●アルバム『Joe’s Xmasage』解説、その5
対0で引き分けた日本とクロアチアのサッカー試合、今夜は視聴率が前回より高かったであろう。スポーツにさして興味のない筆者でも今夜ばかりは1時間前からTVの前に陣取っていた。



d0053294_10505710.jpg今日は信楽に家族で出かけて、芝生の広い場所をしばし歩きもしたが、その時の足元の感触のよさは久しぶりであった。サッカー選手はいつもこんなところでボールを蹴っているのだなと思ったが、息子に言わせるとサッカー場は人工芝とのことだ。本当だろうか。スロー・モーションで試合の場面が映る時、しばしば芝生のかけらが土と一緒に宙に舞い上がる様子が確認出来る。それはとても人工芝には見えない。人工芝では天然のものとは違って踏みしめても感触はあまりよくないに違いない。人工が常に天然より劣ると考えるのは間違いかもしれないが、人工が天然を模す場合はそうだろう。で、強引に人工と天然の対比をザッパのアルバムに当てはめて考えると、人工は海賊盤、天然が公式発売盤とのたとえが出来る。ジョー・トラヴァースがテープの選択や編集を一任されて発売されている「花飾り伝説」シリーズは名目上は公式発売だが、ザッパの編集ではない点で海賊盤に属する性質のもので、ファンとしては評価も厳しくなる。だが、前にも書いたように、ジャケットなどかなり工夫が凝らされているし、たとえば「花飾り伝説」と一応訳している「Tha Corsage」の造語ひとつ取ってもザッパのセンスはそのまま受け継いでいる。それにジョー・トラヴァース個人の気質が変に際立って見えず、違和感はさほど感じない。それだけでもたいしたことではないだろうか。それに特に『Joe’s Xmasage』はザッパが生前に発表したアルバム内容をいろいろと補完していて、初期のザッパ/マザーズの音楽を愛好する人には重要な贈り物であるだろう。このアルバムと同時期にザッパやポール・バフが演奏者ないしプロデューサーとして5トラックで録音し、他人名義で発表したシングル盤はいくつかあって、それらをまとめたものとしては、MSIが1991年に発売した編集アルバム『Cucamonga Years-Early Works of Frank Zappa(1962-1964)』がある。だが、ザッパの演奏や歌声は部分的にしか聞こえないし、ザッパが公式アルバムとして認めず、カタログ番号もつけていないのだ、海賊盤に近いものと言ってよい。そのこともあってなおのこと、デビュー・アルバム『フリーク・アウト』からはかなり遠い位置にあるような気がするものとなっている。実際収録される音楽もそうで、ザッパの特色とはいささか異なる毛並みの曲が収録されている。
 だが、『Xmasage』は一気にこの『Cucamonga Years』の存在を再認識させることになった。それは3曲目に「Mr.Clean(Alternate Mix)」が収録されたためだ。この曲は『Cucamonga…』に収録されたが、ザッパ自身は自作アルバムに収めたことはない。そのため、『Cucamonga…』を所有しない人は、この曲がなぜ「Alternate Mix」ヴァージョンであるのか理由がわからず、初めて耳にするだろう。『Cucamonga…』のヴァージョンはシングル盤として63年8月に正式に発売された音源だが、女性コーラスなどを収めない、もっと初期の素朴な形がこの「Alternate Mix」だ。そして、このオリジナルのヴァージョンが今回「正式に」ザッパ名義のアルバムで発売されたことにより、人工的色合いが濃厚な『Cucamonga…』もまたザッパの天然もののアルバムとして昇格する資格をかなり得たと言える。つまり、『Xmasage』は、『Cucamonga…』と『フリーク・アウト』をつなぐミッシング・リンクの役割をかなり果たした。また、この曲の収録によって、今後「花飾り伝説」シリーズに『Cucamonga…』に収録された他の曲の別ヴァージョンなどが収録される可能性も生じた。それらの実現によって『フリーク・アウト』以前の活動がさらに明らかになる。『Mistery Disc』もある程度その情報を伝えているが、どの曲もあまりに短いため、ほとんどサンプラーの域を出ていない。それを特に印象づけたのが『Xmasage』で、今後「花飾り伝説」はサンプラーとしての、あるいは序としての『Mistery…』を、本格的にその全貌を伝えるものとして機能して行くだろう。おそらくザッパは『Mistery』を最初2枚のLPにまとめるに当たって、音源の豊富に戸惑いがあったと思う。全部アルバム化するにはあまりに量が多く、そのためほとんどエキス部分だけをざっとつなげた内容にした。「花飾り伝説」は2作目が72年の練習風景を伝える内容になっているので、同シリーズが網羅する範囲は全く予想がつかないが、シリーズ完結は20年どころではなく、リアル・タイムでザッパの活動を見て来たファンが全部死んだ後になってもなお続く可能性もあるかもしれない。そうならないことを祈るが。
