●『私の頭の中の消しゴム』
の映画のタイトルはなかなか強烈で、一度見ただけで忘れられない。「頭」と「消しゴム」の言葉があると、デヴィッド・リンチ監督の『イレイザー・ヘッド』(消しゴム頭)をすぐに思い出してしまうが、内容は全く関係ない。



d0053294_14511666.jpgリンチの同作品は恐怖映画の古典のような扱いを受けている。血が吹き出るようなスプラッターものではない。モノクロ映画で、理屈では割り切れない夢魔的シュルレアリスム映像が続く。映像のつながりは全体に意味不明だが、あちこちの断片に一度見ただけで長年忘れることの出来ない衝撃がある。とにかくぎょっとさせられる映画で、変なものが好きな人は一度見ておくとよい。その映画が関西で最初に上映されたのは70年代半ばだったと思うが、その時に見る機会を逸し、その後友人のFに頼んでTVで録画してもらった。今も手元にあるが、他の大量のビデオテープと同じく、最近、いやここ数年はほとんど見ないので全部埃を被っている。一方で半年ほど前にDVDプレイヤーを買ったのはいいが、それですらもまともに映画を見たのはまだ1本だけというありさまで、とにかく自宅ではゆっくり映像ソフトを楽しむ時間が持てない。それだけほかにやることが山積しているのだが、そう言いながら、やりっ放しの事柄ばかりが増えて行く一方で、頭の中はあれもこれもと常にパニック状態になっている。そんな具合であるのにさらにまた新しいことに手を出すから、ますます何事も中途半端になる。この調子では人生最期のベルが鳴り響いた時にどう残念がっていることかと思う。ひとつずつゆっくりと片づけて行くべきだが、それが自分の思いとは全然違う方向に行ってしまう。それに片づくとは何かを問うと難しいことになる。「片づく」とはすなわちその興味のあることを「忘却する」ことであって、筆者にはそれは出来そうにない。自分が関心を抱いたものはその後ずっと忘れることなく持続し、ある日またそれに新たな情報が加わるなどして、忘却どころか、さらに更新されて「片づく」ことはいっこうにない。つまり、筆者は何事にも興味があり過ぎるのだ。それがいつそうでなくなるのか自分でもさっぱりわからないが、ひとつ言えるのは家の中が物理的に物を収容するスペースがなくなった時だ。その限界点に達した時には物を処分するしかないし、そうなれば目の届く範囲からそれが消えて諦めがつくだろう。レコードや本をそのようにして多少処分したことがあるが、そう言えばそれらを思い返すことはほとんどない。「片づく」とは「モノを捨てる」ことなのかもしれない。
 モノを捨てると心も捨てることが確実に出来るかどうかはわからない。これは人によってもさまざまであろう。頭の中は不思議なもので、自分では忘れようと思っていることでも忘れられることがなかったりする。本当にどうでもいいような思い出の断片が何気ない時にふっと思い出されたりもする。そして話をしていて急に人の名前やあるモノの名前が出て来なかったりする。50を越えれば大抵の人はそうだろう。それは年齢を重ねた証拠でもあって、半ば仕方ないこととして笑って済ませる。だが、もしまだまだ若い時にそのような記憶障害と言ってよいことが頻発するようになればどうだろうか。この韓国映画はそんな問題に焦点を当てている。韓国では2004年11月に公開された。日本では去年夏から秋にかけてポスターなどの宣伝をあちこちで盛んに見たが、祇園会館には半年ほど遅れてやって来るようだ。若年性アルツハイマーをテーマにしたものであることは封切り当時からよくわかっていた。『マラソン』では自閉症の青年の生き方がテーマになっていたが、この映画はそうした現在の医学ではまだどうしようもない病を扱っている点で共通する。それでもこのような映画が作られるのは、アルツハイマー患者の問題が韓国できわめて今日的なことであるからだろう。日本では150万人だったか、確かその程度の人がこの病に冒されている。老年に至ってからならば、それはいわば脳の老化によってある程度は当然として諦めもつくが、どうやら発病には年齢は関係ないらしく、この映画でも28歳のしかも独身美人が罹る設定にすることでドラマ性を高めている。そして映画を見る者は誰しもそれを作り話とは知りつつも、決してあり得ないことではなく、いつ何時自分がそうなっておかしくないと思ってひとまず映画館を出るだろう。韓国でどの程度ヒットしたのかは知らないが、日本では封切り後4か月ほどで200万人を越え、今までの韓国映画の最高動員数を塗り変えた。それが主に俳優に負うのか、ストーリーがよかったのかわからないが、とにかくアルツハイマーへの認知度を高めたことは間違いない。ちょうど今封切られている渡辺謙主演の映画『明日の記憶』の人気にも少なからず好影響を与えたのではないだろうか。
