●梅雨入りの夜に思いつくまま書くと、
後から激しく雨が降り、今日は一歩も外に出ずに切り絵を作った。6点出来たが、もう少し作って明日の夜にはアップしたい。



いつも月末1、2日前には必ず完成させていたが、一旦遅れるとそれがずっと癖になって数日ずれ込んでしまう。この調子ではいずれ中旬頃に掲げることになるかもしれない。だが、それはそれでいい。なぜなら、切り絵の題材はいつもかなり季節に関係した内容となるが、この3年間、いつも月末の決まった頃に制作していると、どうしても毎年同じ気分がなっていたからだ。これが1週間ほどずれるだけで随分季節感が異なる。たとえば、1月末に2月発表のものを作っていたが、そうなると2月の節分の題材で作るには1月下旬にその気分を想像して気分を高めておく必要がある。ところが、筆者はなかなかそれが苦手で、今現在の空気を感じて即座に作ることを好む。となると、節分ネタの作品は節分時に作っておいて3月になって発表すればいいことになるが、今度はそれでは月遅れの古臭い作品に見えてしまう。こういった季節のずれがこの3年少々ずっと気になっていた。それで、今までに手がけていない新たな季節感の題材で作るには、発表の日を今までより1、2週間ずらせばいいことになる。今月分が1週間以上も遅れてしまっていることのこじつけを書いているところもあるが、上記のことはずっと思っていたことで嘘ではない。しかし、1週間か10日ほどずらせば、やがては中旬や下旬の発表というように順にますます遅れて行き、ついには休む月も出て来ることにもなりかねない。これは格好悪いので、そうならないようにとは思っている。誰も期待してはいないので、いつ発表しようがかまわないものだが、けじめとして期日を守って制作を持続したい。さきほども細かいものを切りながら思っていたが、じっくりと手仕事をしていると心が落ち着き、とても気分がよい。0.2ミリ程度のごくわずかな差でもこだわりを持って切り進んでいるつもりで、それはきっと誰にもわからないが、自分だけが知っていることが面白いのだ。誰が見てもすぐにその効果がわかるようなものは底が知れている。それは時にいやみなものになったりしがちだ。作品にもいろいろある。TV番組は同時に何十、何百万の人が見るが、ひとりがこつこつと手で作るものは、大体は個人対個人の出会いを前提としたもので、多くの人に見て知ってもらえなくても別にかまわない。ベートーヴェンの作品の本当の奥深いところはきっとベートーヴェンにしかわからない。作品とはそういうものなのだ。
 ここ2、3か月は毎日ブログの投稿が午前2時半頃になる。寝床に就くのは3時過ぎだ。それでも睡眠6時間少々で起きるから、さすが目が疲れる。近頃は特にそうだ。切り絵をしていて今月はそう思えてならない。慣れると細かい作業は楽しいが、その気分になるまでは目の焦点が合わず、思うような線が切れない。これは問題だ。どうか視力が落ちない状態で作業が出来る状態でいたいが、毎晩文章を書き過ぎているのか、とにかく視力がかなり落ちて来ている。それよりも心配なのは、散歩していて気がつくが、視界のあちこちに半透明の糸状の藻のようなものがたくさん浮かんで見えている。もっとも、これは数歳の頃からずっとであるので驚かないが、それでもその数がここしばらくでめっきり増えた。目玉を動かすとそれらも瞬時にあちこち移動するが、それに視点を定めると眼前の光景を見ることが疎かになって、歩いていて危ない。5年ほど前に眼科で眼底検査をしてもらうと、とてもきれきで異常はないと言われたのはいいが、その後が問題だ。3年半前にネット・ライフを始めたからだ。パソコン画面を長く見続けていると、紙に文字を書いたり本を読んだりすること以上に体力を消耗するような気がするが、それに気づかないまま3、4時間続けて見放っしということはもうあたりまえになっている。ネットを始める前からその予感はあった。そのためにパソコンを入手せず、ネットを始めなかったほどだ。何でも気に入るとのめり込んでしまうタイプで、今はパソコンが大きな部分を占めてしまった。これは本当はよくないと思っているで、ある日を境にぷつりとやめて、また昔のように本職の制作三昧の生活に戻るかもしれない。去年平安画廊で木版画家の山田喜代春さんと話していて、氏はネット・ライフをしばらくやっていたある日、急に興味をなくし、パソコンを近所を回って来た回収業者にそのままぽんとわたしたそうだ。そういう思い切りがあっていい。結局パソコンやネットが自分にとってどんな意味があるかで、自分の目と手だけで作品が作れるような作家にはパソコンは不要という立場もある。本当は筆者もその部類だ。ま、ホームページやブログをある程度自在にこなすことが出来ればそれで目的は達したも同然であるので、このブログもいつやめてもいいかとは思う。
