昨日は祇園会館で2本立ての映画を見た。その感想は後日に回す。ブログでは書くべきことはいつもたくさんあるが、書くまでの決心がなかなか大変だ。
また書き始めると2、3時間は費やすので、そのことも考慮に入れて毎日内容を決める必要がある。2、3日前、ブログを始めて1年経ったこともあって、「長文ブログ」の文字を画面最上部に入れてみた。これは初めて訪れる人を敬遠させるのに充分であろう。当初「長文ブログ」の前にただし書きとして「暇人向きの」を置いていたが、それを今朝は「時間のゆとりのある人向きの」に変更した。どっちも同じことで、大抵の人は「自分は忙しい」ということを自慢したいから、そんな文句を読むときっと自分向きではないと一瞥して去ってしまう。それが目的という思いもある。なぜなら、忙しいことを自慢したい人は長文のブログを読めばきっとどんな内容であっても否定したい気が湧き起こり、時間を返せと思うに決まっているから、そう思われたくもない筆者は予めそういう人には向かないと宣言したいわけだ。毎日5000字以上書く筆者は、自分で忙しいのかそうでないのかよくわからないでいるが、読まずに積んである本や聴かずにいるCDがたくさんあることを思えば、毎日50時間あっても足りないのが実情で、忙しいことこのうえない。だが、それは決して自慢すべきではない。それに通常は忙しければそれだけお金も儲かることを指すが、筆者は全く逆で、自分の好きなことしかしないから、忙しくても金儲けにはつながらない。この表向きのゆうゆうたる悠然さは、たぶん忙しく過ごしているサラリーマンからは嫌われるだろう。税金をしっかりと納めよと言う政治家からもきっとそうだ。だが、ここは自由の国であるから、人がどのように自分の時間を費やそうともそれは勝手だ。ところで、ここ1週間はまた訪問者が急速に減って来た。最高であった週と比較すると数分の1以下だ。またブログを公開し始めた1月と同じように毎日1桁台の数字になるのは時間の問題に思える。このことは筆者のブログがよほど通常の人の感覚からずれていることを示すだろう。「不人気ブログ」は無数に存在するが、その中で5000字以上を毎日書いているのはきっと珍しいはずで、おそらくこのブログだけであろうと思う。このままの調子で続けて、誰にもまねの出来ない、またまねをしようとも思われない不名誉記録の更新をしてやろう。
さて、今日は予定を朝から変更して終日整理整頓などで過ごした。とはいえ全く片づかず、ガラクタが減ることはない。息子は筆者とは違って本も全く読まず、また聴く音楽がまるで違うので、筆者の所有する本やCDその他のものは、死ぬまでにみな自分で処分してしまうつもりでいるが、その時期をいつにするかとなればなかなか難しい。1年以上も見ない本や聴かないCDは、そのままずっと一生使用することがない確率が大きいが、それでも処分した後ですぐまた必要になったりすることがありそうな気がして、つい処分を先送りしてしまう。長文ブログを毎日書く理由のひとつは、所有する本やCDの紹介を兼ねているからでもある。それはせっかく持っていながら今まで誰にも語ったことのないものをブログを通じて一度は日の目を見させてやろうとの思いだ。そのため、ブログで取り上げた本などはある意味では役目を充分果たしたから、さっさと古書として処分してもいいかもしれない。だが、現在のブログの調子で本やCDを全部紹介するとなると、残りの生涯ではとても足りない。にもかかわらず相変わらず買い込むばかりで、ますます部屋がモノで占領されて行く。きっと頭の中も同じようにガラクタで占められているに違いない。となるとこのブログもガラクタということになる。だが、ガラクタも時間が経てば見る人によっては価値ある骨董となって市場で売れるから、あるいは筆者のブログも50年ほど経てばそれなりに醗酵して味わいが出ているかもしれない。そうそう、今日は前に書いたブログをいくかつ拾い読みした。必ず誤字が見つかるのが面白いが、その訂正をしながら自分の古いブログがどんな表情をしているかを観察した。すると思ったほど悪くない。内容はまだよく記憶しているが、それでも読んでいて面白かった。自分が面白いと思えるならばきっと同じ意見を持ってくれる人はいるはずで、毎日数人に減るとしても、それらは筆者同様、見る目と心ある人と思って自分を鼓舞するのもいい。
