●『スコットランド国立美術館展』
良国立博物館で重源展を見た後、近くの県立美術館で見た。会期を残すところ1日という日でしかも好天に恵まれたゴールデン・ウィークであったため、いつになく館内には人が多かった。



d0053294_2244464.jpg5時まで3、40分しかないところで入ったが、金土は夜は9時まで開館していることがわかった。ならばもう少しゆっくりと重源展を見、ついでに常設展も鑑賞出来たわけだ。それはさておき、30分ほどしか見られないと思っていたのが、思う存分時間を費やせることになって、気分が落ち着いた。だが、展覧会の後に八尾の母のところに行く予定を立てていたので、そうゆっくりも出来ない。それに歩き疲れてもいた。チラシやチケットにはかわいい女の子の上半身の油彩画が大きく印刷されている。ヒュー・キャメロン(1835-1918)というスコットランドの画家の「キンポウゲとヒナギク(画家の娘)」(1881頃)の部分だ。最初このチラシの、いかにも一般受けするような女の子を見た時、展覧会の内容にはほとんど期待しなかった。副題には「フランス印象派と19世紀スコットランドの画家たち-コロ、モネ、ルノワール、そしてキャメロン」とあるが、これも相変わらず日本では必ずどこかで開催されているものを思わせ、ついでがなければこの展覧会だけのために奈良まで出かけることはなかった。だが、開催する美術館の立場を考えればかわいい女の子の絵を掲げるのはよく理解出来る。玄人の好事家だけが喜ぶような内容では館内はガラ空きとなって赤字が出る。少しでもたくさんの人に来てもらうには、文句なしにかわいい、美しいと思える絵を前に押し出して宣伝する必要がある。それにスコットランド国立博物館展は筆者が知る限り関西では開催されたことがなく、物珍しさもあってとにかく見ることにした。
 イギリス各地のこうした美術館から作品を日本に持って来て展覧会を開催することはよくある。手元には「英国・国立ウェールズ美術館展」の図録があって、その中に挟んでいるチラシを見ると、「グラスゴー美術館所蔵フランス印象派とその流れ展」(1994)、「アイルランド国立美術館所蔵19~20世紀フランス近代絵画展」(1996)、それに主にマンチェスター市立美術館から借りて来た「印象派とフランス近代絵画の系譜展」(1994)や、何年の開催か不明だが、「ケンブリッジ大学フィッツウィリアム美術館所蔵フランス近代風景画展」のもある。ほかにも探せば出て来るかと思うが、日本ではいかにフランス印象派絵画を看板に掲げなければ人集めが出来ないかをよく物語っている。日本の洋画は印象派の輸入から始まったも同然であるので、これはいたし方がない。だが今回は少しは様子が違って、フランス印象派と並行した時代のスコットランドの画家の作品の紹介があるから、珍しいものを求める人には歓迎されたことと思う。だが、教科書や画集などで繰り返し作風を見るフランス印象派に比べて地味であることは事実で、時間が過ぎれば何も印象に残らないのが落ちだろう。印象派はその点うまく名前をつけていて、「印象」には強いのだ。結局は長く印象に残るものでなければ人々は価値を認めない。印象は実際は繰り返し見ることで脳内に強く刷り込まれて行くが、フランス印象派に心底染まっている日本人の感覚を、今さらたとえばフランス以外の国の、あるいは時期のものに置き換えることは不可能に近い。そうした諦めもあって相変わらず外国の美術館からは印象派絵画が持って来られる。その連鎖に少しでも異論を唱えているのが今回と言ってよいが、年に2、3度も美術展を見ればいい方という人々を相手にする内容であれば、その啓蒙的な行ないも遅々たる歩みに過ぎない。ま、こういうことは何度も今まで書いて来た。スコットランドは1707年にイングランドと併合し、18世紀後半には旅行者や観光客の入国が許可され、大陸との往来が盛んになった。スコットランド国立美術館はエディンバラにあって1859年に開館した。15世紀初期ルネサッスから20世紀のモダンーアートまでを収蔵し、特に1600から1900年に至るスコットランド美術のコレクションは名高い。国立肖像画美術館と国立近代美術館との3館で構成され、2004年に国立美とスコットランド王立アカデミーを結ぶ地下道が完成した。近代的施設も備わって昨年は75万人が訪れた。
 さて、会場にはまず18から19世紀にかけてのスコットランド人の画家の作品があった。これは意表を突いてなかなかよかった。最初にフランス印象派がずらりと並んでいると、その後にスコットランド絵画があっても軽く見過ごされてしまう。展覧会は会場最後に近づくにつれて人の歩みは早くなり、まともに見ないからだ。だが、館内に入ってすぐにもらった作品リストに印刷される出品作95点の番号づけは、実際の展示順とは異なり、後半にスコットランド絵画が並ぶ。最初にあったのはヘンリー・レイバーン(1756-1823)とアレキサンダー・ネイスミス(1758-1840)のそれぞれ油彩画2点だ。レイバーンは織工で製糸工の息子でエディンバラの一角で生まれ、9歳で孤児になった。