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●『舎廊房(サランバン)という空間』
2日に高麗美術館で見た。3日前の読売新聞に「高麗美術館研究所が新築」という見出しの記事があった。写真によると、建物は朝鮮半島の蔵を模した外観をしているが、どこに建ったのかまでは書いていない。



●『舎廊房(サランバン)という空間』_d0053294_2295214.jpg同館は1700点の陶磁器や調度などと3万冊の蔵書を所蔵するが、これらを収める保管庫を兼ねた研究施設は美術館の真正面の建物であった。それは今でもあるが、老朽化して手狭であるため、新しく建てたとのことだ。5000万円を要した鉄筋コンクリート2階建てで、中旬に完工した。記事を引用すると、『収蔵書籍の中で中核となるのが、朝鮮半島で1930年代以来、文化財調査を手がけてきた、有光教位置・同研究所長が収集した「有光文庫」約1万冊。日本による占領期、王陵調査などの結果をまとめて朝鮮総督府が醗酵した「朝鮮古蹟図譜」、戦前の米軍管理下で行われた発掘の報告書、北朝鮮科学院醗酵の報告書など、稀覯本が多い。姜仁求(カンイング)・前韓国精神文化研究院教授寄贈の哲学・芸術、社会科学の書籍(韓国語)も約3000冊ある』とあって、年会費1万円で維持会員となれば収蔵される資料が読めるが、7月以降は予約制で閲覧も出来る。書籍公開は要望が強かったそうで、それだけ日本には韓国語の文献や韓国に関する古い調査資料が珍しいからであろう。ハングルを学ぶ日本人は今でこそ学生を初め珍しくはなくなっているが、70年代では大学の先生も含めてほぼ皆無に等しく、何かで読んだことがあるが、20人もいなかった。日本語を話す韓国人は全く珍しくないが、その逆はなかったわけだ。こっちの話すことが相手にみなわかってしまうのに、向こうの話がわからないでは、これは国の関係としてはかなりまずい。だが、日本人がハングルなど学んでも何の得にもならないと思っていたとしてもこれは当然でもあろう。外国語ならまず英語、フランス語、そしてドイツ語と欧米先進国の言葉だ。この風潮は今も大差ない。中国が今後経済的に大きく成長し、仕事にもきっと役立つことがあるだろうという時代の流れが顕著になり始めた頃、中国語を学ぶ人が増え始めた。人間はそのようにドライなもので、ハングルを学ぶ人が増えて来たのも、ある程度は同じ理由による。もし現在の韓国が世界でも稀な貧困国家とすればおそらくNHKでもハングル講座が放送されることはなく、学びたいと思う日本人も出ては来ない。語学学校は相変わらず欧米先進国の言葉を教えることを専門にしているし、それだけ需要があることは、「欧米=格好いいという劣等感に基づく図式が容易に日本人から消え去らないからだろう。
 外国人と結婚したい日本人女性が多くなっているとする一昨日のTV番組を見たが、その外国人とは欧米の金持ちを指す。そうした男と出会うために、年間に数百万支払って出会いの場を設けてくれる会社に登録する女性もいる。それだけ支払っても元が取れると踏んでいるからだ。これは築き上げて来たキャリアを結婚後もそのまま継続させてもらえるのはそうした外国の男でしかあり得ないと思っているからだ。その考えがどこまで正しいのかどうか知らないが、日本では一旦結婚して職を離れると、その後復帰しても安い賃金でこき使われ、キャリアを結婚で中断されなかった場合に比べて数分の一の生涯収入の差となるとTVでは言っていた。仮にそれが本当だとして、それほどお金がほしいという女性の心理は何だか恐れ入る。そんな女性の上昇指向は動物的本能なのかもしれないが、サラリーウーマンのキャリアがそんなに大事なもので、続けたいものなのだろうか。仕事の面白味は確かにわかるが、バリトン声で部下に命ずるような上司に上りつめることが出来ても、一個の人生としては高が知れている気がする。とはいえ、女性が男性と同じように一生を職場で働きたいというのは日本だけに限らない。中国も韓国も同じであるか、やがてそうなるだろう。もはや女性が不当に男よりも悪い条件でこき使われる時代ではないのだ。それはいいとして、NHKラジオがハングル語講座を始めたのは84年のことで、その頃からある程度はここ2、3年の韓国ドラマ・ブームの下準備は出来ていた。高麗美術館のオープンは1988年だが、これもある意味では時代の空気を敏感に体現していたと思う。機が熟していたわけだ。70年代では無理で、90年代では遅かった。