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●『保存修復の現場から-作品の光学調査』
飛鳥資料館でキトラ古墳から剥がされた白虎の壁画が展示中だ。今そのことがかなり話題になっている。



●『保存修復の現場から-作品の光学調査』_d0053294_291521.jpgこの小さな壁画断片を見るために全国から古代歴史ファンが訪れているそうで、筆者も目下のところ行きたいと考えている。奈良国立博物館あたりにはしばしば行くが、飛鳥は遠い。近鉄の橿原神宮駅からバスに乗り換える必要があり、京都からでは丸1日がかりだ。季節と天気がよければまだ遠足気分にもなれるが、これからの梅雨を考えると躊躇してしまう。橿原神宮は小学3、4年生の遠足で行ったことがあるきりだ。隣の県でもなかなか訪れる機会がない場所は多い。小学校の修学旅行は伊勢神宮であったが、昭和30年代はまだ橿原神宮や伊勢神宮に学校から行くことが何も言われない時代であったようだ。「君が代」も事あるごとに学校では歌った。いつから小学校で伊勢神宮行きや「君が代」が問題となったのか知らないが、そう言えば小学校の修学旅行以来伊勢神宮には行ったことがないから、行っておいてよかったとは個人的に思う。そうそう、あそこの名物はのしの形をした生姜板で、これを買って来たことを思い出す。白やピンク、黒砂糖を使用したうす茶色、それに抹茶の緑色の4色があった。小さく割りやすいように縦横の溝がたくさん入っていた。筆者はこの生姜板が好きで、妹ふたりがその後同じように修学旅行で行った時にも買って来てもらった。今も売っているのかどうか知らないが、甘味が豊富な時代になって、そういう砂糖と生姜の混じった素朴な味の菓子は歓迎されなくなった。また、いつの間にやら伊勢名物は赤福餅ということになり、近鉄沿線のどの駅でもそれは売っている。その場所にしかない味というものが本当に珍しくなった。いやいや、また思い出した。近鉄の橿原神宮駅と八木駅でしか売っていないきび団子がある。半年ほど前、その1箱をお隣さんからいただいた。素朴なおいしさに一瞬で平らげてしまい、すぐにでも買いに行きたくなったほどだ。おおげさな話だが、今一番食べてみたいのはその団子だ。ネットで調べると毎日すぐに売り切れるようで、それ以上は作らない。保存が利かず、買ったその日に食べねばならないから、宅配便などでは買えなかったと思う。別に凝った作り方をしているのではない。江戸時代ならどこにでもあったようなきなこでまぶした団子だ。だが、それがかえって今は新鮮で得難いものとなっている。
 その場所にしかないものというのがある。何でも家にいながらにして手に入るのは便利喜ばしいことではあるが、現地にざわざ行かないと得られない感動があってよい。これは人でもあるいは美術品のようなものでもそうだ。たとえば今話題になっているレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の壁画は、ミラノまで行かなければお目にかかれない。画集で充分と思う人もあろうが、実物が見られるのであればそれに越したことはないと内心は思っているはずだ。王様であってもまさかその壁画を自分のところに持って来いなどとは言わず、自分から壁画のあるところに出かけるだろう。壁画がその場所にあってこそ意味があるからだ。人々が遠くにある有名なものを見たいと思い、そのことをかなえるために写真が大きな役割を果たして来ているが、今では陶板に写真を焼きつけて1000年以上も色が変化しない壁画や額絵の複製品が作られる。そういうものばかりを展示する美術館が淡路島にあって、何年も前から一度行きたいと思いながらそのままになっている。思い切って訪れないのはやはり複製品であるからだ。複製品が悪いとは言わない。その美術館では大量に名画の複製が展示され、しかもみな原寸大かそれに近くて、限りなく本物と同じような工夫が凝らされている。大きさ的な迫力は画集の比では到底ない。だが、世界中の複製名画を効率よく見られるとしても、何だかありがたみがうすい。本物をそれが存在する現地でごく少数見る方が思い出になる気がする。それこそがベンヤミンの言った本物が持つアウラであって、そういうアウラは大切にした方がよい。今は何でも白日の下に晒されて、神秘性も剥ぎ取られるようになっている。