本やCD以外に本当にガラクタと呼べるモノが少なからずある。それらをネット・オークションに出品してもいいが、写真を撮って文章を考えてという一連の手間を思うと、急に気分が萎える。とてもそんな時間がないからだ。そういう人が多いために骨董屋という商売が成り立つ。ただ同然、あるいはむしろお金をもらって引き取って来たものが時に馬鹿にならない金額の商品に化けるのであるから、こんな面白い商売はないというところだろう。ここしばらくは弘法さんや天神さんには出かけていないが、行ったら行ったでまた何かを買い込んで来るので、なるべく探し物がないのであれば出かけない方がよい。行くのは楽しいが、ここ数か月はとても出かける時間的気分的余裕がない。今夜は何だかとてもつまらないガラクタ話が続き、もう少しどうにかせねばならないなと今焦っているが、今夜はさきほど片づけをしていて見つけたものについて話そう。どこへ行ったのかわからなかったが、偶然出て来た。数年前だったか、あるは10年ほど前か、天神橋筋商店街で見かけた文字絵の露店で書いてもらった自分の名前だ。正確な場所はJR天満駅から近い天神橋筋商店街で、北に向けて道幅が狭くなってすぐのところ西側であった。向かい側はパチンコ屋があったと思う。それはいいとして、この文字絵は韓国の民間伝承の芸能の部類に入る。正しくはどう呼ぶのか知らないが、李朝の民画と共通する地盤を持っているのは確かだろう。李朝民画の文字絵自体が庶民の芸と言ってよいが、それはまだ掛軸にされるなど比較的サイズは大きいし、また細かく描いてある。だが、この路上で商売をする文字絵屋は流しの職人で、教養やまたそれに対する志向も持ち合わせていないと言ってよい。もちろん同じような文字絵書きにもピンからキリまであって、確か人間国宝的な位置にまで上り詰めている才能もあって、その作品の紹介を何かで見た記憶がある。日本にはない芸であるのでとても興味があるが、実演を初めて見たのは93年公開の韓国映画『風の丘を越えて-西便制』においてであった。この映画は今の韓流ブーム以前にかなり有名になった韓国映画としてよく記憶されるが、筆者がこの映画を封切りで見て一番印象に強かったのは、映画の主題であるパンソリではなく、むしろ文字絵職人の姿であった。
パンソリは2003年に日本の文楽とともにユネスコ世界無形遺産に登録された。韓国を代表するこの激しい語り歌は、レコードはいくつも出ていて筆者もそれなりに所有するが、本当の感動は実演に接するしかない。そのごくわずかな部分が以前みんぱくで上演された。やはり生の声は圧倒的によかった。『風の丘を越えて…』のタイトルは覚えにくいのが難点で、たとえば『パンソリの魂』といったように、日本ではもう少し大胆に変更出来なかったものかと思う。しかし、曲がりなりにもパンソリの存在を知らせしめることに貢献したはずで、その後、つまり現在の韓国映画にはあまりない、芸術を素材にしていた点は強調しておくべき価値がある。また、映画はパンソリという今では韓国でもほとんど忘れ去られた芸能とともに文字絵書きも登場させていたのがさらにうれしかった。映画の内容はほとんど忘れたが、文字絵書きの男は老いてもなお路上で同じ仕事をしているという筋立てで、その2度目に登場する場面では哀愁を誘っていた。日本でもそうした流しの職人はたくさんいた。たとえば飴細工や手品師、がまの油売り、バナナの叩き売りといった香具師だ。夜店に行けばそういう人々にいつでも出会えたが、夜の暇潰しに持って来いのTVが全家庭に行きわたると、大阪でも10日に1回あった夜店がことごとくなくなり、そうした人々の職場は激減した。