金工細工師に弟子入りし、1770年代半ばに独学で細密画を描き始め、1780年に裕福な未亡人と結婚して屋敷と土地を入手した。王立アカデミー出身のレイノルズの勧めで84から6年にかけてローマに学び、やがてスコットランドを代表する肖像画家となった。「ロバート・スコット・モンクリート夫人、マルガリータ・マクドナルドの肖像(1824年没)」(1814)は、30歳で先立たれた夫が生涯再婚せず、この絵をダイニング・ルームに飾り続けたというほどの迫真の出来ばえで、レイバーンの肖像画家としての確かな腕を伝えるのに過不足ないエピソードだ。典型的な立身出世型だが、そのことでなおさらスコットランドでは人気があるのかもしれない。ネイスミスも修業時代にイタリアに滞在し、レイバーンと出会った。30代半ばで肖像画をやめて風景画と舞台画に専心し、今回出品された「理想的」風景画の「エディンバラ城とノール湖」(1824)は、今でもスコットランド観光のイメージとして使用されている。このふたりと同時代の画家としてはフランスではフラゴナール(1732-1806)、スペインはゴヤ(1746-1828)がいるが、そこからおおよその作風が想像出来るだろう。次に目を引いたのはアレキサンダー・フレイザー(子)(1827-99)だ。「油彩はラファエル前派の過度な細密描写に強く影響されるが、水彩はもっと自由で生き生きしている」との説明はなるほどとは思うが、わずか3点の展示ではそれも充分とは言えない。それでもこの簡単な説明には含蓄がある。スコットランドの画家がラファエル前派の影響を受けていることや水彩画が盛んであることなど、イングランドとの関係がわかるからだ。ラファエル前派については後述するが、拠点はロンドンにあった。今回出品はなかったが、スコットランド出身のウィリアム・ダイス(1806-64)はレイノルズやレイバーンの影響を受けつつドイツのナザレ派の作風も取り入れ、しかもイタリアのフレスコ画を学び、晩年にはラファエル前派を擁護してその作風に至ったから、スコットランドもまた汎ヨーロッパの中で思う必要がある。
 会場のセクション分けはパネルが小さくてわかりづらかったが、次は「ヨーロッパ風景画の展開」となっていた。スコットランド人画家に的を絞るのではなく、フランス印象派も含めて外観するものだ。風景画としての独立ジャンルは17世紀に確立した。16世紀末のイタリアにふたつの傾向の風景画が登場した。高貴な主題による「理想的」風景画と、庶民の姿を伴った「田園画」で、プッサンとクロード・ロランがこのイタリア様式をフランスにもたらした。19世紀フランスのロマン派の風景画はボニントン、ターナー、コンスタブルなどのイングランドの画家から決定的な影響を受け、ロイスダールやホッベマなどの17世紀オランダ風景画からは広大な表現高価と大気の移ろいの描写を学んだ。まずリチャード・パークス・ボニントン(1802-28)の「山々のある風景」(1826)があった。26歳で没しているが、フランスの王政復古を機に貴族からの後援をもくろんで渡仏した英国人の中でも才能豊かなひとりとして知られる。アントワーヌ=ジャン・グロのパリのアトリエで学びつつ、戸外で描くことを勧められ、1824年、コンスタブルが傑出していたパリのサロンに出品した。フランス印象主義の重要な先駆者として広く知られる。こうした画家をまず持って来るところに英国の誇りがよく見受けられる。つまり、影響ばかり受けていたのではなく、影響を与える才能も生んだというわけだ。こうした文化の相互関係は日本でも見られるから、そこをもっと強調した展覧会をもっと積極的に海外で開催すべきだろう。ところで今回面白いと思ったのは、各画家についての簡単な紹介が作品脇の小パネルにあったことだ。簡単であるためによけいに印象深かったが、たとえばレイバーンのように孤児であったり、あるいはその反対に恵まれた家庭に生まれたりと、画家の経歴はそれこそ千差万別だが、にもかかわらずそれらの画家の絵が平等に展示されていることの面白さだ。画家の生存中ならばそうも行きにくいが、画家を直接知る人々や利害関係がなくなった頃にようやく作品本来の価値が確定する。そういう場として美術館が存在するのはやはり大切なことだ。確かに生きている時の名声の高低によって市場価値や美術館が大切にする度合いも異なるが、作品の前に立って鑑賞する人はそんなこととはほとんど関係なく楽しむ。しかも日本からは遠いスコットランドとなれば情報も少なく、なおのこと絵の背後にまつわる栄光とは関係なしに絵を味わうことになるから、案外こうした展覧会は見慣れたフランス印象派展より楽しい。