朝鮮の美術を専門に展示する美術館が出来るという歓迎すべきことに遅いも早いもないとの見方も出来るが、1988年は韓国でオリンピックが開催されもしたから、ちょうどよい時期であった。確かに当時はよほどの美術ファンといった、ごく一部の人しか開館に関心がなかったと思うが、儲からなくても地道に続けることが生命の美術館事業であるし、とにかく高麗美術館が閉鎖にもならず、むしろ逆に新しい研究所が建つというのであるから、これは目ざましい進歩と言える。ちょうど韓国ドラマへの関心が高まっている昨今、さらにこの美術館の意味は大きいし、墓の中の鄭詔文氏も驚いているのではないかと思う。だが、現実的に見れば、たとえば韓国ドラマ・ファンが積極的にこの館のことを知って実際に訪れるということはあまり期待出来ないのいではないだろうか。だが、今ちょうど琵琶湖畔の佐川美術館とこの館を一所に巡るバス・ツアーが企画されるなど、他館との連携も含めて知名度はますます高まっている。
 「サランバン」という言葉を今回知る前に見たことのある人はいるだろう。京都の四条通りに同じ名前の韓国風居酒屋があるからだ。「サランバン」は、チラシに小さく書いてある「朝鮮男性がすごした時間」という文字から想像出来るように、男性のための居住空間だ。儒教国家であったため、男と女は部屋が違って、男は「サランバン」、女は「アンバン(内房)」を使用した。前者は外に向かって開放的、後者は奥深まったところにあった。これは陰陽思想や風水に因んだ設計構造だ。「サランバン」はまた元来「文房」と称されるが、古代中国の官庁名が語源にあるが、宋代には文人の間で書画、喫茶が流行し、「文房」に書斎の意味合いが強まったが、儒教を取り入れ、中国文人に規範を置いた朝鮮では、ヤンバンだけではなく次第に一般の士大夫の家庭にまでこれが浸透した。だが、中国とは異なり、琴棋書画を楽しむだけではなく、日常の大半を過ごし、書斎、接客、仕事、寝室、憩いの場として幅広く使われた。また「マル」と言う板張りの開放的空間がつながっていて、そこか庭先で客人と囲碁や将棋、矢を壺に投げ入れる「投壺」、双六などの娯楽に興じた。質素倹約を第一とし、そのことは調度品の隅々に見られる。今回の企画展のチラシはえらく地味で、一瞬現代絵画か写真展かと思ってしまうが、よく見ると小さな字で「黒柿木貼二層チャン(19世紀)部分」とある。「チャン」とは箪笥のことだ。面白い黒の模様が見られる黒柿は日本でも銘木の最高級のものとして人気が高いが、韓国でも同様であったのだろう。この黒柿木貼二層チャンは塗りを施さず、全体に質素ではあるが、虎足形の雲脚が4つついていて、それが黒柿模様とともに装飾効果を上げている。展示品はサランバンの生活を構成する文具四友と諸具、家具、趣味と娯楽のための品々から構成されていた。自分専用の書斎を持つことは日本人男性でも理想としてあるが、なかなかこれに恵まれないもので、筆者も14畳の部屋をひとり占めして使っているのはいいが、仕事もすれば音楽も聴く、原稿も書くで、モノが溢れ過ぎてとても狭くなっている。体育館のような広い部屋がほしいと前にも書いたことがあるが、高麗美術館2階の片隅に再現されているサランバンの一角を見ると、とても静かな時間が流れている気がしていつもうらやましくなる。つまり、筆者も士大夫的な生活に大いに憧れがあるのだ。だが、現実があまりにもそれから遠く、その理由がなぜなのか、自分の日々を真剣に省みる必要を感じてしまう。
 中国はそうではないが、朝鮮は日本と同じく外履きを脱いで家に入り、床のうえにじかに坐る平座生活をする。家具はそうした生活にかなった形をしていて、「チャン」(箪笥)と「クエ」(櫃)に分けられるが、これは容易に想像がつくだろう。日本では後者は今ではもっぱらプラスティック製品が幅を利かしているが、木製の手作りの深い味わいのあるものを本当は使って生活に潤いをもたらしたいものだ。サランバンの必需品として「卓子」がある。これは朝鮮の家具のうち、最も洗練された形態と比率を持つとされ、本や花瓶、香炉などを載せる。「文匣」も同じくサランバンには欠かせないもので、小さな文房具や本などを収納し、植木鉢などの賞玩品を陳列する台だ。黒漆で拭いたシンプルなものが多く、装飾もない。一方、趣味や娯楽に用いるものには、理にかなった内容の装飾であれば豪華に施されるのはかまわなかったようだ。「黒漆塗螺鈿長生文碁盤」(19世紀)は、側面に南山囲碁図を中心に松竹梅や岩山を貝の螺鈿で表現していた。