韓国でも事情は似たようなものだろう。人の集まるところに出かけ、それなりの職人的な芸を売る人々はたくさんいて、そんな中に文字絵書きもあった。これは紙と絵具と専門の小さな刷毛だけがあればよい。この小さな刷毛は実物を見れるのが一番だが、日本には同じものはない。友禅で使用する柄の長い小さな色挿し用の刷毛とは毛の部分だけが似ている。毛幅は3センチほどで、漆刷毛のように持つところは短い。絵具は顔料を油で溶いたものを使用するが、これが非常に臭い。一度その悪臭をかぐと一生忘れられないほどと言ってよい。紙は本当は和紙のような漉いたものを使用するはずだが、筆者が書いてもらったのはごく普通の上質紙だ。刷毛は色毎に用意してあって、それを巧みに操って自在にぼかしをして書き、描く。
天神橋筋商店街は数か月に一度程度歩く。古本屋が目的だ。そんなある日、露店で60歳ほどのおじさんが文字絵を書いていた。まるで『風の丘を越えて…』に登場した文字絵書きとそっくりと言ってよい雰囲気の人であった。けっこう人気があって、数人の見物客が取り囲み、おばさんがひとりで家族の分を何枚を書いてもらっていた。縦30センチほどの紙に左から右へと横長に書く。いくらするのかと思っていると1000円程度だったろうか、まあまあの価格なので、筆者も書いてもらうことにした。韓国人らしく言葉は不自由なのか、あまり喋らなかった。不用紙を束ねた小さなメモ帳に自分の名前を書けと指図する。筆者の4文字を見てすぐに書き始めたが、その間にまた人が集まり、不用紙には次の人がもう名前を書いていた。慣れた手さばきを見ながら映画と同じだなと思っていると、さきほど書いてもらったおばさんのものとはかなり絵が違う。これは後で気がついたが、筆者の次の若者のものともかなり違った。名前の漢字が違うのであるからこれは当然と思う人があるかもしれない。だが、絵は吉祥文様を添えるので、大体はレパートリーは決まっている。おじさんの描くものはそれが豊富であったようだが、それでも20枚も見れば共通した絵柄がたくさんあるに違いない。文字絵は思ったより上手ではなかった。それは左端に最後に添えたおじさんの落款からもわかる。確かにぼかしの技術はそのまま伝えてはいるが、達筆とは全然言えず、文字のバランスもきわめて悪い。つまり職人とはいえ、ほとんど最低ランクと言ってよい。そのままここに掲げるのはあんまりなので、少々特定の文字の位置を上下左右にずらして可能な限り見栄えをよくした。それでもせっかく出会った庶民の伝統芸能だ。骨董とは言えず、全くのガラクタだが、記念としては悪くなかった。それに次の機会はもうないかもしれない。おじさんは筆者の名前を書き終わった瞬間、ぽつりと言った。「とてもいい名前です」。みんなに同じことを言うのだろうと思っているとそうではなかった。いい名前とはつまりは画数が少なくて書きやすかったからであろう。この骨董的とも言える文字絵の技術は、若者にもそれなりに伝えられているようで、フィレンツェに行った時、韓国人、あるいは中国かヴェトナムかもしれないが、路上で貧相な若者が同じような文字絵を書いて観光客に売っていた。それを覗き込むと、漢字ではなく、アルファベットになっていた。また文字部分は墨ではなく、きれいな緑色の絵具で表現していたので、全体が洒落て見えた。だが、刷毛でぼかしを多用する書き方は李朝の文字絵書きと同じもので、この技術が案外今も民間に広く伝わっていることを思わせた。また、この技術は本当は李朝どころではなく、もっと昔から存在していることは、たとえば正倉院に伝わる、同じ技術によって駆ける麒麟などを描いた『絵紙』によってもわかる。そのルーツは唐にあったのだろう。それが朝鮮半島では今もそれなりに伝わっているのに、日本では開花しなかった。朝鮮は線の芸術と言ってよいから、その流れるような文字の書き方が絵のようにデザイン化されたのだろう。文字を装飾すること、また装飾文字ということにかけては朝鮮は日本より独自の道を切り開いたように思える。