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●『こどもとおとなをつなぐもの』
14日に国立民族学博物館で見た。この展覧会のチラシを以前に入手した時、裏面に「郷土玩具について-みんぱくキッズワールドの展示資料を中心に」と題した講演会が開催されることに目をとめた。



●『こどもとおとなをつなぐもの』_d0053294_2175033.jpg講演会は4月1日で、当日は滋賀に出かけたので行くことは出来なかったが、みんぱくがどのような郷土玩具を収集しているのと興味が湧いた。「郷土玩具」という文字を見ると、すぐにそれは「日本の」と思う癖がついているが、みんぱくであるからには「世界の」であり、興味が半分失せつつも、また失せるその半分に新たな興味も入り込むような気がした。それは筆者は日本の郷土玩具に関心があるからだが、その一方で日本以外の国の郷土玩具にどういうものがあるのか、知識を得たい思いも少なからずある。講演会に行かなくても今回の展示品の中にそうした郷土玩具が多少あったが、いささか物足りなかった。その理由のひとつは展示の方法にもあったかもしれない。特別展示館にまず入ると、ベニヤ板で壁面を覆ったり、白いシーツを垂らしたり、架設小屋の雰囲気があって少々驚いた。きっと少ない予算のためゆえと思うが、毎回この会場での特別展は展示に工夫が凝らされているので、こうした安っぽいしつらえもたまには悪くない。そう思って奥に進むとさらにびっくりさせられる仕掛けがあった。特別展示館は内部は円形になっているが、今回は入口から「へその丘」と名づけられた中央部分に真っ直ぐ到達するように、両脇を白いカーテンで仕切って細い道を作ってあった。「へその丘」は建物のちょうど中央を丸く陣取っていたが、周囲を天井から白い反物をびっしりと垂らして覆っているため、中の展示品を見るためにはその布をかけ分けて入る必要がある。「へその丘」はいわば母親の胎内で、そこへ産道に見立てたプロローグを逆に辿って到達させるという仕組みだ。「へその丘」の展示品は多くはない。諸外国の子どもが誕生した時の風習を示す「モノ」が7、8点、ぐるりと円形に展示されていた。日本は「へその緒とその箱」だ。これは誰しもよく知る。インドは「蜂蜜とスプーン」で、これは生まれてすぐの赤ちゃんに少しだけ蜂蜜をなめさせる風習があることによる。イヌイットの風習を示すものとしては毛皮が置いてあった。日本では産湯を使用するが、酷寒の地では生まれたばかりの人間の赤ちゃんを獣で毛で拭うそうだ。また、熱帯の国だったと思うが、へその緒を切り取る道具と緒を収納しておく黒光りした弁当箱ほどの箱もあった。
 「へその丘」を見た後、また白い布を押し分けて外に出ることになるが、世界各地のゆりかごが「へその丘」を取り囲む形に置かれている。ゆりかご全体が動くものや、イギリスのように、かごは動くが、それを釣っている器具は固定したままといったものなど、いろんなタイプがある。だが、「へその緒」から出ていきなりいつもとは変わった展示空間が眼前に広がったため、何をどう見て行けばいいのかどぎまぎしてわからず、ゆりかごにはあまり目が行かなかった。何よりもまずベニヤ板で作った箱の群れにびっくりさせられたからだ。それらは今度はゆりかごを外側から囲むように、円形にしかもランダムに置かれていたが、大きさはまちまちだったと思う。大体高さ2メートル、1辺が1.5メートルほどの直方体で、もらって来たパンフレットによると全部で20個だ。板の厚みは2、3センチはあって、板に捺された製造元の青いハンコがそのままあちこちに見えていて、それをペンキを塗るなどして隠そうともしていなかったところにまた低予算が感じられた。だが、倒壊の危険はまずなかったし、それでも充分だ。どの箱にも、手が中には入らないほどの細い横長や縦長のスリットが数個開けられていて、そこから内部の展示品を覗き込む。中にはちゃんと照明が当たり、また説明書や写真なども貼ってある。子どもが見るのは下の方に開いた隙間、大人はもっとうえの方の隙間から見るが、どちらにしても顔を箱にくっつけて、目玉を箱の内部のあちこちに向ける必要がある。中に入っているものは大きさも種類もさまざまで、説明書きも内部にあるから、とにかく箱の中を見なければ始まらない。よく言えばこれは昔縁日で見た覗きからくりと同じ効果を上げていて、新鮮な印象を与えていたが、欠点を言えば、どの展示品も他とは隔絶して箱の中に入っているため、全体の作品をまとめて俯瞰出来ず、迷路に迷い込んだ気分がつきまとったことだ。