それはみんなの見たいという欲求をかなえるために一部の関係者が動くからでもあるし、その欲求が一応は満たされると、つまりは一応消費されたものとしてアウラの輝度は人の思いから減少する。それはまた年月が経つと高まっては行くものだが、人目に晒される過程でいろいろと問題も起きる。前に書いたが、滋賀の聖衆来迎寺にある国宝の六道絵を去年秋に京都国立博物館で見た時、死体に群がる列になった蛆虫の胡粉の白さが画集で見るのとは違って著しく減退していることに驚いた。それは明らかに表装の新調段階で色落ちしてしまったものに思える。保存のためには定期的に表具をやり変える必要があるが、これは展示のたびに少しずつ絵が破壊されて行っているからでもある。実物は確かに写真よりいいが、古い写真の方が現在の実物よりもっと元に姿に近いことがあることを知っておくべきだ。
 キトラ古墳の壁画の切手が近年発売されたはずと思ってさきほど調べた。2003年10月15日発売で、たいていの記念切手は買うのだが、これは買っていなかった。10円の寄附金つきの80円切手であるため、1シート10枚綴りは900円の売価であった。つまり、1シート売れるたびに100円の寄附金が壁画保存のどこかの団体に入ったわけだ。切手は何百万枚と刷るからこれは大きな額になる。高松塚古墳の切手は73年に出ているが、キトラ古墳のものが遅れたのは、石窟に最初のファイバースコープが挿入された83年では壁画の一部しか発見されなかったことによる。98年、そして2001年の合計3回の調査によって天井を含め合計5つの壁画が見出され、そのうち白虎と朱雀の2点だけが切手図案に採用された。切手図案は苦心の跡が見える。壁画の白虎は体の中央部分が茶色の水垂れによる致命的な大きな汚れがあるが、ちょうどその部分を避けて前部分のみをトリミングしてデザインした。それでも堂々として迫力がある。ところが石窟内部の全撮影からたった5年で壁画を剥ぎ取らねばならない事態が起こってしまった。カビが原因だ。フンデルトヴァッサーは建物にカビが生えるのは喜ぶべしと言ったが、それは乾燥したヨーロッパでの話であり、カビなどいつでもどこでもすぐに生える湿気の多い日本ではむしろ反対で嫌われものだ。だが、1000年以上もそのままにあったものが発掘されたことにより、一瞬のうちに無残な姿になるのはどういうことか。それなら考古学や発掘の意味などどこにもないどころか、害ですらある。貴重な文化財が、人々の見たいという欲求の前にあえなく本来の命さえも極端に縮めてしまった。アウラも何もあったものではない。古墳内部の壁画は本当はその内部にあってこそ意味があるだろう。もうしばらくすれば、いや今でも可能とは思うが、石窟と内部の壁画の複製を作って、それをたとえば奈良国立博物館の地下の一角で展示することは出来なかったのだろうか。あるいはヴァーチャルでもよい。たいして金額もかからなかったと思う。せっかく寄附金つき切手で多額を民間人からもらっておきながら、調査員の不手際で結局無残な形に剥がしましたでは、何ともなさけない話だ。切手図案の方が剥がされた実物より元の姿を示しているというのも皮肉だ。2日前の新聞に書いてあったが、飛鳥資料館で見る白虎はいかにも白々して感動を誘わなかったということらしい。それはふたつのかけらに分かれてしまったことと、湿度も違って発色が異なっていることによって、すっかりアウラが変質したからだ。
 美術品の保存の問題は永遠につきまとう。それに携わる人々の地道な努力には頭が下がる。だが、保存の方法には問題がつきまとう。キトラの白虎片も今後もっと悪い状態にならないとは限らない。前述の六道絵の蛆虫の胡粉の減退もそうだ。以前より絵具が剥げたのであれば、そのことを明確に公表すべきだが、どうせ鑑賞者はよく見ていないと高を括っているのか、画面全体がぴんと張っていればそれで新品になりましたよというわけだ。キトラ古墳と同様の問題はおそらく他の美術品にももっとさまざまな形で現われているだろう。そうでない方がおかしい。手元に「修復からのメッセージ展 近年における文化財修復の成果」というチラシがある。丸亀市立資料館で2年前に開催されたものだ。これと同じ内容ではないと思うが、奈良国立博物館の常設展示館地下にも最近同じような古画修復の比較写真があった。修理前と後とでは全然絵の見え方が違う。誰しも修理で蘇ったことを喜ぶ。筆者もそうだ。だが、それは前述したような絵具の剥落が全く問題にならないほど保たれた場合に限る。