対な激しい動きを伴うもので、その様子が仮面にもそのまま表現されていることが実感としてわかった。クー・ボンチャンの撮影する写真は、仮面劇の最中を捉えたものではない。劇中の人物の精神をそのまま持ったまま、いわば肖像写真的にひとつの典型として写すもので、どの写真もほとんど静的なものだ。そのため「白磁」の物言わぬ悲しみのようなものとよく似た感覚が漂う。チケットに写るのは、鳳山仮面の小巫、つまり遊女の仮面だが、それを被る人物から仮面を剥がすと、きっと仮面と同じ表情があることだろう。仮面は個性を奪うが、その代わり、朝鮮民族全体の個性を代弁してそこにたたずむ。たった1枚の写真の中に、個人を超えた民族全体、あるいは見方を変えれば人間全体の悲しみ、そして尊厳があますところなく表現されている。「白磁」の写真同様、見慣れたものを撮影しているだけだが、今までに全く見たことのないものが立ち現われている。この不思議さをどう思えばいいだろう。これら仮面を被った人物を写した写真の前に立った時、涙が流れた。素晴らしい才能が韓国に育っていることに素直に頭を垂れたい。