 この病気がどういう原因で生ずるのかはまだ完全に解明されていない。遺伝的なものも多少はあるのかもしれないが、筆者の身内にはいないのであまりぴんとは来ず、そのために積極的に知識を深めようという気にもあまりなれないでいる。だが、実は1年ほど前のことだが、家内の親友の御主人が発病した。病状はまだ初期段階のようで、夫婦で旅行が出来るほどだ。進行具合も人によってさまざまなのだろう。10数年前に1度だけお会いしたことがあるが、とても穏やかな方だ。年齢は筆者より2、3年長で、まだ働ける年齢だが、仕事は辞めたそうだ。今は道を歩いていても急に見知らぬ人に刺されたりするし、人生にどんないやなことが待ち受けているかわからない世の中であるから、本当はこのような救いのない映画をわざわざ見る必要はないと思うが、どんな不幸でも受け入れるといった人生訓を改めて見つめ直すにはいい機会かもしれない。日本でも60年代半ばに不治の病の若い女性をテーマにした映画が大ヒットしたし、その路線の現在版がこの映画と思ってよい。つまり、ある程度定期的このような若者に襲う悲劇の物語の映画が作られる。韓国映画で思うのは、日本映画のよかった部分やアメリカ映画の良質の部分をどんどん吸収して、それを現代的に作り直していることだ。元ネタとなっている部分を全部差し引いた後に何が残り、そしてそれがどれだけ韓国映画として誇り得るものかどうかを観察することで正しい評価が下されると思うが、それには若い人では無理だろう。今まで蓄積された膨大の映画のうち、名画と呼ばれるものだけでもとても多いからだ。これと同じことは流行音楽でもよく言える。日本のポップ・ミュージックのちょっとしたメロディや器楽編成、それにタイトルや歌詞内容まで含めて、それらはほとんどみな外国の先立つ何かを参考にしていると言ってよい。そのことは同世代の10代や20代の人にはわからなくても、もっと昔の音楽をよく知っている年配の音楽愛好家にはすぐにわかることが多い。だが、巧みに引用ないし模倣している部分を取り除いてもなお売れる何かを内蔵しているからこそ、今絶大に売れるという面もあるから、一概に昔の音楽の方ばかりにオリジナリティがあったとは言い切れない。それにその昔の音楽もさらにその前の音楽の何かを参考にしいるから、結局常に模倣されるべき要素を持つ先輩格はある。とはいえ、今のある作品が以前の良質なものに直接間接に多くを負っているとわかる場合、それらの要素をひとまず視野に含めつつ、当の作品がなぜ今日的にヒットする理由を持つか、しかもそれが名作として長く人の心に残るかどうかを判断せねばならない。
 この映画で注目されたのは主人公の男女だ。悲劇のヒロインのキム・スジンを演ずるソン・イェジンは、TVで録画した見た『永遠の片想い』に登場していたが、その時はあまりピンと来なかった。またペ・ヨンジュンとの共演になった『四月の雪』にも出ていて、今かなり売れっ子の女優だ。美人でどこかはかない印象があって、役どころには限界があると思うが、ひとまずは日本でも人気を得やすい清楚なタイプだ。今回は顔の大写しの場面がよくあったので、どういう顔かよくわかったが、それでもなぜか印象にはうすい。男優の方はチェ・チョルスを演ずるチョン・ウソンという男前だが、筆者は初めて見た。韓国には男前俳優が多いので、ヒット作に恵まれ続けるのは大変なことだろうと思う。一時期、『バリでの出来事』に出演したチョン・インソンが日本でも熱烈に女性に支持されたが、その後にヒット作に恵まれなかったので、今ではファンの熱も冷めてしまったように見受けられる。ファンは勝手なもので、みんなが騒ぐと便乗するが、人気に翳りが見えると撤退も早い。そしてそうなると、当の芸能人は前と同じなのに違って見えて来るから不思議だ。そのようにして忘れ去られる芸能人はいつでも無数にいる。チョン・ウソンもいつまで人気が持続するかは、いい作品にどれだけ恵まれるかにかかっている。そう思うと男前ではなく、脇役で地道に長くやり続けられる方がいいかもしれない。韓国にはそんな脇役は少なくない。むしろ脇役が強烈であるからその作品を記憶している場合が多いほどだ。この映画も同様で、たとえばチェ・チョルスの母親役を演じたキム・ブソンだ。彼女は『マルチュク青春通り』でも強烈な演技をしていた。わかりやすい筋立てをさらにわかりやすくする意味もあって、いかにも憎まれそうな脇役を置くが、そのことでなお主人公たちの美しさが際立つことになる。