 『Cucamonga…』はザッパとは無関係に日本が名づけたものだが、これはある意味ではよく出来ている。ザッパは75年のアルバム『ボンゴ・フューリー』収録の「Cucamonga」と題する曲の歌詞で、クカマンガに在住していた当時を回顧しているが、60年代初頭の活動を想起して同アルバムのジャケット写真を「Malt Shop」の内部とし、しかもリズム・アンド・ブルース色を強めた曲内容としたのだろう。一方、『Cucamonga…』収録の13曲はどれもリズム・アンド・ブルースで、ゲイルらは「Mr.Clean」のリード・ヴォーカリストであるミスター・クリーンと称する人物をポール・バフかもしれないと思っているが、張りのある声で黒人っぽく歌う様子からは天然もの的なプロを感じさせる。それにしてもこの曲の「clean」は面白い。81年発表の「Pick Me,I’m Clean」の元祖してよい。女性たちに対して「性病にかかっていないから、安心してつき合えるよ」と自己宣伝しているわけだが、そのようにストレートな意味に受け取ってこの曲を非難する人には、「経歴や道徳観がまともな状態にある」との意味だと反論出来る余地を残している。ザッパ流の、セックスを匂わしつつ他の意味に取れる二重の意味の作詞がすでに60年代前半にあったことを示す曲として重要だ。ビートルズでは絶対にそうした大人向きの思わせぶりな歌詞は書かなかったし、歌いたいと思ってもブライアン・エプスタインの世界的売出しの哲学からは拒否された。それは60年代前半のイギリスとアメリカの性文化に対する国民の許容度の差を示して、ある程度は仕方のないことだ。ザッパのアングラ志向はこの1曲からも明白だが、その「ちょいスケベ」の哲学がどこまで日本のザッパ・ファンに認識されているかと思う。ザッパの言葉遊びの側面をその創作世界のごく一部と捉える人がいるが、それは歌詞をよく読んでいない、あるいは読み解くことが出来ないゆえの考えだ。音は誰でも耳にして簡単に感想を言えるが、ザッパの歌詞は人工的な日本語訳だけを読んでいては到底わからない。豊富な注釈がつけられるべきであるし、あるいは自分でザッパが書いた天然ものをそのまま分析理解して味わう必要がある。
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●2001年9月23日(日・祝)朝
先週龍馬通りの小さなタバコ屋の店内で見た伏見人形の中に「友引き」と称する珍しいタイプのものが2点あった。昨日もこれを見かけた。5人の童が縦に並んで体をくっつけて立っている。関西では友引きの日には、友を引くとして葬儀を行わないことがあるが、どうしてもその日に葬儀を出す必要がある場合にこの友引き人形を棺内に入れたという。これは平安時代の天皇家が葬儀の際に肉親を象徴する人形を棺に添えていた風習が民間に下ったもので、元を辿れば古墳の周囲の埴輪に行き着く。今は友引き人形を入れる風習はないから、需要がなくなってしまった。葬儀に使用する人形をわざわざ家に飾ると言うのは何とはなく嫌な感じがするからなおさらであろう。とはいえ友を引いてくれるということで商いの家ではこれを縁起物として転用することもあるかもしれない。それは福の神の布袋さんも同じだが、元来この像は、それを買うことでいいことを願うというよりも、悪いことが起こらないことを望むものだ。つまり厄除けだ。筆者はあまりいいことを望まない性分だとこの日記に書いたが、それはほとんどの大衆に共通するものではないか。いいことを望まないが、一方でせめて厄もないことを願う。その意味でささやかな厄除け人形を買い求めるのであって、金儲けを願ったりすることでは決してない。金儲けがすべていいこととは限らないであろう。若冲は野菜の問屋を商う家に生まれて、金には不自由しなかった前半の人生であったが、大火に見舞われてすべてを失い、それからは食うために絵をせっせと描かなくてはならなかった。70、70になっても作品が多いのはその理由にもよる。しかし若冲はそれを嘆いたであろうか。絶対にそうではない。むしろ逆に喜んだと思う。近所の人が米を一斗携えてやって来て、それ引き換えでちょっとした墨絵を手渡す。石峰寺でそうした市井の人々とのやり取りが交わされていた空気を昨日ははっきりと想像することができた。すべてはむなしいかもしれないが、それでも生きている間は懸命に生きようとするのがすべての生物の本質で、若冲の生涯も画家としては申し分ないほどの充実したものであった。神頼みを欲張りだとして笑う人があるが、実は欲張りではなくて、平穏無事を願いつつ、そうであっても人生で避け難い難に出会っても、それをうまくやり過ごすことを思うささやかな心だ。大多数の普通の人々はそうであろう。今でも伏見人形が布袋像や天神さん、それに饅頭食いや、ちょろけんの笑い出してしまう楽しく面白い顔形の像をいくつも作っていることを、筆者は心から楽しむ。8月末で満50になった筆者は目が以前より霞んで、昨夜は字幕を読むのが少し辛かった。それに腰も痛む。これからどんな難が待ち受けているかもしれない。出世などもう望む年齢でもないであろうし、後はこの貧乏ではあるが気儘な暮らしがずっと続けられればと願う。御物になっているほどの技術の才と心の限りを尽くした若冲の絵が、この京都に生まれて住んだ中から生まれたことを思うと気分が火照って、布袋の如き腹を放っておく気分にはなれない。
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by uuuzen | 2006-06-18 23:59 | ○『大論2の本当の物語』 | Comments(0)


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