これはちょうどあるホームページに初めて訪れて、順に各ページを見て行く感覚に等しい。本であれば全体が視覚的にも重さ的にもまず最初に把握出来るが、ホームページではそういうわけには行かないため、各ページを見ながら全体を見通せない不安を覚える。パソコン世代がこの展示方法を考えたのかもしれない。箱の内部の写真はスリットから見た時の効果を考えてか、写っている人の視線がまともにこっちを向く。これは意外な驚きがある。普通人と視線が合う時は、まずその人の姿形が見えている。だが、ここでは箱を覗けば、逆にそこからこっちを覗くような人がいる。まるで「覗くな」と言われているような気分だ。学芸員はそういう効果を狙って写真を選定したのだろう。今こうして書いていて、展示品よりも箱の中の写真の方をよく思い出すほどで、その意味ではこの目新しい展示方法は成功していたと言えるだろう。
 ベニヤ板の箱は「ギフト:子どもたちへの贈りもの」と題され、世界各地に見られる大人から子どもに伝授する「モノ」が展示されていた。弓や動物の骨で作ったゲーム用のコマといった遊び道具、大切なビーズを用いた衣服や健康を願う特別な模様のついた小さな靴、それに初潮を迎えた女子のための腰蓑であったりと、どこの国でも共通する親や年配者が子に寄せる愛情を示すものだ。箱の数の分だけ展示品があったわけだが、先に書いたように、会場を見わたしても大きな箱が次々と見えるだけで、メモをしない限り、何がどこにあったか記憶に残りにくい。あるモノが展示されているとして、それを後で思い返す時、そのモノのあった場所が建物のどのあたりであったかは重要なヒントになる。モノだけを取り出して見ても、なかなか記憶には残りにくいのだ。ただし、今回のような展示の場合は、周りのよけいなものとは隔絶してモノだけに対峙するので、鮮烈な記憶を残しやすいと言えるかもしれない。それに、何が展示されたかの全貌を知るには図録を買えば済む。今思い出したが、図録はうすいもので、1000円未満ではないだろうか。手に取って確認することを忘れた。今回のような、大人も子どもも一緒になって楽しむことを前提にした内容であれば、「知識の森」といった空間に遊び心で浸れる工夫がほしいところで、その意味ではかなり成功していた。小さな子どもが博物館を楽しむには通常のガラス越しの展示では無理があるし、たとえ今回の展示内容をほとんど理解しなくても、たくさんの箱の中を覗いたという記憶は去らず、そのことを何年も経って思い出してみんぱくに関心を抱くことは充分あり得る。博物館事業とはそのような夢を描かなくてはやっていられないだろう。促成栽培は無理なのだ。今回の展覧会の趣旨「こどもとおとなのつなぐもの」は展示方法にもそのまま生かされていると見るべきで、展示に斬新さを出そうとした点では4月1日に滋賀県立近美で見た「sensibilia」と共通する。「ギフト:子どもたちへの贈りもの」の展示物は高価であったり、今では手に入らないような貴重なものではない。自然の素材を使った手作りものが主で、むしろ他愛ないものだ。だが、それをあえて今の日本で展示することには意味がある。昭和30年代の日本、つまりこの展覧会に子連れで来るような大人ならまだ知っているかもしれないような、不用品を利用して自分たちで作った遊び道具が中心になっていた。世界にはまだコンピュータ・ゲームで遊ばない子どもたちが多いということを子どもが知るだけでも意味があるだろう。コンピュータ・ゲームは子どもの楽しみを広げはしたが、その一方で手作りの遊び道具を作らなくなった子どもたちがどういう大人になってどういう社会を作って行くかはまだ結論が出ていない。その意味において、この展覧会に来る大人に対し、子どもに何を贈り物として与えるべきかの反省を促していると見ることも出来る。