 だが、せっかく書いた文章が原稿用紙4500枚ほどもあれば、もっと切りのよいところまで増やそうかとの考えもある。今ぼんやり思うのは、1000日か、あるいは自己紹介画像36点を全部掲載し終わるまでだ。後者の場合ならば残り32か月だ。その頃には原稿用紙で2万枚ほどになっているだろうから、区切りはいい。切り絵も目下のところ500点が目標で、それでやめるか一休みするつもりでいる。exciteブログでは半年間投稿がなければ自動的に消去される決まりだが、投稿をやめて全部の文章が消えてしまうのは何だかもったいないし、この点はどうにかならないかと思う。ブログの文章をホームページに移してそこに掲載し直す考えかあることは以前に書いた。だが、その必要時間はとても数日では済まず、現実にはあり得ないだろう。文章のバックアップは月遅れながらまとめて取っているが、これが意外に面倒で、5月分は全部まだだ。そうそう、昨夜も午前2時半頃に投稿しようとしたが、何度クリックしても「まだ作成されていないブログです」という表示が出るばかりで多少焦った。この表示はブログが消えたことを意味するからだ。だが、他の人のexciteブログを見ても同じ表示が出たので、これはメンテナンスか何かの作業をしているために接続を遮断しているなと思った。それにしてもそうした作業は予め告知されるはずなのに、今回はそれがないままに5時間ほど接続不能状態が続いたようだ。昨夜は2時半から1時間ほどパソコンの前に座り込んで何度も試したが、事情が改善しないので諦め、今朝になって昨夜分を投稿した。その時、6時頃に復旧したことがわかった。それにしても昨夜は眠ったのが4時過ぎで、起きたのが9時であるから睡眠不足もいいところだ。昨日も切り絵の細かい作業をしていたので、これでは目には最悪の状態だ。読みたい本、読まねばならない本、書かねばならない文章、あらゆる仕事が山積しているのに、それらはみな目を使う。困ったものだ。モネも言ったことだが、生まれた時のままの汚れていない目がほしい。せっせと魚の目玉を食べようか。
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 話を少し戻すと、exciteは今月下旬にもメンテナンスを予定している。以前のメンテナンスでは何人かのブログが誤って消去されたことがあるらしい。筆者のもいつそんな対象になるかわからないが、無料で利用しているのであるから、仮にそういう目に遇っても文句は言えない決まりになっている。そう考えるとブログに熱を上げるのも考えものだ。本は出版社を通さないと形にならない不自由さがあるが、ブログもブログ会社を通して発表しているから、ある意味では本と同じであるし、本以上に不便で頼りない面もある。本は1個の物であるから、そのまま人手にわたったり、古書店に他の本と一緒に並んだり出来るのに、ブログは実体がなく、永遠に見られるものでもない。ブログ会社が何らかの事情で閉鎖になればブログもおしまいであるからだ。そう考えると実に心もとない。ネット上のあらゆる情報は消去は本当に一瞬だ。仮に2万枚の原稿を誰でもいつでも読めるように公表していても、いつそれが消え去ってもおかしくはない。そのためにもバックアップは取っておくつもりでいるが、2万枚の原稿を書いたところで有名人でもない限り、未来に本になることは絶対にないため、結局は消える運命にあるだろう。筆者は1988年から3年間、毎月B5用紙100枚に文章を細かい字でびっしりと書き続けた経験があって、3冊の分厚い本に製本して保存している。世界に1冊しかないもので、それは誰も読まないし読めないものだが、自分としてはその方がまだブログより安心感がある。ネット社会の薔薇色状態だけがよく喧伝されるが、実は案外不便で脆い世界でもある。ブログが本当に個人が自由に意見を発表出来る媒体であるためには、ブログ会社やサーヴァーを介さずに自分のパソコンのみで可能となる必要がある。ネットがサーヴァーを通じてつながっているということ自体、そこに大きな不便と危険があることをもっと知るべきではないだろうか。たとえばこのブログでも、どこかに監視されていて、要注意人物と見られれば、恐らくどこかから横槍が入ってブログが消去されることもあり得る。冗談ではなく、そんな危険な世の中が今後いつ出現してもおかしくはない。ブログ会社から「誤って消去してしまいました。悪しからず」といった内容のメールが来るだけでおしまいで、裏事情など誰にもわからない。そうした他者による監視、管理があるとの前提でネット社会を見つめておきたい。筆者は毎晩こうして書いているブログを究極的な形とは全く思っていない。もっとよい方法があればそれにいつでも移れるように、とにかく文章は書き進み、バックアップは取っておきたい。一番いいのは紙に印刷しておくことだが、とてもそんな時間がない。