これは中国秦時代の賢人らが長安にある南山に隠棲し、将棋や囲碁を愉しんだという故事にもとづいたものだ。「鉄製銀入意図盒子・香炉」は、銀を含む金属を糸状にして埋め込むことで模様を表現したもので、高麗時代の銅製品から発展した。「盒子」には刻みたばこを入れる。そのほかの入れ物としては、「竹貼函」、「紙縄箱」(こよりを貼りつけたもので、小品に多く利用された)、「鮫皮貼函」、男の髪を固定する用具である「網巾」やそれを入れておく「網巾筒」が展示されていた。朝鮮では職業や用途に応じてさまざまな衣冠(帽子)があって、文人士大夫は常に衣冠を端正にすることが礼儀となっていた。衣冠にはもちろん装飾は少ない。そのほかの展示として、6曲1双屏風「冊架図」(文房図を描く)、「硯匣(ヨンカブ)」、「文字図」(「孝悌忠信礼儀廉恥」から絵文字として描く)、それに有名であった文人による書画などだ。前にも書いたように、4時半を1、2分過ぎて館内に入れてもらったため、じっくりと鑑賞することは出来なかった。本当は同館にある書画全部を一堂に見たいものだ。あるいは本格的な朝鮮の文人画展が日本で開催されることを望むが、そんな機会は10年に一度程度あればいい方で、まだまだ一般的な関心は低い。儒教は三国時代(新羅、高句麗、百済)に中国から伝来し、仏教と共存して文学思想のひとつとして認識されもした。高麗(918-1392)末期に元から朱子学がもたらされ、高麗から朝鮮(1392-1910)へと王朝が変動するとともに朱子学は新たな学問としてヤンバンの間で広く受容された。そして仏教を退け、基本理念となって500年の歴史を土台を築いた。このことからも文人の書画が日本とはかなり違ったものであったことがかわる。日本の文人画との関係も含めて、もっと朝鮮の美術が紹介されてよい。民芸や陶磁だけで捉えては文化の全体を見誤る。
 サランバンは女性が入れないものであるから、これは男の威厳を保つにもとてもよい空間であった。女は奥に引っ込んでいればよいという封建社会の愚かな遺物に過ぎないと見るフェミニストもあろうが、一生仕事のキャリアを積みたいと思っている女性も、本当にそういう生活をするのであれば、その空間はサランバンと同じようなものになるだろう。外に働きに出る存在は外に向かった空間に住むのが当然のこととなるからだ。日本の男性が頼りなくなったとするならば、それは書斎を初め、夫がひとりでゆっくりと寛ぐ空間がなくなって来たことに理由があるかもしれない。そうした部屋は贅沢とされ、むしろ子どもに供される。それで子どもの親殺しが始まったと言えばあまりにも単純な思考と謗られるが、父親が住空間の面でないがしろにされていることを子どもが何とも思わないのであれば、そんな子どもが親を大切に思うことはないだろう。だが、書斎など不要と考える父親は少なくないし、中国や朝鮮では文官支配の政治が長く続いたために、結局近代化において日本より遅れを取ったという考えもあるから、今ではむしろサランバンは否定的なものとして日本では捉えられるかもしれない。だが、そこから導かれるのは、男はお金だけを儲けてくればとにかく偉いとする拝金思想だ。そのことが先の欧米の金持ち男性との結婚を希望する日本人キャリア・ウーマンの増加にもつながっているだろう。中国や朝鮮のかつての文官は自分たちこそが一番優れているとして他に学ぼうとしなかった。武士はその点、相手を討つために相手の優れた点を研究して取り入れる必要があった。この学ぶ姿勢が明治の近代社会を作り上げたという意見があるが、もしそれが正しいのであれば、今後も何事も謙虚に学び続けねばならない。それでもなお今後数百年にアジア国家間の力関係がどう変化しているかわからず、朝鮮王朝における文官支配の基礎を生活面から支えたサランバンという存在の見直しが起きている可能性もあり得る。ある時期において徹底的に意味のないものとして廃絶されたものが、その後にまた蘇ることがあることをよく知っておくべきだ。何事も侮っていると、後でしっぺ返しを受ける。戦後にキリスト教が一気に拡大した韓国であっても、その基礎には儒教の考えが支配的であるし、そういう国家が今後どのように日本とは違う文化を生み出して独自の発展を遂げるかはある意味では見物だ。
by uuuzen | 2006-05-21 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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