 このセクションはたくさんの画家の作品が展示された。フォンテーヌブローで制作したナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ(1808-76)はスペインの亡命者の息子としてボルドーに生まれ、幼い頃に孤児となって、磁器の絵つけ職人としてパリ近郊で働きながら絵を描いた。エミール・ヴァン・マルク(1827-90)はパリ近郊のセーヴル生まれだが、両親はオランダ出身だ。絵つけ職人として活動を始めコンスタン・トロワイヨンと出会って指導を受け、フォンテーヌブローで風景、動物画家として研鑽を積んだ。1860年代以降は牛のいる風景を専門に描く画家として名を成した。バルビゾン派の主要画家のひとりシャルル・ジャック(1813-94)はミレーと親しくなって49年にバルビゾンへ移住したが、「水飲み場の羊」と題する作品が来ていた。ミレー(1814-75)は1860年代に人気が高まり、67年のパリ万博会場では回顧展が開催された。今回は「編み物をする羊飼いの少女」(1862)が展示された。フランソワ・ボンヴァン(1817-87)は初期はパリ警察の事務員のかたわら絵を描いた。シャルダンを尊敬し、クールベと親しくして写実主義運動に加わった。マルセラン・デブータン(1823-1902)も知らない画家だ。裕福な地主の息子としてフランス中央部に生まれ、パリに行ってトマ・クチュールに学んだ。ベルギー、オランダ、イギリス、イタリアを旅し、フィレンツェで別荘を買って美術品収集や気儘な生活を17年続け、財産を浪費した。1872年パリに戻り、銅版画兼画家の職を得て写実主義風の作品を描いた。ボヘミアン的生活に浸ってモンマルトルのカフェに頻繁に出入りし、ドガを含む印象派の若い画家たちの力になった。80年にニースに移住し、そこで没した。波瀾万丈の人生で、こういう画家にもっと光を当てるのもいい。アンリ・ファンタン=ラトゥール(1836-1904)は日本でもそれなりに知られる。グルノーブル生まれで、最初肖像画家の父に学び、パリに出てさまざまなアトリエで力をつけた。クールベを愛し、ボンヴァンの力にもなった。1859年ホイッスラーの勧めでイギリスにわたり、肖像画や花の絵を評価してくれる何人かの顧客を得た。マネの影響は受けたが、彼の印象派運動への関与には不満であった。やがて完全に孤立し、1899年まで発表したが、70年代以降は大きな展開はなかった。こうした事情を知って絵を眺めるとまた味わいが違うものだが、今回は花の絵が3点来ていた。
 19世紀に活躍したヨハネス・ヘンドリク・ウェイセンブルフ(1824-1903)やヤコプ・マリス(1837-99)のオランダ・ハーグ派は、バルビゾン派の影響を受けながらオランダ独自の印象主義や労働者階級を見つめた写実主義を発展させ、かつての17世紀の黄金期のオランダ風景画の伝統を再興しようとした。ハーグ派の風景画はロマンティシズムに満ち、スコットランドで人気を博した。ハーグ派の主導的なイスラエルスが1870年に訪れて以来、ハーグ派を規範とする追随者が多く出た。ウェイセンブルフ、マリスと並んでスコットランドのエドワード・アーサー・ウォルトン、ロバート・ゲムル・ハッチソン、ウィリアム・スチュアート・マクジョージなどの作品が並んだのは、一地方的な絵画の歴史の紹介とはいえ、なかなか得難い機会でよかった。次のセクションは「ラファエル前派とスコットランド」だ。ラファエル前派は1848年に結成された。そのひとりジョン・エヴァット・ミレイ(1829-96)は1853年、批評家のラスキンとともに彼の妻の故郷スコットランドを訪れ、ラファエル前派絵画の普及に貢献した。その後ミレイはラスキンの妻と結婚し、スコットランドのパースに定住した。彼のもたらした美学はジェームズ・アーチャー(1823-1904)、ヒュー・キャメロン、ウィリアム・マクタガート(1835-1910)を初めとするスコットランドの画家たちを触発した。次は「グラスゴー・ボーイズ」の紹介で、これは1880年に現われた急進的なグループだ。厳格な主義主張を共有せず、19世紀中葉の高度に完成された理想主義的な表現に否定的であった。英国では特に影響力を持ったジュール・バスティアン=ルパージュ(1848-84)、写実主義、オランダ・ハーグ派から学び、都市風景や社会的テーマよりも農村や働く人々を描いた。印象派とも交流があった。今回はヨーロッパや北米で名声を得たエドワード・アーサー・ウォルトン(1860-1922)、19世紀末に日本旅行の経験もあるジョージ・ヘンリー(1858-1943)、ルパージュの影響が見られるジェームズ・ガスリー(1859-1930)の作品が来ていた。このほかアメリカ人のジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)、スコットランドの銅版画家デイヴィッド・ヤング・キャメロン(1865-1945)の作品の紹介もあった。フランス絵画としてはコロー、ドーミエ、ドービニー、ブーダン、ピサロ、マネ、シスレー、モネ、ルノワール、スーラなど、飛び切りの名作はないが、予想外に盛りだくさんな内容であった。
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by uuuzen | 2006-06-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON | Comments(0)


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