 印刷で思い出した。プリンターのインクが昨日黄色だけなくなった。3色が一体となったカートリッジのため、1色でもなくなると買い換える必要がある。そのまま使用するとその色だけがなくなった印刷になるので、それでもかまわないような場合は使用し続けるが、いざという時に困るのですぐに買うことにしている。どういうわけかいつも黄色だけが先になくなるから、インク会社もそれを見込んで黄色だけ増量しておいてくれればいいのに、そういうことはしない。プリンター機器は儲けがないが、インクで儲けているからだ。で、昨夜インクを2個ネット・オークションで落札した。2年前ほどの古いもので、1個2000円とかなり安かったが、以前同じように古いものを買ってインクか固まっていて使用出来なかった経験があるから、安物買いの銭失いになる危険はある。それはさておいて、今日相手のイーバンク口座に振り込んだが、入金名義の途中にドット、つまり「.」が入っていた。これは初めての経験で戸惑った。ネット上で入金したが、それには半角片仮名で名義を入力する必要がある。ところがこの「.」は筆者のパソコンでは半角の英文字でしか入力出来ない。半角片仮名のまま「.」のキーを打つと白丸になる。これでは駄目だろう。一応入金してから銀行に電話すると、文字化けして相手の銀行が受けつけない可能性が大きいという。それではどうすればいいのかと質問したが、どうも埒が開かない。もし相手の銀行が受けつけずに差し戻し扱いになると、こっちが間違って入力したという理由で500円を自動的に徴収される決まりになっているが、「.」ひとつのために今日は2時間ほど時間を無駄にし、しかも解決策が見つからなかったから気分がよくなかった。とにかく明日にならないと入金されたかどうかわからない。名義の途中に「.」があるのは会社ではよくあることらしいが、みなどういうようにして入金出来ているのだろう。電話の向こうの女性は、キーボードで半角片仮名に切り換えてそのまま「.」も打ち込んでもらえればいいと言うが、筆者のキーボードには半角片仮名に切り換えるキーはない。いつも画面上でクリックして全角や半角、平仮名、片仮名などを選ぶ。それを説明しても相手はぴんと来なかったが、筆者のパソコンはよほど時代遅れなのだろう。入金相手が別の「.」なしの名義の銀行口座を持っていてくれればいいのだが、どうもそうではないので、どのようにすれば入金出来るか悩んでいる。郵便局のぱるる口座から入金出来るかどうか、郵便局に電話すると出来ると言うので安心したが、念のためイーバンクのホームページを見たところ、どうもそうではない。確信が持てないのですぐにイーバンクに電話したところ、ぱるるのATMカードがあっても他者のイーバング口座には振り込み出来ないことがわかった。入金が便利な時代になったとはいえ、まだまだややこしく、かえって不便になっている部分もある。わずか「.」1個のために今日はドット疲れた。時間を無駄に費やしてしまって、本当に安物買いの銭失いだ。この気分の悪さはちょうど今日から始まった梅雨のムードにはぴったりで、そのことをまたいずれ切り絵にしてやろうかと思う。アドリブで書き進んで来たが、最初の思いとは全然違う話になってしまった。で、ただいま午前2時過ぎ、投稿しようとしたところ、また緊急メンテナンスのため午前4時まで使用不可能との表示が出た。こんな頼りない調子で大丈夫なのだろうか。
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by uuuzen | 2006-06-08 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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