また、キム・スジンは金持ちの娘、チェ・チョルスは問題ある母親を抱える貧乏で学なしの男という設定にすることで、ふたりの出会いから結婚までがいくつもの障害があるようにしている。映画の前半はこのふたりが出会って親から認めてもらって家庭を持つまでに費やされる。だが、最初の画面からキム・スジンのアルツハイマーは予言され、映画の内容を予め知っている人は、まずその不安を念頭に置くことを強いられる。そしてその不安がいつ大きく立ち現われるかというハラハラ感を持って映画を見続ける。この映画は10数回続くTVドラマと同じほどの内容を持ちながら、話の展開のテンポがとても早いため、いわばアラを感じる暇なく最後まで見入ってしまうことになる。つまり、TVドラマ的な内容の映画ということだ。
 監督はイ・ジェハンという人で初監督作品だ。韓国では初監督作品が大ヒットする例は多い。それはよほど練り上げるからであろう。絶対にヒットさせるために、細部を疎かにせず、過去にヒットしたあらゆるものを分析して、利用価値のある要素はすべて用いるという態度で臨んだであろう。TVドラマ的であるのは、あちこちにヒットしたTVドラマのいいところを引用している点だ。たとえば金持ちの娘と成功する貧乏男の設定は『火の鳥』と同じであるし、男の母が問題あり、だが後に改心するというのはたとえば『バリでの出来事』やほかにも見られる設定だ。アルツハイマーになったキム・スジンがチェ・チョルスの前から姿を消し、どこか遠い病院で療養しているという部分は、『ラストダンスを私と一緒に』と共通する。あまり韓国のTVドラマを知らない筆者でも、このようにストーリーのあらゆる部分が韓国の典型的なTVドラマの寄せ集めになっているように思える。それらをすべて取り除いてなおこの作品に価値は見出せるだろうか。それこそがアルツハイマーに罹ってしまうという設定であるはずだが、ひょっとすればそうした不治の病を主軸に置くことも他のTVドラマにはすでにあったことかもしれない。ただ、病気を現在大きな問題になりつつあるものに変更しているところが、社会問題に視点を定めた作品として一応は評論家の賛辞を受けるかもしれない。しかし、本当の見所はその病ですらないだろう。幸福は長く続かないという人生の不如意を改めて伝えることが監督の目論見ではない。現実にはこの映画のような病でなくても何か避けられない事情によって夫婦が別れなければならなくなることは珍しくない。そんな時、人間として何が最も大切か。だが、この映画はその問題を深く掘り下げているとは言い難く、最後はファンタジーでするりと逃げているところさえある。にもかかわらず、人々を白けさせずに納得させるのは、俳優の演技やセリフ、カメラ・ワーク、そして編集のうまさといった映画作りの技術の高さで、結局人々は美人美男の演技を見、物語にひとしきり涙することでお金を支払ったことに満足して映画館を出る。もし自分が同じような立場になればどうかという問題はおそらくすぐに忘れる。そうなればなった時のことであるし、なる前から考えていても仕方がないからだ。それにしても記憶をすっかり失ったキム・スジンは幸福の感覚も失うであろうか。そうならば、アルツハイマーも、そして死も、当人よりも周りの人の問題でしかあり得ない。キム・スジンは記憶をすっかりなくす前に自分から身を引いて雲隠れしたが、それは病状が確実に最悪な状態になることを知っていて、自分が少しでも足手まといにならないでおこうという最後の優しさだ。ここには重要で解決が難しい倫理の問題が存在している。それは日本でもなかなか表立って議論されることがない。そのためもあって病人を抱えた家庭はみな自分たちで解決を求められ、老齢の夫婦がお互いを殺したり自殺したりしている。脳もまた肉体であり、いずれ衰える。忘却がどんどん進み、筆者も最後の最後で海馬に何が残っているのかと思う。周りには相変わらず捨てられないモノが溢れているかもしれないが、きっとこんなブログはきれいさっぱりと忘れて、遠い遠い昔、ひとりで板壁にもたれてぼんやりと何も考えずに日に照らされていた写真を思い浮かべているか。

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by uuuzen | 2006-05-31 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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