 1階は「ギフト:子どもたちへの贈りもの」の展示がメインとなっていたが、その周囲にさらに別の展示があった。「ギフト:子どもの成長を願う 日本人の想い」「日本の子ども~変わりゆく学びと遊び~」「子どもをとりまく環境:子どもと自然」「子どもをとりまく環境:国連環境ポスター」の4つだ。「国連環境ポスター」は大型の液晶画面で世界中の子どもたちが描いた環境保全を訴えるポスターが順次映し出されていた。みななかなかみな出来た絵で、たまにこうした子どもの絵を見るのはよい。もっとゆっくり見たかったが先を急いでしまった。「子どもと自然」は前述のベニヤ箱をひとつ用いての展示で、内側にはどこか川のある場所での小学生たちによる自然環境観察の様子を写真入りで伝え、箱の外側全面にはそのフィールドワークに参加した子どもたちが描いた昆虫の生態などのイラストがびっしりと貼られていた。同じようなことは誰しも学校で経験があるだろう。筆者も小学2年生の時、学校から1キロほど離れたところに出かけてトンボや蛙を観察しに行った記憶がはっきりとある。今はその付近は田畑は全くない。半世紀もすればすっかり都市は変貌するが、今でも先生と一体となって地元の身近な場所を観察すると、それなりに自然が残っていることをこのコーナーは示していた。自然を様子を教えることもまた「こどもとおとなをつなぐもの」だ。「子どもの成長を願う 日本人の想い」のコーナーは、誕生や宮参り、節句など、子どもを祝う日のために用いる道具や衣装などの紹介で、ほとんどは今でも伝えられている風習で珍しくはないが、今では日本古来のそういった風習をすでに行なわない若夫婦の家庭があることだろう。これは若い世代だけではどうしようもないところがあって、夫婦の両親が教える必要のあるものだ。確かにそういう古い風習を意味のないものとして退けても一向に普段の生活に支障を来すことはないが、生活とは意味とは何かを考える時、日々の節目というものがあってハレとケの日を区別しなければ、ただだらだらと毎日が同じように過ぎて行くだけで、人間らしいものとは言えないのではないか。日本の今は急速にハレとケの日の区別が消失し、毎日がお祭りマンボ状態になってしまっているが、それをまるで示すかのようにこのコーナーでは展示物が古臭く見えた。
 「変わりゆく学びと遊び」は建物の壁面の一部をガラス貼りにしてその内部に玩具などを見せ、また手前の台には小学校の教科書やそのコピーを置き、さらには簡単な年譜を大きく示して時代の流れによる遊びや玩具の変化を展示していた。対象となっていたのは戦後から現在までであったと思う。玩具は土人形から始まってセルロイドやブリキ製のもの、最後あたりには任天堂のファミコンもあった。教科書は筆者が使用したものがあるかと思って該当する年代のものを見たが、どういうわけか教科書はほとんど記憶にないので確認出来なかった。漫画ならきっと思い出すだろう。2階はまずそこへ到達するまでの階段が面白かった。階段の垂直面には各年に最も多く命名された男女の名前を数人分ずつ書いたものをびっしりと貼り詰めてあった。1段ずつ上がるごとに時代が新しくなるが、次第に女子の場合は「子」のつく名前が減って行く。近年はびっくりするような名前が多くなっているが、そのことに歩調を合わせたように「こどもとおとなをつなぐもの」が少しずつ失われて行ったのかもしれない。大人が子どものように幼稚になり、子どもが大人のように目の輝きを失っている。階段を上がった突き当たりは「なまえの木」で、これは会場を訪れた人が自分の名前を紙札に書き、それを結びつける網状の木のだ。すでに数百枚以上は結ばれていたから、人気のある企画展であったことがわかる。それは2階の展示で特にわかった。丸い展示場を右周りに「へんしん広場」「あそびの広場」「ものの広場2006」「みんぱくミュージアム・アイ」のコーナーが順に並び、特に「へんしん広場」では子どもが普段は着ないような衣装を身を包んではしゃいでいた。別に贅沢でも何でもないことに喜ぶ子もどたちの姿に少々驚いたが、それは広い館内ということも作用しているかもしれない。みんぱくがそのように活用されるのもまたいいことだ。「あそびの広場」は定員制で大人も子どもも熱心に何か教わっていた。「ものの広場2006」は台にある本物の「モノ」を、大画面に映写されているその「モノ」の映像に近づけると、その「モノ」についての情報が大画面から教えられるというシステムだが、残念ながら誰も遊んでいなかった。ハイテクを駆使した遊びを通じての知識吸収が目的だが、お金がかかる割には効果はうすいかもしれない。「みんぱくミュージアム・アイ」は場所があまったために作った感じがあったが、みんぱくの研究員がどのようなことをしているかを伝えるもので、特に収蔵品に付着する虫をどう防ぐかのコーナーは、時間があれば質問などしてもっとじっくりと見たかった。
by uuuzen | 2006-05-17 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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