もちろんそんなことは当然考慮したうえで修復するはずだが、それでも作品が5、600年ほども前のものとなると、絵具を付着させる膠の効果が脆弱なものに変質していて、裏打ちを新たに施す際にごく微量でも絵具が剥げ落ちることはあり得る。形あるものは必ず劣化し、ついには消失するが、その速度をかなり遅らせることは出来るとしても、その一方でオリジナルの状態が損なわれることもままあり、修復が必ずしもよい場合ばかりとは限らないことをよく理解しておく必要がある。修復家にも優れた才能とあまりそうとは言えない人があるはずだが、そうしたことを重々承知のうえで、なおも修復は欠かせないところが美術品の宿命で、その陰に隠れたところに焦点を当てるのが今夜紹介する展示というわけだ。えらく枕が長くなってしまったが、この展示は新聞で知って楽しみに出かけた。4月30日、「ホイットニー美術館展」を見た後、4時半になっていたが、係員に訊ねると、5時閉館ではなく、6時だったか、とにかく充分時間があることを知り、それでゆっくりと見ることが出来た。
 展示は油彩3点のみであった。兵庫県立美術館は2002年の開館に伴って作品の修復保存を専門とするグループを設け、展示品はみな大なり小なりこのグループによって点検と修復を受けている。兵庫県立近代美術館からは7000点以上の作品を受け継いだが、版画にしても油彩画にしてもそれらはみな万全な保存状態にあるわけではない。版画のマットを交換したり、木枠を直したりすれば済むといった比較的たやすい修復の場合もあれば、絵具がカンヴァスから大きく剥落している場合もある。それがチラシに大きく印刷されている本多錦吉郎(1850-1921)の「羽衣天女」(1890)だ。この大きな作品は20年ほど前だったか、兵庫県立美で見たことがある。エックス線や紫外線、赤外線を用いた光学調査によって、修復保存には直接関係のない、表面に見えている絵具の下にどういう絵が隠れているかがわかる。この作品では左下に富士山がふたつ見えているが、上部にあるものは画家が描き直して消したものだ。また羽衣の描き方が現状とはかなり違っている。こうした画家の試行錯誤の跡はそれなりに面白いが、別に重要と思えるほどのことでもない。レオナルドの「最後の晩餐」といった超名画ならいざ知らず、絵の美術的価値が歴史的にさほどでもなく、また、描き直しの解明によって何か特筆すべき重要なことが導き出されないのであれば、せいぜいついでにわかりましたという程度のものだ。またこの作品は木枠に多数の釘跡があって縦方向に短くされていることもわかったが、これ画家本人がしたのか、別の人がしたのかはわからない。また、紫外線蛍光写真で得られる表層情報によって、背景がほとんど補彩されていることがわかったが、これはかつて修復家が行なったものだろう。岸田劉生の「樹と道 自画像其四」(1913)は縦長の作品だが、エックス線の透過写真によって、日の当たる道と垂直に立った緑色の崖が自画像の向こうに発見された。この作品は裏面にはタイトルが横書きされていて、当初は横描きの風景画であった。だが、劉生は絵具ですっかり塗り潰さず、下に見える風景画のわずかな部分を自画像の表現に用いている。これはなかなかテクニシャン振りを見せて面白い。また隠された風景画がどのようなものであったかの想像も膨らむ。もう1点は金山平三の「海岸風景」という小品だ。赤外線写真が展示されていた。赤外線はうすい絵具層を透過して下の絵具層や地塗り層に到達して反射して戻って来るが、下描きに炭素を含む絵具や木炭を用いている場合、炭素が赤外線を吸収するため反射せず、その部分は黒く映る。そのため、下描き図像を調査するのに適している。調査では、頭にリボンと赤い飾りをつけた女性がはっきりと確認出来たが、これは「無題(坐る女)」(1912)という別の作品に登場する女性とほぼ同じもので、そのことによって「海岸風景」の位置がわかる。油彩画はこうした光学調査はそれなりに威力を発揮するが、江戸時代やそれ以前の日本画ではどうなのだろう。今度はそんな成果の可能性を知りたい。
by uuuzen | 2006-05-20 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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